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浄土真宗! 獲信! 他力信心! 光雲先生のグループで聞法してます(5)

『阿弥陀劇場(本願成就文)』



突然ですが、ただいまより『阿弥陀劇場』を開演したいと思います。

題名は『本願成就文』です。

なお、この演劇は、わたくし文長が書いたフィクションです。



それでは、はじまりはじまり~



【出演者】
・阿弥陀さま
・お釈迦さま
・阿難(お釈迦さまの弟子)
・ブンチョウ(小鳥の姿を借りたもう1人の文長)
・文長(凡夫・私)





小鳥のブンチョウは、阿弥陀さまの肩にのせてもらって、阿弥陀さまと一緒に、蓮池のほとりをお散歩しています。



・阿弥陀さま
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。



・ブンチョウ
阿弥陀さま、突然何をおっしゃるのですか!? びっくりしました。



・阿弥陀さま
驚かせてすまなかったね。

いま私が言ったことは、『十八願』と言って、私が法蔵菩薩であった時、修行をする前にたてた48個の願いの中の、18番目の願いなんだ。



・ブンチョウ
法蔵さまの18番目の願いなんですね。でも・・・ 正直言って、僕にはちょっと分かりにくいです。



・阿弥陀さま
ブンチョウにはちょっと難しかったかな?

この『十八願』は、君だけではなく、多くの人が難しく感じると言うか、引っかかるところがあるようです。

ブンチョウはどういうところが分かりにくいですか?



・ブンチョウ
うーん… そうですね、三つあります。

まず、一つ目、

「わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら」

このあたりなんですが、

「結局、浄土に生まれることが決まる時期っていつなの?そもそもそれは、はっきりするものなの?」という感じです。

次、二つ目、

「心から信じて」とありますが、「わずか十回でも念仏して」という言葉もありますね。

それなら、

「信じるのが大事なの? それとも念仏するのが大事なの? どっちなの?」という感じです。

最後、三つ目、

「もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません」

このあたりなんですが、

「結局、法蔵さまはどうなったの? その願いはかなったの?」という感じです。



・阿弥陀さま
なるほど。分かりにくいところが三つあるんだね。

実は、私の真意をよく分かっていて、地球の人々に直接、言葉を使って説明できる仏さまがいらっしゃるのですが、今回はそのお方に、舞台に登場していただいて、この三つの点を説明していただきたいと思います。それが一番分かりやすいですから。

このお方が、私のことを地球の人々に紹介してくださったのです。もし、このお方が地球に生まれてくださらなかったなら、私のこと、つまり南無阿弥陀仏の存在を、地球の人々は知ることができなかったのです。

だから、とてもとても、感謝してもしきれないほど、有り難いお方なのです。

それでは紹介します!

そのお方とは、ジャジャーン、『お釈迦さま』です!

どうぞ、お釈迦さま、こちらにいらしてください!



・お釈迦さま
どうも。いま阿弥陀さまからご紹介にあずかりました、諸仏の代表『釈迦如来』です。舞台に立つのは苦手です。



・阿弥陀さま
お釈迦さまはね、「浄土真宗は阿弥陀さまが主役ですから、私は劇場の裏方に回ります」と言って、いつも舞台に立ってくださらないのです。

でも今日は、成就文によって私の真意を人々に告げてくださるお釈迦さまご本人に、主役として舞台に立って説明していただきたいと思います。



・お釈迦さま
阿弥陀さまの期待に応えられるように頑張ります。

えー まずは、ここで、ブンチョウくんに、声に出して『成就文』を読んでもらいたいと思います。



・ブンチョウ
はい、では読みます。

さて、無量寿仏の国に生れようとする人々はみなこの世で正定聚に入る。
なぜなら、その国に邪定聚や不定聚のものが生れることはないからである。すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる。すべての人々は、その仏の名号のいわれを聞いて信じ喜ぶ心がおこるとき、それは無量寿仏がまことの心をもってお与えになったものであるから、無量寿仏の国に生れたいと願うたちどころに往生する身に定まり、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれる。




・お釈迦さま
ありがとう。それでは、ブンチョウくんの三つの問いについて、答えていきたいと思います。

まず、一つ目。

「結局、浄土に生まれることが決まる時期っていつなの? そもそもそれは、はっきりするものなの?」という問いについて。

これはですね、「この世で生きている間にはっきり決まる」が答えになります。

なぜなら、阿弥陀さまの真意をよく分かった私が、成就文のなかで「みなこの世で正定聚に入る」と言ってるからです。「この世で生きてるうちに正定聚に入る」と私が言ってるからです。

正定聚とは「浄土に生まれることが定まり、必ずさとりを開いて仏になることが決定している状態」という意味です。

浄土に生まれることが定まり、必ずさとりを開いて仏になることが決定している状態の人とは、阿弥陀さまから『ご信心をいただいた人』のことです。



・ブンチョウ
なるほど、ご信心をいただくと、この世で生きている間に浄土に生まれて仏になることが決定するのですね。決定すること、そのことがはっきりするのですね。

そして、ご信心をいただいたら『死んだら仏になる』ことが決定はするけど、この世での執着や煩悩から離れて悟った人になるのではない、ということですね。



・お釈迦さま
そうです。ご信心をいただいても、死ぬまで凡夫であることには変わりはありません。

ここで『邪定聚』『不定聚』の説明をしておきますね。

邪定聚とは、自分の力で良いことをして浄土に往生しようとする者のこと。十九願の行者のことです。

不定聚とは、自分の力でお念仏をして浄土に往生しようとする者のこと。二十願の行者のことです。「いや~ 私は信心ないけどねぇ、たくさん念仏したから大丈夫じゃないですかね~」という感じの人です。

「このような者たちは阿弥陀さまの浄土にはいませんよ」と、私が成就文のなかで言ってるのです。



・ブンチョウ
邪定聚のように自分の善を頼りにしたり、不定聚のように自力疑心あるままで念仏をたくさんとなえても、浄土に生まれることはできない、ということですね。



・お釈迦さま
そうです。では、次にいきます、二つ目。ここは、とてもとても大事なところです。

「信じるのが大事なの? それとも念仏するのが大事なの? どっちなの?」
という問いについて。

これはですね「信じるのが大事」が答えになります。

正しくは「その仏の名号のいわれを聞いて信じ喜ぶ心がおこるとき、浄土行きが決まる」になります。

なぜなら、諸仏の代表である私が、成就文のなかで「その仏の名号のいわれを聞いて信じ喜ぶ心がおこるとき」と言ってるからです。

成就文では「わずか十回でも念仏して」という言葉を、私は使ってませんね。これは「不定聚のような念仏では、浄土には生まれられない」ということを言いたいわけです。決して「念仏が大事ではない」ということを言いたいわけではないのです。ここは押さえておいてくださいね。

そして、注意すべき点は「信じ喜ぶ心は自分でおこすものではない」ということです。

「阿弥陀さまから信じ喜ぶ心をいただく」ということです。『他力信心』のことです。

他力信心とは「南無阿弥陀仏のいわれを聞いて疑いが無い」ということです。『念仏に対する信心』のことです。

『他力信心』と『念仏』は、切り離せない関係なのです。

だから、結果として、ご信心をいただいた人は、その口から念仏が出てくるし、念仏の功徳(つまり、成仏の功徳)を、信じて(疑い無く聞いて)、喜んでいる、という現象がおきてくるわけです。

南無阿弥陀仏のことをよく知らない人からみれば、不定聚のような念仏も、ご信心をいただいた人の念仏も、同じように感じるかもしれないけど、念仏するこの二人の後生の一大事は違ってくる、ということです。



・ブンチョウ
はい、分かりました。

つまり、浄土行きが決まるのは「その仏の名号のいわれを聞いて、阿弥陀さまから信じ喜ぶ心をいただくとき」なのですね。他力信心が浄土に生まれる『タネ』ということですね。

そして、他力信心とは、南無阿弥陀仏のいわれを聞いて疑いが無いこと、『念仏に対する信心』のこと、ですね。

『他力信心』と『念仏』は切り離せない関係。だから当然、念仏は大事、ということですね。



・お釈迦さま
そうです。それがとても大事なところです。では最後、三つ目です。

「結局、法蔵さまはどうなったの? その願いはかなったの?」という問いについて。

これはですね、「その願いはかなった」が答えになります。

なぜなら、阿弥陀さまの真意をよく分かった、諸仏の代表であるこの私が『成就文』というかたちで、タイトルで、十八願は成就していることを、みんなに告げているからです。

つまり、「法蔵さまは、修行を成し遂げ阿弥陀さまになられて、南無阿弥陀仏はもう出来上がってますよ」ということなのです。



・ブンチョウ
文長は「お釈迦さまが『十八願は成就している。法蔵さまは阿弥陀さまになられた』と言ってくださっているんだな」と聞くことで、法蔵さまと十八願の『その後』を、知ることができるわけですね。

成就文は、『お釈迦さまのお言葉』なんですね。



・お釈迦さま
そういうことです。成就文は、私の言葉、そのものです。

これで、ブンチョウくんの三つの問いについて、回答を終えましたね。
では、私はこれで舞台の裏方へ戻ろうと思います。



・ブンチョウ
あれ? お釈迦さま、ちょっと待ってください。いま、舞台袖で、誰かが手を挙げてますよ。



・お釈迦さま
あっ、あの子は、私の弟子の一人である『阿難』ですね。



・阿難
お釈迦さま! 私です。凡夫の代表、「ミスター凡夫」の阿難です。私も質問があります。答えていただけますでしょうか。

今ちょっとお腹が痛くなってトイレに行ってたので、さっきのお釈迦さまとブンチョウくんのやり取りを聞くことができませんでした。質問が重複してるかもしれません。



・お釈迦さま
阿難はお腹が痛かったんだね。もう大丈夫かな? もちろん同じ質問でもいいですよ、なんですか?



・阿難
質問です。

法蔵さまは、仏となって、すでに世を去られたのでしょうか。あるいはまだ仏となっておられないのでしょうか。それとも仏となって、今現においでになるのでしょうか 。

十八願だけ聞いてたら不安になるのです。



・お釈迦さま
なるほど。十八願を聞いてるだけだと、阿難は不安になるんだね。では、答えましょう。

法蔵菩薩はすでに無量寿仏という仏となって、現に西方においでになる。その仏の国はここから十万億の国々を過ぎたところにあって、名を安楽という。

そして、『ここを去ること遠からず』です。

つまり、「遠くない。近くにおられる」ということでもあるんです。



・阿難
へぇー そうなんだぁ。

法蔵さまは、無量寿仏という仏さまとなって、西方にある『安楽』という仏さまの国におられるけれども、一方で「遠くない。わたくし阿難の近くにおられる」ということなんですね。



・お釈迦さま
そうなんですよ、阿難。

今から大事なことを言うから、阿難もブンチョウくんも、よく聞いてね。

まず一つ目、

『阿弥陀さまの働きは、いま』について。

法蔵さまが、無量寿の仏さまになったということは、『無量寿だからずーっと働き続けることができる仏さまになった』ということなんです。

つまり、働きかけておられるのはいつなのかというと、2500年前じゃないんです。『いま』なんです。

阿弥陀さまの働きは『永遠のいま』なんです。

次、二つ目、

『阿難は、自分(文長)ですよ』について。

大経のなかで、私(お釈迦さま)が、凡夫の代表である阿難の質問に、答えているということは、いまこの瞬間に、私が、凡夫の文長に、大切なことを言っている、ということなんです。

いま、私が、文長に「法蔵さまは、無量寿仏という仏さまになった。無量寿だからずーっと働き続けることができる。つまり、阿弥陀さまは『いま』文長に働きかけているのですよ」と語りかけている、ということなんです。

最後、三つ目、

『大無量寿経は、私(お釈迦さま)から、いま届くメッセージ』について。

文長が大経を開く時、その瞬間に、私が文長に語りかけるのです。

「無量寿である阿弥陀さまの働きは『いま』ですよ」と。

大経を開けば、阿弥陀さまの働きかけが『いま』であることを、知ることができるのです。

だから、「阿難と私(お釈迦さま)の問答なんて、遠い2500年前の話を掘り起こした、ただの昔話じゃないか。ばかばかしい」ということでは、決してないんです。

大経は、『いま』、文長に働きかけているお経なんです。

このお経の教えに出会った人が「いま、自分に、働きかけてもらってるんだな」と聞けるように、この大経はできてるんです。

そこが、大無量寿経が素晴らしい『人類の宝』である所以なのです。



・ブンチョウ
阿弥陀さまの働きは『永遠のいま』なんですね。

だから聞法グループで、光雲先生が「いま阿弥陀さまは何とおっしゃってると思いますか」と文長に言われるのは、阿弥陀さまは無量寿の仏さまだから、いま働きかけてくださっている。いま、阿弥陀さまが文長に話しかけておられる、ということなんですね。



・阿難
私は凡夫の代表者。凡夫のみんなは「阿難は私なんだな。お釈迦さまは、私(自分)に向けてお話しされてるんだな」と聞けるように、大経はできているのですね。



・ブンチョウ
大経を開けば、お釈迦さまが語りかけてくださる。

大経を開けば、いつでもお釈迦さまにあえるんだ!

すごい!すごい!すごい! 大無量寿経って、ほんと素晴らしい宝ですね!



・阿難&ブンチョウ
大無量寿経のお働きは、お釈迦さまのお働き。

お釈迦さまのお働きも、阿弥陀さまのお働きも、そのお働きは『永遠のいま』

お釈迦さま、大事なことを教えてくださって、本当にありがとうございました!



・お釈迦さま
どういたしまして。阿難もブンチョウくんも、また分からないことがあれば、なんでも言ってね。

えー ここで、せっかく主役として舞台に立たせてもらっているので、最後に、人々がよく気になるところを説明しておきたいと思います。

十八願と成就文の、両方にあるこの一文です。



『ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます』



これはですね、じつは、私が『親心』で付け足してるものなんです。

まず、言葉の意味を説明します。

『五逆』とは、

・父を殺す。
・母を殺す。
・お坊さんや阿羅漢の聖者を殺す。
・仏の身体を傷つけて出血させる。
・教団の和合を破壊し分裂させる。

これが五逆なんです。

これらは、十悪と同じく、「心でやっても(殺しても)、同じことになる」ということです。

・「死んだらええのに」と、父や母を殺すかのような思いを持つ。
・お坊さんを殺したことがなくても、お坊さんを粗末にする。
・仏教をおろそかにする。その心が仏の身体から出血させている。
・仏教を伝えていこうとする集いを大事にしないで批判する。

こうやって考えると、「五逆の罪を犯してないよ」と自信をもっていえる人は、なかなか少ないのではないでしょうか。

そして、『仏の教えを謗る』とは、

「仏の教えを、悪く言う・非難する」という意味です。『誹謗正法』と言います。



・ブンチョウ
たしかにそうですね。文長は五逆の罪を犯してます。

でもこれは、お釈迦さまが、親心で付け足してくださってるものなんですよね。

どういうことなのかなぁ…?



・お釈迦さま
今からその理由を話しますね。

いま、ここまで聞いて、誰かのことを思い出しませんでしたか?

父を殺し母を殺し仏さまも殺そうとする。仏教の集いを破壊しようとする。

これは『アジャセ』ですね。アジャセは五逆を全部やってしまったんです。

『親心で付け足した理由』を話す前に、アジャセについて、少し長くなりますが、お話ししたいと思います。

◆◆◆◆◆

アジャセは、父を殺し母を殺そうとして、そして、私の集まりを破壊して自分がそのトップに立とうとしたダイバダッタに、力を貸しました。

アジャセは、五逆を全部やってしまった。

だけどある時、アジャセは、お母さんから、自分がお父さんから愛されていたことを聞かされて、自分がお父さんを殺してしまったことをひどく後悔しはじめるのです。

「私は憎まれていると思っていた… お父さんに嫌われていると思っていた…」

「だけどお父さんは、私を愛してくれていたんだ…」

「ああ、私はなんということをしてしまったんだ! 取り返しのつかないことをしてしまった!」

そして、アジャセは苦悩と悶絶が原因で、ひどい病気になりました。

高熱が出て、できものがたくさんできました。ひどく腫れ上がり、嫌な臭いもしました。誰も近寄りません。

「自分を愛してくれていたお父さんを殺してしまった。もう私は地獄に行かなくてはならない」

そんなアジャセに対して、周りの大臣たちは「お父様を殺すことは王様としてよくあることです。そんなふうに悩むことはありませんよ」と慰めるのですが、アジャセの心はおさまりません。

そこで、ただ一人、『ギバ』という大臣だけが、こう言いました。

「ああ、良かったですね、後悔されてるんですね。懺悔されるのは素晴らしいことです。これを機会に、仏さまのお話を聞きましょう」

だけど、アジャセは「いやいや、恐ろしい」と怖がるばかり。

その時、天から声が響きました。

「お前は、恐ろしいことをしてしまった。これでは地獄に行くしか仕方がないぞ。仏法を聞きなさい」という声が。

なんと、アジャセの父親であるビンバシャラ王が、天から声をかけてくれたのです。

だけど、アジャセは「自分が殺してしまったお父さんが、自分のことを心配して、仏法を聞けと言ってくれている」と思うと、さらに情けなくてやりきれない気持ちになりました。そして、悶絶して、ますます病気がひどくなりました。

じつはその様子を、私は、ずーっと見ていました。

そして、アジャセが大いに後悔をして苦しんでいるので、お見舞いに行くことにしました。

アジャセは病がひどくて、もう誰が何やら分からない。

そこで、医者でもある私は、『月愛三昧』と言って、月の光のような優しい光で、アジャセの冷え切った心に、愛のこもったあたたかい光を注ぎました。

すると、アジャセのできものと高熱がスーッと引いていき、辛い顔をしていたアジャセの顔に、微笑みが浮かんできました。

病が癒えたところで、私は帰りました。

アジャセは元気になったけど、「ああ、私はどうしたらいいんだろう…」と悩みました。

すると、大臣のギバが「行きましょう。今こそお釈迦さまのところに、お話を聞きに行きましょう」と言いました。

アジャセは「ギバよ、私は恐ろしい。私は地獄に落ちるかもしれない。お釈迦さまのところまで行くまでに、大地が裂けて、私は地獄に落ちるかもしれない。その時は、私をどうか捕まえてくれ!」と言って恐れながら、私のところまでやってきたわけなんです。

そして、アジャセは、怖がりながら私の前に出て、「私は恐ろしいです」と言いました。

私は、静かにアジャセの顔を見て「何をそんなに怖がっとるんや。大丈夫やで、私に言ってみなさい」と言いました。

アジャセは「私は、とても愛してくれていた父を殺してしまいました。もう取り返しのつかないことをしてしまいました。私は必ず地獄に落ちます」と言いました。

私は「何をそんなに怯えているんや。お前がたとえ父を殺し母を傷つけたとしても、お前の父親であるビンバシャラ王は、いつも仏さまのことを大事にしていたんや。それなのに、もし、お前が地獄に落ちるのだとしたら、それは私にも責任がある」と言いました。

私は、父を殺し母を傷つけたアジャセを「お前に責任はない」と受け入れて、許しました。

これは、いつも私が言ってる「自分のやったことは帰ってくるよ」という『因果の道理』に反することになります。

でもそれは、私の『愛情』なんです。

「たとえ、お前が父親を殺しても、私は、お前を決して見捨てはしないよ。必ず救いますよ」という愛情なんです。

これを聞いたアジャセは、心を打たれました。

「お釈迦さまはこんなにも言ってくださる。こんな私に『決して地獄には行かさない』と言ってくださるんや!」

私の慈悲が、アジャセの心を打ったわけなんです。

「なんと申し訳ないっ!」

この時、アジャセの心に大きな変化が起きました。アジャセは『信心』をいただいたのです。

「ああ、なんともったいないことだろう!お父さんを殺したような自分も救っていただけるんや!」

アジャセは心から嬉しい気持ちになったのです。

「ああ、なんともったいない!ああ、なんともったいない!

そして、アジャセは、生まれ変わったような顔で言いました。

「仏さま、私は、もう、このように仏さまが救ってくださることが分かって、いま死んでも恐ろしいことはありません。仏さまに聞かせていただいて、私は何も後悔がありません」と。

さっきまで、死ぬのが恐ろしかった、地獄に落ちるのが恐ろしかった、アジャセなのに、信心をいただいたことで、心がガラッと変わったわけなんです。

◆◆◆◆◆

・お釈迦さま
ここまで、アジャセについて、お話ししてきましたが、ここで『アジャセの変化』について説明しておきます。

『親心で付け足した理由』は、この後に話しますね。最後までよく聞いてね。

【アジャセの何が変わったのか。何が変わらなかったのか】

あれほど悪いこと(五逆)をしてきて、そして「地獄に行くのが恐ろしい!」と怯えていたアジャセは、私の愛情・慈愛を受けて「なんと申し訳ないっ!」と、恥ずかしい自分を知らされました。

アジャセに『回心・心のひるがえり』が起きたのです。

アジャセの何が変わったのか。どんな心がひるがえったのか。

それは、「お父さんを殺した私は地獄に落ちる!地獄に行くのが恐ろしい!」と怯えていた心が、ひるがえったのです。



・お釈迦さま
アジャセの心が、私の愛情・慈愛を受けて、柔らかく溶けていきました。悪がひるがえったのです。それと同時に『信心』が芽生えてきたのです。

「ああ、なんともったいないことだろう!お父さんを殺したような自分も救っていただけるんや!」と。

『こんな自分は地獄に落ちる!』から『こんな自分が救っていただける!』へと、裏返しにするように、心がひるがえったのです。

これが「信心をいただいた」ということです。

そして、ここで変わらないものは、五逆の罪です。自分の父を殺した事実は、変わらない。なくならないのです。

五逆の罪はそのままで、アジャセは救われていくのです。



・ブンチョウ
アジャセが変わった点。それは『こんな自分は地獄に落ちる!』から『こんな自分が救っていただける!』という心のひるがえりがあったところ。

アジャセが変わらなかった点。それは、五逆の罪を犯した事実。

ということですね。



・お釈迦さま
そうです。ブンチョウくん。

ここで、『成就文』に話を戻しますね。

この、私とアジャセのやり取りから分かるように、私が親心で付け足した『唯除五逆誹謗正法』についてです。

この『親心』の一文を私が足すことによって、文長は聞法・求道の道筋をみていくことができるわけなんです。

ここで、更に説明しておきます。

『聞法・求道の道筋をみていく』とは、具体的に言うと、

まず、

「アジャセは、自分(文長)なんだ」と、アジャセを自分に引き寄せて考えてみること。

文長は覚えてないけど、遥か昔から、生まれ変わり死に変りして、文長はアジャセと同じようなことをしてきたわけなんです。

それを「いま聞きなさいよ。アジャセはあなたのことですよ」という阿弥陀さまの親心なんです。

「親の愛情・慈愛が向けられているターゲットは、何なのか?」と、観ていく。

「五逆や仏さまを疑うことをしてる人は救われないんやで。ちょっと考えてみてくれるか」と、阿弥陀さまは言ってくださっているのです。

親を憎んだり殺すような心や、誹謗正法する心があったり、「そういう気持ちがあるんじゃないんか、ちょっと考えてみてくれるか」と、阿弥陀さまは文長に言ってくださっている。

「やめなさい!」と言われてるんじゃなくて、「文長が、そういうことをせにゃ生きていかれんのは、私はよう分かっとるよ」と、阿弥陀さまは言っておられる。

「自分には恐ろしい心があるなぁ、と気づいておくれ。その心は悪い心なんやで」と、阿弥陀さまは教えてくださっている。

でも、「やってしまわないと生きていけない文長だからこそ、かわいそうだから救うよ、必ず救うよ」って、阿弥陀さまは言っておられる 。

だから、

文長は、その『親心』をいただかないといけない。

そして、「なんまんだぶつ。申し訳ありませんでした!」と、本当の親に謝らないといけない。

それほどまでに、文長は、阿弥陀さまに願われてきたのです。大事にされてきたのです。

文長には、このことを、深く深く、受け止めてほしいのです。

これが、私(お釈迦さま)が『親心で付け足した理由』です。



・ブンチョウ
『聞法・求道の道筋をみていく』とは、

「アジャセは、自分(文長)なんだ」と、アジャセを自分に引き寄せて考えてみること。

「親の愛情・慈愛が向けられているターゲットは、何なのか?」と、観ていくこと。

そして、『親心』をいただいて、「なんまんだぶつ。申し訳ありませんでした!」と謝るぐらいに、阿弥陀さまに願われて大事にされてきたことを、深く深く、受け止めていくこと。

こういう『聞法・求道の道筋』を文長に示すために、お釈迦さまは『唯除五逆誹謗正法』を付け足してくださったのですね。



・お釈迦さま
そういうことなんです。

ここまでの話で分かるように『親心』とは、阿弥陀さまの『わが子 文長を慈しむ』お心です。

そして、阿弥陀さまの真意がよく分かっている私(お釈迦さま)の、文長に向けられた『親心』でもあるのです。

これは、どういう意味なのか・・・

答えましょう。

それはつまり、わたくし、釈迦如来は、文長の『父親』なのです!!

ああ、まさか阿弥陀劇場の舞台で、こんな大事なことを告白するなんて、思ってもみなかったことです。でもこれで、わが子 文長に、私が父親であることを知らせることができます。

言いたいことはすべて言いました。最後まで聞いてくれてありがとう。



・ 文長
へぇー そうなんだぁ。「阿弥陀さまは俺の本当のお母さま」ということは聞いてたけど、お釈迦さまは俺の本当のお父さまなのかぁ。なんかスゲー!!



・ブンチョウ
お釈迦さま、今の告白は、ちゃんと人間界の文長にまで届いたみたいですね!



・お釈迦さま
そうですね。よかったよかった。これが『仏の働きかけ』というものです。仏のパワーはすごいのです。



・ブンチョウ
ほんとすごいですね!あれもこれも『お働き』ですね。

ええっと、お話に戻りますね。

アジャセの五逆を、お釈迦さまは許された。

そして「阿弥陀さまの愛情・慈愛によって、その心がひるがえる」ということですね。



・お釈迦さま
そういうことです。



・ブンチョウ
だから、阿弥陀さまの愛情・慈愛が注がれている文長は「アジャセは自分なんだ」と、アジャセを自分に引き寄せて考えてみることが大事なんですね。

そして、阿弥陀さまの『親心』をいただかないといけない。

そして、「なんまんだぶつ。申し訳ありませんでした!」と、本当の親に謝らないといけない。

それほどまでに、文長は、阿弥陀さまに願われてきたんだから。大事にされてきたんだから。



・お釈迦さま
そういうことです。よく聞いてくれたね。



・ブンチョウ
お釈迦さま、十八願を成就文というかたちで、分かりやすく説明してくださって、ありがとうございました!

『唯除五逆誹謗正法』を『親心』で足してくださって、ありがとうございました!

そして、阿弥陀さまの愛情・慈愛を聞かせてくださって、ありがとうございました!




・阿弥陀さま
お釈迦さま、お疲れ様でした。

私の真意を踏まえて、分かりやすくお話ししてくださって、本当にありがとうございました。

『唯除五逆誹謗正法』を、アジャセの獲信を例にして説明してくださったところが、とても分かりやすかったです。さすが文長のお父さんですね。



・お釈迦さま
どういたしまして。阿弥陀さまのお役に立てて光栄です。私は、わが子 文長のために頑張りました。

それでは、私は、舞台の裏方へ戻ろうと思います。



・ブンチョウ
お釈迦さま、ありがとうございました!

あっ、それから阿難さんも大事な質問をしてくださって、ありがとうございました!



・阿弥陀さま
そろそろ終わりにしましょう。

「いま、阿弥陀さまは何とおっしゃってますか?」

これは、日頃、光雲先生が文長に言っていることですよね。「いま、私が文長に働きかけている」ということです。

そして、「信心が大事である」と、蓮如さまも言われてますね。

「これらの根拠はどこにあるのか」というところを遡ると、この成就文になるんです。

また、「大無量寿経は、いま、文長に働きかけている。それは、お釈迦さまが、いま、文長に働きかけている」ということ。

「お釈迦さまは、本当のお父さま」ということ。

このあたりをよーく味わってくださいね。



・ブンチョウ
はい!分かりました。

阿弥陀さまは、いま、文長に働きかけている。

大無量寿経は、いま、文長に働きかけている。

お釈迦さまは、いま、文長に働きかけている。

お釈迦さまは、文長の、本当のお父さま。

信心が大事である。



・ブンチョウ
今日のお話でよーく分かりました。

阿弥陀さま、ありがとうございました!



(おしまい)

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