誰かにとっての楽しい日は
現在、TwitterのTLは、2年前のBUMP OF CHICKENのライブに参加したフォロワーさん達が、幸せそうにその日を振り返っています。
もともとは、1月に開催予定だったのが、Vo.藤原さんがインフルエンザにかかり、3月に延期された福岡公演。
急な振替となり、調整がつかない人、断念した人も多かったのかな。追加販売でチケットを手に入れた友人も多かったと記憶しています。
私は、そこにいませんでした。
その年、私は、国家試験を控えていました。
試験自体は9月。まだ日はある。けれど、その試験を受けるには、講習会への参加が必須要件。
その講習会が、限られた都道府県(ほとんど都会)でしか開催されず、私は、3~5月に二回、「遠征」をしなきゃいけなかったのです。
金銭的にも、体力的にも、キツイ。
そして、もし試験に落ちた時、「あの時福岡行かなかったら…」などと、1ミリでも後悔するような事があるなら、参加しない方がよいと思った。その年に合格しないと、翌年以降のBUMP OF CHICKENのライブを諦めざるをえない事態も考えられる。
そう考えて、完全に行けない状況ではなかったけれど、「行かない」選択をしたのでした。
そして、試験には、無事合格しました。よかった。
そんなわけで、今日は、私にとっては、ほろ苦い日だったりします。
ただし!
友達が幸せそうに、ライブの日を振り返っているのを見るのは、私はむしろ嬉しいです。
この気持ちに気付いたのは、母の看取り期でした。
職場と、母の入院している病院を往復する、心身とも磨耗する生活において、私の逃げ場は、SNSだった。
ベッドサイドでスマホをいじる自分に、最初はやはり、罪悪感を感じました。看護師さんが来たら、慌ててスマホを隠したりして。
でも、辛さに向き合ってばかりでは、心が持たないのです。実際、いつどうなるかわからない不安から、不眠を煩い、眠剤も飲むようになりました。
友達と会ってお喋りする時間もない。だけど、スマホの中に、通常運転の友達たちがいて、自分の好きなモノの話をしてる。泣いたり笑ったりしてる。今、どん底にいる私の事など、おかまいなく。
それが、心地よかった。
そこは、私がいた場所だし、私が戻る場所だから。私は今、少し席を外してるだけ。そんな時期は誰にもある。また、笑いあえる日は来る。
誰かが楽しい時、必ず誰かは悲しかったり、怒り狂っていたり。世界は毎日、いつだってそう。
だから、過度な自粛は求めません。過度に明るくするのも求めません。それぞれの在り方で、そこにいてくれる事に、私はとても救われるのです。
誰かにとっての楽しい日は、私の過去だったり、未来だったり、しますからね!