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往復書簡

1-2

昭和六十一年五月二十五日付

 御手紙ありがとうございます。
 先日、お宅にお邪魔した折、すれ違いでしたから、御手紙を頂いて感激いたしました。心底安心いたしました。
 先生には言付けさせて頂いたのですが、今私が書いております、『三寒四温』という小説の改稿(拙い出来で、自分で自分が恥ずかしくなる、羞恥そのもののような作品です)が出来上がりましたので、来週の六月一日にお宅へお伺いする予定でございます。
 お時間があれば、その時にまたお出かけしませんか。近場でゆっくりと散歩出来るような場所に行ければ幸甚です。またその折に、色々とお貸ししている小説の感想なども聞かせてもらえればと思います。学校でのお話も、色々とお伺いしたいと思っております。
 百子さんが少女小説が好きだとお伺いしまして、嬉しい思いを抱いております。私も少女小説をよく読むことがございます。もちろん、同僚には話すことは出来ません。恥ずかしい嗜みでありましたが、ようやく理解者が表れて、それが百子さんですから、百人力の思いです。
 『親友』は私も大好きな作品でして、とくに、ひとつひとつの所作の書き方に、心洗われるのです。幼くともおとなでも楽しめる美しい作品です。
 お伺いする件に関しまして、百子さんからも先生に言付けて頂ければ幸いです。
 それでは、また。
 御身体をご自愛くださいませ。
  
 栗のお菓子の件、私も先生からお話し聞いております。思い出すだけで笑えると、嬉しそうに仰っていました。私も想像するだけで可笑しくたまりません。
 先生と百子さん、それから奥様の三人が菓子を囲む、仲睦まじい光景を思って、私はとても温かい心持ちになるのです。

                        五月二十五日 田村義尚

 安宅百子様


昭和六十一年六月十日付

 ご無沙汰しております。義尚さんからのお手紙がたまってきまして、今一度ひもといているところです。
 この前はまた栗のお菓子、ありがとうございました。まるでもう母の主食のようですわ。父とその話をするたびに、母はいいじゃない、いいじゃないと言うんですけれど、その言い方がまた可笑しいんですの。
 植物園の散歩、とても楽しかったですわ。もう夏が近いからか、花の種類もさまざまに変わってきましたね。私は桜の花がとても好きですけれど、義尚さんが日まわりが好きで、百合の花も好きだと言っているのを聞いて、とても安心しましたわ。
 それから、菊戴。ほんとうに菊が咲いているのかと思いました。あんな可愛らしい小鳥がいるのね。知らなかったわ。
 義尚さんの手と、私の手が交わって、その中に二羽おりたでしょう?とても温かくて、このときも安心しましたの。そのまま菊戴たちが寝てしまったのには、ほんとうに驚いたわ。あの日は色々と、楽しい話や不思議な話を聞かせてくださって、ほんとうにうれしいたいせつな一日になりました。
 また、来られるときには教えて下さいね。私も、栗のお菓子に対抗した、別の何かでむかえうちますわ。
 それでは、お身体にお気を付けくださいますよう。

                        六月十日 安宅百子

 田村義尚様


昭和六十一年六月二十八日付

 御手紙遅くなりまして、誠に申し訳ございません。
 先日は百子様にわざわざ市内を案内して頂きまして、誠にありがとうございました。また、奥様の手料理も大変美味しゅうございました。
 先生にお渡ししておりました、拙作の『三寒四温』ですが、お貸し頂きました資料を読み込みまして、化野念仏寺に関する所見、また二尊院の藤原定家の詩に関する諸々の箇所を全て改稿いたしました。稚拙な文章でお見苦しい所が多々ございますことをお許し下さいませ。やはり、中世の記述を描くのには私はまだまだ勉強不足だと痛感しております。
 また、先日坂本様に編集部でお会いした折に、先生の新刊の『白馬村』の装丁ゲラを見せて頂きました。美しい金の刺繍が輝くようで、あの御本が店頭に並ぶ様を思うと、それだけで胸が高鳴るようでございます。書棚に置かれた本の輝きは、それぞれに特筆すべきものだと思いますが、あの総革貼りの、表紙に刺繍、その中央に白金のプレートの埋め込まれたという凝り具合に、私は本当に一瞬ではありますが、酔い心地になったのでございます。文字通りの陶酔です。
 文学は装丁だとすら私も思います。谷崎の『装丁漫談』でも書かれておりましたように、本という物は、その書かれた内容と合致する身体がなければ、一つの芸術として欠陥があるように思えます。中身が骨であるならば、装丁は血肉だと考えます。先生の書斎で見せて頂きました、蒐集された古本に触れるたびに私の心は震えるのでございますが、あのような本を私の拙作であっても、一度は世に送り出してみとうございます。
 和本の美しいのにあてられて、文学をもう一度信じてみようと、そう思った次第でございます。お借りしております資料の諸々ですが、『三寒四温』を脱稿した暁に、先生のお手元へお持ちいたします。
 今、将来について、両親と言い争うことが増えております。父は芸術を信じていて、その価値観は私に近しい物だと感じますが、母は私たち父子のそれとは異なるのです。文学の価値を、母は信じていないのです。虚飾された近代の生活の日々こそを一番に感じているようですが、私にはそれは無知による、唯の狭量に思えるのです。しかし父と母は今ではもう二人とも同じ場所にいるのも苦痛なようですから、息子の私は声の大きい方に従わざるを得ません。
 母も昔は私にさまざまな和本を読み聞かせてくれたものでした。『源氏物語湖月抄』や、『住吉物語』はそれぞれ、母に和本で読み聞かされて育ちました。父の骨董好き、文学好きに、母も若い頃はついていって、それなりに知識もあったようですが、今はもう物欲と、金銭欲に塗れて盲いているようです。
 このような哀しみを、私は後生抱えて生きていくのかと思うと、元々患っておりますこの病苦と共に、ひどく憤懣やるかたない思いにさせられるのです。
 しかし、ときおり母の気持ちがわかる時もございます。私も馬鹿ではございませんから、世間を渡る上での外聞が如何に大切かも理解しております。父の蒐集癖や、家計に関するあまりの無頓着に対しての、母の気持ちもわかるのでございます。しかし、それでも私の心は父に似ていると自覚しておりますから、芸術への矜恃を拭いきれないのでございます。
 つまらない愚痴を吐いてしまいました。先生には私の作を読んで頂く光栄だけでなく、ご指導まで賜る僥倖を頂き、誠に感謝に絶えません。
 長々とした稚拙な文章をお許し下さいませ。
 それでは夏の暑さがますます盛りになりますゆえ、何卒御身体をご自愛くださいませ。

                        六月二十八日 田村義尚

 安宅光悦様


昭和六十一年六月二十八日付

 御無沙汰しております。御手紙ありがとうございました。
 返事が遅くなり、誠に申し訳ございません。百子さんからの御手紙を受け取ると、心が晴れやかに洗われたようになるのは不思議です。あの散歩の日に夕立があったのを覚えていますでしょうか?夕立がやんで、町が洗われたような涼しさに変わったときに感じた心地と似ている、そんなとても幸福な気持ちになるのです。
 あの日に見ました菊戴の夫婦(夫婦ではないのかもれません。それでも私は、あの小鳥たちを夫婦と思いたいのです)と別れてから、百子さんが仰っていた、小鳥たち、雨に打たれて、心配ね、というお言葉が今も耳朶をくすぐることがございます。百子さんのお優しい心を感じて、私はその日ずっと平和な心地でした。
 また、その後に案内して頂いた宝ヶ池ですが、あのような山を少し越えたところに、美しい湖のような池のひろがるさまに、大変驚きました。雨上がりで微かに水が濁っていましたけれども、すぐに夕映えが水面に広がって、公園の梢にかかる滴のきらめきが目に眩しいものでございました。野鳥が多いのにも驚きました。田雲雀が水飲み場で四匹、水と虫たちを奪い合うさまに心が解されました。
 京都は誠に美しい場所です。なんども文の中で書かせて頂いていますが、私の場所は彼処にあるような気がしてなりません。東山文化に大変興味があるものですから、幼い頃に父に連れられて行きました慈照寺、銀閣寺へともう一度足を運びたいと思っております。
 その折には、是非とも百子さんと連れ添って行けたらと、そう思っております。
 栗のお菓子を迎撃するというお菓子、どのようなものなのか、心待ちにしております。
あの栗のお菓子は、私が選んだもので自画自賛とはいえ、なかなかに手強い難敵かと存じます。
 また近いうちにお屋敷へお邪魔させて頂きます。
 それでは、御身体をご自愛くださいませ。

                        六月二十八日 田村義尚

 安宅百子様

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