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わだつみのいろこの宮

1-4

 雨がやんで、雷が去ると、月明かりが濃くなった。月の光を受けて、ふたりは家路についた。途中、月の光の中に紫陽花があった。くらいせいで、花びらは眠っているように見える。花も眠るのだろうか。恵が手を伸ばして花びらに触れると、早月のほほは赤らんで、急に恥じらいが浮かんだ。
「この紫陽花も毒の花よ。こんなにきれいなのに、毒があるの。」
恵の言葉に、早月はうなづいた。毒がもれ出て恵のゆびさきを犯すように見えた。
 美術室で絵を観てから、早月に、恵が男のように思える瞬間があった。一緒にいる時間が長いことも、そういった感情の芽生えであろうか。しかし恵は女である。美しい少女で、ほお色は白く、血の色は濃い。
「先生は私たちのことを『わだつみのいろこの宮』のようだって……。」
「変わってるわね。何でも絵に見立てちゃうのよ。そんなことを言ったら、彫刻や音楽だって女でしょう。」
「詩も文学も女ね。」
「アーティスト気取りなだけよ。単なる女子校の美術教師じゃない。」
恵は歯を見せて笑った。早月の胸に、恵の花やかな美しさがより迫った。小早川に吹き込まれて、何かものの見方まで変わったのかもしれないと、早月は恐れた。あきらかに、恵は以前よりも美しくなっていた。
 空を見上げると、白い満月だった。こうこうと照っていて、夜の太陽のようである。しかし、太陽とちがって熱のない、冷たい美しさである。
 ふいに、あの月の引力で、子犬たちが産まれたのではないかという考えが、早月によぎった。月の引力で潮の満ち引きが変わるように、月の引力で、女の潮目も変わるのかもしれない。海と月とが引き合って、その中に立つ早月の心もからだも、それにひきずられているのかもしれない。

              ○

 家に戻ると、大介は縁側で、月を見ていた。片手に団扇を持って、胸をあおいでいる。妙な獣が動くように、早月には思えた。満月はいっそう白くなって、庭一ぱいにひろがるようだ。竹林が風にゆられていて、笹のかおりがした。
「おかえり。」
「ただいま。」
呼びかけて、制服のままリビングのソファに座ると、座布団がやわらかな生地に変わっていた。
「いいわね。涼しげね。」
四つほどの乱雑に置かれた座布団の一つを手に取ると、その色をながめた。
「お母さんの?」
「そう。今日一日で縫ってね。肩がこったわ。」
寛子の上衣の生地を使った夏座布団である。濃紫や天色、茜色や萌黄。涼しい色合いで、夏の風情だった。
「それからこれも。」
「まぁ。愛らしいわ。」
それぞれの絹のあまりで縫った、首からさげる、小さな巾着だった。子犬たちへの贈り物だった。
「それをつけてみんなでお散歩したら、さぞ人目を引くでしょうね。」
「夏ですからね。涼しい色で。でもまだ散歩はできないわ。秋になると、色が寒そうで、着れないでしょう。」
「お家で観賞用ね。」
早月はほお杖をついて、子犬と、巾着を見比べた。それぞれがまぼろしの巾着をぶらさげるようで、愛らしいのが目に浮かんだ。
「雨がすごかったね。傘を持っていかなかったから、会社からなかなか出られなかった。」
「借りればよかったのに。傘なんてみんな持ってるでしょう?」
「急な雨だから、反対にみんな使うんだよ。」
大介はそう言うと、団扇を子犬たちに向けてあおいだ。庭のキリシタン灯籠に生えた苔が、月明かりできらきらと光っている。雨を受けて、星屑だった。見ているうちに、その苔からの聯想で、海底の岩のようにも見えて、そこに差した日の光で輝いているようにも思えた。
「ほんとう。この時期はいやだわ。早く秋になって欲しいなぁ。」
「早月は秋が好きだったかい?」
「好きよ。お月様がきれいでしょう。」
「今もきれいだろう。」
「中秋の名月になれば、ほんとうに玉のようにきれいよ。秋はすごしやすいし、紅葉も燃えるようだわ。」
「古風だね。僕はやはり春が好きだね。それから冬だな。さくらの美しいのと、それから雪の美しいのと。」
大介は惚けたような目差しで月を見上げた。リビングでは、寛子が子犬たちとじゃれていて、プレイボーイは早月の腕の中に甘えている。
 深夜に、布団の中にもぐると、さまざまな絵画が早月の頭に浮かんだ。普段ではあまりないことである。自分に芸術的な素養があるとは思えなかった。全て小早川の影響である。堂本印象美術館から今日まで、あまりにも多くの絵を受けて、早月の心が変化したようだった。
 女を、いや少女を芸術と見ている、小早川の目が闇の中に覗いているように思えた。天井にいくつもの影があって、それもまた目のように見える。そう考えることは、早月にこころよかった。自分に金の輪があることに、脣が赤くなって、ほほが染まった。そして、それはひとりではなく、恵もどうようだと考えると、美しさが二乗になった。恵にも、早月の金の輪が見えることがあるのだろうか。早月は、それを思いながら、すうっと眠りに落ちていった。

              ○

 翌日の放課後、早月は恵をつれて美術室に向かった。小早川はいなかった。奥の部屋に入ると、『わだつみのいろこの宮』や『海の幸』がでむかえた。早月は小早川の椅子に座って、それをながめた。恵は机に座って、絵をながめた。
「絵に興味なんてあった?」
「私たちみたいだって、先生がそうおっしゃったでしょう?だから、もう一度見てみたいと思ったのよ。」
早月は絵を見つめながら、恵の言葉にこたえた。
「青木繁は二十八歳で亡くなったって。堂本印象は八十四歳。印章は、青木繁の三倍も生きているのね。でも私は、青木繁の方がすごいと思うわ。だって、すごく若いもの。私たちと、それほど変わらないくらいよ。」
スマートフォンをゆびさきでいじりながら、早月はつぶやいた。恵はじっと絵を見つめた。
「夭逝だったよね、先生が言ってた。天才の芸術家は、早く天に召されて、神さまのところにいくのね。」
「どうしてかしら。才能を、燃やしつくすから?」
「神さまが嫉妬しているのよ。自分よりも、多くの人に愛されるでしょう?」
「神さまに愛されているのかも。だから、自分のもとに、還ってきてほしいんじゃない。」
早月はそう言って、スマートフォンを机に置いて、目の前の絵を見つめた。
「こうして見ていると、ほんとうに私たちのようね。」
「そうかしら。私にはよくわからないわ。先生は、若い女の子が好きなだけじゃない?」
「そうね。それにきっと、私たちが好きなのよ。」
早月の言葉に、恵は首をかしげた。自分たちを好きだというのは、どういうことだろうか、恵にはわからなかった。
「レズビアンが好きなの?」
「少女たちが好きなのよ。」
自分で自分を少女と呼ぶのはおかしいが、しかし早月は、あらためてそう言葉に出すと、ほんとうにそのように思えた。小早川の言葉は、そう聞こえた。
「最悪。それじゃあ単なるロリコンじゃないの。やっぱりあの部屋の人形は、そういうことなのかしら。」
「そうかもしれない。でも先生は、女の人が美しいのは短い間だって、言っていたわ。それはきっと、少女のころだけじゃない?大人になったら、美しくなくなるのね。先生は、きれいなもののそばにいたいのかもしれないわ。」
早月は窓ガラスから差す光にゆびさきをちかづけて、星の灯りを拾った。ゆびさきがまたたいた。恵はその光景を見つめながら、
「じゃあ、先生の言うことがほんとうなら、私たちは今が一番きれいなのね。」
恵がからかうように、早月の長い髪をゆびですいた。髪の中にゆびが泳いだ。
「きっと先生にはそう見えているわ。だから、私たちのことを見ていたんでしょう。」
早月はもう一度絵に目をやって、山幸彦に恵をかさねた。見れば見るほどに、ふたつの顔は近づくようで、いつの間にか、自分は豊玉姫になっている。
「シスターはどうなのかしら。もう少女じゃないわ。でも、松山先生も、叶井先生も、小笠原先生も、みんなおきれいよ。」
恵がそう言うと、早月の目の中に、シスターたちの顔が浮かんだ。恵の言う通り、みな女盛りで、美しい教師たちだった。しかし、目の前の恵を見つめていると、それでもこの少女の清らかな美しさとは違うものに思えた。
「先生は、絵を描いていたわよね?」
恵が思いついたようにつぶやいた。
「そういえば、何か描いていたわね。でもどうして……?」
「恵、先生のことが気になるんでしょう?それなら、先生に絵に描いてもらったらいいわ。」
恵の唐突な提案に、早月はかぶりをふった。
「そんな。そんなこと悪いわ。」
「何も悪いことなんてないわ。先生だって、少女が好きなんでしょう?少女の美しさが好きなら、早月に描いてほしいって言われるのなんて、渡りに舟よ。」
そう言われて、早月は脣をとがらせて、小早川のことを考えた。小早川の黒い目が浮かんだ。黒目がちの目が、射貫くように早月を見つめている。早月は火のような心になった。全てをつまびらかにしたかのような空想が浮かんで、恥じらいにほほを燃やした。
「じゃあこれならどうかしら?先生に、私と恵も描いてもらうのよ。ふたりを描いてもらうのよ。」
名案が浮かんだかのように、早月が言うと、
「私も?いやだわ。恥ずかしいよ。」
早月の言葉に、恵は急にしおらしくなって、ほほが桃色になった。
「いいじゃない。ひとりなら私だって恥ずかしいけど、恵がいれば、恥ずかしくないわ。」
早月はそう言って、恵の手を握った。恵は困惑するようで、早月を見たが、早月の目は火が灯ったようになっていて、さきほどとは変わって、意志が固い。
「いいわ。でも恥ずかしいわ。それに先生、引き受けてくれるかしら。」
恵がほほに手を当てて、小さくつぶやくと、早月はほほえんだ。
「渡りに舟だって、さっき言ってたじゃない。先生がお戻りになったら、お願いしましょう。」
早月の目はもう小早川に見られているようで、ガラスが光るようだった。しばらくすると、小早川が美術室にやってきて、ふたりを見てうなづいた。
「君たちは美術室づいているね。堂本印象の余韻かな。絵に興味が出たかい?」
「それもありますけれど、青木繁ですわ。」
早月が答えると、小早川は小さくうなづいて、机に腰かけた。
「京都にはたくさん美術館がある。どこもこんでいるから、堂本印象みたいなおちついた場所は少ないけれどね。青木繁は、置いていないだろうが……。」
「美術館はもちろん好きですわ。でも、美術室だって、絵がたくさんありますから……。」
「絵に興味があるなら、描いてみるのもいいだろう。」
「絵には興味がありますけど、描くのは遠慮しますわ。」
「どうして?描いてみればいいじゃないか。ここならいくらでも画材はあるし、若いうちに始めると、意外な才能が花ひらくかもしれない。」
「でも、先生がこの前、女は自分自身が芸術だっておっしゃっいましたでしょう。」
小早川は腕を組んで、宙を見た。自分で言っていた言葉が、思い出せないような仕草だった。
「そうだったかな。まぁ、そういう考えかたもあるにはあるだろうね。」
「だから、私たちを描いて欲しいんです。それで、こちらに来ました。」
小早川はおどろいたような顔で、ふたりを交互に見つめた。どちらも恥じらいでほほが赤いけれども、早月は上気していて、恵は耳まで燃えるようだ。
「僕は青木繁じゃない。ああいう美しい絵は描けないよ。天才じゃないからね。彼よりも長生きしてしまった。」
「かまいませんわ。私たちがきれいなのは、短い間だっておっしゃったでしょう?あれから考えましたの。花もきれいなのはひとときで、それが終わると枯れますわ。そうなる前に、自分のきれいなひとときを、絵でもいいから残せたらいいって……。」
「写真があるじゃないか。絵に残す必要はないだろう。」
「絵は、私たちのありままの描くだけじゃないでしょう?描いている人の、魂も入りますでしょう?青木繁の絵は、魂があるように思いましたわ。」
早月の言葉に、小早川は何も言わずに何度かうなづいた。黒い目の深いのが、ますます遠くなるようだった。そうして、顔を上げると、ふたりを見た。
「僕はかまわないよ。それじゃあ君たちの絵を描こうか。描くのはこの場所でかまわないかな?」
早月は二つ返事でうなづいて、恵もそれに倣った。
「放課後でいいだろう。毎週火曜日と木曜日は美術教室があるから、そこで他の生徒に見られるかもしれないよ。それはいいのかい?」
そう問われて、恵ははっとしたが、早月はうなづいた。そうすると、小早川もうなづいた。その日は、それで美術室を出た。
 ふたりは白い色が光るようになって、家路についた。自分がモデルになることが、少女ふたりに新しい色を与えたようだった。

              ○

 プレイボーイをつれての散歩の道中、シスターの松山に出会った。松山は昨年赴任したばかりで、まだ二十三の、若い娘だった。早月の教室で、現代文を教えている。明治大正の文豪に興味があると授業で言っていて、その名前のいくつかは早月も聞いたことはあったけれども、読んだこともない。七つ上なだけで、趣味も、性格も、自分と隔てた女だった。
 道路をはさんで、反対側に松山はいたが、早月にきづいてほほえんだ。学校では見かけないティシャツ姿で、二の腕が出ていて、若い日の光を受けて白色だった。早月は、とっさに小早川の言葉を聯想した。プレイボーイはいきり立つように松山に吠えた。しかし、早月がなだめると、吠えるのをやめて、松山を見つめた。
「シスター、ごきげんよう。」
「ごきげんよう、吉村さん。」
松山はまたほほえんで、会釈をした。香水が匂って、女である。その女の匂いに、早月は不潔を感じた。言葉はやわらかくとも、女の匂いで、男がいた。松山はそのままヒールの音をひびかせながら、雑踏にきえた。
 早月は、とうとつな女の匂いに、胸が焼きつくようなものを感じて、プレイボーイを抱きかかえると、そのまま近くのベンチに座った。道をいく女たちを見つめていると、その全てが女の匂いをまき散らしていて、早月の心は落ち着かない。プレイボーイが鳴くのは、この匂いに発情しているからだろうか。そう思うと、また不潔な思いがわいてくる。
 恵を思い出した。眦と睫は美しい線を描いていて、匂いは花のようである。造りものや紛い物の花の匂いではない、ほんとうである。しかし、恵もいつかは金の光が消えて、花の香りも消えるのだろうか。山猫が化粧を覚えると、それはもう山猫の美しさではないだろう。化粧のない山猫は、野生の美しさがある。恵は今はそうで、そうして、自分もそのようなものだろうか。
 あのようにきれいな松山も、今は女の悦びに目覚めてしまって、花やかさは消えていた。
「男にはみんな見えているだろう。女は金色に咲くだろう。でも、それは短い間だ。」
小早川の言葉は、男の哀しみをあらわしているようで、早月の胸に迫った。
 町並みを見ると、女たちの表情のない顔が見える。そのそれぞれが、自分たちとは隔てたように見えて、早月に悪寒が走った。
 部屋に戻ると、青いマメルリハたちはひとかたまりになって眠っていた。牡と牝が、たがいに温めあうようにくっついている。この小さな生き物もまた、化粧もない野の美しさだった。
 ふと、早月は二羽のかたわらに、卵があるのを見つけて、目ぶたを引きつらせた。そっと手を伸ばして、鳥籠から卵を取り出すと、そのまま芥箱に棄てた。二羽はきづかずに眠ったままである。
 見ているうちに、やはり、これが牝と牝ならば、どれほど清らかなのだろうと、早月には思えた。牝と牝で、卵をなんども産むけれども、その卵がかえることはない。空の卵である。そうして、牝と牝の愛情だけが鳥籠に満ちていって、ある朝の籠に、二羽の死骸を見つけるまぼろしが、早月に浮かんだ。
「聖処女のままで死んでいくの。」
それも、老いることがなければなお良いだろうと、早月は思った。
 この二羽も、少年少女のおさない番のままならば、どんなに清潔だろう。来たばかりのころ、恋人どうしになったばかりのころを思い出すと、二羽がそっと寄り添うと、まことに美しい匂いが籠を満たしたものである。
 しかし、牡と牝ならば、結ばれるのはさけられないし、鳥は心中もしない。少年と少年や、少女と少女のなんの交じりけもないことを、早月は夢見ているけれども、しかし、いのちは全てそれと矛盾するものだろうか。
 早月はそっと電灯を消して、スタンドライトを点けた。闇の中に、恵とふたりで撮った写真が浮かび上がった。
 

              ○

 絵に描いてもらう約束をしてから、もう一月が経って、早月も恵も、立派なモデルだった。はじめのうちこそは、見られることにとまどって、表情がかたくなる。それが少女の美しさだと、小早川は言った。しかし、それももうすぐにでも消えてしまって、小早川の筆の前で、ふたりはもうポーズを取れるのだった。それは女特有の美しさだと小早川は言った。
「ちょうど花のころの特徴だね。化粧をおぼえて、魂にも化粧をおぼえる。」
 小早川はカンバスに、少女ふたりの顔のりんかくから、少女のからだの線までを仔細に観察して、なぞらえていく。慣れないうちは見られている緊張で、つばを飲み込むこともできなかったが、いつの間にかだろうか、小早川に見られていても、ふたりは他愛のないおしゃべりに夢中になれた。
 毎週火曜日と木曜日には、いくにんも生徒たちが、小早川のもとでデッサンを学ぶ。石膏の白い手がたち並んで、それを模写する。黙黙と画用紙に向かって、精巧な手のモデルが浮かび上がる。紙の海を彫るかのようで、そこから浮かび上がる手を掬い上げるかのようである。美術教室の日だけは小早川もたち歩いて、教えをこう生徒たちの指導をしては、ときおり早月たちに筆を走らせた。
 美術室に来る生徒の何人もが、早月と恵の顔を見ては、おどろいて、ほほえんで、何をしているのかたずねてくる。そのたびに早月はからだが火照って恥ずかしくなるのが、この一月でもう慣れたもので、ペンが石膏を彫る間も、筆が走る音を聞きながら、ふたりだけで見つめ合う。
 ときおり、甘い声がささやきあって、それは他の女生徒だろうけれども、子守歌のようにやさしいのに、純潔の匂いがするように、早月には聞こえた。幼い恋物語を、少女たちの声はひそひそと交わしている。それにときおり幻聴がかさなるように、プレイボーイとロリータが鳴く声がからんで、睡魔に襲われていたのかと気がつく。
 小早川は、ふたりを向かい合わせに座らせて、右手と右手を握らせた。握りあう手がひと色になって、美しい女の色がつらなった。それは、当のモデルの早月と恵もわかっていて、自分たちがつながりあうことで、美しい色が折りかさなるようなのが、ふたりに愉快だった。
 初めはたがいの顔を見ているだけで吹き出しそうになって、それから慣れてくると、次第に見つめられるたびに、ほほが赤くなっていく。それから、見つめ合うたびに、目の中のガラスに火の子が舞うようで、水晶が磨かれる感覚を抱いた。見られるうちに、自分が花になって咲くような恍惚が生まれた。
 それを、小早川は何も言わずに描き続けた。ときおりふたりのポーズに注文をつけるが、あとは見るだけである。あの黒い目で見つめる。他の少女たちの声が聞こえている中では、早月も恵も子供の遊びである。しかし、ふたりになると、深く見つめ合って、それぞれの美しい部分が、より鮮明に浮かぶ。
 耳、鼻、目ぶた、脣、髪の毛、肩の骨。とくに、早月は、恵をあらためて見るとなると、睫の反るのがとくに美しいように思えて、細工を凝らしたもののように見える。雛人形のようにも、五月人形のようにも思えて、きれいだった。見つめるたびに、恵の睫の並ぶさまに見惚れて、恵はそれが一番美しいのだった。恵がときおり呼吸をすると、白い前歯がこぼれて、兎を思い出した。そこから月の兎への聯想がはたらいて、眠気が襲う。聞こえるのは、冷房の音と、小早川の音だけだった。

              

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