見出し画像

滝の枕と人魚沼

「ここで人魚をみたんよ」

『よこぜ』という昭和45年頃の横瀬村教育委員会が作成した冊子を読んでいたら、父が子どもの頃の「赤穂木沼」を語りだした。

同級生と釣りにでかけたところ、同級生のお姉さんも沼にやってきて、水浴びしていた。
とてもきれいなお姉さんだったそうだが、水浴び中にふと見ると、人魚に変わったという。

スル~と水の中に入った時に、人間の姿ではなかったと。
「秩父物語」が生まれた滝の枕。

「そういう風に見えただけ」と、父は急に弱気になったが、
もう父から昔話を聞くことはできなくなった。

その人魚伝説(勝手に決定)の沼はすでに「セメントで埋まっている」と言っていた。

大体の位置(右下に三菱セメント)

「姿の池」も昔から有名だが、赤穂木沼は、江戸時代、江戸から役人が視察にくるほど、横瀬の治水・灌漑用水の技術は知られていたという。
ところで、もうひとつ武甲山麓に有名な滝「滝の枕」があった。

滝の枕

大きな石灰岩が残る「滝の枕」は、父が子どもの頃水浴びをしていた格好の場所だったという。
その滝が今はどうなっているのか?
4年前に父に連れて行ってもらったことがある。

西武線の下
現在は下りていけません。

バス停がある小島沢川と横瀬川が合流する地点。
横瀬と芦ヶ久保の境にある大きな滝だった。

石灰工業がある入口に滝の枕はあり、川の水を飲料水や用水として使われていたが、十分ではなかったので「姿の池」や「赤穂木の池」を作った。

用水のとりいれ口(滝の枕)

滝の枕は横瀬川の水を取り入れ、トンネルや掘りを通して田や畑に送っている。一部、セメント工場にも送られている。
工事は7年もかかり滝の枕から秩父市の黒谷まで用水をつくりあげたと!

水不足に困っていた人にとっては、非常に喜ばれたという。

昔はとても大きな滝だったが、今はその力はなく
大きな石灰岩がぽつんと忘れられたまま。

大きな石灰石の塊

このような治水技術があった横瀬郷だったため、
江戸が栄え東京が都市になった。

この滝の枕の洞窟から狼の歯や動物の骨が大量にみつかった
根古屋鍾乳洞へ、続いているのだろうか・・・。

現在、立ち入り禁止。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?