![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145501116/rectangle_large_type_2_e92af5663170dd0b6ac297f99ccdb428.jpeg?width=1200)
滝の枕と人魚沼
「ここで人魚をみたんよ」
『よこぜ』という昭和45年頃の横瀬村教育委員会が作成した冊子を読んでいたら、父が子どもの頃の「赤穂木沼」を語りだした。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572321585-GJkdtIaOsI.jpg?width=1200)
同級生と釣りにでかけたところ、同級生のお姉さんも沼にやってきて、水浴びしていた。
とてもきれいなお姉さんだったそうだが、水浴び中にふと見ると、人魚に変わったという。
スル~と水の中に入った時に、人間の姿ではなかったと。
「秩父物語」が生まれた滝の枕。
「そういう風に見えただけ」と、父は急に弱気になったが、
もう父から昔話を聞くことはできなくなった。
その人魚伝説(勝手に決定)の沼はすでに「セメントで埋まっている」と言っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572383323-uoaevAbjnt.jpg)
![](https://assets.st-note.com/img/1719572403805-b4w8nzpkHS.jpg?width=1200)
「姿の池」も昔から有名だが、赤穂木沼は、江戸時代、江戸から役人が視察にくるほど、横瀬の治水・灌漑用水の技術は知られていたという。
ところで、もうひとつ武甲山麓に有名な滝「滝の枕」があった。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572519654-0AHPJ4q9JF.jpg)
大きな石灰岩が残る「滝の枕」は、父が子どもの頃水浴びをしていた格好の場所だったという。
その滝が今はどうなっているのか?
4年前に父に連れて行ってもらったことがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572537785-ecqqD1g1v5.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1719572556268-an7hmNBcAX.jpg)
バス停がある小島沢川と横瀬川が合流する地点。
横瀬と芦ヶ久保の境にある大きな滝だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572566828-rA6bozLVHS.jpg?width=1200)
石灰工業がある入口に滝の枕はあり、川の水を飲料水や用水として使われていたが、十分ではなかったので「姿の池」や「赤穂木の池」を作った。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572622251-gNvUrmuN5L.jpg)
滝の枕は横瀬川の水を取り入れ、トンネルや掘りを通して田や畑に送っている。一部、セメント工場にも送られている。
工事は7年もかかり滝の枕から秩父市の黒谷まで用水をつくりあげたと!
![](https://assets.st-note.com/img/1719572592927-NmPMVKMg1Z.jpg)
昔はとても大きな滝だったが、今はその力はなく
大きな石灰岩がぽつんと忘れられたまま。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572612943-FIeoz4tO8U.jpg)
このような治水技術があった横瀬郷だったため、
江戸が栄え東京が都市になった。
![](https://assets.st-note.com/img/1719572653497-uEWfRBRYOy.jpg?width=1200)
この滝の枕の洞窟から狼の歯や動物の骨が大量にみつかった
根古屋鍾乳洞へ、続いているのだろうか・・・。
![](https://assets.st-note.com/img/1719574244978-56KP4U0DqT.jpg)
現在、立ち入り禁止。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?