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第48回 「お経」は、分からないから有り難い?

 先日(2022年2月1日)、朝日新聞大阪本社版朝刊の読者投稿欄に、77歳女性の「お経の意味、わかるよう説明して」と題された、興味深い記事が掲載されていました。

 その記事には、『80歳近くになっても、お経の意味が分からない。母親の葬儀の時お坊さんに聞いてみたが、「意味は難しくて伝えられない」との答え。私たちが仏教に期待するのは、心の悲しみ、苦しみから救ってくれること。仏の教えを、分かる日本語で心に届くよう話してほしい。』との要旨が綴られていました。

 同様の不満は、日本人の大半が、葬儀・法事の場で経験することではないでしょうか。

 「お経」は、果たして、誰に向けて何を説いているのでしょうか? 死者には、理解できているのでしょうか?
 そもそも、読経しているお坊さん自身は、意味を分かっているのでしょうか?

 日本で読経されている「お経」の大半は、漢訳経典です。原語のパーリ語やサンスクリット語で読まれる仏教経典は、まずありません。
 別に、意味・内容が分からなくても構わない。有り難ければそれでいい、とみんな納得しているのでしょうか。

 仏教経典を注釈・解説する本は、書店でコーナーが設けられるほど、沢山出版されています。
 まずそれらを読みなさい、と仏教関係者の多くは言うのかもしれません。

 でも、それらを読んで、よく分かったと誰もが納得できるのなら、冒頭の投稿のような不満は出てこないでしょう。

 書店に並ぶ仏教関係の書籍は、ちょうど、ウィンドウズ95搭載のパソコンが発売された当時の「取扱説明書」に似ています。

 当時、パソコンに同梱されていた「取扱説明書」は、あまりにも難解だったのです。
 難しすぎて、「取扱説明書の説明書」が書店に並び、それもまた難しくて、さらに、「取扱説明書の説明書の説明書」や「基礎からの用語の説明書」がズラリと並ぶ状況が続きました。

 仏教関係の書籍の氾濫を見ていて、パソコンの時と同じだな、という印象を受けます。

 パソコンの時は、いつの間にか、数項目を入力するだけで、簡単にインターネットに接続できるようになりました。
 パソコンを買ってインターネットにつなぐ作業は至難の業だったと言っても、今の若い人は信用しないでしょう。

 「お経」が分かりにくい原因がどこにあるのか源流を徹底的に掘り下げて、誰にでも分かるようにすることが、仏教関係者に課せられた、何よりも重要な使命ではないかと思います。

 「お経=仏の教え」も、情報化時代のパソコン・スマホのように、人生の悩み・苦しみを解消する、「有り難いツール」として機能するようになってほしいものです。

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