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第49回 復元ポイント「紀元前485年」の仏教①

 「紀元前485年」は、諸説ある中で、南伝仏教(=小乗仏教)で釈尊が亡くなったとされる年です。
 この入滅年を境にして、実体験(=悟り体験)に基づき釈尊自身が語った「釈尊仏教」から、弟子達の推論・解釈に基づく、「群盲象を撫でる」式の「形而上学的な仏教=部派仏教」へと大きく変貌します。

 その結果、新たな枝葉が次々と派生し、現在では、八万四千の法門と称されるように、様々な宗派・団体の乱立を招き、元々の釈尊の教えはどうであったのかが見失われるような状況に陥っています。

 この現状は、歴史をさかのぼって仏教の源流を探ろうとする試みを、富士山の頂上を目指して青木ヶ原樹海を抜けて登山するような非常に困難なものにし、途中で白骨と化す自殺行為にしかねません。

 私は、偶然か必然か?、般若心経のサンスクリット原文である「法隆寺貝葉写本」を自ら翻訳するという試みに挑戦し、釈尊直々の教えは、紀元前485年、即ち、釈尊の入滅以降、大きく曲解されたまま伝承され現在に至っている、と確信しました。

 拙著「般若心経VSサンスクリット原文」(キンドル版電子書籍)で詳細に解明しているように、般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」こそが、釈尊の「悟り」の真髄を明確に示すものであったのに、その事実が、無理解・誤伝承・誤訳のために全く伝わっていなかったのです。

 そして、「法隆寺貝葉写本」に書かれているサンスクリット原文こそが、釈尊が筆頭弟子シャーリプトゥラ(漢訳で舎利子)に直接伝授した、「悟り」を獲得するための瞑想修行法の奥義を示すものだということも、全く伝わっていなかったのです。

 「般若心経」は、唐の三蔵法師「玄奘」の漢訳を基にして解説・注釈される、観自在菩薩が舎利子に仏陀の教えを説いたとされるような経典ではなかったのです。

 「法隆寺貝葉写本」を翻訳した後に「スッタニパータ」を熟読してみて気付いたのですが、「法隆寺貝葉写本」と「スッタニパータ」、この二つの仏教文献は、釈尊が直々に説いた教えを記録した最古の仏教経典であり、紀元前485年当時の「釈尊仏教」の真髄を伝える双璧のものだと言っても過言ではありません。

 後世、「法隆寺貝葉写本」の漢訳である「般若心経」が、大部の経典「般若経」を要約したものであり、紀元4世紀頃に成立したものであると解釈・伝承されたことから、「釈尊の教え=仏教」が次第に混迷し、理解不能なものになってしまったのです。

 「法隆寺貝葉写本」に説かれていることは、深遠な内容ではありますが、現代の情報・科学・技術(特にVR)の知識をもってすれば、理解できないことはありません。

 しかし、釈尊在世当時の修行者にとっては、自らも釈尊と同様に体外離脱を実体験しないことには、「悟りの実相」は理解できなかったのです。
 そして、それに成功したのは、シャーリプトゥラ(舎利子)唯一人だったのです。

 仏教者ではない私が、インターネット上に公開されている辞書類をフル活用して「法隆寺貝葉写本」を翻訳したように、「般若心経VSサンスクリット原文」に詳述している翻訳過程を忠実にたどって検証すれば、誰にでも「釈尊の教えの真髄=釈尊仏教」は理解できるようになります。

 釈尊が証得した「悟り」の本質・真相は、「法隆寺貝葉写本」に明確に書かれているように、プラジュニャーパーラミター(漢訳で般若波羅蜜多)と名付けられた瞑想修行法を実践・成就し、肉体から「意識・魂」を分離・離脱させ、ニルヴァーナ(漢訳で涅槃)に到達させることなのです。

 スピリチュアル(精神)の世界や臨死体験の世界で体験されている、「不思議体験・体外離脱体験」と全く同じなのです。

 釈尊は、肉体からの「意識・魂」の分離・離脱を、自分の意志で自由自在にコントロールすることに成功し、ニルヴァーナの実相・この世とあの世の実相・人間の実相・縁起の実相等をつぶさに観察し、「真理の教え=釈尊仏教」として確立したことが偉大なのです。

 ただ、その教えを文書として残さなかったことが、後の仏教諸宗派・団体の乱立を招く遠因になったことは間違いありません。(その当時の言葉では、書き表せなかったのかもしれませんが。)

 文書(聖典)があっても分派している宗教は沢山あるので同じことかもしれませんが、それにしても、仏教は分派数が多すぎます。

 スッタニパータに説かれている教えは、出家修行者向け(=成仏指向)在家信者向け(=救済指向)の二つがごちゃ混ぜになって、まだまだ続きます。

 この二つは、行動規範や修行方法等が全く異なり、明確に区別して理解されるべきです。

 しかし、両者が区別されないまま編纂されているため、成仏のための教えなのか、救済のための教えなのか、意図がはっきりしない文章が少なくありません。

 もっともっと解明すべき点は多々ありますが、ここらで一旦切り上げて、スッタニパータと法隆寺貝葉写本、二つの文献から読み取れる釈尊の教えの本質とは何かについて、私の理解を「紀元前485年」を復元ポイントとして、総集編的にまとめてみたいと思います。

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