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音楽は自由にする(坂本龍一)抜粋

現在ぼくは、音楽を職業としています。でも、どうしてそうなったのか、自分でもよくわからない。音楽家になろうと思ってなったわけではないし、そもそも、ぼくは子どものころから、何かになるとか、何かになろうとするとか、そういうことをとても不思議に感じていました。
小学校で「将来何になりたいですか。みなさん書いてください」と言われたことがあります。ぼくは、何を書いたらいいのかまったくわからなかった。まわりの子たちは、「総理大臣」とか「お医者さん」とか、女の子なら「スチュワーデス」 「お嫁さん」とか、そういうことを書いている。よく考えたのだけれど、ぼくは「ない」と書きました。自分が何かになるということが想像できなかったし、職業に就くということも、なんだか不思議なことに思えた。そういう感覚は、今でも残っているかもしれない。


そしてある日、こういうバンドをやりたいと細野さんから提案がありました。若くて不遜なぼくは「個人の仕事が忙しいので、そっちを優先しますけど、まあ時間のある時はやりますよ」とか答えた。 やぶさかではない、みたいな感じです。すごい返答ですよね。細野さんは「まあ、それでもやろうよ」って言ってくれて、YMOの1枚目のレコーディングをすることになったんです。1978年のことです。
そのアルバムの発売が1月ですが、ぼくはその直前の10月にソロのデビュー・アルバムを出していて、細野さんにはそっちにも参加してもらった。偶然のなりゆきですが、ぼくのソロ・アルバムはYMOの準備みたいな形になって、YMOの音楽につながっていきます。
YMOを結成し、最初のアルバムを作り、最初のワールド・ツアーでヨーロッパとアメリカをまわった。そのころの経験はぼくにとって、価値観の転倒と言ってもいいほど圧倒的なものでした。


YMOの音楽の源流の一つは、イギリスやアメリカのポップスです。
とくに細野さんと幸宏の2人には、50~60年代を中心とした膨大な量のポップ・ミュージックが、音楽データベースとして入っている。そういうものが、ロンドンの観客がぼくらの音楽に共鳴する土台になっていたのだと思います。
もしリズム・セクションの2人の中にポップ・ミュージックがあれほどしっかりと染み込んでいなかったなら、YMOの音楽が世界中の聴衆の耳に届くことはなかっただろうと思います。


バリではいろいろ印象深い体験をしましたが、中でも心に残っているのは、芸能のリーダーみたいな長老が言っていた「バリ島にはプロのミュージシャンは一人もいない」という話。 お金をもらって音楽をやるようになると、芸能が廃れるんだそうです。バリのミュージシャンはみんなすごい能力を持っているんですが、お百姓とか大工とか、それぞれに職業を持っていて、音楽で食べているわけではない。すごく自覚的に、音楽を商品化しないようにしているわけです。個人が音楽を消費するようなこともない。そうやって注意深く文化を存続させてきた。
民族音楽に興味を持ち始めた10代のころから感じていることですが、共同体が長い時間をかけて培ってきた音楽には、どんな大天才も敵わないと思うんです。モーツァルトだろうが、ドビュッシーだろうが。 共同体の音楽には絶対に勝てない。


『ディスコード』と同じ1997年には、娘の美雨をフィーチャーした「The Other Side of Love」 も出しました。ドラマの主題歌なんですが、この曲の場合は、ポップなものがなんとなくできてしまった。 降って湧いたように、というか。実は「戦メリ」 もそうなんです。ほとんど、気がついたら目の前にあるという感じ。その曲が好きなのかどうかさえ、自分ではよくわかりません。
ずっと考えていることなんですが、自分ができてしまうことと、ほんとにやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。 できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境い目が、自分でもよくわからないんですね。


ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。それを授けてくれたのは、まずは親であり、親の親でもあり、叔父や叔母でもあり、また出会ってきた師や友達であり、仕事を通して出会ったたくさんの人たち、そしてなんの因果か、ぼくの家族となってくれた者たちやパートナーだ。それらの人々が57年間、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている。 それを考えるときいつも、一人の人間が生きていくということは、なぜこんなにも大変なことなのかと、光さえ届かない漆黒の宇宙の広大さを覗き見ているような、不思議な気持ちにとらえられる。
同時に、自分はなぜこの時代の、この日本と呼ばれる土地に生まれたのか、そこになんらかの意味があるのか、ないのか、単なる偶然なのか。子どものころからそんな問いが頭をかけめぐることがあるが、もちろん明解な答えに出くわしたことはない。死ぬまでこんなことを問うのか、それとも死ぬ前にはそんな問いさえ消えていってしまうのか。

https://www.shinchosha.co.jp/book/410602/

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