自分らしさと模写と模倣のハナシ
こんにちは。就労継続支援ビルドの秋田です。
このツイートは、その前にリツイートした「絵の上達法」的なものに対する感想です。
ビルドには専門教育を受けたことが無いけれど絵を描くことが好き!という方が、たくさん通われています。
学校行くこと自体が大変だった方も多いですし
美大は入ることが大変だし、美術系の専門学校含め卒業するの大変ですからね……特に課題をこなすことが……。
そんな皆さんがビルドで絵の勉強・練習をするにあたって最初にお伝えすることは「資料を見る」「資料を探す」「見て描く」です。
自己流で描いているときには、資料を見ながら描く方が少ない印象です。
利用者さんたちが資料探しや資料を参考にして描くことに苦手感がある理由は、いくつかあります。
1.資料探しが苦手(イメージ通りの資料が見つからない)
一緒に検索してみると、検索ワードが長文だったり具体的過ぎたりします。
ビルドではしばしば「このワードで検索してみましょう」という助言が行われます。
そもそも、頭の中のイメージにある構図やポーズが現実的ではない場合、思い通りの資料にはたどり着けないことも多いです。
マンガ「聖☆おにいさん」で、ブッダが、人間の身体の柔らかさがわからなくてデッサン人形を使えないという描写があるのですけれど…
人間の身体の場合は、自分や周りの人が実際にその動き(ポーズ)をしてみるのが一番わかりやすいですね。
2.見ながら描くのが難しい
これは脳の機能による苦手が影響しています。
ワーキングメモリの働きが弱いと、資料を見て描くまでに記憶を保持しておくことができません。
参考:https://h-navi.jp/column/article/35026645
発達障害があると視覚機能が低い人が多いと言われていて…
といった、様々な事情で「見て描く」ことが苦手で、習慣づいていないケースもあります。
3.見ながら描いたらマネやパクリと言われそうで不安
最初に貼ったツイートの内容です。
SNSをはじめ、自分が描いた絵をネットでたくさんの人に見せることが当たり前の時代になりました。
そして、しばしばトレースだのパクリだので炎上しているやりとりが目に入ってきます。
脳の仕組み上、ネガティブな出来事は印象に残りやすいので、なんとなく
真似=悪
というようなイメージになって、資料を見ながら描くことに抵抗のある利用者さんもいらっしゃいます。
そもそも、人目に触れさせなければ自由に描いていいのですけれどね。
だいたい、いきなり何も見ないで描くなんてこと、だれにもできないのですよ。プロがスイスイ描いているように見えるのは、その前の段階で途方もない時間をかけてインプットしてきているからにすぎません。
ちなみに、秋田は子供の頃からキテ○ちゃんとポ〇ャッコ大好きすぎて数えきれないくらい描いてきたので、いまだにそらで描けますけど。(何自慢
資料探しが苦手
見ながら描くのが難しい
マネやパクリと言われるのが不安
といった事情があることがわかりました。
資料探し…リサーチ能力は練習と経験です。あと語彙力と発想力......。実は、ビルドの作業の中で培う機会が色々あります。
ワーキングメモリや視覚の部分は、脳の機能としてどうしても難しいところはありそうです。全く伸びないというわけではなく個人差の部分なので、時間をかけるとか多少のトレーニング方法はあります。妥協ポイントの設定も大事です。
では、資料を見ながら描くことはマネやパクリになるのか?
ここで、真似・模写・模倣それぞれの意味でも考えてみましょうか。
真似
形だけ似た動作をすること。というところがポイントかと思います。
見た目をなぞっただけで本質をとらえていないようなニュアンスがあります。
また、用例に「ばかな真似はよせ」がありますが、ネガティブなニュアンスに使われることが多そうです。
意味の中に「模倣」も入っていますが
「ボールを投げる真似をする」とは言っても、「ボールを投げる模倣をする」とは言わないですね。
模倣
模倣にも、「真似る」という意味合いがありますが、用例に「人の作品を模倣する」とあります。
真似るには表層をなぞるイメージがありますが、模倣は"似せる"のイメージが強そうです。
模倣犯、模倣品など…真似るよりは更に細かく似せる上に、ネガティブなニュアンスで使われるように思います。いうなれば、パクリ?
模写
模写もまた「似せて写す」行為ではありますが、声帯模写などは一つの技術として地位を確立していますよね。現代のもので言うとヒューマンビートボックスとか?
模写する対象の本質や特徴を掴み、技術の習得など自身のものにして昇華させるための手段のイメージです。
真似・パクリと模写
ニュアンスの違いがあることが伝わるでしょうか?
ルネサンス時代から先人の技術を盗み、磨くために模写は行われてきました。
↑これは秋田の好きなマンガ「ブルーピリオド」で主人公の八虎が模写を通して何かに気づくシーン。
資料を見て描く・模写をすることは、それそのものを作品として発表することと意味が違います。
イメージをカタチにするために資料を探して、資料をスケッチしてカタチを捉える。模写を通して、どのように絵が作られているのかを観察する。筋肉と脳にカタチを覚えさせてから、実際に自分の絵に反映させるための過程にすぎません。
そう、インプットです。
なんとなくSNSに描いたものを公開するのが当たり前だと思い込んでいて、SNSに出していない絵があるという発想になりづらいのかな?と思います。
極端に言うと
描いたら人に見せる(SNSにあげる)→模写やトレースしたものは見せられない→模写やトレースで描いてはいけない
という発想になるイメージです。
習作は表に出てこないし、
目に見えないものは「無い」と同じであると考えがちな脳の特徴があると、習作というものに意識が向かないのかもしれません。
模写やスケッチ、デッサンをしてインプットしたとして
自分というフィルタを通してアウトプットする過程では、どんなに頑張っても「元とそっくりそのまま同じもの」を作り出すことはできません。
ですから、どう頑張って隠しても、自分らしさが出てきてしまうと考えていいのではないでしょうか。
絵の練習の手段としては、真似・模写上等。インプットなしにアウトプットはできないということを覚えておきましょう。
今日のヘッダーイラストは利用者のヒヨコさん(仮名)作、メリーゴーランド。
ヘッダーイラストは複数の利用者さんに描いていただいていますけれど、個人の趣味嗜好全開OKなので個性が出ますよね。一覧にして眺めると、誰が描いたものか一目瞭然です。
どうやったってにじみ出る「自分らしさ」があります。
安心してたくさん絵を描いてくださいね!!
いただいたサポートは利用者さんの工賃に!素敵なヘッダーイラストを描いてくださった皆さんに還元しますね。