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花火-After Story-
あれから、一年が過ぎました。あの日と同じ花火大会に、私は向かおうとしています。自由奔放な君のことだから、きっとふらっと帰ってきて、ばったり会うんじゃないか。そうならいいな。そんなことを考えながら、あの日と同じ浴衣を着て、同じ髪飾りもつけて、家を出ました。
私の恋は届かないままでした。君を目の前にして言えた言葉は、「綺麗だったね」の一言で。一言の勇気なんて、私にはありませんでした。その時の君の笑顔もはっきりと覚えています。
その夏、本当に君はいなくなってしまいました。新学期の教室にも、帰り道にも、いつもの海沿いの堤防にも、どこにも。ありとあらゆる思い出の場所を巡っても君はいませんでした。
いつも当たり前にあったものが消える感覚。いつも私の隣には君がいたんです。それがいきなり消えてしまって、私はとてつもない喪失感に襲われました。あぁ、君はもういないんだって。わかってはいるけど、信じたくはありませんでした。そしてあの時、自分の恋心を打ち明けられなかった私自身を、ただ恨みました。たとえ伝えられていたとして、何が変わったかはわかりません。恐らく、君が遠くへ行ってしまうことは変わらなかっただろうし、君の私への気持ちも変わらなかっただろうと思います。でも、それでも、今私が君を思って苦しんでいるこの状況は変わっていたのだと思います。
何度も君との思い出を忘れようとしました。こんなに苦しいぐらいなら、もう忘れてしまった方が楽だと思ったんです。でも、忘れようとすればするほど頭の中に君が浮かんできて、もっと苦しくなりました。
お祭りの会場は、一年前と変わらず人混みであふれていました。周りを見ても人、人、人。どこを見ても、君の姿はありませんでした。
そりゃそうだよね、と自分に言い聞かせて歩き始めました。屋台のお兄さんの威勢のいい客寄せの声や、祭囃子の音が、私を包みます。八月の中旬ってこんなに暑かったっけ。カタカタと下駄の音を立てて、ずっと歩いていきます。花火までは1時間くらいありました。私はそれまで、何も考えずぶらっと歩くことにしました。最後に向かう先は、君と花火を見上げたあの場所。
お祭りはそこそこ大きい神社の境内で行われています。せっかくなので、お参りをしていこうと思いました。
「あれ、千冬!久しぶりじゃん!」
誰かに声をかけられました。声のした方に振り返ると、浴衣に身を包んだ小春先輩がいました。
「小春先輩、お久しぶりです」
「もーう、一年経ってもやっぱりその呼び方なんだねー。六花で良いって言ってるのに」
「先輩を呼び捨てになんてできません」
「あっそー、ま、そんなところもかわいいんだけどねー」
隣に先輩が来ました。
「遊びに来たんですか?」
「そ、お盆のお墓参りのついでにね。ずっと都会の喧騒に包まれるのも大変だよー。体が慣れ親しんだ緑を求めてる」
そういって浴衣の袖をパタパタとして仰ぎました。
「ただ暑いのはやだねー。早くクーラーの聞いた部屋でアイス食べたい。浴衣も暑いし早く脱ぎたいよー。」
「先輩、やっぱり変わってませんね」
「東京行っても変わるのは金銭感覚ぐらいかなー。あそこ何もかも訳わかんないぐらい高いし。みんな憧れるけど住むもんじゃないよ、あんなとこ」
「そうなんですね。あ、ちょうどかき氷の屋台ありますよ」
「救世主だ!折角だから千冬のも買ってあげるよ」
「良いんですか、そんな。自分でこれぐらい買いますよ」
「良いよ良いよー。2個で900円でしょ?東京じゃこれで一人分のかき氷も出てこないからねー。何より、たった450円で後輩との関係を保てるなら安いもんだよ」
「あんまりそういうこと本人の前で言わない方が良いと思いますよ…」
「千冬なら大丈夫でしょ。信頼の証と思ってもらいたいね。あ、おっちゃんかき氷ふたつ!」
「あいよ!」という店員さんの異性の良い声と同時に、ガリガリと氷を削る音が聞こえます。
「味どうする?」
「メロンでお願いします」
「りょーかい。おっちゃん、イチゴとメロンね」
ほどなくして、かき氷が出てきました。
「はいこれ、メロン」
「ありがとうございます」
お祭りのサイズにしてはかなり大きいと思います。
「おっきい…食べきれるかな」
「何?ダイエット中?氷なんだからカロリーゼロだよ?」
「そういう話じゃないです、頂きます」
かき氷に刺さっているストロースプーンを引き抜いて、かき氷の一番美味しい真上をそっとすくいます。口に入れると、メロンの香りがふわっと広がって、それと同時にキーンとした感覚がしました。
「美味しい、けど頭が…」
「まだ一口だけだよ?そういうのはもっと後から来るもんでしょ」
先輩の方を見るとパクパクとかき氷を口に放り込んでいました。
「んーおいし。火照った体に染みるねぇ」
「先輩、そんな食べ方して、頭痛くないんですか?」
「チッチッチ。分かってないねー千冬ちゃん。かき氷っていうのは氷であることに存在意義があるのだよ。解けて氷じゃなくなったらそいつはかき水だよ?だから、氷であるうちに食べきるのが礼儀」
「なに言ってるかちょっと分かりません」
「まぁ君にも直に分かるときが来るさ千冬くんよ」
「なんでちょっと博士っぽい言い方なんですか…」
「そんな事言ってるうちにも時間は過ぎ去っていくんだよ?氷が氷じゃなくなるってことは姿形が変わっちゃうってことだよ。私たちは氷である状況を楽しまないと、今を楽しまないと。つまり、かき氷は人生」
「先輩、お酒入ってます?未成年飲酒はダメですよ」
「冷たいなー、シラフだよ。あっきた」
直後、先輩が頭を押さえたので、多分先輩も同じ状況に襲われているんだと思います。
「言ったじゃないですか」
「痛てて、これこれ、気持ちいいー…夏の夜、お祭りで火照った体につめたーいかき氷を流し込んで襲われるこの感覚。最高…」
「なんで楽しんでいるんですか…」
またそっとすくって、食べます。さっきで慣れたのか、あまりキーンとはしませんでした。
「やっぱりかき氷といえばメロンですよね」
「千冬、知ってる?かき氷のシロップって味全部同じだよ?」
「そういう現実的な事言わないでください。世の中には知らない方が良いこともあるので聞かなかったことにします」
「千冬ー。現実から目を背けちゃダメだぞー。いつまでも夢見る少女のままじゃいられないんだぞー」
見ると先輩のかき氷はもう半分になっていました。
「そういえば、先輩は今日は一人なんですか?」
「ん、あぁ。今日は一人だよ?東京に彼氏置いてきた」
「あれ、先輩って彼氏さんいましたっけ」
「あっちで出来たんだよ。入学当初から目を付けられてたらしくって猛アタックされて渋々OKしたの。いやー一目惚れっていうのは怖いねぇ。あんなに勢いよく来られたら断れないよ。さすがに地元には連れてこなかったけど」
「すごい人なんですね」
「千冬はどうなの?」
「今日は一人です」
「あれ、いつもあの子と一緒じゃなかったっけ。えっと…」
「響くんのことですか?」
「あ、そうそう響だ。思い出した。今日はいないの?」
「もうここにはいないです。去年のちょうど今頃に転校しちゃって、それっきりです」
「そうなんだ。あれでも千冬たち付き合ってなかったっけ?」
「べ、別にそんなんじゃなかったですよ!ただの幼なじみです」
「あれ、そうだったんだ。毎日一緒にいたからてっきりそういう関係なんだって思ってたよ」
周りからはそんな風に思われていたなんて初めて知りました。本当にそういう関係だったらどれだけ良かったことでしょうか。
「で、実際どうだったの?」
「何がですか?」
「この話の流れなら決まってんじゃん。好きだったの?響のことは」
直球すぎて、思わず口のなかのかき氷が吹き出そうになりました。
「いきなりなんて事聞くんですか」
「あ、その反応。さては好きだったんだなー?」
「そりゃいきなりそんな事聞かれたら誰だってそうなりますよ」
「そんなもんかねぇ、じゃあ改めて。響の事好きだった?」
「えっと…それは…」
「良いじゃんもう一年前の事だし、本人もいないしさー。誰にも言わないから、ねっ?」
「本当ですか?」
「ほんと、ほんと。今まで私が嘘ついたことあった?」
「結構あったような気がしますけど」
「あれ、そうだったっけな?まぁいいや。で、どうなの?」
先輩がこのモードに入ると、「はい」と言うまで終わらないことを今までの経験から知っています。
「本当に誰にも言わないでくださいね」
「もっちろん」
大人しく、認めることにしました。
「ずっと好きでした」
「ま、そりゃそうだよね。好きじゃなかったらあんなに長いこと近くにいないもん」
「じゃあなんで聞いたんですか」
「確認だよ確認。裏付けが欲しかったの」
「なんですかそれ」
先輩のかき氷はもう失くなっていました。
「なんで付き合ってなかったのさ」
「そんなこと私に聞かないでくださいよ」
私が一番なんでを知りたいです。
「告白とかしようと思わなかったの?」
「ちょうど一年前の夏祭りでしようと思ってましたよ」
「夏祭りって、もう転校すること決まってたんでしょ?遅すぎない?」
「いえ、それより前にもしようと思ってましたよ。でも勇気が出なくて…」
「勇気ってなんの」
「その、告白してもしだめだったとき、今より疎遠になったらどうしようとか、陰で変なこと思われたらどうしようとか」
先輩は、スプーンストローで底のシロップまで吸い付くした後、はあっとため息を付きました。
「千冬、あんた馬鹿だねえ。そんな余計な心配してたの?5,6年もずっとそばに居させてくれる奴があんたのこと嫌いなわけないでしょうに。嫌いだったらとっくの昔にバイバイしてるよ」
「でも…」
「でもじゃない。はぁ、全く。心配性だとは思ってたけどここまでとは」
忘れようとした日々が、また頭に浮かんできました。何をするときにも、いつも隣に君がいて。何でも無い君との帰り道。夜空を見上げて私たちだけの星座を作った日。君がいるだけで、何もかも楽しかったんです。
「で、夏祭りの日はどうしたの」
「言えませんでした」
「響からは何も無かった?」
「何も。綺麗だったねって」
「そのあと連絡とか取り合ってないの?」
「いえ、全く。迷惑かなって」
「はぁ…二人揃って意気地無しなんだから」
「二人揃って…?誰のことですか?」
「あんたと響だよ」
言っていることがよく分かりませんでした。
「どういうことですか?」
「どういうことも何も、気付いてなかったの?」
また先輩は、はぁ、とため息を付きました。
「千冬。響もあんたのこと好きだったんだよ」
「え?」
先輩は何を言っているんでしょうか。
「先輩、冗談はやめてくださいよ。からかってるんですか?」
「冗談じゃないよ。本当だよ」
「じゃあなんでそう分かるのか説明してください」
少し強い口調で、詰め寄るように言いました。
「分かった分かったから落ち着いて。かき氷食べて落ち着いて」
これが落ち着いて聞いていられるのでしょうか。もしそれが本当なら私は、私は。
「二年前。響から相談を受けたんだよ」
二年前と言うと、私たちが一年生の頃です。
「何のですか」
「千冬は僕のこと何て言ってますか、だって」
「なんでそんなこと」
だんだんとヒートアップしているのが、自分でも分かります。
「まだ気付かないの?鈍感にも程があるでしょ…異性の評価が気になるのなんて一つしか無いでしょうに」
「それで、なんて答えたんですか」
「嫌いじゃないと思うよって答えたよ。あとら君の話をしてるときは楽しそうとも」
「それで、なんて」
「良かったって言ってたよ。そのあと、千冬に彼氏はいるかとか根掘り葉掘り聞かれたよ。それで私聞いたんだよ。千冬のこと好きなの?って」
「そしたら?」
「恥ずかしそうにはいって言ってたよ」
心臓の音が聞こえるぐらいに大きくなっているようでした。
「だったら、なんで教えてくれなかったんですか!」
叫ぶ声が知らない人にも聞こえたかもしれません。
「だって、いつも通り近くにいるんだから大丈夫だったのかなって。だから今日付き合ってないって聞いたときビックリしたんだよ」
頭がボーっとして目頭が熱くなってきました。私は、誰を恨めば良いんでしょうか。私に直接聞いてくれなかった君の事でしょうか。君が私のことを好きだと分かっていながら伝えてくれなかった先輩の事でしょうか。最後の最後のまで何も伝えられなかった私の事でしょうか。もちろん、答えは一つしかないと分かっていますが、何かのせいにしないと、おかしくなりそうです。
「気持ちは分かるよ」
そう言って先輩は、私の背中をトントンと叩いてくれました。私は、今にも泣き崩れそうでした。
「響のこと、今も好き?」
「好きです!好きに決まってます!忘れられないんです!でも、もう、もう…遅いんです!!!伝えるには何もかも!!!」
あ、ダメだ、と思ったときには、もう涙が出ていました。
溜め込んでいた感情が、一気に溢れてきました。思い出も、全部。何も伝えることができなかった後悔が、私をぐちゃぐちゃにしていきます。
力が入らなくなって、膝から崩れ落ちました。かき氷は手から離れて、地面に落ちました。一目があることは分かっています。だけど涙と泣き声が止まりません。先輩は、ずっと背中をさすってすくれています。
ひたすら、自分を悔やみました。恋なんかしなきゃ良かったんじゃない。私が、私が悪かったんです。最後の最後まで伝えることのできなかった私が。そうじゃなきゃ、こんなに苦しいわけがありませんでした。
どれくらい泣いていたでしょうか。
「あのさ」
先輩が声をかけてきました。
「はい」
涙を拭って答えます。
「辛い?」
「はい」
「今でも、会いたい?」
そんなこと、聞くまでもありませんでした。
「はい」
「そっか」
まだ鼻がつまっていて、変な声だと思います。
「携帯、出して」
「良いですけど、何に使うんですか?」
「良いから、早く出して」
浴衣から、自分の携帯を出して先輩に渡します。
「連絡先とか持ってる?」
「あります、けど」
「なんて名前?」
「響です」
そういうと、先輩は携帯を弄り始めました。
「ちょうどお盆だから、響も帰ってきてる頃でしょ、あっ、こいつだな。本当に全く連絡してないじゃん」
「何をするんですか」
「電話する」
「え…」
「近くにいるなら来てくれるでしょ。そこでハッキリ伝えな」
「え、ちょっと待ってくだ―」
私が言い終わる前には、先輩はもう通話ボタンを押していました。出て欲しいという気持ちと、出ないで欲しいという気持ちが半分半分でした。出てくれたとして、なんて伝えればいいんでしょうか。こんな私の顔をみて、何を思うんでしょうか。
呼び出し音が響きます。心臓はもう訳が分からないぐらい跳ねていました。たった数十秒なのに、やけに長く感じます。
呼び出し音が、止まりました。君の声は、聞こえてきません。
「出なかったかー」
私は少しだけ安心しました。
「千冬、あんた去年どこで花火見た?」
「え…?一番上の神社の脇道ですけど…」
「そう、分かった」
そういうと先輩は、また私の携帯を弄り始めました。
「ん、ほら」
そういって、携帯の画面を見せて来ました。
そこには、「去年、花火を見た場所で待ってます」という私発のメッセージがありました。
「先輩、何して―」
「私、ここで待ってるから。一番上まで行って。もし響が来たら、ちゃんと伝えること。来なかったら、もうスッパリ諦めること。メッセージ消せないように、携帯は預かっとく。分かった?」
「えっ…でも」
「でもじゃない。会いたいんでしょ?さっさと行く!」
先輩の口調が、いつもと違いました。
「覗き見なんてしないし、深堀りもしないから、早く。もうすぐ花火始まっちゃうよ」
「…はい」
私は、上へ上へ向かうことにしました。
脇道には、人はいませんでした。わざわざこんな所まで登って見ようなんて思う人は少ないからです。去年、君はそういってここまで手を引いて連れてきてくれました。君の姿は、ありませんでした。そもそも、帰ってきてるかどうかすらも分からないので、当たり前といえば当たり前です。
時計も無いので、あとどのくらいで花火が打ち上げるのかは分かりません。待つ時間が、とても長く感じました。脇道の入り口が、気になってしょうがありません。
ヒューっという音が聞こえてきました。そして、ドンと、花火が上がりました。君がいなくても、花火は上がりました。私は、今も隣に君を待っていました。
去年と同じ。小さな花火。心の中のあの花火と同じ。私は空を見上げました。
一人で仰ぐ花火は、どこか滲んでいて。あぁ、綺麗だなぁ、って。私は強がっていました。
そのまま、ずっと空を見上げていました。花火は、どんどん滲んでいきます。ついには、もうはっきりと見えなくなりました。目を手で擦っても、またすぐに滲みました。雨じゃないはずなのに、地面はどんどん濡れていきました。
ずっと、一人で見上げていました。音がしなくなって、煙の匂いが、私を現実へと引き戻します。
花火が終わった後も、私はずっと立ち尽くしていました。ひょっとして君が来てくれるんじゃないかと思って。
どのくらい待ったか分かりません。君は、ついに来ませんでした。そりゃそうだよね。仕方ないよねと、目を擦ります。帰ろう。そして、忘れよう。これで良かったんだ、きっと。ずっと辛いままより、きっと。そう思って、先輩の所へ戻ろうとしました。
「千冬」
誰かが、私の名前を呼びました。私は、その声に覚えがありました。声がした方を向くと、息を切らせた君が立っていました。
「ねぇ」
私は、あの時と同じように君を呼びます。
「なに?」
君もまた、去年と同じように返事をします。でも、今度は違う言葉を伝えようと思います。かき消す音もありません。
「大好きです」
本文7146文字
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