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決着 大動脈解離と脊髄梗塞


ついに決着をつける時が用意された。
倒れてからずっと、いや、気づいてからずっと
なぜ自分は動けないのか

その考えの引導をつける時が来た。

最初に大動脈解離で倒れたときにICUで

「骨髄(実際には脊髄)の血が抜けてるからおそらく一生車いすかも。」
モルヒネでぼーっとしてる自分にはあっそ。って感じで。

半年経ってから退院したらあまりの現実とのギャップに
気が狂いそうになり、改めて自分の症状の書類を見ると
「A型急性大動脈解離 左総腸骨動脈破裂 脊髄梗塞」
の診断書が。

なんだこれ?
と思ってネットで調べると
えらいこっちゃ💦
だったんですよね。
つまり
リアルタイムでその状況を把握してくれる
親族もその時はいないし、ましてや
もともとほぼほぼ独りぼっちだったし。
そりゃ病院だって伝えようがないですよね。

つまりヘロヘロ時に聞いたと思われる
「骨髄」は「脊髄」だったのが
退院してほぼ一年後に気づくという

まあ
身から出た錆ですかね。

慌ててネットで調べまくると
「脊髄梗塞」という症状が
あまりに過酷すぎるというのを知ったのです。

つまり
「脊髄梗塞」の予後については
なにも診察も語りもされず来たんですよね。
しょうがないですが。

今の人生において一番の支障は
実は「大動脈解離の処置」ではなく
「脊髄梗塞における生活の不具合」なんですよね。

でも
病院は循環器で、まあ予後もそんなに良くはなく
追加二度の手術とかあったんですけど。

でも
ずっと心の片隅でひっかかっていた
半身不随(フルではないですが)がなんなのか
正直、脊髄梗塞については詳しく見てもらったことが
一度もなかったんです。

でも
お世話になっている方からの助言で
ようやく紹介状を書いていただけることに。

これはほんとに自分にとってはターニングポイント

なぜ、こんな思いして生きなきゃいけないのか
なぜ、こんな状態なのか

この考えの間であやふやで悶々としていたことが
決着つけるきっかけができたような。

もはや脊髄梗塞としては
急性期をはるかに超えてるので
そりゃ治療とか期待は全くしてませんが
「あなたの脊髄梗塞は・・・」
って専門の先生に言われるだけで
自分の中で決着が着くと思います。

とにかく
これまで心配してくれた方々
協力してくれた方々にやっと
本心を言える時が来そうです。

ありがたいです。

これもすべて
お世話になった方々のおかげです。

死にはしませんが
いつでも死ねる気持ちになりそうです。

いつでも死ねる気持ちというのは
とことん生きようという意味なんです。

まあ
がんばります!!

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