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活動して12年が経ちました②

2009年~2012年のころ。

この頃の私は3~5年目です。養成校の4年間、ずっと整骨院に社員として勤務していたのですが、卒後もバイトとして残り、週に3日ほど勤務していました。

勤務が無い日は色んな場所でPTの非常勤をやりました。整形クリニック、一般病院、老健、特養・・・。

今までに20か所以上の場所で働いてきましたが、3年目のころに特に老健での勤務で印象深い出来事がありました。

老健での待遇・権威性の低下

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とある地方老健での、非常勤先の出来事です。そこで20年目のOTと一緒に仕事をしていました。

内容はひたすら個別リハに専念できるという、とても良い環境でした。時給も当時は3000円もらえました。

個別訓練時も入居者さんを迎えに行く必要がなく、リハ室のプラットフォームまで介護士が連れてきてくれました。

しかし2006年以前と比べて理学療法士の権威性の低下は確実に影響していました。

老健では長白衣はおろか、KCすら支給されず、画像のような上はポロシャツ、下はジャージの制服を支給されたのです。

この出来事、現役の人には何も思わないでしょうが、当時の私にはとても心に引っかかる出来事でした。


とある日の出来事

縺昴@縺ヲ邨先忰縺ッ


勤務してから1年経過したある日・・・・・

「こっちは忙しいんだから、これからはリハビリさんのほうで連れてきてください」

と介護士たちから言われるようになりました。

当然、こちらもそれを拒否しました。

「私たちが心血を注いでいるから、患者さんが歩けるようになる。自宅に帰って生活できるようになる、そのための業務なんだから今まで通りやってくれ。」

そんな事を20年目OT(元ボディービルダー)と一緒に言ったのを覚えています。

その後こんな返答が来ました。

「結局、年寄りや麻痺してる人は治せないんでしょ?下手に動けるようになっても介助量が上がっちゃうんだから、リハビリなんて意味ないじゃん。」

「こっちは忙しいんだから、そんな事に業務の時間を割きたくない。」


結果を出せなければ、その領域での立場は無くなる。

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この話、最終的にはリハ助手さんを雇うことで完結しました。そして、それを理由に私の時給が2500円に下げられることになったのです。

この決定に私は非常に不満でした。

主に通所担当でしたが、利用者の痛みを整骨院で習得したオステオパシー・カイロ技術で改善している自負がありました。

その結果、利用者の口コミで人が増えたり、痛みで休む人が減ったという事もありました。

同僚の元ボディービルダーの20年目OTも、麻痺のある患者さんのADLが向上するよう結果を出し続けていた人でした。

けど、それだけではダメなのか?老健に行くのは、素人目にもわかるくらい麻痺が完全に治せるくらいになってからにしよう。

そう思い、その老健を辞めました。


理学療法士がオムツ・入浴介助を手伝わされる職場

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今度も地方の話です。面接・見学したが、結局働かなかった老健での話。

そこではなんと、理学療法士が入浴介助を手伝い、さらにオムツ交換や食事介助までさせられていたのです。

個別訓練は重視しておらず、集団体操に力を入れているそうでした。

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そこで働いている理学療法士たちを見て、私はつい言葉が出てしまいました。

「皆さんは、これでいいんですか?」

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この出来事は私の心の中にずっと突き刺さることになりました。

ここ数年、PTの立場が急に悪い方向に変化している。

介護領域でそれが顕著に出ている。

病院ではどうなのか?

私はそれ以降、老健で非常勤をするのを辞め、病院で非常勤をするようになりました。

最後に

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私は今でも麻痺を完全に治せるわけではありませんし、パーキンソン病を完全にどうにかできるわけでもありません。

ただ、私の師匠にあたる人物は確実に上の2つに結果を出しているので、私も彼から真剣に習えば結果が出るんだろうと思います。

しかし現状の介護現場では、多職種からの圧力が強すぎて、結果を出せる技術を持っていても宝の持ち腐れになってしまう可能性が高い。

結果を出せるけど、出せない状況に追い込まれてしまっている。

当時は、そんな事を思っていました。

つづく

活動して12年が経ちました③

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