どら焼きだけが親孝行ですか

私は、自分の実家が苦手です。

この事実は、あまり他人におおっぴらに言えなくて、夫にしか言っていない。
今回noteに書くにあたって、身バレの危険も考え、若干の脚色をしている。が、もし仮に知り合いの方が読んだ場合は、そっとしておいていただけると助かるのでよろしくお願いします。

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どうして実家が苦手になったのか。
親から虐待を受けていたわけでもないし、家族の誰かが逮捕されたことがあるわけでもない。
要は、少々面倒くさい家庭に生まれついてしまったからである。こればかりは、自分で選択できない。どうしようもない不可抗力だ。

私がこの世に生を受けた時にはすでに、両親(ともに教員)は父方の祖父母と同居していた。二世帯住宅ではなく、祖父が建てたそこまで大きくない一軒家で(父と母は、私と弟をつくるのに、何かと苦労しただろうと思う)。
しかも、祖父母は、新興宗教の熱心な信者であった。

祖父は私が五つの時にがんでこの世を去ったので、あまり記憶にないのだけれど、それまで年に一度は家族揃って教団の巡礼地に赴き、お布施とお参りをしていた。
両親(と私たち姉弟)は信仰しているつもりはなかったが、祖父母が半ば強引に名簿に記帳していたらしく、幽霊信者?もいいところだったけれど。

結婚を機に教職を一旦退き専業主婦となっていた母は、地域の育児サークルの活動に打ち込むようになる。義父母の信仰に巻き込まれるのを避けたいのもあったのだろう。
元保母の主婦の方が立ち上げた、親と親、子どもと子ども、親子と親子のふれあいを目的とした会だった。
絵本の読み聞かせ会、観劇、ハイキング、サマーキャンプ、味覚狩り、クリスマス会…母は私と弟を連れて、年がら年中イベントに参加した。母親向けの講演会を聴きに、遠くまで出向いて行くこともあった。
私も弟も、たくさんの友達ができたし、たくさんの貴重な経験もさせてもらった。
母はお人好しで機転が利き面倒見も良いため、主宰者の方にも気に入られ、いつしか育児サークルの中心的存在となっていた。広島の片田舎から大阪に嫁いできた彼女が見つけた、大きな自分の居場所だった。

私が小学2年にあがる直前、同居の祖母が突然脳梗塞で倒れ、半身不随状態になった。数ヶ月の入院生活が終わると、自宅での介護を余儀なくされた。
それから一年と少し後、父の不貞が発覚した。母が子連れで家を空けている間に、女と会っていたのだ。一度は母が調停を申し立て別れさせたが、私が高校生になるくらいまではぐずぐずと関係が続いていたようである。
義母の介護と夫の女性問題に疲れ、育児サークルも辞めざるを得なくなった母は、家のお金に手を付けるようになる……

と、まあ、さわりはこんな感じ。
これ以上は長くなるので割愛するが、もっともっと色んな要因が重なり、私は自分の実家や地元を心から好きになることができない。

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結婚してからは他県に移り住み、そこまで頻繁に帰省しないため、私のことを不思議に思う人もいる。
どうして地元の近くに住まないの?
お盆(年末年始)は実家に帰らないの?
お父さんとお母さん、寂しいんじゃない?

私って、親不孝者なんだろうか。
じゃあ、親孝行って一体何だろう(こういう歌があったな)。
結婚しても地元に住み、週末ごとに旦那や子どもと実家に帰って両親と食事をすること?
老舗のどら焼きかなんかを手土産に、盆正月に帰省して、家族と居間のテレビで甲子園や箱根駅伝を見ること?
定年退職した両親にこれまで育ててくれた感謝の気持ちをこめて海外旅行をプレゼントすること?

一般的にはそうなのかもしれない。

でも、私のように「そこまでハードじゃないけど実家(地元)がしんどい」人間も少なからずいる、と言いたい。
実家(地元)と深く交わることが心の負担になるのであれば、距離を置いたって構わないと思う。
インターネットが発達した今の時代、わざわざ帰省しなくても、無事で暮らしていることを伝えたり贈り物をしたりする手段はいくらでもあるし、あえて離れるという形の親孝行だってあるんじゃないだろうか。

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血の繋がりは必ずしも尊いものではない。争いや憎しみの源になる場合もあり得る。
私の両親はどうしようもない人たちだし、向こうも職を転々とするどうしようもない娘だと思っているかもしれないが、それでも育ててもらった恩があるし、三十路過ぎた今、親と子ではなく、人と人として付き合っていきたい。

#家族
#親子

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