死の3つの特徴

諸行無常というのは、この世のすべては続かないということ。
すべては続かないといっても、その中でも最も激しいのは、自分の命が続かないということです。

人は「朝に紅顔あって夕に白骨となれる身」と言われるように、
朝笑顔で出ていった人が、
夜には白木の箱に入って無言の帰宅をする。
翌日には灰となって一つまみの白骨となっている。
これほどの変わりようはありません。

一番の無常である死というものを見つめた時、
いくつかの特徴が浮かび上がります。

1つには死は100%、絶対間違いなく、私にやってくるものです。

あのタイタニック号が沈んだ時、生き残った人たちは
「助かった。助かった」
と抱き合って、泣いて喜びました。
しかしそれらの人の中で、未だこの世に生きている人は、一人もいません。
死ななかったことを助かったというなら、実は誰も助かっていませんでした。

「散る桜残る桜も散る桜」という良寛和尚の辞世の句がありますが、
嵐の前に散って行く桜、しかしそれを観ていた残った桜もやはり今日の嵐で
散っていかねばならぬ桜です。

「あの人ガンで死んだの、可哀相に・・・」
「えっ交通事故、お気の毒に」
そう言っている私がガンに、交通事故に会い、死んでいかねばなりません。
早いか遅いかの違いだけで、死なない人は一人もいない。

私達一人一人が死と対峙する時が必ずあるということです。

2つ目には、いつ来るか分からないということです。
いつかはわからないが必ず自分の目の前にあらわれる時がある。

東大の宗教学の岸本秀夫教授は『死を見つめる心』の中で
「いつの場合でも、死はその人にとって一番意外な形でやってくる」
と言っています。

人間は爆弾をかかえて生きているようなものです。
いつ起爆スイッチ押されるかも知れない。
そんな状態で安心も満足もない。

3つ目には自覚がないということです。
こんな状態にありながら驚く人が一人もいない。

それで、
「無常を観ずるは菩提心の一なり」
といわれます。

世界中で1秒間に8人の人が死ぬ、
1日に70万人です。
その人たちには家族がいて、友がいて、恋人がいて、子供がいる
何百万人の幸せが吹き飛ばされている

この無常という真実を見つめた時、
私は何の為に生まれてきたのか
この命で求めるべきものは何なのか
本当の生きる意味について考えずにおれなくなります。

そして、死の問題を解決したのが、歎異抄にいわれる無碍の一道です。

歎異抄というのは鎌倉時代の古典ですが歎異抄.comに詳しい解説があります。


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