ハイデッガーの3つの退屈

国民の歴史に、20世紀最大の哲学者、ハイデッガーが紹介されている。

素顔の私ということについて、むなしさから迫っている。
退屈という言葉に置き換えている。

3つの退屈
1、手持ち無沙汰の退屈

2、部活、ゲーム、終わった時に虚しくなる
 文化祭の後に虚しくなる

 楽しかったけれども、あれは本当は退屈していたのだと
 もともとの心が退屈している、不安で不満だ。
 暗い心があるのだと仮定する。
 そこに楽しいことをもってくる。
ゲームに熱中する、文化祭、体育祭。
私達が知っている楽しみは、続かない、苦痛になる。
ゲームは終わると、部活が終わると、虚しい。
それは、もとの心が暗いから。
白い画用紙に黒色を塗る。そこにカラーを塗る
するとしばらくするとどす黒くなる。
やっているうちから虚しい気持ちになる、敏感な人もいる。
途中から引退になるとか、終わったら勉強しなければと。
文章では、人間の心の根底にふれている。

この2つの退屈とその取消を振り子のようにいっている。

3番目、根源的な退屈。
人間的な本来のあり方。
救済を求めるシグナル。

これがよく分かる人は、敏感、幸せな人、早く幸せになれる。
なぜ、この三番目の退屈がくるのか、この後に書かれている。
第三の退屈の理由を尋ねていくと、存在の意義にたとどりついていく。


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