仏法聞き難しの理由

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。
(仏陀)

どうして仏法聞くのが難しいのかと言うと、心が人間界にないと聞けないからです。

私達、心が人間界になかなかないので、仏法聞くのが難しい。

人間界というのは、苦しみと楽しみが半分くらいある。

六道のそれ以外の世界は、地獄や餓鬼や畜生は、苦しみが多すぎて聞けないし、天上界は楽に溺れて聞けない。

そういう六道は、この世にもある。

現在の心が、人間界にないんです。
縁がないとき、反省してみると、心が人間界にない。
仕事でたいへんだ、交通事故でたいへんだ、という人はご縁ない。
苦しすぎると仏法聞く余裕がないんです。
難民で苦しんでいる人は、
「まず食料くれ」ということになる。
「朝食べてない、昼も食べてない、腹へってたまらん」
という人は仏法を聞いていても上の空で話はいっていかない。
せっかく仏教を聞きに来ても「早く休み時間にならないかな」という人がある。

また、心が畜生界、金、異性のことばかり頭にあって本能のままに生きている。
そういう時は、仏法が聞けない。
また、修羅界の人。
喧嘩している人に、
「仏法聞きませんか」と言っても
「うるさい」という。
戦争で弾を打っている人なら、
「そんなことしていたら死んでしまうぞ」
ということになるね。

天上界は楽に溺れて聞けない。
恋人ができてルンルン気分の人は、仏法聞けない。
財界とか芸能界の人もなかなか聞けない。
楽しみが多すぎてもまた仏法聞けない。

そんなに苦しみもないし、そんなに楽しいこともない、
人間界に心があるときにしか、仏法聞けない。
先生は、ご説法で、「そんなに苦しみもないし、そんな
に楽しいこともない人が本部会館に来ている」と仰有ったね。

心が人間界、なぜ苦しくとも生きていかねばならないか、
そういう人間らしい心があるとき聞ける。

だから、心が人間界に保てるよう努力しなければならない。
心を人間界に保つということは難しいです。

だからあなたは万劫にもないチャンスにあっているんです。
ちょっとやそっとのご縁じゃない。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。
(仏陀)

というお言葉は、絶対の幸福になると、
生まれ難い人間に生まれてよかった、
聞き難い仏法を聞けてよかったという生命の歓喜。
もし今生に救われなかったらいつ救われただろう
危ないところを救われた、
となります。

大切にしてもらいたい。


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