忍辱 其のニ ーKhantiー 11 原始仏教×原始ヨーガ 2022年7月12日 19:33 大乗仏教の修行法、六波羅蜜の第三段階日常生活の中で起こる、不条理な出来事に対し、過去の悪業が浄化されていると考え、喜びの心を持つ。このように捉えることで、同時に私たちは善を積むことができ、また私たちに害を与えた魂の行為は功徳となるのである。称賛を享けると、人は輪廻に誘われていき、誹謗を受けるほど、人は解脱に導かれていく。私を中傷するものに、どうして怒りを持とうか。忍辱の徹底ほど、格好の苦行は有り得ない。どうして、絶好の機会を与えてくれるものに、怒りが湧くだろうか、機を逃すのは怒りである。通常は、攻めないかぎり、責めてくれない。こちらが、悪を積まなくても、怒ってくれる、そんな、不条理な怒りほど、歓迎すべきである。忍辱は、責めてくれないと、耐えられない。まず、責めた人は、悪を積んで、徳を積める。そして、耐えた人は、悪を落して、善を積める。敵に害意が有るから、私の忍辱になるのに、敵に害意が無いならば、私の修行にならない。弟子を思いながら、師が叱るのとは、訳が違う。菩薩は、仏陀からも学び、衆生からも学ぶ。なぜなら、彼らは、等しく至福の源泉であり、仏陀と同様、衆生も、仏性を有するからである。一方で、仏陀と衆生は、全く同じではない。全て尊い仏陀に、全て奉げれば、徳が積める。一部が貴い衆生の、善を称えれば、善が積める。それ故、衆生の最も善い所を、見つけ出す。それには、忍辱の行をして、最も悪しき業を、私の目を覚ましてくれる、最も善き業に変える。こうして、忍辱をして、悪を善に変えると、最も善い業となって、徳を積んだことになる。即ち、仏性を称えると、仏陀に並ぶ果報を得る。入菩提行論 ダウンロード copy #仏教 #誹謗中傷 #カルマ #仏陀 #強い心 #侮辱罪 #六波羅蜜 #忍辱 11 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート