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海にまつわる話

私は海沿いに生まれ、ずっとその町で育った。
そのせいか海が近くにないとどうも落ち着かない。
青く輝く美しい海は多くの恵みをもたらしてくれると同時に時折恐ろしい顔を見せることもある。それは台風の時化であったり津波であったりする。


『怪談』の著者で知られる小泉八雲が焼津で出会った人の話をまとめたものに「漂流」という作品がある。

漁師の天野甚助は若い頃、乗っていた船が台風に遭って転覆し、二日二晩泳いだ話を八雲にする。

『甚よ! 甚よ!--こっちへ来い--こっちのほうへ!』しかしわたしは、そっちの方へ行くことが、非常に危険であることを知っていました。なぜなら、横波を受けるたびに、わたしは下へ引きずり込まれたからです。そこでわたしは、彼らに叫び返しました、『潮に乗っておれ!--流れに乗っておれ!』しかし、みんなにはわからなかったようです--まだ、『こっちへ来い!--こっちへ来い!』とわたしを呼んでいました。そして、そのたびに、みんなの声は、だんだん遠ざかって行くようでした。わたしは、返事をするのが、こわくなってきました……溺れる者は、仲間がほしいとそんなふうに、『こっちへ来い!--こっちへ来い!』と叫ぶものなのです。

小泉八雲『小泉八雲集』(上田和夫訳)より

自分が死ぬのではないか、と心細く思ったときに無意識に道連れを求めて「こっちへ来い!」と言ったということにものすごく鳥肌が立つ。


また、私は3月11日の地震と共に来た津波のことを思い出す。いつかテレビでインタビューされていた保育士の話が印象的だった。たまたま保育園の子どもたちが地元のお年寄りを招いてお遊戯を披露していたところに地震と津波が来た。保育士はステージのやや高い所にいてできるだけ園児を守ろうとするが、ステージ下のお年寄りまでは助けることができない。
お年寄りはなんとか助かろうとステージに、保育士に手を伸ばすが、とうとう津波に飲み込まれ、引きずられてしまった。
その光景を保育士は毎日思い出すだろう。

話は戻るが、私の地元は南海トラフ地震が来て津波が来たらまず町ごとのまれるような地域にある。
高知県を訪れた時には避難用のタワーのようなものがいくつも見られて災害への備えをきちんとしている印象を受けたが、私の故郷は貧しいこともありそこまで手が回らないのであろう。しかも家々は大抵こぢんまりしたものである。家ごと波に流されていくのだろうといつも考えてしまう。

帰省するときには念のため避難経路を考えるが、もしも災害が起こってしまった時、私が見るのはどちらだろうか。手を伸ばすが助けてくれない人々か、こちらに手を伸ばす人々か……。


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