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きのくに子どもの村学園視察 後編

さあ、いよいよ校内の見学会スタートです。
まずは小学校から見て回りました。

子どもたちがプロジェクトをしている部屋、小学校でいう教室へ行くまでに、大きなホールと各教室に接続している広場を通って行きます。

ホールにはボルダリングがあり、料理を作っている中学生がいました。

広場には手作りのベンチ、各プロジェクトの名前が書かれた看板、本棚には歴史書もあれば、専門書も漫画も子どもたちが作った書籍も置いてある。

ちょうどクラフトというプロジェクトの子達が、薪がたくさん置いてあるところから木を持ってくる最中で、ある子は広間でノコギリで切り始めたり、ある子はペーパークラフトを相談しながら友達としていたり、個々の活動も様々です。

クラフトの教室の中をよく見てみると、本棚に専門書もあり、学校で使う教科書もありました。漫画もあります。

だからって、授業中やることやらずに漫画読んでサボっている子なんていません。

今日したいことは明確で、今やっている課題ををクリアするために考えてたり、休憩してたり、話し合ってたり、様々です。

隣のおもしろ料理店というクラスに入ると、職員の方がいらっしゃって色んな話を聴きました。

先程まで、料理のことについて発表していて、ある子はある国の料理のことを調べていたら、徴兵制に辿り着いて、そこが気になったから、さらにそこを調べて発表していましたよとのこと。

そんな風に、これを調べましょうと枠は設けても、調べたいことが料理から徴兵制へ行っても全然良いみたいです。むしろよくあることらしく、そうやって知的好奇心が広まっていくとままどこかで繋がってくることがあるので、元に戻したりはしないですよとも教えてもらいました。

大枠では、年間通してプロジェクトのクラス内だから、この時間でめあてに外れてようと、その知的好奇心はどんどん広げさせていく。

ここは、小学校だったらなかなかできない領域だと感じました。

どうしても単元目標やつけたい力に沿って、その範囲内でさせようとする意識が働いてしまう。その範囲外へ出たら、めあてって?ゴールって?といった感じで戻す意識が働くのですが、そこは関心意欲の向いたままでも一緒に楽しんで探求して、学びを応援する大人側のスタンスは大きな違いだと思います。

各クラスには、1週間分の時間割がどのクラスにも掲示されています。

これは正直小学校でもした方がいいだろうなと思いました。

学びを主体的にするということは、計画的にやるということでもあると思います。

まだ担任をしていたとき、当日まで予定を変更することもありました。教師の都合で変えることもしてました。これでは、見通しを持たせず主体性を作らせない環境をこっちの事情で用意してしまっているなと反省。

時間は2時間くくりの90分制✖️3コマ

「プロジェクト」もあれば、「チョイス」や「きそがくしゅう」という時間も書いてあります。

おもしろ料理店というクラスでは、異学年の中でも、年齢層に合わせたグループに自然と固まっていて、プロジェクトをすすめていました。

とにかく、目的は共有していて自然な対話や試行錯誤がゆったりとした時間の中で行われていることが印象的でした😌

もし小学校の教室なら時間を気にして焦らせてしまったり、指摘したくなる姿勢や学び方には注目して指導してしまうことがあると思いますが、大人は子どもの関心ごとに関心を向けて、必要な時だけ一緒に考えているスタンス。

「指導する」という言葉どころか、大人が上で管理するというスタンスは一切見えてこない。

職員は「大人」という同じ人であって、子どもと対等であり、先生でも指導者でもないので、あだ名で呼んだり、敬語も特に使うわけじゃなく人と人としてフラットに相談や話をしていました。

個人的にはここが本当に響きました。ずっとそのやりとりが鮮明に残っています。

と同時に、なんで小学校では先生って呼ばせなきゃいけないんだろう。相手はまだ6〜12年しか生きていない子どもなのになぁと改めて考えさせられました。

子どもとフランクになりすぎたら、次の学年や他のクラスとの示しがつかないからやめてほしいと言われたことがあります。

先生の威厳がなくなると、学級が荒れるという考えがあるから。

なのに、ここの子達は、高校卒業したばかりの18歳の職員が担当しても、ずっと楽しそうな時間を子どもと対等に過ごしているんです。

自分勝手にする子もいない

だって自分の好きなことに集中しているんだから、大人も子どもも、何かしないといけないことに囚われても追われてもない、自然であり無理がない。

指導技術や経験がないと学級経営ができないというのは、環境や仕組みやこれまでのこうあるべきが作り出しているもの。

一部の経験ある先生や実践を重ねてきた先生が色んな失敗を重ねてようやく主体的で、自分らしく学んでいると実感させられるクラスを作っている事例は聞きますが、そこまでいくのに何年もかかってしまうのは、仕組みや環境も大きく関係しているところかなと思います。

きのくにの大人の関わりをまじまじと側で見ていると、自分も担任の仕事に悩んだ7年目に感じた、近所やいとこの兄ちゃんのようにあだ名で呼んでくれて全然いい。

なめられないような「先生」になるくらいなら、なめられていい。けど、一緒になりたい夢や目標や悩みも対等に語り合える大人でいたい。

きのくにの大人と子どもの姿を見ていると、ふとそんな心の声が聞こえてきました。

やばい、今の小学校のシステムにあってないぞ〜とは気付きつつも、学校は大好きなので大丈夫です◎笑

次の劇団のクラスでは、何やら話し合いをしていました。今から何して遊ぶかで、アイデア出したり多数決を取ったり、よく小学校でも目にする場面です。

そこにいた大人に聞いてみると、劇団の発行する冊子づくりが終わったので、みんなで遊ぶことになったそうです。

話し合いも異学年の中でも穏やかに進んでいました。これも毎週の全校集会や普段からの対話の多さが積み上がってきているように感じました。

続いて工務店のクラスに入る前に、これまで制作してきたものの歴史が写真と共に掲示されています。すべり台、露天風呂、展望台、喫茶店などなど、完成した写真を見るとなんとも嬉しそうな子どもたち😊

やっぱりこの体験学習の価値は、凄まじい人生の学びの機会となるんだろうなとびしびしと感じました✨

楽しみに工務店の中に入ってみると誰もいない😳教室の様子を写真に撮って、奥に歩いていくとなにやら建物があり中に数名子どもたちがエプロンを着て立っています。「喫茶カーペンターズ」の営業中でした☕️

「飲み物いかがですか?」と言われたので、120円のココアに「マシュマロもどうですか?」と言われたので、15円のマシュマロをトッピングしていただきながら子どもたちと少し話をしました。

5年、3年、2年、1年生の4人組。
5年生がしっかり受け答えもしてくれて、1年生も仕事をしてます。しっかりしすぎてて、どの子もその学年とは思えない話し方でした。

確か喫茶店はお金を稼がないといけないから、子どもだろうと必死で考えて集客とサービスをしてくれているのがわかります。

ここの子は丁寧語でちゃんと話すんです。
お客さんとわかってるから、授業を聞くときの大人には使わないけど、ここで売り上げを上げるための接客には大切だと体験から学んでいるのでしょう。

説明会で聞いた、遊びではなく、仕事として授業の中で、営業していると子どもたちも答えてくれていました。

この学校の勉強で1番楽しいことは?と聞くと「チョイス」という子が多かったです。

遊びややりたいことを選択肢の中からチョイスできる時間。乾先生もペップトークでいつもおっしゃいますが「自己決定ができる=幸福度の高い生き方」なんだろうなと感じながら楽しく話を終えて次のプロジェクトを見に行きます。

ファームというプロジェクトでは、自分たちで作った野菜をちょうど調理しているところでした🔪隣の教室では採れたやさいを半分に切ってインクをつけて作品を製作中。

落ち着いた、ゆったりとした空気感の中で、試行錯誤したり笑顔で会話ばかりしている子達も。

広間へ戻ってくると、いろんなベンチを利用して、クラフトの子達がノコギリで木を切る作業中🪚

小学校だったら、危なくて置いておくことすら許されないサイズのものが、子どもが手に取れるところにしまわれていて、びっくり🪚😳

運動場へ行くと、「足つめたい!」という声が聞こえてきました。先ほど、どんな遊びをするか話し合っていた劇団チームがみんなでけんけん氷鬼を始めたらしくケンケンで使わない方の足の靴と靴下はなぜか脱いで楽しんでいました👣笑

やっぱりいいのは、学年関係なくみんなで遊んでいるという事実です。結局このチームはお昼になっても遊んでて、食べてすぐも遊んでて結局1:30くらいまで運動場で走り回っては休憩して遊んでいました🏃‍♂️

それから2階の中学校にも見学に行きました。
「動植物研究所」という1クラスだけ子どもたちが活動してました。

見るとネズミの巣を作っていました。
どうやら食堂に最近ネズミが出現するとのことで、獲ってほしいと依頼があったらしく罠を仕掛けてたら捕まったので、じゃあ生態系を調べるためにということらしいです。

ああでもない、こうでもない、こうしたほうがいいかな?と子どもたちで話し合ってもどうしでも納得感が持てない時、「〇〇ちゃんこれでいけると思う?」とこのクラス担当の大人に聞きます。

そしたら、大人の職員さんは専門的な知識を伝えたりされてました。

後でこのクラスのこと話を聞いてみると、どうやら今年度は地域の川の水について調べたい人が集まったそうです。

そうやって調べているうちに、水の不思議について調べたくなってきて、今はそっちにシフトしているとおっしゃってました。

職員の方は、そうやって自然と興味が広がることがよくあるといいます。その方も、もともと英語が専門で、生き物は趣味程度だったのに、この学校で子どもたちが興味持って調べるので、そっちも研究するようになって今は子どもと一緒に楽しんで学んでいますとおっしゃっていました。

ここに無理がないというか、自然なんだなとやっぱり感じてしまいます。

子どもも大人もこの時間に無理がないんです。
焦るとか、こうさせないととか、これをわからせないととか、そんな空気感はなく、ありのまま探求して、思考して、困ったら対話して、見学に来ている僕らが質問したらフランクに答えてくれて、なんか無理がないし、ずっと自然な子どもの姿が見られました。

子どもたちを集めて全体に「ネズミは噛む時があるからね」という話をしているときに、巣を作っているメンバーは一生懸命聞いていて、ギターの練習しながら聞いてるようで聞いてなくて子もいて、髪が緑色の子は違う大人と話していて、輪に入れない子は離れたところから違う興味のあることに集中してて、やっぱりそれぞれなんです。

僕らの質問に答えている大人の方も、子どもたちのことは心配もしてなくて、任せてたらやってますという感じにも無理がない。

上辺じゃなく、ちゃんと信じてるし、失敗しても違う方へ興味を持ってもいいと思ってる

その大人のスタンスが言わずもがな非言語を通して伝わってくるんです。

各教室には、映画でも出ていた小学校の卒業制作で作る自分の勉強机がありました。

説明会で言っていたことでもう一つ印象的だったことが、中学校で基本的には過ごすけど、やり残したプロジェクトがあったら小学校に戻ってその時間過ごしてもオッケーらしく、中学生だから小学生の学びはしないというこではないところが、どこまでも子どもの主体性を重視した自己決定と個性化と体験学習を貫き通せる環境を用意しているところに感銘を受けました。

そして、1番気になっていた運動場から見える、歴代の工務店さんが建てた建築物の数々です。

運動場から山の斜面に接していて、少し登ったところに色んな製作物が佇んでいます。

展望台やすべり台、ミュージアム、ツリーハウスのようなもの、本当にこれを子どもたちが作ったのかと感動が止まらないものばかり。

今日は新しいすべり台を製作中で、木を運んだり、防腐剤を塗ったりしていました。

見ている途中「おしり、痛った!」という声が聞こえてきます。制作途中のすべり台を滑っていた子が、大人に伝えて、他の子もみんな滑ってみます。すると、みんな痛い!とか言ってますが、ワハハ痛ったこれ!なに!ハハハ!笑い声に変わってきます。

そこで大人の人も入って、どうしたら痛く無くなるやろうなぁ?プラスチックの板敷くか、ステンレスの方がいいか、どんなものが良さそうかなぁと話し合いがそこらで起こってます。

自然と課題が浮かび上がり、自然と対話が生まれている、そこに大人が選択肢を渡したりしながら、また製作が始まっていきました。

制作物の中で、1番高い展望台は3階建!
これは登ってみたいと思い、1番上まで登って行きました🚶‍♂️

細い梯子を登って展望台の上に立った時に「これを、子どもたちが造ったのか。本当に夢が叶う学校やんか。こんな素晴らしい夢の上に今立っているのか。」と、初めて感じる感動もあり、感嘆もあり、尊敬もあり、こんなことをきのくにの小学生が、全国の小学生と同じ時間を使って、体験できるって、なんだろう、なんて言ったらいいのかわからないけど、この羨ましくて羨ましくて仕方ない感じの中に、少し悔しい気持ちもあって、それは同じ小学校に勤める教員として、自分が今までしてきたことと、今実際にきのくにの小学生の子達が長い時間をかけて創り上げたこの夢の上に立つまで、感じることがなかった感覚がずっと押し寄せてきて、しばらく絶景の自然を眺めながら、めちゃくちゃ1人で(衝撃を)くらってました。

パンフレットの裏に、デューイの言葉で
「1オンスの経験は、1トンの理論にまさる」とありましたが、この体験学習は本気でそれを裏付けるほどの凄まじい経験だと感じました。

この体験が積み重なれば、例えこの先にジャンルの違う資格や試験、プロジェクトであっても、課題にどう向き合ってどう対話してどう乗り越えていくかを何度も学習しているから、知識や理論ファーストでなくてもしっかり生きていく力、いや自分らしく自由に生きていく力が身に付いていくんだと、腹の底から納得する体験学習をさせていただいた旅でした。

いや〜くらいました。
くらいっぱなしの午前中でした本当に。

本当は午前中までが体験会の時間なのですが、どうしても「基礎学習」の姿も見てみたくて(公立小学校のものとしては)無理を言って堀さんにお願いしてもらうと、いいですよ◎と快くお返事をいただきました😌

午後からは、基礎学習です。
いわゆる知識、座学がメイン。

一緒に行った研究主任とも、ここはみておきたいよねとなったところだったので、ワクワクしながら行ってみるとまだお昼休憩中で、教室前の広場では子どもたちが思い思いの過ごし方で休み時間を楽しんでいました。

漫画を読む子、ダンスを練習する子、自分たちで作った冊子を買って下さーいと販売する子、喫茶店の呼び込みする子、実に個性に富んでユニークです。

チャイムはなく、時間になったら教室へ入っていきます。

ここでは堀さんも参加して、自分の部屋に子どもたちが筆記用具を持って何人も入っていきます。

「今日も堀さんの部屋でプリントしていい?」と聞いてくる子が何人もいて、笑顔でいいよ😊と答えている姿が印象的でした。

いくつか教室の様子を見ていく中で気づいたことがありました。それは、誰も眠そうにしたりサボろうとしたりせずに、自分で必要なプリントを選んでどんどんやっていく姿がほとんど😳

それはプロジェクトのゴールに向けて必要な知識学習をしているんです。例えばクラフトの子は、制作するときに図形の知識があった方がよりゴールに近づける知識や技術を獲得できるので、面積や平行、垂直の図形のプリントをしていたり、劇団のクラスは年賀状の書き方プリント、一斉で説明だけしてるときは、だらっとした座り方をしていても、その後は自主学習になると真剣にもくもくと学習をしている子。

堀さんの部屋では、狭いところに異学年の子たちが何人も来て、堀さんここ教えてって聞いてたり、隣のこと相談してたりしながら基礎学習をしてました。

そのプリントの種類が多いこと。
しかも全部手作り。よく見てみると、人物が子どもの写真や大人の写真、身近にある具体物をもとに問題が作られていて、なんともイメージしやすいんです。

堀さんが少し冗談混じりに「うちは職員に市販の教材なんて使ったらクビだって言ってます」とおっしゃっていましたが、これには目の前の子どもたちを見て、そのプロジェクトの目的を知って、興味の湧く教材を準備して、という全て子どもの関心に沿って動いている。

堀さんの部屋に学びにきている子達の集中力は60分経ってもまったく下がることなく、黙々と基礎学習に取り組んでいました。トータルは90分です。

その間、堀さんに色んなお話をお聞きしました。

ある教室からテレビの枠を持ってきて、これでニュースをさせてるんですと。

発信する側になってみる体験を、机に座ったり前に立ってやるのもいいんだけど、このテレビの枠を使うと喜んで子どもたちがやりたがるみたいで、解体するところから一緒に子どもたちとやったそうです。

それは実は自分が子どもの頃体験したことを覚えていらっしゃって、その時は古いテレビでチャンネルが回転式だったから、自分でテレビから手を出してカチッと違うチャンネルに変えて、また違う番組のニュースですって言う遊びをやっていたそうです笑

そうすると、アウトプットを自然としたくなるのを自分も体験から知っていて、使わないテレビを解体するところから、やってみたとのことでした。

他にも、ここは先生と呼ばせないで、呼んでほしいあだ名や呼び方で大人のことを呼んでいるのも、すごく印象的で、小学校でもやれたらいいなと言ってみたら、イギリスのとある小学校では、校長先生もみんな名札にはファーストネームを書いてそれで呼ばせてましたよ。そんな学校は世界中どこにでもたくさんあるし、ぜひそうしてみてくださいと何の躊躇もなく伝えてくださいました。

おそらく日本でも公立でもやれますよというメッセージだと受け取りました。我々の思い次第でいくらでも変わっていけると迷いなく信じているから躊躇なく伝えてくれたんだと受け取りました。

そして、きのくにで1番好きな姿は、子どもたちが堀さんって声をかけてくれたり、ハイタッチしてくれたりするときだそうです。

他にもたくさん聞いたんですが、この学校だけでなく、北九州校の3人で野球をしたい子どもの話とか、とめどなく子どもたちの話をしてくださいました。

堀さんに触れると「まず、こどもを幸福にしよう。すべてはその後に続く。」というパンフレットの裏にあったニイルの言葉をただただ体現しているように感じました。

多くを語らずともその生き方で、教育にとっていつまでも変わらない普遍的で本質的な在り方と関わり方をやさしく教えてもらってるような、そんな穏やかな中でも心は熱くなる時間でした😌

まさに巨人でした。
教育において遥か雲の上の人なのに、同じ目線でずっと関わってくれる。子どもたちもだから話しかけたくなるんだろうな。

僕と堀さんも小学校で先生と児童の関係でもおかしくないくらい先輩なので、ジャイアンのようにやんちゃで、学校のルールもくそっくらえで、先生のいないところでしか楽しくない小学生だった僕に戻れるなら、ここで学んでみたかったなぁとふと思いながら、今日の視察を終えました。

とはいっても、時間は戻せないし、きのくにはここにしかないし、明日も大好きな蹉跎小学校の子どもたちや先生たちと一緒に働く身としては、このエッセンスを伝えて、何か自校の子どもたちや先生たちが幸せに生きていけることに繋がる変化や学びを広げていきたいというところに立ち返っていきます。

僕の生きている場所は、今はここ大阪の枚方市、蹉跎小学校。

そこで何をするか、何を起こすか、どう広めていくかは、これからの自分の選択、まさに自己決定の先に待っています。

僕にはこのキャリアでの夢があります。
それは「子どもも先生も夢が叶う学校」です。

学校が将来のために何か我慢して力をつけるためだけの場所じゃなく、学期ごと振り返ったら、「こうなりたいって思ってたことが形になってる」=「夢が叶ってる」という体験をたくさん味わってほしいんです。

夢を叶えるために学校で準備のように学ぶのではなく、
夢を叶える体験をたくさんして、こうやってやりたいこと思い描いて自分なりにやってみて、
時には友達とも協力して、形にしていく体験を積んで、手応えもって社会に出ていくための場所が学校であったら最高だと思ってます。

それは先生もそう。
今自分の夢を追っている人が教えるからこそ、
聞きたくなるし、学びたくなる。

子どもも先生も夢を描き、叶えて、語り合って。
これは公立小学校でもできると僕は思ってます。

場所は違えど、やることはシンプル。

「本当はどう生きていきたい?」
に沿って、やれることを少しずつやっていくだけです。

全国にもたくさん志ある先生方、教育関係者の方、保護者の方、学生さん方がいて、どの想いもユニークで素敵で素晴らしいものばかり✨

すごい人はいくらでも、上には上がいる。

富士山の時のように、登る山決めて、足元にしっかり集中して、後は自分のペースで自分らしく一歩一歩踏みしめていきたいと思います🗻

人生において今後も忘れることのない学びとなる機会をくださった「きのくに子どもの村学園」の関係者の皆様、「夢見る小学校」の制作者の皆様、出張中も学校を守ってくれた先生たち、本当に本当にありがとうございました😌

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#自由な子ども
#1オンスの体験は1トンの理論にまさる
#まず子どもを幸福にしようすべてはその後に続く
#先生も子どもも夢が叶う学校を創っていく

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