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「春」がついてる人に惚れやすい呪い

書く習慣18日目!

テーマは

「自分が好きだと思うタイプの人」

私にかかっている「春」の呪いについてご説明します。

「春」の呪いの全容


春というのはいい季節で、のんびりとしてどこか浮かれた気分になります。

ときどきお名前に「春」がついている方がいらっしゃいますよね。
名は体を表すと言いますが、どこかふんわりとした雰囲気をお持ちの方が多いように思います。(BB調べ)

そんな雰囲気の人に惹かれるといいますか、惚れやすいという呪いに私はかかっています。

名前に「春」がついていると、その人に対して無条件にプラス印象をもってしまいます。逆に、感じのいい方だなと思って、お名前を頂戴すると「春」が名前についていて、勝手にひとりでドキンとしてしまうことがあります。

これ結局、「春」センサーが働いているせいで、自分の呪いを強めてしまっている説が濃厚なんだと思います。自分が感じがいいと思う人は他にもいるはずなのに、「春」がつく人しか憶えていないだけなんですよね。

そんなことにうすうす気づきながらも、「春」に心をときめかせながらここまで生きているわけです。


西田幾多郎の奥さんの話


そんなことを書いていて思い出したのは、西田幾多郎という哲学者のことです。教科書などでは『善の研究』という著作で名前が載っているかと思います。

どこで読んだかは完全に忘れてしまったのですが、西田幾多郎の奥さんはふたりいて、ひとり目がコトミさん。コトミさんがお亡くなりになったあとの奥さんがコトさんといいます。奥さんの名前の双方に「コト」がついていますよね。これは偶然ではないというような話が書かれていました。
(曖昧すぎてすみません。)

よろしければ西田幾多郎のWikipediaの経歴の部分だけでも読んで見てください。想像を絶する凄絶な人生を歩んでおられます。


西田幾多郎本人はどう思ったか分かりませんが、コトミさんが亡くなってしまい、その姿をコトさんに重ねていたのではないかと思うのです。
容姿が似ているとかそういうことではなく「コト」という名を持つ存在が重なるといういいますか。
人の名前というのはそれだけ存在感のある、重みがあるもののように感じるのです。


私が「春」のつく人と何があったかですって?
それは、思い出すのも辛いのでまたの機会にしてください笑


おしまい!




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