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陳情令(魔道祖師)【歌詞考察してみた①】疏林如有诉/温情

こんにちは、不香花(ふこうか)です♪
前回、華流ドラマ陳情令に登場する温情の「疏林如有诉」を和訳したので、今回は更に言葉に込められた意味などについて考えていきたいと思います。

ちなみに和訳した記事がこちらです!
原文+ピンイン付きで載せているので、よければご覧ください。

陳情令をご存知の方なら歌詞を読んだだけで「あぁ、あのことね!?」となりそうですよね。私ももれなく胸を痛めました…(笑)きっと誰の楽曲も、こんな風に葛藤や作中のシーンが散りばめられてるんでしょうね。これからがとても楽しみです。

ということで、さっそく歌詞を考察していきましょう。



疏林如有诉

まずはタイトルについて。
英題はwoodland「林地、森林地帯」という意味がありますが、英語にも疎い私はforestと何が違うの…??となりました。人の手の入っていない青々と苔むした森がforestで、多少なり人の手が入ったり規模が小さかったりするものがwoodlandなのかな?

そして、原題の「疏林如有诉」
訴えること疎林の如し。この疎林についてですが…

疎林(そりん)は樹木の枝・葉の密度が薄い森林のことを指す。通常の森林であれば連続して影が作られるが、疎林では太陽光が木々の間から、地面まで差し込んでくる。

疎林が成立するのは、植物の生育条件としてよくない点がある場合であることが多い。たとえば土壌の栄養分が乏しく、乾燥、酷寒、強風などの厳しい気候、あるいは樹木を傷める動物や昆虫などにさらされている場合である。
Wikipediaより

やはり自然の恩恵を目一杯に受け、すくすくと育つことが出来るforestな環境ではなさそうです。幼い頃から温氏の中で抑圧され、その後も温氏というだけで弾圧され続けた彼女達を指しているのでしょうか。

〝心は石だと思っても結局人は草木にあらず〟

人を救う医師でありながら、思うように腕を発揮出来ない立場にあった温情。
温家に傷付けられる人達を見ても何も出来ないジレンマを抱えながらも、力のない一族を見捨てて逃げる訳にはいかない責任感。何より弟が平和に暮らせるようにという姉の愛情。ずっと耐える日々が続いた先に、漸くひっそりとでも穏やかに暮らせるようになったけれど、最後は魏無羨の運命を悲惨なものにしてしまった責任を取るため金鱗台へ向かった彼女達。

守るために自分を押し殺し続けた温情と、守るため型を破っても正義の心に従った魏無羨は対照的ですが、上の言葉は温情にも当てはまる気がします。

だからこその疎林の訴えなのでしょうか。




Aメロ〜温氏の運命〜

遥か彼方より鈴を揺らす風
共に夢見た一族はいつにか散り散りに
すでに定められし運命は誰の手によるものか
底のない闇 深く沈みゆく
いくら藻掻けど抜け出せずに


温の名が背負った罪、あるいは温若寒が支配していた頃が歌われています。
まず冒頭から、物語の中で印象的に使われている鈴の音が想像できます。霊識を象徴するかのような音なので、温氏傍系である彼女達が金鱗台で命を差し出し、儚く散ったことが示唆されていますね。

温情達がようやく、温の名の呪縛から逃れて得られた平穏。厳しい環境ながら、魏無羨のおかげで初めて過ごせた笑顔の日々。しかしそれも長くは続かず、見えない誰かの手により破綻してしまいます。どれだけ慎ましく無欲に暮らしても、仙家にとっては温氏であることが罪でした。


そして別の時間軸で見ると、温若寒が陰鉄を手に抱いた野望により、温氏の中でも様々な意見や疑問が生じ、バラバラになったようにも解釈できます。温若寒に賛同できない一族は弾圧、または粛清されたのではないでしょうか。

温情もまた、温若寒に逆らえば自分だけでなく一族や、大切な温寧にも危険が及ぶ。育ててもらった恩があるからというのを言い訳に、温情はもうずっと前から自分の運命が人の手にある事を悟っていたのでしょう。どんなに藻搔いても変えられない、温氏に生まれた時から若寒に従うしかなかったのです。

とはいえ登場した当初は何となく人間味が感じられませんでした。温若寒に従う中では穏便派という印象です。座学で奔放ながら人の為に手を差し伸べられる魏無羨と関わったり、江厭離との関係を見るうちに心境の変化があったのかもしれませんね。大梵山での騒動の際、温晁の独断とはいえ自分の一族を捨て駒として扱われた不信感からかもしれません。




Aメロ2〜金丹の移植〜

忘れがたい恩讐はあれども
金丹を与えるなど馬鹿げた行為
聞き入れたくはない
いかに手を尽くしたとて全ては水草の如く
この世にまた救えぬ痛みが一つ


温情から魏無羨に向けたパートです。
彼女は移植をする本当にその瞬間まで、彼の成そうとしてる事に賛同出来なかったんでしょう。誰も知り得ない苦痛を耐えた先に、仙師としての明るい未来は二度と開かれない。しかもその事実を隠し通さなければいけない。自分は険しい道に送り出すことしかできない…。

いかに手を尽くしたとて全ては水草の如く
この世にまた救えぬ痛みが一つ

この部分、温情は根っからの医者気質なんだと感じられて切ないけれど好きなんです。止めても聞かない魏無羨の頼み通りに施術をしたけれど、一生どうにも出来ない傷、痛みを彼に背負わせてしまった。温情もまた心を痛めていたんですね。

「水草」から連想される儚さ、頼りなさ、波や流れに揺られる様子は、熱心に治療してもまた新しい疾患に悩まされる人々への嘆きと定められた運命に抗えない温情の無力感が重なります。




サビ〜江澄から櫛を渡された日〜

門の内 映し出されし偽りの栄光
突き放した優しい手
胸の奥には済世の心を密やかに
栄華を極める為 心を捨てて守る必要があるのか
冠するだけで虚しく悪名が木霊するこの名を


夷陵で囚われていた温情が解放されたあの日です。
偽りの栄光とは徐々に風向きが悪くなり始めた温氏一派のことを指しています。そして突き放したのは江澄の優しさ。

温氏にいても裏切り者として扱われ、温氏を離れたとしても名前が邪魔をして非難を受ける。そんな温情を見ていられず、淡い想いを抱いていた江澄は手を差し伸べようとします。しかし彼女には彼女の守るべきものがあるため断ったんです。自分一人が運命から逃れるなんて出来ないと。

だからといって、再び温若寒に従う暮らしに戻るつもりもなかったのでしょう。胸の奥にずっと秘めている想い、医師として人々を救いたいという想いに従うためです。温の名を守ることに葛藤を感じた温情、作中に細かな描写はありませんが本当は自分の境遇を呪い、医師として新しい一歩を踏み出そうとしていたのかもしれません。




初考察まとめ+注釈


最後になりますが、実は「栄華を極めるため~の一文は自分なりの解釈がかなり加わってます。

投之以桃何须留我名姓
これを投げるため桃を以って
どうして名を留める必要があるのですか
いや、その必要はない

と訳したのですが、どうしても“之”と“桃”が何を指しているのかがはっきり読み取れず……

之→前の一文にある“済世の心”
桃→長寿の象徴→一族の繁栄

として解釈しました。桃は心臓や心、万病の薬の象徴なのかな…ともうっすら思いはするのですが、やはり之の指すものが済世の心以外に思い当たらなかったので( ;∀;)


それにしても、初めての考察でしたが自分の頭の中にあるものを文章にするのはなかなか難しいですね!ふわっとしたイメージでしかなかったものを、改めて整理できてとても楽しく有意義でした。思ったより長くなっていて、途中自分で驚きましたが……(苦笑)

無事に1番を書き終えたところで、キリがいいので続きは次回にしたいと思います。ここまでありがとうございました♪
またお会いしましょうね。

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