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文章置き場:『斜陽』
再読本。
引っかかった表現、ウワア!ってなった表現を厳選して置いておきます。
恋、と書いたら、あと、書けなくなった。
ここに書かれてあるのは、経済学という事になっているのだが、経済学として読むと、まことにつまらない。実に単純でわかり切った事ばかりだ。いや、或いは、私には経済学というものがまったく理解できないのかも知れない。とにかく、私には、すこしも面白くない。人間というものは、ケチなもので、そうして、永遠にケチなものだという前提が無いと全く成り立たない学問で、ケチでない人にとっては、分配の問題でも何でも、まるで興味の無いことだ。それでも私はこの本を読み、べつなところで、奇妙な興奮を覚えるのだ。それは、この本の著者が、何の躊躇も無く、片端から旧来の思想を破壊して行くがむしゃらな勇気である。
私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明かりの気持、あれが幸福感というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。
僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。
結局、僕の死は自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。
少し長めだから抜粋はしなかったけど、直治の手記が好きだった。
太宰治、1950、『斜陽』角川書店。
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