見出し画像

備忘録 22-11-18

言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり

――言而当知也、黙而当知也

『荀子』

発言して核心を衝く、これは「知」である。沈黙によって核心を衝く、これも「知」に他ならない、というのだ。『荀子』はさらにこう語っている。

「多弁だが、発言のひとつひとつがツボをはずさない。これは聖人である。寡黙だが、発言すればすべて法に合致する。これは君子である。これに対し、多弁であれ寡黙であれ、言うことがでたらめなのは小人である」

そして、つぎのように断言している。「黙するを知るは言うを知るが如し」。沈黙の意義を知ることは、発言の意義を知ることだ、というのである。発言するだけが能ではない。 沈黙によって意志を表明することも、同じくらいに重要なのだという。沈黙の効果―― これを知る者は強いということかもしれない。

むろん主張すべきときには主張する。だが、つまらぬことを主張するよりは、沈黙を守ったほうがはるかに説得効果の高いこともありうるのだ。

以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より

今日も一日顔晴りましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?