「性愛」とは?ジョングクくんのテーマとは?
わたしはその時々でハマるものがコロコロ変わります。ハマる?というのか、短期間集中して、あるものにフォーカスするんですけど、その時は、なんでそればかりフューチャーしているのか、自分では分かんないんです。前回までは「弁論術」「防衛規制」でした。その前は「女性性」「男性性」で、それより前は「ホロスコープ 」。
フォローさせて頂いてるnoterさんのnoteを読んで、ジョングクくんのソロ活動が与えた影響について考えるんですが、彼の作品が、「性愛」あるいは「差別」について、人々が普段生活の中で意図しない部分を、今回、意図して意識的にさせた部分があるんだなあ、と感じた。
これって、すごいことだな!と思って。
BTSがこれまで作品に対して真剣で、ジョングクくんが真面目で一途な青年だと言うことを知っているから、ファンがそれぞれ、自分の中の普段意図していない部分について、真剣に内観しようと試みた訳で。結果的にかもしれませんが。
でもこれって、しかしものすごい大多数のマスに対して、意識を拡大してるよな…と…。
どういうことかというと、自分が無自覚に取っている態度や考えについて、曲を聴いたたくさんのファン達が、自分の意識を意図しよう、意識的に、一段洗練させようとした、ということですよね。それって、ファンダムに限ってかもしれませんが、世界の数%を底上げしてませんか…?
最近のパクチーの興味は、「性愛」です。「性愛」ってなんなの。そして「性犯(性的犯罪)」。そして「LGBTQ」の人たちの、欲求や恋愛関係についてです。なぜ?分からん。でもこれ、この興味、明らかにジョングクくんが社会に与えた影響から発生してるので、ジョングクくんの影響力って強いわ〜〜〜と実感している次第。
「性愛」。というより、「性欲」って何なの?ってことかもしれない。
「性欲」を、ゼロポイントとして、プラスにもマイナスにもどっちにもガーーーーーっと振れる体験を、こいつがもたらすわけだから、だからジョングクくんの「性愛マックス」の楽曲の受け取り方が、極端にばらけた訳ですよね。
この機能ってなんなの?
これはわたしが大信頼する助産師さんから聞いたお話ですけど、男性の性欲は20才あたりが平均的なピークと言われています。そして、女性の性欲のピークは、35〜45才なのだそうです。
元気ギンギンの若い男子のいる一方、若い女性は、パートナーに対して、手を繋いだり、ハグをしたり、一緒に過ごしたりという、心のつながりを感じるスキンシップをして、安心を感じたいという欲求を持つ。ギャップよな。しかし男性にも、ホルモンバランスの変化に伴って、35〜45歳あたりで、そのターンがやってくるのだそう…!その年頃の男性って、社会的責任も上がって…まあ、とにかく…疲れてません?「ただ、手を繋いだり、ハグをしたり、一緒に過ごしたりして安心を感じたい」、それがその年代の彼らの心理的欲求なんですって。
これを聞いて、確かに!自分が同級生と付き合っていた学生時代、彼氏に対して確かにそー思ってたわー!というのを懐かしく思い出しました。手を繋いだり、ハグをしたり、一緒に過ごしたりしたいのに「なんで毎回ヤりたがるんだ?」。若かりしわたしが求めてたのは、恋人を通して、心のつながりや安心を得ることだったのに、自覚してちゃんと相手に求めれば得られたかもしれないのに、それができなくて、相手の態度に不信や不満を持っていってしまったのかもな。
それが、「男女が逆転する」のだと知って、かなり、わたしには、衝撃的で目から鱗でした。産後クライシスを乗り越えるのに、「そこから始めて下さい」、というのが優しい助産師さんの助言でございました。その世代の男性パートナーがいる方は、普段から手をつないだり、ハグしたり、よしよししたり、されたら嬉しいかどうか聞いてみて下さい…多分喜ぶと思いますよ…!今だったらわたしも、逆に、若い男子の脳内バグってる感じも、心理状態も、何となく理解できるし、多分心情に寄り添える。と、思う。
この「性欲」が本能か?生殖の?というと、わたしは違うんじゃないかな…と思っている。
そこで「LGBTQ」の人たちに興味が湧くのですよ。
YouTubeで、一部のゲイの方々やレズビアンの方々が、性に対してオープンに話してくれているのを、わたしは興味深く見るのですが、基本的に彼らの性的欲求は、生殖本能とリンクしてない訳ですよ。じゃあ、だけど恋愛感情を持ったり、欲情したり、肉体関係を持ったりして、「この求める気持ちってなんなの?」「心を求める気持ちは?」「体を求める気持ちは?」と、考えようとすると、むちゃくちゃ、純粋に、「性愛」「性欲」は独立して存在してるのでは?という考えが起こる訳です。
ところで。パクチーは、20〜25歳くらいまで、舞台の裏方の仕事に関わっていました。関わって初めて知ったのですが、舞台の世界って、演出家と演者の肉体関係ってま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜多〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いのよ。ま、全部は知らないし全部がそうじゃ勿論ないと思いますが。あと映画とかTVがどうかは知らないですが。初めて聞いたパクチーが、「…えッ…ーーーーーーーーッ!??!!」ってなってるのを見て、演出助手の先輩女子が「あ〜…その反応、新鮮ですね〜…」って、言ってた。
表現の世界のプロが、一般人と感受性が違うのを、それは摂理である。彼らの感受性がモラルの範疇にないのを、それは仕方ない。というような、それについて、スタッフは、ああ、もう、別に…だから…?って感じで、誰も!!全く!!気にしていない!!
最終的に、「ここにいる女性たち、時期は違えどほぼ全員〇〇〇では…?!?」と憶測する頃には、わたしはそこで演出家と3年ほど恋人関係であった後だったので、そこに自分が含まれるのかもしれない…と思ったら、それはそれはガクッとしましたね…。そうして舞台の世界を去りました。まあ理由はそればかりじゃないんだけど。
舞台とか表現の世界って、自分の身体と中身、その中にある全要素を、どれだけ、一瞬のうちに適切に出せるか、が、勝負できる全てなんですよ。これって、他の職種の人たちと比べると特殊だな〜と、それは後から思ったんですが。取り繕ってる内側の全部が、必要な素材なんです。で、その部分でコミュニケーションを取るんです。その時に、そういうコミュニケーションを取るのに非常に長けてる人というのがいて、だからそれが出来る人たちというのは、始めから心と心の距離感がものすごく近い。独特の触れ合いをしてるんですよね、舞台上で。これは音楽も一緒だと思います。
で、その時に、エロスのある人と、エロスの無い人がいるんですが、無い人って、不思議なことに、ほんっっと、どうやっても!無い!んだよ!ね!
表現する人って、好奇心旺盛だったり、自分の感覚と違うものに関心を惹かれたりする。舞台の上でだけ見せる、表面の仮面の隙間から見える内面みたいなものと、自分の内面を触れ合わせた時に、自分とその人の間で起きるケミストリーを、「もっと見たい」「他に何があるか確かめたい」。そういう探究心があって、それを追求する好奇心が勝った時は、一般的なモラルというのは、彼らにとってプライオリティが俄然低いんだなー。
と、いうのがパクチーから見たプロの芸能の世界の人たちの印象です。
これはパクチーの世代と、それより上の世代(つまり今の40歳より上)の印象で、下の世代はもっとモラルがあって、他者への好奇心、あるいは性欲が薄いのかな〜〜という印象。ちなみにもう他界されてるような銀幕の世代は、もっと性欲お化けのようだったようだ。聞いた話。
それでね。それとは別に、性犯の話。最近よく見てるVtuberのかなえ先生の動画が良かったんでシェア(【恐怖】こんな人が周りにいたら絶対に逃げてください【Vtuber解説】)。これは、これから大学生になる人とか、上京する人とか、見て損は無いのではないだろうか。性的犯罪の分類と、それぞれの動機の違い、刑務所でどういう再犯防止プログラムが実施されているか。
これ見て、わたしは非常に頭がすっきりしました。
あらゆる性欲の中で、性欲というか性的行為の中で、ここに類するものが完全に問題であると。それは全体の中では一部なんだと。一部なんだけど、この問題の部分の気配を感じる人と遭遇したら、一も二もなく退避せよ、と。
性欲が結果、他者に対してトラウマになる行為にもなり得る。それが「魂の殺人」と呼ばれるように、その時非常事態モードになった身体が、常時オンになりっぱなしであるのが「トラウマ」と呼ばれるもので、それが、いつ解除されて日常の身体感覚に戻るか分からない。一生かける可能性だってある。それはもう、愛とは何の関係もない。関係性でもない。文字通り「魂の殺人」だ。
認知の歪みの度合い、あるいは精神の健全さの度合いが、犯罪を生む背景にはある。これは性犯だけでなくて、あらゆる犯罪について、どうやらそうであることを、最近わたしは学んでいる。でも、だったら、認知も精神も、まったくの健全、どこにもバイアスがない人っているかな?っていうと、いないんじゃないか。「どこもちょっとずつ狂ってる」っていうのが、この社会の一般人なんじゃないのか?というのが今のパクチーの考えてることです。
だからこそ、「認知の歪み」とか、神経症に対する認識や改善の手段について、身近に知っておくことって、もっと当たり前の知識として、あっていいものでは?どこにも問題のない親からの教育を受けた人って、まあ、おらんと思うのよ。令和は令和で、昭和の親とはまた違った種類の、アンノーマルな環境で子供を育ててる人もいるかもしれないし。多かれ少なかれ持っているそれぞれの歪みと不健全さを、人とのコミュニケーションを通して、少しずつ少しずつ修正して行くんだな。それが、わたし達が他者と触れ合って、あるいは親密な関係になって、日々行っているチャレンジだと、わたしは思っている訳です。
その大きな人間社会の営みの中で、社会のセーフティネットのポジションにいる人達がいる。少年院の先生も、そういうひとりなんだなと思った。ある人に起きている問題の奈辺が、認知なのか、神経症なのか、治療の部分なのか、それを読み解く能力と、「この人は変われる」と信じる、大きな、しかし依存させない愛がすごくあるんだな、と、動画を見ていると思う(紹介したVtuberのかなえ先生は、元少年院の法務教官)。すっかりぐしゃぐしゃにされた自我の部分に心を痛めるシンパシーと、「その子がそこに存在している」という、無垢なエネルギーに向けた、これは愛だよなあ、と。ありがたい、拝みたいような気すらする。
話はまた飛んじゃうんだけど、「LGBTQ」関連のYouTube動画で、FTM(Female to Male=女性から男性への性転換)のゲイの人の話を見て、女性だったけど、男性になり、性的対象が男性である、というその複雑なプロセス?を経たという人の存在が、結構わたしの頭の中の思考のボーダーにひっかかってるんだよね。ど、どゆことだ?みたいな。そしてまた、ゲイの男子が、レズビアンの女子と友達になる過程を見て、わたしの中で両者はかなり別質なものとして接点がない印象だったんだけど、自然体で少しずつ心を許して行く様子に、革新的な、「新しい時代感」を感じている。
彼らは積極的に、努力して、自分の中の思考の壁を崩そうとしている。と、傍目に見てて感じるんだよね。そういう意味でイノベイターだし、目の前の人間に対して、愛を持とうと努力している。そん時って、とても、知性的であり、理性的であり、かつ自分の情動に嘘をつかず、最高にバランスを取ろうとしようとしている、とわたしは感じてしまう。そう、彼らが自分の意識の壁に侵食するものに対面している時って、だから見てると、ちょっとどきどきする。
そしてニューハーフとか、クイーンとか、「自分はゲイだから、女装子でも心が女だったらNG」とか、グラデーションが細かすぎて、分類が複雑でぐっしゃんぐっしゃんで、ひとしきり見ると、「もう性別って…なに??」。そこまで行くのはあっという間だった。
それで「性欲」の話に戻る。
ここまで書いてて思ったけど、「性欲」とは、陰と陽の補完なのかな。自分の持ってる要素、に欠けてるものを、相手からもらって補完しようとする行為なのかな。他者と性的行為を持つその先に、自分の中の「女性性」と「男性性」が、丁度バランスよく統合される状態に至るのかもしれない。
すごく大きな視点で見れば、「女性性」と「男性性」の統合に、「出産」と「保育」という要素が含まれるのかもしれない。逆に子供を持たない人は、そのプロセスがなくても、上手く統合できるような人なのかもしれない。
「女性性」と「男性性」を完全に統合するとどうなるか。
ボーダーが無くなるというのがわたしの感覚です。人を分けるボーダー。性的自認。人種。犯罪歴。人をカテゴリで分けないで、バイアスをかけないで、「その人」として、「生きてる無垢な魂」が自我という情報をまとっている状態、として見るようになるんではないか。
だから…ジョングクくんがテーマにしてるものって、これって、実はものっっっっっっっっすっっっっっっごいよ!ってことがわたしは言いたかったのでした。これ、追求したら、人類の秘密が解けるんじゃないの?!ってくらいすごいテーマだと思ってるの。性愛。
アルバム『GOLDEN』は、多分、全編色恋物の、全編英語の楽曲なんじゃないか…とわたしは予想してるんですが。アルバムの予告Teaser見て、「おお!K-POPの冠を外したな!」と思った。でも、K-POPの冠を外したことで、かえってくっきり残ったものがあるな、と思って。彼が韓国人だということが逆に印象深いな、彼を育てた土壌がK-POPだということが、かえってはっきり見えるな、と、そういう気がした。
ちょっと抽象的でふわふわしてますが、これが最近の考えてることです。最近の考えてることは、都度都度小出しにしないと、何か結論が見えてから書き始めると重すぎちゃうので、このくらいで出しとくか!と思って。
いや〜〜。すごいな、ジョングクくん。
それではまた。
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