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BTS「Black Swan」の詩を日本語に

こんにちは。パクチーです。
今回は、最近パクチーの頭の中で鳴っている「Black Swan」の世界を、パクチーはこんな風に味わっているよ、ということを楽しんでいただけたらいいなと思って、初めて翻訳にチャレンジしました。韓国語のスキルゼロ、中学英語、うーん…レベルのパクチーが、原詩と、公式MVの英訳とを、オンライン辞書と首っ引きで、日本語ver.もやや参考にしつつ訳しました。歌詞としてではなく、詩として、その世界が成立することを目標に言葉を、語尾を選びました。原曲を聴きながらだとより楽しめるんじゃないかと思います。それではどうぞ!

Black Swan

とにかくお前のことをやるんだ
僕もそばにいるから
とにかくお前のことをやるんだ
僕もそばにいるから
僕のするべきこと、僕のするべきことって何なんだ、教えてくれ
教えてくれよ Yeah, yeah, yeah, yeah

ああ 胸が高鳴らないんだ
音楽を聴いても
気持ちを上げようとしても
時が止まっているみたいだ
これは、僕がいつもずっと恐れていた一番目の死なんだろうか

このまま、僕の心が震えることがないなら
このまま、僕の心が動かなかったら
これが一番目の死になるのかな
今、この瞬間がそうなら
まさに、今

ゆっくりと脈打つ鼓動だけが耳の中で、ドク、ドク、ドク
逃れようとも、その渦中へ、落ちる、落ちる、落ちる
もうどんな歌にも感動しなくて、声無き悲鳴を上げる

一切の光が沈黙した海 Year, year, year
彷徨う僕の足取りをも掬われ Year, year, year
どんな音も聞こえてこない Year, year, year
もう、耐えられない
もう、耐えられない
なあ、聞いてるか

まるで惹き込まれるように、ゆっくり沈む Nah, nah, nah
藻搔いても周り全てが海 Nah, nah
すべての瞬間が永遠になる Year, year, year
さあ、撮れよ
さあ、撮れよ
なあ、聞いてるか

とにかくお前のことをやるんだ
僕もそばにいるから
とにかくお前のことをやるんだ
僕もそばにいるから
僕のするべきこと、僕のするべきことって何なんだ、教えてくれ
教えてくれよ Yeah, yeah, yeah, yeah

より深く、そう、僕はもっと深みへ向かっているはずだ
度々焦点を見失いはするが
今は放って置いてくれ
いっそ自分の足で行くんだ
僕が飛び込むよ
最も深いところで
僕は僕を見た

ゆっくり僕は目を開ける
僕は作業室にいる、ここは僕のスタジオ
また暗い荒波が僕のそばまで押し寄せても
もう決して取り込まれたりしない
僕が僕を見たその中に

高鳴る鼓動が耳の中で、ドク、ドク、ドク
目を見開いて自分の森へ、飛び込む、飛び込む、飛び込む
何物も僕を食い荒らすことはできない
力の限り僕は咆哮を上げる

一切の光が沈黙した海 Year, year, year
彷徨う僕の足取りをも掬われ Year, year, year
どんな音も聞こえてこない Year, year, year
もう、耐えられない
もう、耐えられない
なあ、聞いてるか

まるで惹き込まれるように、ゆっくり沈む Nah, nah, nah
藻搔いても周り全てが海 Nah, nah
すべての瞬間が永遠になる Year, year, year
さあ、撮ってくれ
さあ、撮ってくれ
なあ、聞いてるか

とにかくお前のことをやるんだ
僕もそばにいるから
とにかくお前のことをやるんだ
僕もそばにいるから
僕のするべきこと、僕のするべきことは? 教えてくれ
教えてくれ Yeah, yeah, yeah, yeah


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翻訳後記

まず、「Do your thang」の訳し方で日本語訳は諸説ありますよね。検索したネイティヴの説明を見ると「得たいキャリアのために邁進する」というポジティブな表現みたいです。何が正しいって分からないですけど、パクチーが「Do your thang !」って言われたら、「お前の分担を、タスクをちゃんとやれ!」って言われている感じがします。「Keep going ! Keep going !」と繰り返すのを日本語にすると、「とにかく行け」というニュアンスを感じます。最初のシークエンスは、そんなムードを込めたステージの袖での会話のイメージがありました。精神的、肉体的な余裕がない共演者に対して、「とにかくお前のやることに集中すればいいから。俺も見ててフォローできるところはするから」という会話、ままあります。しかしこの曲の冒頭を舞台袖にしちゃうと、本番前で「What's my thang , tell me now」となると、かなり錯乱している風になっちゃいますが…。へとへと、もしくはへろへろなんですかね。わたしがそういう解釈にしちゃったのですが。へろへろの誰かが、「これが、俺がこんなになってまでやりたかったことか?これが本当にやりたかったことにつながるのか?」と、本質的な問いで返答している、そんなイメージが湧きました。

ナムさん(RM)のパート、「<直訳>これが私をも鳴らすことができなかったら」ですが、「これ」は音楽を指し、英訳「resonate」は共鳴の意、「心に響く」「琴線に触れる」という表現に使うみたい。ここのナムさんのハンドサインが涙が流れるようすを表しています。「感動」だと言い過ぎかなと思い、日本語で近しい表現にしました。「音楽が自分に影響する」「自分が音楽に反応する」、今、この二つのことが起こらない、このままずっとその状態が続いたら自分はどうなるんだろう、というシークエンスだと思います。

さあ。諸説その2は「Killn'  me now」と「Film it now」でしょうか。「killing me」は日常に起こることをオーバーに表現する時に、実際の生命の危機とは違う、「まじ死ぬわー」の方の「死ぬ」の意の慣用句として使われるみたい。「やってらんない」「うんざりする」など。そちらのニュアンスの方が適当なのかな…と。自信はありません。

「Film it now」は、「薄い膜で覆う」という訳もあります。それも詩的ですてきです。ナムさんがVLIVEで言及していました。「すべての瞬間が永遠になる/撮ってくれ」の歌詞が劇的な効果もあり、一番好きだという話でした。

ここで、そもそも冒頭部分から、この歌詞の独白が1人でいる自室でなく、カメラの前で、いっそのこと本番中に起きているところを想像します。MVで前半、白い衣装と黒い衣装があるように、まっぷたつに分かれた、二つの心が1人の体に同居している。「<直訳>もがいても四方が海」とは、本番中にもその笑顔の下で感じている感情なのかもしれない。最高のパフォーマンスの美しい瞬間が記録されて永遠に残るのと同じように、最高に落ちているその瞬間さえもカメラに晒されて記録されている。彼らには長大な時間カメラが張り付いています。「四方の海に囲まれもがいている今この瞬間までも撮りたいんだったら撮ってくれていい」という、どんな瞬間も永遠に残されることを受け入れている、そういう役割を引き受けた自分を受け入れている先の「Film it now」かもしれないな、と思いました。BTSだからこそ書ける歌詞だという気がします。

さて。2番、ホビ(J-HOPE)のパートが始まります。ここからパクチーは、静かなところで、1人感じている内面の世界を説明しているのかな、と思っています。落ち込んでいる様子を見るとみんな心配して、気を紛らわせることを誘ったり、「あまり考えすぎるなよ」と言ったり、あまり深刻にならない方向へ誘います。しかし「シロ(嫌だ!)」と。死ぬほど耐え難いが、そこに何があるのか分かるまで、内面に潜るんだと。

ここでSUGAの「僕のスタジオ」と、現実に切り替わるところが秀逸です!!むっちゃ感動しますここ。すごい長い旅をしたような、トリップから醒めて、しかし現実には何一つ変わっていない。何ならPCモニターの前で、音楽ソフトが立ち上がってて、カーソルがチコンチコンしている。同じ色、同じ蛍光灯、同じ景色。ただ前と今と明らかに違うもの。自分です。

音楽に対して無感動になる期間、「<直訳>激しい波/真っ暗な」の存在、その精神状態を引き起こす根底には自分がいる。ここでは「最も深いところ」にいた自分が何を言っているのかは語られていません。アビスやね〜!しかし、その深淵(アビス)の自分に「引かれていく」「get dragged」、これは意に反して振り回されるというニュアンスだと思います、それは「<直訳>絶対にまたそうなることはない」と言います。

「<直訳>二つの目を開いて僕の森で jump  jump  jump 」で、前半「海」だったのが「森」になります。海から離れて森に来たのでしょうか。それとも海は森の中に?「Map Of The Soul」魂に描かれている地図、そこに自分が何を内在させているか、知る、何が起きているか見えている、自分で自分のことが分かっている、だから対峙できる、という状態です。パクチーは「森」は、そこはクリエイションのフィールドである、というイメージを受け取ります。

リフレインで前半の苦しい状態が再現されます。でもこれは自分の「Map Of The Soul」の一部に描かれている海についてを描写する、すでに「知っているもの」です。現在進行形でその渦中にいる時にはできないが、「知っているもの」になった時、苦しかった海の絵を描いたら、それは「作品」になっている。それがこの曲になりました、パチパチパチ、という構成です。かくして暗い海は、彼らが使える色彩の一つになったのです。

ここに描かれた苦しい状態を「スランプ」とすると、途端に軽っ!!となりますが、わたしはスランプのことを描いていると思います。大なり小なり繰り返し体験し、その度に自信が無くなったり無能感を感じたり、将来を不安に思ったりします。しかし「やり過ごして耐える」方法を獲得した、という表明に聞こえます。ちなみにお腹が減って脳に糖が足りなくなると、本っっ当にびっくりする程どうしようもないメロディーしか出てこなくなります。クリエイションってとかく脳が糖を使うんだなあ〜…と実感した時でもありました。あ、どんどん話が矮小に…。いや、でも本当に、深刻なスランプは心底辛いものです。「職業変えないといけないのかな…」と思いますし。そして、スランプをただ、「スランプだ〜何も出てこない〜うぇ〜」と自室でのたうち回れればそれはそれで結構ですが、ゆったりスランプにも嵌れないくらい詰め詰めのスケジュールとアウトプットとが課せられ、対外的にはにこにこしていなければならない時、本当に分裂するかと思います。思うでしょうね。想像するだにしんどそうです。

しかし、やっぱりきっと、それを見なければ先に進めないという深部には、自分が潜在的に欲している「色」があるのだと思います。パクチーはそう考えるようになりました。黄色と白だけで、光に溢れた美しい、見ている人が幸せになるような絵を描きたいと思う。でもわたしは何が起きているか分かりたい。黄色と白だけでは、何が描かれているのか良くは見えないでしょう。そこに暗い色があることで、何が描かれているのかが良く分かるのだと。自分が体験する感情は、自分が使える色が増えるということとイコールなんだと思っています。わたしはまだまだ、持てる色彩を豊かにして、それでわたしから見える世界を描き表すことを、喜びが多そうだと思っているみたいです。

ところで、全然関係ないけどトム・ヨークにも「Black Swan」という曲があります。このアルバム、持ってたんだけどお友達に貸したらそのまま返ってこないなぁ…あの子元気かなぁ…。この度初めてちゃんと歌詞見たら、暗っ!!ちなみにこのアルバム「The Eraser」、いくつかの曲は、歌のないトラックだけでご飯3杯行けるというくらい、リズムトラックが好み。ああパクチーが本当は暗い人間だということがバレる…。

あと、この方のオーケストラアレンジが秀逸なのでご紹介。これはちゃんとBTSの「Black Swan」ですよ。

この方DTMでやってると思うけど、クラシック楽器を使った曲をコンピューターで、その楽器が演奏しているように作るのは難しいんですよ。技術がありますね〜。アレンジも、オリジナルをちゃんと受け取りながら、オリジナルが持っていないニュアンスの複雑なことをやっているセンスの良さにも、完全に脱帽です。ああ作曲続けてなくて良かった…。

急に思い立って取り掛かりましたが、思っていた以上にむちゃくちゃ楽しかったです!訳詞の世界観も人によっていろいろですからね。彼らの歌から、歌声のトーンから、楽曲のアレンジから、展開から、彼らの振り付けから、表情から、MV演出から、「こういう感じかな?」とパクチーが持ったイメージでした。

迷いがあろうと、自分を疑おうと、目的地を見失おうと、「Do your thang」、今分かっているやるべきことをただやるしかない。辛いのも難しいのも知ってるよ。だから「with me now」。一度距離を置いてこの曲を遠くから眺めると、万人へそんな淡々としたことを応援する愛にも聞こえてきます。


それではまた!

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(お子の落書き有り)

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