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野に放たれた、美しい野生動物たちだ

こんにちは!パクチー です。ごめんね、書きすぎ?書きすぎだよね?いろいろな考えが止まらないんだよね…掬えた!いい感じで全部掬えた…!と、思えた端から新しい考えが湧いて溜まってしまいます。またそれについて考えて…

という時間が楽しくもあるのだが。

わたしは【防弾会食・前】までのBTSについて、何となく全体を、作品の方向性や目指すところ、それに込めたそれぞれのテーマみたいなものについて、ある程度の深さで見えている、理解している、共感している…!と思っていた…!

そして【防弾会食・後】、その全てを見失っている…!

今のBTSが、全然分からなくなってしまった。彼らについて持っていると思っていた理解を、掴めなくなってしまった。

この変化は何だったんだろう?

と思って、

つまり、檻の中にいた7種の美しい野生の獣たちが、檻の外に放たれたようなことなのか。←今ココ


パン・ヒショク氏の作ったパッケージ

サバンナの中心に、綺麗な細工の施された、大きな檻があるという…

その中には、世にも珍しくも美しい、7種類の野生の獣たちがいた…

パクチー心のポエムより

つまり檻とは、パン・ヒショク氏が作ったプロデューシングの方向性のことであるが、

わたしが、BTSについて理解できているという気持ちでいられたのは、彼らが美しい檻に入っていて、全体をよく見やすいように、丁寧に見せてくれる人が、最初からおられたからだった。

パン・ヒショクさんが作った綺麗な、大きな檻は、見えやすいように気が配られ、美しく整えられ、【夢・希望・前進前進】というピュアなパワーで満ち満ちていた。

そうしてわたしたちは約9年の間、本来はどんな性質なのか、底知れない力を秘めた野生の獣たちの、整えられた美しい毛並みを、珍しい輝きを、しぐさを、心ゆくまで安心して眺め、楽しむことが出来たのである。

ところで彼らは檻の外に出ることにした。

【夢・希望・前進前進】という檻を出て、野に放たれたそれぞれの性質で動き出した彼らを、今、わたしはどういう気持ちで見たらいいのか分からない。全体を分かりやすく説明するパッケージはもうないし、これから見るのは、これまで見てきたようでありながら、見たことのない姿で、野生の生き物なのに、檻はない…!安全か…?安心か…?!その展望を、個々であれ全体であれ、俯瞰して予測することの出来る人は、どこにも、誰もいないのである…。

しかし、その檻のとびらとは…

実は、2年前から開かれていたのである…

パクチー心のポエムより


【ON】よりさらに後…で良かったね!!!のこと

アルバム『MAP OF THE SOUL:7』がグループで活動するとりあえずの区切りだったかもしれないということで、わたしはそれ以降に発表された個人の音楽をもう一度聴いてみることにした。

そう。よく考えたら、ソロ活動はこれまでもあった。Agust DもといSUGAくんの「대취타(デチタ)」やJ-HOPEくんの「Chicken Noodle Soup (feat. Becky G)」など、レベル高く作られたMVもある。ジンくんの「슈퍼 참치(スーパーツナ)」などの例もある。

檻の中は【夢・希望・前進前進】で整えられたショー及びドキュメンタリーが常時展開されていたが、そしてそのイメージこそまさに、企業が彼らをフロントに起用しようという時、人々に印象づけたいと期待する像であると思うが、

実は檻のとびらは閉ざされている訳ではなかった。とびらの外に出て行って、【夢・希望・前進前進】以外の、檻の中では肯定されない世界を展開させることは可能だったのだ。とびらの外で活動する者には、きちんとサポートも与えられていたのであった。

そして、例えば「tictokゾンビ、お前らの顔に唾吐ちゃるわ」(デチタより)などの歌詞を、Vくんは絶対に書かないと思ったし、「振られた彼女のことが頭にこびりついて離れない」(byチャーリー・プースさん)というだけの歌詞をジョングクくんに歌わせて「曲ができた!」と、RMくんは思わないだろうと思った。もちろん良い悪いではない。ピンクのジャケットの上下揃いで歌うジョングクくんはめちゃめちゃかわいい。よっ!チャーリー・プースさん、えらい!と思ったし、生まれも育ちもバックグラウンドも何もかも異なる二人の、良さを掛け合わせたMVは、次の世界に至っている希望を感じさせた。

つまり、改めて聴いてみたら、音楽的な性癖みたいなものが、まるで違うのである、この人たち。

これまで個人のワークは、本業の合間になされていた。いわばおまけというか、趣味というか、サブであった。

しかしこれが、今後活動のメインになるとしたら、むしろ、一緒にいて同じ音楽やってることの方が不思議に思えるくらい…………

この方たちの音楽性、実は、まじ、異星レベルで全く違う……………!!

アルバム『MAP OF THE SOUL:7』は大作だ。曲数も多く、これこそ「防弾」の意味をこれでもかと詰めていた、本当に集大成だった。

だが、わたしには、重かった。重すぎて辛くて、ちゃんと聴けるまでに時間を要したくらいに。

だから、当初予定されていたように、もしこのアルバムツアーを最後に今回のような告知がなされたら、ファンはこの度よりもっとメンバーたちから引き裂かれるような感じを持ったかもしれない。

『Ploof』のカムバック、音楽番組の収録で、演奏直後のメンバーたちは、「これが信じられない」という目をしているように見えた。今から、ここで、7人に向けられている情熱を、7人いて感じられる一体感を、何のために、なぜ手放せると思ったんだろう?手放すの?本当に?去り難い、引き剥がされるように葛藤している心が、瞳に映っているように見えた。

「Yet To Come」がそのために書かれた内容であるにも関わらず。

だから、『MAP OF THE SOUL:7』が区切りだったら、その内容も相まって、生木を割くような痛みを彼らも負ったかもしれないなあ…そう思うと、この2年、彼らに語りがたい苦悩があったとして、「今のタイミングだからより良かったのでは?」と、わたしには思えるんである。


「Dynamite」〜「Permission to Dance」の期間とは

なので、逆説的に言うならば【ON】以降でソロ活動が決断されるくらいそれぞれに独自の音楽世界を持っていた彼らが、「それでも、皆で新しい曲をやろう」となったならば、あれだけ異なる音楽性を持った同士の彼らが音楽的に合意するならば、それは本当に、メンバーそれぞれの持てる最上級の、最善の、ポジティビティを持ち合って活動していたからこそ、それは実現したのではないだろうか。

そうでなかったら、あのスマッシュヒット群は、あれだけ人々の心を打つことが出来ただろうか。彼らはあれだけの数のパフォーマンスを繰り返せただろうか。

「この曲だったら、7人でやる価値がある」、「このメッセージだったら、自分は毎回ベストをこの曲に込めることができる」、

その、純度の高い一点で、全く異なる音楽性の7つの魂が、合意しているのである。

その期間の活動が、素晴らしくない、はずがない。

これは個人的な、そうだったらいいな、という憶測だけど、とはいえ7人は、あの7人で持てるシナジーを、他で得難い奇跡のような場を、愛しんで去り難くも思っていたのじゃないだろうか。【ON】以降2年もの間グループ活動が続けられた理由には、その全員が一緒にいる中に自分がいる空間からの「離れ難さ」があったのじゃないか、そしてそれはなぜかと言えば、メンバーたちが、素で、とてもいい人たちだったからである。いい人で、優しくて、力があって、配慮があって、そんな人たちに常時囲まれている安心を、楽しさを、信頼を、豊かさを、活動の苦労とは別に、最も愛しんでいたのは彼ら自身だったのじゃないかなあ、と、いう気がしている。

個人的な音楽活動の面では、やっぱりメンバーそれぞれ進め方が違って、その違い方も、本当にそれぞれだ。それが少し明らかになった期間でもあった。

SUGAくんの場合、言わずもがな、ソロ活動中心になろうがなるまいが、やりたいことは言われずともガンガンやるし、後輩の指導までしておられる。これまでで十分にソロ活動の下地があるので、ただただ彼自身にかかる制限がなくなるようなことなのだろう、と想像できる。

J-HOPEくんの場合、わたしは一番痺れている…こんな人おるんやね…。Weverse Magazineの『Ploof』発売インタビュー、から察するに、彼はおそらく相当早い段階から、「BTS」のグループとしての活動と、自分の世界を追求することを、並行して相乗させていたようだ。彼はBTSの目指すものと、自分の嗜好が、ある部分では一致し、ある部分では相違していることにずっと自覚的だったのではないだろうか。グループの活動のこの部分は、自分の個人の活動にこういう風に役に立つ、個人で追求していることが本当に通用するレベルに達しているか、グループ業で試してみよう…と、日々の仕事の中から、目的と目標を明確に定めてスキルアップしてきたようだ、己自身を高めるために…。一番万全の準備をしていたのが彼で、かつ一番能動的で合理的にグループ活動していたのも彼だったのかもしれない。

Vくんの場合、最近の彼の聴いている曲、また彼の以前からの好みみたいなものから想像すると、彼の今の音楽的嗜好は、現在のポップシーンからすると大分クラシックなようだ。こういう曲を作るには音楽的素養がかなり要る。彼が書いた曲を消してしまうことは以前から語られているが、わたしは何となく、彼の作りたい音楽に対して彼の音楽的な素養が追いついていないために満足行くように書けないのではないか?という気がちょっとした。これを身につけるには数年単位の時間がかかる。わたしは、オリジナルの楽曲とは別に、ジャズやブルースなどのカバーアルバムなんかやってみるのは、とてもいいのじゃないか?と思った、勉強になるし実力もついて一石二鳥だし、何より若い人たちにとってそれが昔の良曲に触れる窓口になるのなら、とても素晴らしいことだと思うのだけど!付録に小さな写真集付き。

ジミンくん、ジンくんはどうなんだろう…やるとなったら徹底的にやる!という気はするけれど…。そして徹底的に作り込んだジミンくんのMVが見たい!!ジョングクくんは…どうかな?ショートピースをたくさん幅広くやりそうなイメージ。楽曲のフューチャリングだけじゃなく、ショートフィルムの監督とか、アニメーションとか、絵本、レシピ本、エクササイズのメニュー本、カメオ出演…一番数多く、一番活動が多岐に渡りそう。


歳をとることを選んだ少年

少年たちが、【夢・希望・前進前進】、しみもしわも疲労も隠して歳をとらず、永遠の少年、昇りきったその後はその場で足踏みを…イメージを遵守する為に…

のようであったイメージを保つのと、個人の世界を分離して持つことを、他のメンバーがしていたように平行してはできなかったRMくんは、ある意味最も【防弾少年団】の【少年】そのものだったのかもしれない。【防弾少年団】の歩みと彼自身の歩み、成長は、常に一致してきた、彼こそは、防弾少年団の一部だったのじゃなく、彼が、そのものだったのかも。

両方を一度に持つことは出来ない。彼らは檻を出る。年相応の歳をとることを選んだ。年齢相応の目で世界にアプローチして、【夢・希望・前進前進】だけでない、この世のありとあらゆる要素を自分の表現として自由に使うことを選んだ。

でも、RMくんがもし次の提案を作品でするなら、それは「大好きな人たちと集まって食事をすることが、ただただ幸せなことである」という、全ての人が持つべき最もピュアな幸せを得ていることと同義かもしれない。誰にとってもそこから始まり、そこに帰結する、最も意識高く訴求すべき万人のテーマ。そこへ至る為のソロの旅路…なんちて。

自分のありたい状態を妨げる要素を取り外した時、望む状態になったら、すらすらと滞っていた歌詞が、さくさくとリズムが、出てくるかといったら、それはそうであるとは限らない。でも、彼は自分が手間と時間と関心をかける必要があると思った自分の中の要素について、初めてちゃんと、じっくり腰を据えて、育て始めることができる。

フランス、済州島、ソウル。Instagram上で、自分の足で自分が決めた歩道を自分の力で歩いている様子を見て、ほんのり、心の片隅が、ぴりぴりっとした。

「俺たちは選んだよ。きみは?」

得難いものをいくつも得て、有名で、幸せで、だったら多少の不自由さは甘んじて受けるべきなんじゃないの。安定して不足はなく、幸せなのだったら、いくつかのことが叶わないとがっかりするのは不平不満なのじゃないの。

しかし彼らは、リスクを負って、代償も払って、彼らのような職業なら仕方ない、甘んじて受けるしかないと思われてきた、自分で選んだ道を自分の足で歩き回る権利を、ついに、得た。思い立って1分でチケットを取って済州島に行くフットワークを手に入れた。自分を縛る条件を自分たちで取り外した。彼らが血反吐を吐いて獲得したものの、最も自分たちを束縛した部分のみを取り外すことに成功した。きみは?きみは幸せであるにも関わらず、縛られていると感じるものは何もない?幸せの代償だと受け入れている不自由さは本当に何もない?彼らよりずっと制限のない、不自由でないはずのわたしたちは、どこにでも行けるはずのわたしたちは、何かの制限を自分に思い込んでいないか、その背中に問われるような気になってしまう。

これはすごいことだ。すごく、能弁な…背中…。

美しい野生の獣たちは檻の外に出た。そして思い思いに歩き始めた。

わたしたちは、それを「見ていていいよ」と言われている。「いつも一緒だよ」と。

今、地続きの平原にいる彼らは、同じ目の高さに立っている。間を仕切る柵はない。目が合うならば、相手の目を通して見えるのは自分自身だ。自分の姿を見ると果たして自分は、彼らと同じく、あるいは違う野生動物であった。彼らがわたしたちの目を通して見るのは、彼ら自身だ。

パクチー心のポエムより

BTSを、檻の中で完成されたひとつのカテゴリーとして見てきたわたしは、ばらばらに歩む彼らを見て戸惑った。プロデューシングの方向がないことに戸惑った。

しかし、はたと、待てよ…

これは、BTSというプロジェクトが、檻の中だけをフィールドにしていたのを、サバンナ全体がフィールドに変わったようなことなのかな。

そしてそのサバンナ全体というフィールドの中に、7種類のプロジェクトが同時進行している、ということなのか…。

それがchapter2…。

つまり、彼らが【BTS】を負いながらソロをすることを選んだという言葉通り、彼らひとりひとりの今立っている場所がBTSの範囲で(つまり世界中のかなりの範囲が)、7人をそれぞれプロジェクトリーダーに、7種類のプロジェクトが同時多発的に進行する、というのが、これまでに代る新しいBTSの「状態」なのかも。

と、今感じている。

ジミンくんのWeverse MagazineのBTS『Proof』発表インタビューを読んで、ジミンくんが、彼が成長した分、同じく成長した他のメンバーたちが、自分に合わせてメモリの伸びる物差しのように、今の自分の獲得している状態を的確にフィードバックしてくれる、メンバーたちとはそういう存在なのだろうか、という気がした。それは本当に安心で心強い、自分のためだけにあつらえられた、完全にフィットする空間のように感じられるのかもしれないなあ。飛び回った刀が収まる鞘のような。刀が伸びると、鞘も伸びているみたいな。

「ああ、そうか。彼らは、BTSは、例えそれぞれが物理的に遠くにいたとしても、同じ係数を共通して持っている稀有な関係同士なんだ。」と、ジミンくんの最後の返答を読んでそう思った。


その係数とは、身体に刻まれた7なのかもしれないが。




それでは、また!



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