秘技「わたしには分かんないけど…きっと凄いんだろうな」
こんにちは!パクチーです。
思い立って独学を始めたホロスコープの、奥が深すぎて、多分入り口のところでうろうろしているだけなのですが、分からないなりに、すごく自分について、他人について、人生について、見え方が変わった。
どう変わったかというと、
「全て、過程だ…」。
つまり、ど〜〜〜んな人の、ど〜〜〜〜んな状態も、星達が順繰りに連結していくプロセスだから、良いとか悪いとか、無いのね!
わたしは「起きていることは全て正しい派」に属している。誰しも、今の状態は何も間違っていないのか。ただ、そういう順番で必要なことを学んでいるんだな。という。必要なことが起きている。と、今、ますます、「その過程なだけ」、と感じるようになりました。相反するもの。使ってないもの。自分の中のそれら同士の、連結中。連結の真っ最中。人によっては人生の後半でアクティブになってくる要素もあるようだし、ずーーーっと変わり続ける、ずーーーと全貌が分からない、
でも、星達がつながってくると、ものすごく楽しい。
人生とは、そういう試みらしい!
魂のDNAがホロスコープだとしたら、これらの情報が記載された魂でもって、肉体の中にひゅっと入る訳だが、一方、地球という霊体の上で、地球の素材で構成された肉体の扱い方については、五行(木火土金水)とか、アーユル・ヴェーダ(ピッタ・ヴァータ・カパ)とかが極まっているのかもしれないなあ、と思った。あっちにせよ、こっちにせよ、「淀み」が良くないんだろうなあ。淀んでいる部位には、何かが溜まってしまう。そのことのネガティブを良く知っていて、それを良く研究した古代の人からの、回避するための知恵であるような感じがした。滞って、動かなくなって、流れがごくわずかになってしまってる部位。穢れ。こうけつ。アーマ。
こちらのサイトのJavaで、日付を入れると生まれた日の天体の配置が見られる。
実際の太陽はむちゃくちゃでかいし、そのでかさと明るさの前後で、水星の小ささよ(わたしは太陽と水星がコンジャクションしているが、水星は太陽の後ろ側だった)。自分の生まれた時の地球から見て、木星、土星の大きさとか、自分で絵に描いてみたりして、ビジュアルで生まれた日の配置に思いを馳せると、なんだかとても不思議な感じがした。
この配置が、なんで自分の性格に関連するの?
全く理由が分からない。
だけどそれぞれの天体が内部に持っている中心的なエネルギーの要素を、きっと、引力とかそういったことで不思議と取り込んで、自分の力として使うことができる、など…そういう感じのことなのかしらん…。
宇宙は、星達が発してるエネルギーで、ぎゅうぎゅうに満ち満ちてるのかなあ…。
最近良くYouTubeを見ていて、昨日はRED Chairの坂東玉三郎さんのインタビューを見たんだが(全ての所作が美しくて完璧なので、目の前にいらしたらきっと何事たりとも発せられないだろうな…)、
玉三郎さんが、「才能」とは、「誰にとってもあまり理解できないもの」「(あるとか、ないとか)答えられない問題」。「個性」は「こういう体型、こういう顔つき、というものだけなんじゃないでしょうかね」。
つまり、才能は語れない。個性は身体にある、というようなことをおっしゃっている。
養老孟司さんも、個性は身体にあると言っている。身体的な特徴、それが個性だと。自分の性格のどこかにある変わらないもの、あるいはどこかへ自分探しをして見つけに行くようなものじゃない、と。
動画の最後で、玉三郎さんは「魂」とお書きになる。インタビューでは「どうしてこの仕事を始めたか」「個性について」尋ねられていた。けれど、それらは「生まれ来た時に魂が宿った、その魂」である、「だからその魂のことをしゃべれないということが分かってくる」、とおっしゃっていた。インタビュアーはあまり意味が分かってなさそうだったが、それは…、
つまり…!
それとは、ホロスコープのことではないか…!
それらは、魂の設計図にあらかじめ書いてある。「才能」「個性」「どうしてこの仕事を始めたか」は、それぞれ皆んなが持っている固有の星の配置について、ある一側面から説明しているにすぎない。ある一側面だけ見て才能をもてはやしても、全体を見ると分からない。成長の過程でバランスは変わる。
一見見えているそれは、「才能」とか「個性」なのではなくて、「人ぞれぞれ、皆んな異なるネイタルチャート(ホロスコープ)を持っている」と、ただそれだけ。と、玉三郎さんの発言はそういう意味に思えてくるんである…!
星の配置が生かされる環境を選択すれば、その人は才能があるように見えるだろう。星の連結のさせ方が、個性に見えたりするだろう。でも、全部の星は、全ての人に、初めから、優劣なく、満遍なく平等に搭載されている。とある誰かに才能があるとかないとか言えないのは、そして、魂レベルでは「違う」と言える程には個性が違わないのは、
プロセスが異なるだけで、
全ての人がやっていることは、
最終的には同じ、
どれだけの星を
どのような順番で
どのくらいのレベルで
連動して使えるか。
そしてどこでボトルネックを味わうか。
2023年のBTS FESTAで、リーダーのRMくんが「ラジオ番組」という趣向のステージパフォーマンスを行った。
その後の花火イベントの直前、RMくんが歌って退場した曲が【Wild Flower】で、わたしはかつて、この曲にはRMくんがお守りのマントラを込めていると書いた。
RMくんがこのイベントで歌った【Wild Flower】が、あんまりに素晴らしくて、「うっわ、BTSってこんな人がリーダーだなんてすごいな」、と初めて観る人みたいな感想を持ってしまった。本当に、もう、本当に、今そのステージで起きていること全てが、彼が望んだ事が、望んだようにそのまま実現している。彼の中のどこも滞ってない。歌詞に込められた祈りが実現している。ように見えた。彼の中の全てが綺麗に流れていた。
特設ステージも、ラジオ形式も、客席の配置も、今まであまり見たことのない様相で、わたしは正直に言えば初め、どう楽しんで良いのかちょっと戸惑った。でもRMくんは、事前にリハーサルされてなさそうな段取りが、時々スムーズに進行していなさそうな場面でも、彼の中は何も滞らず、落ち着いてて、自然体だった。彼が望んだ彼のあるべき姿でいる。その内側にあるものの流れ方が、すごく美しいと思ったんだよ。留まらず、前へ前へ。
その、流れていて美しい、滞ってなくて美しいという感覚は、
彼の星達全部が、喜んで連結している状態、
彼の中で「宇宙のパーティー」が起きていて、
それを見て感じる、美しさなんじゃないかなあ…。
最上の安定。
先日お店に若いお嬢さんがいらして。
自分が働かなくても食うて行けるビジネスプランを考えていて、いい物件に出逢ってしまったのでまず飲食から着手するのだと。今秋より。当分は料理が好きでも上手くもない自分が料理を提供することになるが、飲食未経験につき、何かアドバイスを下さい。24歳。
「…い、飲食って難しいからな〜…」
「うーんと、飲食がやりたいとか言うより、事業家になりたい人なんだね…?」
どこから突っ込んで良いか分からずに、絞り出した発言が上記であった。
彼女が帰ってから、「わたしは何て言うべきだったかな〜」と考えた。
「わたしにはちょっと分かんないけど…、実現したらきっと凄いだろうな!」
わたしが考えたことのない発想、思いついたことのないプランで、「それって実現可能なの?不可能?」てんで分からないや、と思って。
何か下からアドバイスを求められると、格好良い格言を一発、「あなたは〇〇で、〇〇すればうまく行くよ」と、言ってあげたい!啓示を与えて、有り難がたがられたい!と、つい思ってしまう。
でも飲食にそんなものはない。そして仮に、全てをわたしの思う通りに彼女が考えを変えてくれたとして、それで事業が成功する訳でもない。
わたしは自分が普段接することのある、島の格好良い諸先輩方とのコミュニケーションを思い出して、彼らは第一線の第一人者だけど、決して専門外のことについて無責任なアドバイスをしない。うちの飲食の色々な悩みについて、「俺じゃ良く分かんないな〜」と、正直で、決して格好つけない。でも、「がんばって。○○が要る時は融通するよ」、などと言って下さる。格好つけなくても格好良い!のは本当に格好良いから!
相談してくれた若い彼女が、今そのアイデアにぴぴぴんと来てるなら、その先にしか、彼女の星が動いて行く出来事が起きないのだ。彼女の中に今あるアイデアを実現させる過程で、彼女は自分に必要なことを、順に学んで行くのだろう。
失敗するのは全くダメなことじゃない。成功するかもしれない。失敗したって良い。それはわたしが扱える範疇のことじゃない。
横から、飲食企業コンサルでもないわたしが、わたしと考え方の異なる部分について冷たくダメ出ししたら、それは単に意地悪以外の何者でもないのよな。だって答えでも何でもないんだし。
どんな結果を生もうと、彼女の「思い」の先に起こることしか、彼女の人生を作らない。
彼女が自分の星を「動かそう動かそう」としているのを、
第三者がそうさせまいと、
「それ無理じゃない?」
と妨害するのは、
それって一体、自分のことを何様だと思ってるんだ?という気もした。
だから、
「わたしにあなたのホロスコープは分からないけど、あなたはそれを必要とする星回りを持っていて、もし実現させる星の配置なら、それはわたしのこれまでで知らないものだから、実現したものを見てきっと凄いと感じるだろうな」
それを要約すると、
「わたしには分かんないけど…凄そうだな!」
が、一番自分に嘘がないんじゃないかと思った。
この態度は、結構汎用性があるのでは…?!
若い人と接してて、否定したくないけど、アラも見えてしまう。だけどそれって別に間違っている訳じゃないじゃんか。共に協働するケースだったら、「ダメーーー!!!」って完璧に言うと思うけど、彼らの主体的に考える生き方や働き方が、わたしの選択とどこもかしこも違っていたとしても、極力尊重したい。手も口も出さずに見守りたい。
そして自分のことについて訊かれた場合、自分がどのように考えて、どう選択したか、だけを答えるようでありたい。「あんたこうしなよ」って、本当に、若い人に、無責任に、言えない!時代が!違いすぎて!これからの世界がこれまでと違いすぎて!
ところで。
LGBTQの色々なニュースを、最近はオンラインでちら〜っと目にすることがある。が、保守の県民性、島の暮らしでは全く日常に関係がない。
若い頃、かつて舞台の仕事で歌舞伎に関わった時、「ゲイかな?」と思う男子が幾人もいた。友達が新宿二丁目に連れて行ってくれて、楽しい時間を過ごしたこともある。わたしは自分が同性愛の人に実際会うまで、誰も彼も良い人に違いない、と思い込んでいた。きっと苦労しただろうから、若くても、皆んなが皆んな、人生相談に優しく乗ってくれそうな、懐深いゲイバーのママのような人格者なんだろうな!
実際には、人格者もいれば、下ッ衆い人もいる。当然だった。異性愛者だろうと何だろうと、人格者もいれば、下衆い人もいる。そして大多数はその中間のどこかだろう。
日本人だろうと。
どこの国の人だろうと。
どんなセクシュアリティだろうと。
人格者もいれば、下衆い人もいる。
その人の星が、どのくらい連結していて、どのくらい連動して動いていて、どのくらい疎通ができていなくて、どのくらい循環しているのかな。
どの段階なのかな。
どんな段階だって間違ってないし、その人はその人にしかない人生を歩んでいる最中だが、それを感じ取ることができたら、その人を今どのくらい信用するか、どのくらい自分はコミットするか、納得して選択できるんじゃないかな、という気がした。その時、LGBTQというフィルターは不要なんだよな。
ホロスコープを知る前まで、他者は、「自分にとってどう」という基準でしか見ていなかった。あるいは「子供にとってどうか」。
その、せっまいせっまい基準の、
ぱかーんと底が抜けて、
青天井になったみたいだった。
ワイドは自分が出会う数だから、急には変わらないんだけど。
…すっげえな!
これ、すごい違いだと思うんだが!(当社比)
今回久しぶりに漫画を描いて、娘(8歳)に、最後のコマがわたしにそっくりだと言われました。似ているそうですよ。そして「どうして色つけて描かないの?きれいな色いっぱいで描いてよ」と言われる。
わたしは色が苦手でな〜〜。ほんと色のセンスがな〜〜。
次回描く時は色を、3色くらいから初めてみようかな。
それでは、また!
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