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MBTIの心理機能で、色々分かっちゃった話

こんにちは、パクチーです。

前回のnote(『BTSとMBTIとカッティングボードと(前編)』)でわたしは、MBTIについてちょっぴり独学したことで、「8つの心理機能」という考え方に触れました。

パクチー、この「8つの心理機能」についてもう少し分かりたい。難しい。ネットの説明を見てもはっきりとは分からない。本来ならば、きちんとセミナーを受けてアカデミックに学ぶようなことなのでしょうが、それでもわたしの場合「これは自分に置き換えると何に相当するだろうか?」と自分の言葉で思索することで、いくつか気付くことがありました。

今回はその経過、わたしの日記的なnoteです。


そもそも心がやってるのは8コに分類できるのか

かの有名なユングさんが、「心がやってんのは知覚と判断だぜ」と提示されたところからして、「ほんと?本当にそうなの?」というところがまず分からない。そして知覚は、「感覚」「直感」に分けることができる。判断は「思考」「感情」に分けることができる。それぞれが「外向的 (e)「内向的(i)な働きに分けて、計8つ、「心がやってる働きは8つに分けられるんだぜ」、と、言われたところで、「え、知らんがな」なんですよ…そんな風に感じたことない…。でも、このことに興味があったユングさんが、一生懸命長年研究してきたユングさんが、そう言うなら、そういうことにして、とりあえずそれをコンセプトとして利用してみようと、わたしは考えた。

意外に出番の多いこの図

わたしは自己診断で自分を「INFP」だと思っているんだが、そう診断されないことも多い。その理由は、おそらく「INFP」にしてはとある心理機能が低すぎるからなんじゃないかと思っているのだが、

その低すぎる機能とは「Si」のことである。8つの中で格段に低い。

ところで「Si」とはなんだろうか。


Si、Si、Si…わたし「Si」別に低くないで

Si」、すなわち、「内向的感覚」。ここから先はパクチーの独自解釈になりますのでご容赦下さいませよ。

「感覚」とは五感ってことですよね。体、ですよね。身体、神経が扱って、脳が処理している情報ですよね。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、そして平衡感覚、温感、振動感覚、痛覚、などが含まれるらしい。

自分、対、別の何か」との感覚を「外向的感覚」とするならば、「内向的感覚」は自分の体内に起きていることに対する感覚ではないか。

わたしは、例えば「背中のここが凝ってるから気を流そう」とか、滅多にないが強い薬を飲んだ時に「体の中をこの順番で効いてるな」とか、整体を受けて内臓があるべき位置に「今、しゅんと動いて収まったな」とかが分かる。締め付けるような下着や服を着ると、体内の流れが滞ってイライラする。体内の身体的な感覚、別段低いと思わないけどなんで…と考えている間、ひとつ思い出したことがあった。

「あ、これわたし、自分でカットしたじゃんか」

結構鮮明な記憶なんだが、小学1年生くらいだったと思う。生まれた妹はまだ赤ちゃんで、わたしは母に、知人の家へひとりでお使いに行くよう頼まれた。その見知ったインターホンの前で、わたしはそのボタンを押すのが、緊張して、なかなかできなくて、皮膚の下をぞわぞわと、お腹の中がざわざわと落ち着かなくて、しばらく玄関先でその感覚を味わっていた。すごく、不快だ、この「緊張する」という身体感覚を、感じたくない。「緊張」するという感覚のせいで、このミッションが妨げられている。だったらわたしは今、この緊張をやめよう。緊張を感じない人に今、変わろう。そしてわたしはインターホンを押して、その時から緊張しない人になった。

「これはなんて有効な方法だろう!」。性格は変えられるんだ。決意一つあれば。「嫉妬」「後悔」。望む目的を妨げる自分で扱いづらい感情、体の中を渦巻く不快感、その不安定さにドメインされる自分自身が手に余った時、わたしは、「決めた、わたしはこれから今後、嫉妬しない人になる」「後悔しない人になる」。そして自分を、そのようにな人になったんだと、変わったんだと、消えて無くなったんだと、子供の頃に発見した効果を、大人になってからも結構長い間信じていた。「努力で性格は変えられる」。


そうだった、わたしは真逆の性格だった

子供の頃のわたしは、『となりのトトロ』の「サツキちゃん」のような感じだった。活発で、かしこくて、物怖じせず、正義感があって、器用で、運動神経が良くて、休み時間に何をしていなくても席の周りに人が集まった。親や先生が求めるものが何かよく分かり、応えることが出来る自分に自己肯定感があった。わたしは家庭では長女で、妹が二人いた。自分の分のおやつは絶対やらないせこいお姉ちゃんだったけど、親が不在のシーンでは自分が保護者の役割をしなければいけないと思って、自己を抜いて、上から自分を俯瞰して機能しているような感覚があった。家族でファミリーレストランに行って、デザートを頼んだことがなかった。「それは両親に負担がかかるから言っちゃいけない。わたしが言ったら妹だって欲しがるし」。だからわたしは、大人になってから年上の人とデートをして「デザートは?」と訊かれても、注文することを罪悪のように感じていた。自分が何を食べたいのか、デザートを食べたいのかすらも自分で分からなかった。

つまり、限りなく小さい幼児の頃は分からないが、わたしはもともと「Fe(=外向的感情)」が高くて「Fi(=内向的感情)」が低かったのである。周囲が求めていることは察するが、自分の気持ちはよく分からない。小さい頃から絵を描くのが好きで、工作が好きだった。しかし「どうやったら先生受けがいいだろう」と考え始め、小学4年生の頃、自分で見て明らかに作品はこじんまりと、小さくまとまったつまらないものになっていた。母親が先生をしていたためにずっとピアノをしていた、「音大に行きたい、一番成長できる時期に受験勉強で時間が取られなくていいように、中高一貫の学校を中学受験しよう」。ピアノはすごく楽しいと思ってやっていたわけではなかった。音大に行きたかったのは、それがやってもやっても、やってる程には上手くならなかったから、満足しないで長く続けられると考えたからだった。

目的のために、手段を考える。わたしの能力は繰り返しで習得した「Se(=外向的感覚)」が支え、方針は「Te(=外向的思考)」で取る「〜すべき」論で、MBTIで言えば「TJ(思考・判断型)」寄りの性格タイプだった。打算的。策略。気に入られたい人に気に入られるために、どういった人物を振舞うべきか。物怖じせず、出しゃばりすぎず、打てば響き、前向きで、「それが出来る」というのが、社会に出てからしばらくの間の、自分のセルフイメージだった。


心理機能を抑えるとどうなるか…体は止まる

この、仮称サツキちゃん、小学生の頃のわたしであるが、無事中学受験を突破する。希望の女子校に入り、成績は中の上で思ったほど良くはなかったけど、意識の高い、それこそサツキちゃんみたいな子ばっかりの級友に囲まれ、先生に期待されて生徒会にも立候補して、生徒会のメンバーは大変面白く、充実して過ごしていた。サツキちゃんは剣道部に入る。似合いそうである。

中学2年生の時、突然1週間学校を休む。朝、目が覚めてもなんとなく起きられない。どこも具合は悪くない。ただ気が向かないのである。親には「体調が悪い」ということにしてとりあえず欠席したが、2、3日しても起きられる感じがしなくて、結局1週間休んだ。休んでけろりと翌週は学校へ行った。自分では何が起きたか分からない。すっきりして学校へ行ったが、それ以降、「1週間休む」はたびたび起こる。「1週間」はだんだん期間が伸びて、中学3年生の頃には「高校に進学はできない」と思うようになる。

「いい大学へ行って、いい会社に就職して、いい人と結婚して欲しい」。わたしの通った学校は進学校だったので、正直言えばそのためにあるような学校だった。母がそう言って聞かせるので、それがいいんだろう、と、わたしはなぜか「音大に行く」という目標と母の掲げる目標はあまり矛盾せず、両者は並列で頭の中に存在していた。やりたかった習い事は全部させてくれた。望む中学に行けるよう全面サポートしてくれた。「わたしの望むことが、母が望むことだろう」くらいに思っていた。

それなのにわたしの「Fe」は突然母を裏切るのである。

朝起きて、目は開いているが、体だけは動かない。ただ目を開けて、窓から見える小さな空を見て、1日が終わる。暗くなるとほっとして、「やっと1日が終わった」と思う。寝すぎで頭が痛くて、頭が痛いからまた寝ていたが、多分本当は寝ていたかった訳じゃない。行かなくて済むために他に方法がなかったから、身動きが取れなかった。

こうなったきっかけについて、わたしは全然記憶がなくて、前触れなく気が付いたら自然に移行していたので取り立てて考えたことがなかったのだが、これについて何かを思い出そうとすると、わたしが起きられなくなったことと、時期が前後しているのか、関係があるのか、ポップアップする記憶がある。

公民の授業で、先生が「全国水平社」の宣言をコピーしたものを配った。わたしはその文面を見て、何かがすごく込み上げて、泣いて、喚き散らしたいような、けれど授業中に泣いたら恥ずかしいので飲み込んだ。わたしはそれまでの育った環境で、同和問題について、被差別部落の方たちについて、その存在について、まったく無知だった。それがあるということさえ知らなかった。文面に込められた熱さにただただ打たれ、そこに関係する人たちを取り巻いて起こってきた感情が波のように打ち寄せ渦巻いて、動悸がした、コピーを見ながら目眩を起こしそうだった。

学校で新しい知見を得て、わたしはほんの少しだけ賢くなって、世界を認識し直して、帰宅するなり母に訊いた、「わたしがもし、被差別部落の人と結婚したいって言ったらどうする?」。あれだけの熱い思いが行きつかないなんて、考えてもみなかった。80年経って、ただ彼らの願いが行き届いている世界になっていることを、自分の身の回りで確認したかったのだ。

母は「それは無理よ。それは駄目」と、言った。母は、わたしの叔母がかつて被差別部落の人と結婚しようとして親戚中に反対され、結局諦めたという話もした。わたしは反発したが、「それがどういうことか、あなたはまだよく分かってないのだ」と言われ、確かに。わたしは知らない。それがあるということさえ今日知ったくらいなのに、社会的にどうとされているか知らない。

けれど、あのコピー用紙が叫んでいることは真実だった。あれは叶えられるべき願いだった。わたしはそのことが、言葉じゃなく自分が深く理解していることを、自分で分かっていた。わたしの母は、わたしを思うが為に「いい大学へ行って、いい会社に就職して、いい人と結婚して欲しい」と言った。母の考える「幸せなわたしのいる世界」、母がわたしに歩ませようとしている社会に、被差別部落の人たちはいない。母が想定している社会のカテゴリから、彼らは排されている。あれだけの聡明な魂のレベルの高い人が、あの文章を書かなければならなかったことに対して、自分が選べない出自を業として背負わせ続けて成立する社会のあり方に対して、そこでどんな風に自分が成功したとしても、わたしは自分を幸せだとは思わないんじゃないだろうか、と思った。

思った、と書いたが、中学生当時はそんなこと全く思いつかなくて、反発したきりそれ以上言葉にすることもできず、ただ、起きられない、親の願うルートを走るレールから、体が勝手に滑り降りてしまったのだった。

このまま母の願う「いい」社会を目標にしては走れない。このルートは「わたしが思う幸せ」の状態には続いていない。「このまま学校に通い続けたらバカになる」。当時持っていた感覚を今の自分が翻訳すると、「どこかの心理機能を一個ぶっ壊さないと、母が提示するルートを自分の目標にはできない」、ということであったんだろうと思う。

そして、そのことに危機を感じたのか突然立ち上がってきたのが「Fi」と「Si」だったのだ。心を本格的にぶっ壊す前に、体の方を強制的に機能停止させた。今まで積極的には機能していなかった「Fi(=内向的感情)」と、都合が悪いとオフにさせられていた「Si」が決起集合したのだった。


「Ti」は今も以前も高かった

布団でゴロゴロしている長大な時間、わたしが何をしていたかと言うと、ずっとぐるぐるぐるぐる考えていた。小学2年生の頃、「この先生、教え方下手だなあ〜…」と思って授業を聞いていたことがある。提示された課題がさっさと終わってしまうと、周りの席の子たちに「こっちの方が分かりやすい」というやり方で教えてあげたりしていた。「Ti(=内向的思考)」、世界はこういうところである、という理解を自分なりにしようとする、自分の言葉や感覚で置き換えて整理する、ということは、小さい頃からずっとあったような気がする。周囲を人に囲まれ、わたしはずっと、「自分の考えは大衆の中でも一般的な考えだ」と思っていた。つまり、「普通だ」と。

しかし、「Fi」と「Si」がアクティブになってきて、学校教育、ひいてはわたしの通う進学校が前提にしている「社会」に違和感を持ち始めると、ますます頑張って考えをまとめようとしている「Ti」は、どんどん周囲の人たちに共感されるものから離れていった。わたしの感じていることを、わたしが感じているように理解してくれる級友はいなかったし、級友たちがなぜ学校に通うことに疑問を持たずにいられるのか、わたしには分からなかった。なぜ制服があるのか、なぜ月曜日の1時間目は現国でなければならないのか、髪を染めてはいけない、靴下は指定靴下、夏は暑く、冬は寒い制服、彼らがそれをわたし達に強いることで、中学受験生の保護者へのプロモーションが出来るという以外にどんな目的があるのか、さっぱり理解出来なかった。育ち始めた「Fi」と「Si」は、わたしをどんどん環境から孤立させた。

それでも、わたしは全く自尊心を失うことをしなかった。高2までの単位を取る。そして中退する。大検(当時は「大学入学資格検定」という資格だった)を取って音大を受験する。それが高1の時スクールカウンセラーの先生と決めた方針だった。

優しくて賢い級友たちは、共感こそしてもえなかったけれど、わたしが人と違っていることを尊重してくれたし、愚痴も聞いてくれた、疑問に思うことは尋ねてくれた。高校2年時は出席日数すれすれ、遅刻しないで朝から学校にいた日は年間で2日しかなかった。もうわたしの席の周りに自然に人が集まることはなく、皆それぞれ希望する大学の進路のために教科を絞ろうという頃だったけれど、自分の中に卑屈さはなく、引目もなかった。学校にいる時は変わらない態度で座っているわたしに、級友は「いつもいないはずなのに、いなかったという感じがしない」と言った。

わたしの望むことは、親にも誰にも望まれていない。

それでもわたしには、「正しい道筋にいる」という感覚がいつでもずっとあった。

それは、何故かというと、自分の選んだのが「愛のある方」だったからだ。


「8つの心理機能」の目的

「愛のある方」だったからだ、と書いてしまうと、とたんにこのnoteは胡散臭くなってしまうんですけど、「そうだったんだな」、というのは今回このnoteを書き始めて初めて気が付いた視点で、実際には、わたしは、なんで高校中退せざるを得なかったのか、このほどまで核心を言葉にすることがずっと、うまく出来ずにいた。

心理機能が8つもあって、人によってその使い方のくせ・・ がある。同じアルファベットの大文字の後につく、小文字の「e(=外向的)」と「i(=内向的)」、この二つは拮抗し、時に片方が片方の機能をマスキングするらしい。例えばわたしは「Si(=内向的感覚)」を子供の頃に引き続き自分で抑圧する傾向があって、特に「Se(=外向的感覚)」を使っている時、何かに熱中して作業する時、体を無視して、寝食をないがしろにして、我に返ると低血糖でふらふらになっていたりすることが、しばしばあった。「Fe(=外向的感情)」に注力する場合、「Fi(=内向的感情)」が自分で省みられないことは前述した。

e」と「i」は、一緒に機能を高めることはできないのだろうか。

あるいは、「8つの心理機能」が全て十分に高められた場合、その人物はどのような人になっているだろうか。

「そりゃ愛の人だな」というのが最初に持ったイメージだった。人の最高の状態、イコール最も高い振動数、愛だ、と。

水平社宣言、あの宣言の文章からびしびしに発せられていて、一方的に引っ被ってわたしが受け取ったのは、「ひとという生き物」に対する本質的な、力強い、愛であった。そのパワフルな愛が、わたしの中の「Si」と「Fi」を、眠りから、起こした、誰かが表現したものの中に、これでもかと込めた力強い愛は、別の場所で、別の人間の心理機能の成長を促した。眠っていた心理機能が成長を始めて初めて、わたしは自分に本質的な愛を向け始めたのだ。わたしは自分の中で成長を始めた心理機能を高め、守ることの出来る方の未来へ、自分の舵を取ることを決めた。

Se」の究極の状態は、例えば瞑想かもしれない。能動的行動の中で最も獲得する情報量が多いのが「瞑想状態」だと思ったからだ。「Si」はヨガのマスターかもしれない。体の中の状態を整える行為だから。体の中の状態が適切に循環した良い状態である時、瞑想は最も機能する。両者が共に高く機能する状態は獲得することが出来るものだ。

優れた将棋の棋士は、次に置くべき手が光って見えたり、そこだけ暗く見えたりするらしい。あるいはスポーツの「ゾーン」と呼ばれる神がかったファインプレイなど、

それは「Se」=気が遠くなるほど体に繰り返された修練があって、「Si」=体の器官がバランスよく機能して、血中の酸素濃度も血糖値も適切にコントロールされているのが前提で(つまり呼吸が深く、体の負荷もかかりすぎていない)、「Ne」=無限にある可能性から、「Ni」=瞬時に最適解を選ぶことが出来る、

「知覚機能」の4つが最高に機能している状態なんじゃないかな?と思うのである。この4つが高まっていたらば、

状況を見回して、瞬時に自分が何をすべきか分かる

と、そういう人になるんじゃないか。

そして、その時の自分の心の動きを追っているのが「Fi」で、それを思考として組み上げるのが「Ti」だ。「Fe」が、人々にもっとも届く伝え方を察知して、「Te」が最も齟齬なく受け取ってもらえるフォーマットで、他者と共有を可能にする。

つまり、「判断機能」はコミュニケーション、その集合体の「社会」と「概念を共有する」ことを担当している。

おさらいの為の図

「概念を共有する」って何よ、難しいわね、と思われるかもしれない。

パクチーはこの間、すごく久しぶりに美術館へ行って、アール・ブリュット(美術の専門教育受けていない人によるアート)を見ました。それは抽象画のような感じで、ダイナミックで、とても素晴らしく、何故か自分が許されているような気持ちになった。

わたしが住んでいる地方の島では、都会で喜ばれるようなアートのニーズがほとんどない。なんでだろう?アートって何だろう?アートを喜ぶ人たちの集合体とは何だろう?と思った時、「概念を共有して、大きな世界に属しているという実感」が、その欲求の根底にはあるのではないか、という気がした。

島の暮らしでは自然の量が圧倒的すぎて、人一人当たりの自然が多すぎて、人々は完全に大地に属している。島の祭り、神事を通して、人々は十分偉大なものに属している実感を持っている。中途半端なアートは、だから島の中では奇妙なままごとのように浮いて見える。

アートは自然、ひいては宇宙に属したいという気持ちの代用なんではないか。絵画の前に立って、自分がその絵から印象を受け取った時、それを見た他の人たちとある世界を共有する。その人数が多いほど、そこで共有される世界は大きくなって、宇宙に向かって無限に拓かれている。と、いう、概念の世界。そこは広くて、入っていくかどうかは自由で、世界中の人とつながっている。許されている感じ、この先にもっと進める、どこまでもつながっている、それを辿ってどこへでも行ける、そういう気分を、わたしも絵画の正面に立って少しだけ味わった。そしてその感覚は、広い空と水平線と、緑に包まれて、海辺にアウトドアチェアを出して、夕焼けを見ながらキャンプ用ガスコンロで調理をしている時に感じたものと、似ているような気がした。くつろいで、まるであるべき場所にいるような感じ。まるで自分の家の居間にいるような、許された感覚。

人は潜在的に、何か見えない大きなものを共有して、そこに属しているという実感を、欲するものなのかもしれない。属していて、大きなものに包まれていて、安心して、許されていて、自由で、無限に力が感じられる状態。言語、シンボル、絵、映像、数字、それらはツールで、何か見えない大きなものを共有するために、そのツールを操る技術とセンスは高められている必要がある。つまり、判断機能が。

わたしたちの変化の過程は皆、「8つの心理機能」が成長している過程なんだ。そしてそれは、「愛そのもの」になっていく変化なんだ、人生に起こるドラマが、アクシデントが、悲劇が、喜劇が、8つのそれぞれを震わせて、振動させて、深く機能を獲得させていく。この「肉体」「脳」という物体が、この世界の最も根元、もっとも量的存在、オリジナルのエネルギー、「自分は愛そのものに属している」、ということが理解されまでの。


おわりに

わたしはとにかくカンが悪くて、人を見る目も全然なかった。人の気持ちが分からなくて、とにかく愛が分からなかった。いくつかの出来事が「ああ、わたしは本当に分かっていないんだ」ということを知らしめ、それから、自分で、能動的に、その分からなさ、カンの悪さをどうにかしていこうと、機会があるごとにカンを使って(つまり思考しないで決断する)、失敗、成功の観察をした。分からないなら分からないのだとしっかり認識して、思い込みをリセットして、観察して、考えた。

そうして今やすっかり、「Te(=外向的思考)」が下がって(役所が作るマニュアルが全くちんぷんかんぷん)、「Ni(=内向的直感)」頼りのパクチーになっていく。まるでMBTIの「INFP」らしくなっていった。人の中に入ると反射的に「Si(=内向的感覚)」を下げるのは、適応する場所を今以上に減らさないようにという生存の知恵なのかもしれない。いいのか悪いのか?分からない。でもそれが、ここまでのところのわたしが辿ったプロセスで、この先はどうなるだろうか?それぞれの機能を、シーソーみたいに上がったり下がったりしながら、これから出会うシーンで足りないものを、その都度獲得していくのだろうか。そうやって何者かになるんだろう。それはMBTI的にはなんと表現されるのか分からないが、きっとわたしがなりたいものになるのだ。

16種類のMBTI、もしくはあなたの主機能、サブ機能、代替機能、それは例えばすでにあなたが持っている櫓であり、櫂であり、船体である。それを盾にして、矛にして、大海原に漕ぎ出しなさい、他の全ての機能を獲得してきなさい、宝物を見つけてきなさい、世界の煌めきを手に入れなさい、

つまり、「8つの全部の心理機能を十分獲得しなさい」

宝とは、「十分発達した心理機能でもって見る世界」のことだ。どういう順番だって、どういうプロセスだって、心理機能を上げる過程、それは間違っていない、それはあなたのためにきちんと順序よく図られていると言っていいくらい、あなたも、あなたも、自分だけに合う方法が素晴らしく用意されていて、全ての体験は、結果あなたに心理機能の成長をもたらす。そして愛に近づいていく。

愛の状態、8つの心理機能が十分成長した状態がどういう感じがするものか、それを想像すると、きっと、安心して、安定して、世界には楽しいチャレンジが尽きなくて、力が無限に湧いてくる感じだろう。属していて、大きなものに包まれていて、許されていて、自由。

例えば映画を見終わって、映画館の外の空気を吸った時。読み終えた本を閉じて、あたりを見回した時。空気に色がついているような、これまでと違った解像度で景色が見えるように感じることがある。わたしが好きなBTSの作品や、メンバーたちの態度や、あり方に込められた本質的な愛に感動して、心を揺さぶられ、涙した後、自分の目に見えるものの彩度が上がって、瑞々しく鮮明に、自然の美しさや、遠いものとの親密感や、表情や、声色や、心の機微や、匂いや、時間や、ニュアンスを、より印象深く感じたりする。

それは、感動した自分の心理機能が影響を受けて、これまでよりも機能が上がった状態で世界を見ている、ということなのではないだろうか。

作品に込められた本質的な愛は、本質的な愛に基づいた立ち居振る舞いは、それに触れた人の心理機能を成長させる。「愛」に近づける。

それはなんてすごいことなんだろう。

巷にあふれる無限の「作品」たちは「概念」を共有し、互いの中を循環し、影響を与え合っている。互いの心理機能を響かせあって、わたしたちは良く変わっていっている。

すべての心理機能の成長は、「愛そのもの」になるために起こる。人生に起こるすべては、結果的に、多分最終的には合理的に、心理機能を成長させる。

と、

以上が、8つの心理機能、それぞれの来歴を振り返ってみて、わたしの気付いたことでした。

Si」「Fi」、そしてその他の心理機能には、わたしが獲得してきた体感が地層のように積み重なって、きちんと記憶されていた。かつて試みたどの方法より、それがなぜ起きて、どういうことだったのか、かなり昔のほとんど忘れかけていたことにすら、自分で理解することが出来た、不思議で、有意義な時間でした。

それでは今回のnoteを終わります。お付き合いくださってありがとう。


それではまた!



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