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改めて、BTSの英語3部作とは何だったのだろう

「Dynamite」
「Butter」
「Permission to Dance」

数多くあるBTSの作品の中で、この3曲はかなり異質だ。この異質さを説明するとするならば、「全編英語だ」とか、「海外のチャートを狙って」とか、音楽的にとか、マーケティング的にとか、いろんな説明の仕方ができると思うが…、

わたし自身は、これらの曲を聴いた時の異質感を、今まで上手く言葉で説明できずにいた。「いい」とか「わるい」ではなくて、これまでの彼らが発表してきたアルバムから受け取るトーンと比べると全くの異質…、でも間違いなく彼らが歌っていて、彼らが歌うことで出来上がった世界があって、それは「BTS」以外の何物でもない。

3つの曲の、他の曲にない異質感。発表されたタイミング。その共通点を考えるうちに、最近、ある一つのイメージがさらさらと形を取り始めた。

これ、壮大な白魔術なのかも…。

地球全体にかけられた呪いを解く___。

こんにちは!パクチーです!

はい!というわけで、最近ハマっていたオンライン漫画の、量は減ったものの、エロ系からホラー・バイオレンス系にジャンルが移行してきた、わたくしパクチー、その影響が否めない、否、そんなことはない、いや、そうでもないのか、分からないけど、今回は究極に独自の説をぶち上げてみたいと思います!ので!世界スケールのファンタジーと思ってお読み頂ければ!と!思います!「答えは白魔術」です。はい!

2019年、それは武漢で始まった。

さて2019年の3月頃、皆さんは何をしておいででしたでしょうか?中国、武漢で謎のウイルスが確認され、往来の真ん中で、唐突に歩行中の人がバターンと倒れて動かないという、あまりに怖い動画、生きているのかそうでないのかも分からない、まるで、偶然、素人が撮影した、風の画質、しかし予測できないはずのそれを、画面の中央に捉える完璧なタイミング…。

その動画が拡散され、謎のウイルスが世界に広まりつつあった時、わたしが最初に考えたのは

「これ、最短で40日くらいで死ぬかもしれないな」

でした。そして、

「死ぬかもしれないなら、際限なくハマりそうで家事も子育ても疎かになりそうで怖くて手が出せなかった、韓流ドラマを、今、見よう」。

結局covid-19は、最初に拡散された動画によってわたしが印象付けられたようなウイルスではなく、わたしは瀬戸内の島にて40日を過ぎても感染の心配なく生き、ラブシーンを再試聴しながらビールを煽るという至福を発明したのちに、約90日後、その熱から卒業した。

ところでパクチーは高校を中退している。この、中退の理由、勉強は好きだったし、好きな先生もいた、友人にも恵まれた、それでも学校に通えなくなった理由、これも、上手く説明しようとしても難しくて、また、そんな必要が起こる機会もなかったのだが、今、この歳になって言語化できる部分があるとすれば、「恣意的に精神のあり方を誘導されている状態」に、最高に巨悪を感じていたのではないか、と思う。わたしの学校は「自由で生徒の自主性を重んじる校風」ということになっていた。この「自由」とは、「ラインは明確にはしませんが、ここからここの範囲で、目一杯「自由」に駆け回りなさい、ただし範囲を超えそうになったらやんわりと誘導しますよ」と、まるで学校の指定する範囲に収まる「自由」を本人は「自主的」に謳歌していると思っている、そういう「自由」は、自由とは言わない。

だから、日本で「感染者数」が増え始めた時、初期の段階で「このデータ、なんとなく不自然だな」とは思っていた。ニュースの読み方もプログラムの組み方も恣意がある。あまりに恣意がある…グラフの書き方、選択する言葉、人々をある思考の状態へ誘導する、演出、臭い、やりすぎだ。でも上手い。元演出希望で、高校中退者には、自由を撓めて精神を誘導しようとする力には、ちょっと敏感なのだ。

だけど、わたしは、BTSのメンバーたちは、何より歌とダンスを愛し、ステージを愛し、ファンの前でパフォーマンスすることこそを最も大きな喜びとする、純粋にそうとだけ強く思っている人たちだと思っている。

この英語3部作が白魔術であるかどうかなど、彼らにとっては副次的なもので、それほど重要なものではないし、それほど自分には関係がないと思っているかもしれない。あるいはこの曲に魔術が組み込まれているなどとは知らないのかもしれない(注:すみません、白魔術前提です)。これは実在する彼らとは関係なく、ただわたくしパクチーが「そうだったらおもろ…!」と思ったことを述べたいだけのnoteであります。

今、メディアの催眠は3種類ある

コロナウイルス
コロナワクチン
ロシア対ウクライナ

何のための白魔術なのか。今、最も強度の強い情報群、この3種類のニュースを見る時、生理的な反応にアプローチする演出が掛けられている場合は、バックに大きな資本が動いている可能性がある。その負の感情や情緒に訴える演出は巧妙で、中毒性がある。不快な心地よさがある。その催眠から脱するためには、自分のハートを取り戻さなければならないのだが、ハートが囁くことを頭が受け入れ、体がそれを行動するのを許すところまで行くには、いくつもハードルがある人もいる。非常に困難である人もいる。そのままハートを動かさず、人々には広く、深く、頭に「世界はこうである」という演出通りに信じてもらいたい、だから何度でも何度でもしつこく日夜繰り返される、催眠。あるいは暗示。

「Dynamite」が流れた時、英語圏の人は何を思っただろうか。

「Dynamite」。ロックスターのポスター。レコードショップ。ドーナツ。ジーンズ。チャチーン(レジの音)。バスケ。マイケル・ジャクソン的ポーズ。英語。アメリカの人にとって、

「寄り添われてる…!」

というのが、最も強く感じる感情なのじゃなかったろうか。そしてアジアの年齢不詳の青年たちが、「アメリカに寄り添ってるな…!」というのが、他のアメリカ以外の英語圏の人たちが感じることではなかったろうか。

言うまでもなく、英語は世界共通語だ。しかし英語圏とひとくくりに言うが、英語圏には「イギリス英語圏」と「アメリカ英語圏」が存在して、日本人から見れば同じ英語であるので分かりにくいかもしれないが、両者は異質なものなのである。イギリスは自分たちの英語を「本家」と言い、アメリカは自分たちの英語こそを「世界標準語の本家」と思っている。しかし互いに持っている歴史的背景が、全く違う。それは「世界観が違う」というのと似ているかもしれない。

わたしが催眠と表現した、世界で同時多発的にかけられている大掛かりなしかけ、西はイギリス(日本から見て)東はアメリカは、世界で最も話されている言語が英語であるというその影響力の大きさをだけをとって考えても、とても重要な要所である。

「Dynamite」がアメリカに寄り添った、アメリカ英語圏に寄り添ったものであったのに対し、イギリス英語、すなわちヨーロッパにも配慮したのが「Butter」と「Permission to Dance」であるように思えた。それはもちろん「UKチャートを意識して」そうなっていると言った方がどこにとっても通りは良いが、アメリカンカルチャーに寄り添った英語曲であるというだけでは、「英語圏」にアプローチするのに片手落ちなのは言わずもがな、英語圏のまだ半分に至らないのだ(ちなみに日本の学校教育で教わるのはアメリカ英語であるが、世界を旅行して役に立つ頻度が多いのはイギリス英語であった。パクチーは学校で両方習った。…いい学校じゃんね…)。

しかしただ単にイギリスを意識したのではそれも片手落ちである。

「Butter」はアメリカのチームで楽曲が制作されて、歌詞はアメリカ人であるマイケル・ジャクソンをオマージュしていることを指摘されているが、ビートにはヨーロッパを感じるし、MVに登場するスーツや家具などから、イギリス、スカンジナビア、ヨーロッパ的な感性を、わたしは多く感じる。「Permission to Dance」は作曲者、歌詞中の「エルトン・ジョン」がイギリス人であること、楽曲の構成、メロディーの作り方、ハーモニーの付け方が言うなればクラシック的、ヨーロッパ音楽的であると、わたしの感じ方だが、言えると思う。一方でMVは「いかにも西部」、アメリカの古き良きイメージで統一されていて、ウェスタン、カントリー風である。「ロック」「ソウル」「R&B」は元を辿るとジャズ、ブルースに遡るが、これはアメリカに奴隷として連れてこられたアフリカ人の、アフリカ大陸土着の音楽が祖になっている。ところがアメリカのカントリーミュージックは、ヨーロッパから入植してきたヨーロッパ人の、元はフォークロアミュージックだ。「カントリー」「ウェスタン」にアプローチすることは、アメリカの歴史的、文化的、精神的にも土台になるものにアプローチするということになる。

つまり、「Butter」「Premission to Dance」は、「Dynamite」のように一方に振り切るのでなく、計算され尽くされたかのように、当事者にとっては性質の異なる要素が、ものの見事に融合させられているのである。

音楽にかけられたしかけ

もう何度となく聴いた「Dynamite」「Butter」「Permission to Dance」。今更新しく発見することもないだろう、と思われるかもしれない。わたしもそう思った。しかし発表されてから時間が経ってみると、それぞれの曲からそれぞれ受けた印象が、3曲並ぶことで、改めて強く印象付けられることがあって、それは、

下降

刻み

である。

「スケール(音階:ドレミファソラシド)」が、人が一番最初に「習う」メロディーである、とは、あながち言い過ぎでもないだろう。「わたしはスケールが、この世で一番美しいメロディーだと思う」とおっしゃる、すばらしい音楽家で指導者である人がいた。最も素朴で、誰にも身近で、音楽において最も根源的な、全ての情緒を含有するメロディー。わたしは、名曲には「スケール」がうまくメロディーに含まっていることを知識として知っていたし、BTSの英語の曲が発表されるたびに「見事にスケール入ってんな!」とは思っていた。

が、3曲並べて聴くと、「これでもか」というスケールの波がこれまた壮観ですらある。

「Dynamite」の場合、ジョングクくんのど頭の歌い出しのイントロ、「レ・ド・シ♭・ラ・ソ・ファ」が曲中何度も繰り返されていることに気づくだろう。

「Butter」は、サビの部分の「ド・シ♭・ラ♭・ソ・ファ・ミ♭」

「Permission to Dance」の場合、スケールがメロディーに特に特徴的に入るのは、サビの終わりの部分「Don’t need to talk the talk, just walk the walk tonight」くらいしかない。しかしこの音形、「ミ・レ♯・ド♯・シ・ラ」は、曲頭から終わりまでほとんど途切れないようにして伴奏の中でずーっとずーっとずーーーーーっと繰り返され続けるのである。

加えて、「Dynamite」の場合、「主音」、歌のAメロと言いますか、「Shoes on, get up in the morn〜」以降、ほとんど主音「ファ」の連打だけで出て来る。何とこの曲、「主音の連打と、スケールの上昇と下降」だけでほとんどできているのである!

「Butter」の方、こちらもなかなかすごい。出だしの「Smooth like butter〜」が下降のメロディーで、この下降が曲中何度も繰り返し出てくることは、まあ、置いておいて、てサビ直前。「Oh when I look in the mirror〜」、これは「レ・↘︎ソ・レ・↗︎ソ」と、属音「レ」、主音「ソ」でできているのだが、特に属音「レ」、が、とととととととっと続くようになっているのが特徴的である。属音とは「ドミナント(dominant)」、音楽的には「支配音」という性質があり、dominantの語源はラテン語で「domine」、「主」、神のことを差す。「属音の連打、メロディーの下降」が、「Butter」の印象的な特徴になっている。

3曲に共通する特徴的な「下降」のメロディー。そしてそれとは別にわたしが気になったのは、「刻み」であった。

「Dymamite」の場合、キックドラムが「トッ・トッ・トッ・トッ」、RMのパートから始まるクラップ「●・チャ・●・チャ」が終わりまで続く(●は四分休符でお願いします)。「Butter」も「●・チャ・●・チャ」のスネア(かな?)の高い音が印象的で全編を通している。「Permission to Dance」も「●・チャ・●・チャ」のパーカッション、クラップがほぼ全編を覆っている。クラップ、つまり手拍子がほぼ全編を通して入っている曲ってのは、そんなに多くない。

このnoteの論点はここから!この「刻み」と「下降」が何をもたらすかということである!

あたたかい寝具に寝そべって、ゆったりした気持ちで、いいヘッドホンを用意して、音楽を流す準備をしよう。そして「Dynamite」「Butter」「Premission to Dance」を続けて流してみる。

テンポの早すぎない4つ打ちのビートは、きみの心臓をそっとノックしています。「チャ」のクラップが、きみに薄く覆われた不要なバリアにヒビを入れていきます。メロディーの下降がその度に、きみに不要なヴェールを拭い去っていく。ビートはそのまま、ゆっくりときみを深部に進めていきます。メロディーの下降がきみを拭い去るたび、きみはきれいになっていく。クラップ音がきみのまわりの不要なものを打ち払いつづける。ビートに合わせて少しずつ、歩みを進めて、きみが見つけるのは、きみのハートだ。「Butter」「Premission to Dance」にも同じ旅、同じ効果が込められている。

そして唐突に曲が終わる。瞑想から覚める。夢が終わる。現実に戻る。きみはきみのハートをしっかり抱えたバージョンの世界に生まれ直している。

わたしはこの体験中、ところどころ素に戻る瞬間があり、その瞬間は言葉がくっと頭に入ってきて、曲の世界と合わせて特に印象に残った。もしかしたら、曲中で特にひっかかる単語は、ひとによって違うのかもしれない。わたしの場合、「Dynamite」では「light it up like dynamite」、「Butter」は「Get it, let it roll」、「Permission to Dance」では「one more time, Say」だった。「輝きを弾けさせろ」「はじめよう」「もう一度言って」。これが浮き立って聴こえてくることが設計されているのかもしれないし、あるいは、わたしにとって必要だから浮き立って聴こえたのかもしれない。もしそうなら、おみくじみたいな感じで、次に聴く時までしばらくこの言葉たちを大切に受け取っていたいという気持ちでいる。そう。この曲たちには全編を通して嫌な単語がひとつも使われていない。この点も特徴的である。

かつてパクチーは、音楽的に「Permission to Dance」の苦手意識をnoteにてつらつら綴ったことがある。しかし白魔術具合では圧倒的に魔術みが強いのが「Permission to Dance」であると思う。「Butter」はもうちょっと、何と言うか…科学的?っていうの?魔力より?でもどちらもあるからより効果的にフォローしあっている、そんな2曲。これらの曲が世界中で何度も流れ、なんとはなしに聞こえる、耳にする、その度にうっすらと、この白魔術が作動している。ほんの少しずつ。世界の全体で。

繰り返しになりますが、、

このnoteは「そうだったらおもろ…!」というわたし個人の考え、実在するBTSとは関係なく、この英語3部作が白魔術であるかどうかなど、彼らにとっては副次的なもので、それほど重要なものではないし、それほど自分には関係がないと思っているかもしれないし、あるいはこの曲に魔術が組み込まれているなどとは知らないのかもしれないし、何より歌とダンスを愛し、ステージを愛し、ファンの前でパフォーマンスすることこそを最も大きな喜びとする、純粋にそうとだけ強く思っている人たち、だとわたしは思っている。え?くどい?言われなくてもそうだと思ってる?

しかし自分で書いてみて、改めて、この「アメリカ英語圏」と「イギリス英語圏」という「英語圏」、世界の一大要素全体にアプローチするのが「アジア人」であるという不思議を感じましたな。そして「キリスト教圏」と「イスラム教圏」、ファンダムを通じてこの二つに間接的に橋を渡しているのもアジア人である彼らで、今、一番異なる文化圏にパスを持ち、この世で考えうる最もポジティブな方法でつなげる力を持っているのが、このBTSというアジア人なのか、と、不思議な感じがした。「黄禍」という古い言葉を最近知って、以前「AAPI(アジア・太平洋諸島系米国人)」の「アジア」にインドが入るのを知ってびっくりしたことがあったが、でも考えてみるとサンスクリットは結構日本の深部に入っているし、仏教のくくりで言ったら、うん、まごうことなきインド源泉、その影響力と共感の範囲で言ったらアジアーー…括れるかもーー…。「黄禍」、「アジアに手を組まれると困る」というのがアングロサクソン系の持った黄色人種に対する恐れだが、しかし実際アジアってそれぞれすごーーく違うじゃん?同じ価値観共有するなんて無理じゃん?しかし、「一切が空」とか「輪廻」とか「諸行無常」的な感覚、一神教の人たちにとってどんなに説明されようと不可解な感覚について、アジアにとっては、理屈で説明されなくてもすんなり「そうかもね」と思えそうなところで、やっぱりアジアって全体で共有している感覚があるのかもしれないなあ、と、思った。

世界におけるアジアの役割ってなんですかね。不思議。BTSがアジア人であることと、彼らが今機能していることを合わせて考えているからの思考で、だから興味深く面白く思っているのですが。

しかし、ハートを手に取り戻したところで、自分の心が、「そこにいる普通の人たちが辛く、不安で、悲しいことが起こるのは嫌だな、職業軍人の人たちが、心に苦しいものを背負うのは嫌だな」、と思うなら、そのことだけで、これまでの戦争がずーっとずーっと途切れずに続けられて来た地球の歴史の、その繰り返されたサイクルを、精算する。個人の中の自覚。それはちっとも些細じゃない。その気持ちが、きれいごとでもなく、真実だ。と、手に取った自分のハートを見て言う人が、あたりまえのように現れていることが起き始めているように見える。

今、このタイミングでアジアの若者たちが発する白魔術が、2つの英語圏の人たちに強くかけられた催眠を、少しでもヒビを入れて、少しでも打ち払う可能性があるとして、それは「アジア同士」の通りの良さから比較すれば、大変な価値があるんじゃないか、それは起こるべき、うーん、起きて欲しい、起きなくてはならない変化の一つとして、全体に影響を与えるはずだし、この曲たちが与えて欲しい。あるいは、実際に影響を及ぼしているのじゃないか。

それがわたしの感じた、3つの曲が英語で書かれたことの役割だった。


今更新しく発見することもないだろう、と、思ったよ…

ということで、ころそろ終わりますが、最後に、このnoteを書くにあたって見直したいくつかの動画、久しぶりに見て感動した点を共有したく、貼り付けてお別れ申し上げる。

ジミンくんがダンスが上手いことなんて、知ってた、知ってたよ…!!なのに何で!久しぶりに見返すと「え、ここでこんなことしてたっけ」「え、ここでこんな…ひやっ…!」と、その込められた情報の繊細さかつ豊かさに、いくつもの再発見があったのでした。当時穴のあくほど見つめたつもりだったのに…。忘れただけ?ぼけ?

そして、しばらく「Dynamite」を聴いたのちにこの「Butter」を見て、「テテちゃん歌めちゃ上手くなってる…!」ということに驚いた。Vくんの腹筋の使えている量がすごい増えていないか…?

そしてあれだ、ジミンくんの、だからダンスが上手いってことは重々存じ上げていた…あっ、ふくらはぎ…!ジミンくんのふくらはぎ見始めたら、動画の最初から最後までふくらはぎしか見ていなかったよ。ジミンくん、いつも黒いパンツ履いている時、超足細いのに、あの中がこうなっているだなんて…この筋肉の複雑な線を見てると胸が締め付けられるよ、あ、なんで涙…。

ジンくん、こんなに美女?なんでこんなに美女?美、少女…?美、乙女…?なんていう生き物ですかこの……これ……?


それでは、また!!




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