BTS SUGAと「アーティスト=ダイバー」説
BTSのメンバー、SUGA。作曲家。ラッパー。本名、ミン・ユンギ。BTSの楽曲が作られる過程で、どれだけの人数がどのように関わっているか、パクチーはよく知らないのだけど、彼の作曲作業している様子を見ると、
「たくさん書いてる!」
「全部出来る!」
ようであることが想像できる。
まずはSUGAのしていることを見てみよう!
これがSUGA(以下ゆんちゃんとします)の使っているCubase(キューベイス)だよ〜!
パクチーは舞台音楽の作曲の仕事でNuendoというソフトを使っていました。さっき調べたらCubaseの上位版がNuendoなのね。もう使ってたのが昔すぎて使えんけど。
BTS In the SOOP Ep.4プレビューより
ゆんちゃんの装備はこんな感じ。
・ノートPC、マウス
・インターフェース(小さくて重たい機械)
・ヘッドホン
・スピーカー(みんなに聞かせる必要があれば)
・仮録音するのに使うマイク
・延長コード
これは基本の装備で、これを並べて、繋げて、ソフトを起動したらば、どこでも曲が作れます。これらの機材をいつでも持ち歩いているのが作曲担当。重たくてぞんざいに扱えない感じ…いつでも重くて…懐かしいわ…。
この作曲スタイルをDTMと言います。デスクトップミュージックです。パソコンで作る音楽ってことです。
PCの中に、た〜くさんの音源が入っています。いろんな楽器の音や、電子音を「ドレミ」で指定する場合もあるし、録音データ(例えばキックドラムの音一発)を並べて作ることもあるし、それらを組み合わせることもあります。自分で音を作ることも出来ます。
1つの楽器で1つのトラックを使います。使う音色が多ければ、トラックも10、20…と増えていきます。
使う音を、トラックに、一音一音ずつ、マウスorキーボードで入れていきます。
録音する必要があれば、空のトラックに録音します。
そして全部の音を並べたら、トラックを一本ずつ、wav(mp3の重いやつ)データに書き出します。プログラムでソフト音源に発音させていたのを、そのままではマシーンに負担がかかるので、それより軽い音データに変換させておくのです。
その状態が、上記のtwitterのスクショの状態です。
だいたいこのあたりまでが、「作曲」です。
全部がwavになったら、全部の音のバランスを整えます。スタジオで録音し直す必要があればそうします。そして、聞こえたい聞こえ方になるように、すべてのトラックの音量を調節するのです。エフェクトをかけたりすることもあります。ボーカルなどを録音した場合、録った生の音をそのまま使うことはまずありません。広がりを持たせたり、歪ませたり、様々な意図で加工します。パンと言って、右から聞こえるように、あるいは左から聞こえるように、バランス良く振り分けたりもします。全部の音が真ん中から聞こえると、打ち消しあってそれぞれの音がよく聞こえなくなってしまうからです。ある効果を狙って、意図的に極端に左右に振ることもあります。
全部が良きように整ったら、全部合わせて1つのwavデータにするべく書き出します。これらの作業がミキシングです。これを専門にやるプロの人もいます。ミキシングの出来不出来で、全く聞こえ方が違います。例えるなら、作曲が終わったとこまでがすっぴん、ミキシングが終わったところがフルメイク後、でしょうか。
マスタリングになると、もうCDに入れる状態の音源になります。CDに入れる曲が複数なら、全部を並べて音が大きく聞こえる曲、小さく聞こえる曲がないように、バランスを整えます。マスタリング。例えるなら、フルメイクのメンバーが全員揃った状態、でしょうか…(例えいらんか)。
さて。ゆんちゃん、これ全部出来るっぽい。
完全にデスクワークの、完全に頭脳労働です。この上踊ったりしてるんだもんなあ…肉体も頭脳もどっちもイケてる文武両道男です。なんてことじゃ。
In the SOOPの最後に、テーマ曲を録音している様子が映ってましたね。ゆんちゃんが自分で録音のスタートボタン押して、急いでマイクの前に立って、出だしのところをカウントミスしていましたが、
ある、ある!!
でした。作曲してる時の頭と、自分が奏者になる時の頭って違うんだよー。切り替えが追いつかない時がある。器用な人もいるけどね。
大学合否の後は人生は2択しかない
つい、パクチーの経験と被っているところがあったので語ってしまいましたが。面白かった人いるのかな。ごめんね。
さて。
パクチーがゆんちゃんに「わぁ、この人本当にすごい」と思った瞬間がありました。それがこのVLIVEです。
19分25秒のところから、「大学の願書受付中ですが合格できるでしょうか?」というコメントが来て、それに返答しています。
パクチーの独自調べですが、日本もそこそこ学歴社会だと思っていたけど、韓国の厳しさは遥か上でした。
まず、韓国は日本に比べて非常に格差が大きくあり、一部の一流企業とその他の企業では、生涯賃金が全く桁外れに違います。企業の初任給と社長の給料が、日本では10倍、韓国では100倍という記事も見ました。
誰もが、自分の子供が勝ち組になって豊かな暮らしを送って欲しいと思うでしょう。難関大学を卒業して一流企業に入ることが出来れば、昇給して手に入る生活のクラスも格段に上がるということです。逆に言えばそれ以外の人たちが辛苦を舐めているということですが。
RMが学生時代に通った塾は40〜50カ所だという話もありました(何かのバラエティ番組で言っていた気が…ソースが何か忘れてしまった…)。子供たちは小さな頃から、非常に激しい競争をずっと強いられます。
BTSが好きになってから日本で発信している韓国の方のYouTuberを見るようになったのですが、それらの話を総合すると、
過酷さが、まったく、異次元…。
「いい大学に入れるかどうか」が、その後の人生がアッパークラスか、ロウワークラスか、を決める。
人生はその2択で、そこが分かれ道である、
と、韓国社会は考えるのです。
さらに言えば、難関大学に入れたからと言って、一流企業に就職するのは全く簡単ではありません。同級生との競争に勝って自分が採用されるためには、授業の評価、外国語、資格取得など、在学中もずっと努力し続けなければならないのです。
ちなみに韓国は自殺率がめちゃめちゃ高いです。
日本も高いと言われるけど、もっと全然高い。
(2020年10万人あたり、韓国26.9人、日本14.9人)
その韓国で。ゆんちゃんの返答が。
「もしダメだったとしても、あまりがっかりしないで下さい」
「それは人生において、そこまで重要じゃないかもしれない」
ゆんちゃんの言葉は真実です。本当にその通りですし、この考えはしばしば他の動画でも語られます。しかしこのことを言葉にして返答するのには、本当に彼がきちんと自分で考え、自分が信じる信念が無かったら難しいはずです。
「小さな幸せ」について、メンバーがファンと積極的に共有するのには、こういう背景もあるのだとパクチーは思います。幸せとは「社会的な成功」をして初めて得られる「家」や「車」や「リング」に象徴されるもので、それがずっと韓国社会全体のノーマルな考え方だったからです。
しかし、勝ち組にならなかったら?
それでも人生は続いていく。
今、「生活の些細なことも幸せになり得る」という考えは、韓国の中では比較的新しい考え方なのですが、「それが人々のセーフティネットになる」のを分かっていて、そういう方法で、今を生きている人たちを支える力になりたいと、メンバーたちが考えているように思えます。
「アーティスト=ダイバー」説
パクチーはアーティストはダイバーなんじゃないかと思ってるんですよ。
不幸や苦しみを体験する深いところまで落ちて、
そして戻ってきて、
言語や言語以外のもので表現する人たち。
どんな人もそれぞれその人だけの体験をしていているので、アートをする人たちが特別な体験をしているというわけじゃないのだけど、でも、ただ、そこから戻ってきて、それを表現するツールを集めて纏めて、「そこから戻ってきた」ということを存在で証明してくれる人たち。
痛みを体験をした人たちにとって、生きて、戻ってきて、「わたしもそれを見たよ」と声をかけてくれる存在。
社会の問題で人々が苦しむことに対して、どうして音楽の人やアートの人ばかりがより反応するのだろう?
パクチーは、それはやっぱり、「それが痛い」ということが「分かる」からだと思う。
そして「それが痛い」ということを表現出来るレベルまで、戻って来れる。
見ないふりもせず、
無かったことにもせず、
深いところに囚われたままいるのでもなく、
人が向き合えない、逃げてしまう深さの闇に、
潜って生きて戻って来るということを何度も何度も繰り返している。
プロのダイバーなんだ、とわたしは思っている。
ゆんちゃんのリリックを見ると、彼の中には研究生時代をも含めた長い期間、社会的に価値を肯定されなかった劣等感、親に対する不義理感、生活の不安定さや将来に対する不安、が、ずーっとひとりの人の体の中に同居していたのを感じる。
アート活動をしていて自分が満足するような評価を周囲から与えられる人ってのはなかなか多くないし、評価されたくてされないまま生きる人はたくさんいます。彼が、早い段階から音楽を志すことを決めた時、その時点で社会の成功ルートを外れ、一般的には社会的にほぼ無価値であるということは、よく分かっていたはずだ。
ゆんちゃんは「社会」が自分に与えてきた痛みをよく知っている。
そして怒りがある。
彼は、そこから、それを客観視して表現出来るレベルまで戻ってきた人なんである。
「大学に受かるかどうか」とメッセージを送った子が、もし大学に受からなかった時、「自分の人生は失敗だ」と思うなら、ゆんちゃんはきっと胸を痛めるだろう。それが辛いと知っているから。
「大学は皆が感じてるほど重要じゃない」というのは、内容的には現状の社会に対して完全にカウンターで、構造否定です。アンチズムです。
しかし彼は、この言葉を非常に穏やかに、優しく語りかける。
まだ人生が始まってもいないような若い人が、「自分の人生は失敗だ」と思わせる在り方は、社会として正しくないから。
怒りを感じること。
そこに置かれた人が感じる苦しみが分かること。
そうでないようにと働きかけること。
それは「良心」というのだと思う。
自己肯定感は上がったり下がったりするものだ
ゆんちゃんの2020年11月21日の肩の手術後のVLIVEで、メンタルがちょっと…と言ってました。
自己肯定感っていうのは、どんなに高い人でも、いつもバーンと一定に高いところで安定しているものでもないです。上がったり下がったりします。
それでも中庸というところがあります。
良くも悪くもない。
自己肯定感の低い人が、それを高めたいと望んだら、自己肯定感が上がっていく過程で、中庸という段階に出会うでしょう。
生きてたいとも、死にたいとも思わないところ。
しばらくはその中庸の上下を行ったり来たりしてました。そして徐々に、中庸より上のあたりで上がったり下がったりするようになって、めったに中庸より下には下がらなくなってきます。
それでもたまに、がくんと中庸より下に下がることがあります。
下がったら、
「下がったなあ」と思えばいいんです。
「今日は曇りだなあ」と同じです。
そういう日もあります。
むしろ、ショックなことがあって、アクシデントがあって、今までと違ったことを考えなくてはならなくて、その影響を受けて肯定感が下がるのは、普通のことです。自然なことです。あるいは何もなくても無性になぜか悲しくなることもあるでしょう。
また上がるまで、「今自分は下がっているんだなあ」ということをそのまま受け入れてあげたらいいと思います。
VLIVEのゆんちゃんを見て、彼は自分の状態を、そう受け止めているような感じがしました。
ゆんちゃんは、この自分のことがままならない期間に、きっとたくさんのことを感じ、蓄積させているでしょう。
そしてわたしたちに見せてくれるのでしょう。
彼がアーティストで、プロのダイバーだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?