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水と女神と「Dynamite」と

こんにちは!パクチーです。藪から棒ですが、近年わたくしの身体に起こった変化について、まず書き出させて下さいまし。

  • 2年前から最近まで、金髪にしていた

  • 1年前くらいから靴のサイズが1.5cm上がる

  • 半年くらい前から時々耳が塞がったような感じで治っていたのが、1ヶ月前くらいから塞がった感じのまま治らない

  • 整体で「頭が尋常じゃなくぱんぱんです」と言われる

  • 耳鼻科で「低音障害型感音難聴」と診断される←今ココ!

そして、ここに箇条書きにした5点が「関係あるのでは…?!」と思い至ったのが先週。靴に関しては、去年履き潰したのを新調しようとして、同じサイズを買おうとしたらきついの。23.5cmだったのに、25cmじゃないと足が当たる。「えーこの歳で足が、しかもこんなに成長することってあるんだ〜?」と思っていた。「変だな〜」。変だったの、実際はとてつもなく。

一方、わたくしの心的な方の変化についても書き出してみる。

  • 先月妹の結婚式でイメージ通りに着飾れなくてがっかりする

  • これからは自分の女性性を美しく育てながら生きようと思う

  • 女性性を晒すことに対してトラウマがあったことに気づく

  • 日頃極力筋力使わないで生きてるのに突如「Dynamite」を3時間踊る

  • ストレッチ中「身体が記憶しているトラウマ」があったことに気づく

  • 女神に体を乗っ取られる←今ココ!

箇条書きにされたところで、「う〜ん、ふ、へぇ〜…」という感じだと思うが、自分的には、ひとつの黒ポチに2000字くらい書けそうなくらい超!激動だったんですよ〜!特に最後の「女神に乗っ取られる」のところ!で!わたしは生まれ変わったんだー、女神に。

私「ねえ、わたし生まれ変わったんだけど、分かる?」
子「…何に?」
私「うーんと、女神」
子「…わからん」

しかし女神は深夜のストレッチ中にわたしを乗っ取って、翌日は丸一日一緒におられたが、去ってしまわれた…。

今は3割くらいで常駐って感じ。

今回のnote、結論とか論点とかがあるわけじゃなのです。ただ、

大好きな、いつも楽しいゆみこさんのnote、このnoteでジンくんのinstagramの写真を改めて見て、

「盛れてない…」

友達とのLINEとかカトクとかの「行ったよ〜」「まじか」「ほら」くらいの証拠写真くらいの盛り度じゃないか?手元の携帯のチャットルームに個人的に送られてきても成立する(?)くらいのプライベート程度の盛り。

わたしはここ数日の自分が感じた心的変化の中で、「これが自分だ、これが自分の本質だと思っている自分も、7割くらいはつくったものだったんだな…」と思ったのでした。「自分」の下から出てきた自分は、今まで思ってきた自分と全く、真逆のようだったのだ。うわー、まだまだ本質的な理解には遠いな。まだまだ道のりあるな。

盛ってないジンくんを見て、彼は「自分がこういう人だ」という理解を精度高く持っているような人に見えるけれど、その「自分だ」と思っている部分に関しても7割くらいは作り上げた自分で、つまり必要が作り上げた機能としての自分で、それについて自分は良く理解しているかもしれないが、その下層にはまだまだ別の、ジンくんの知らないジンくんが隠されているかもしれないのか、と思ったのでした。

でも、そうなら、彼の得体の知れなさも納得できるな〜!

「Dynamite」は、踊ってみて初めて分かったけど、とてもいい振り付けだと思います。あ、知ってましたか。

今回のnoteは、最近こんなだよ、というご報告でしたので、これで終わりです。

しかし、もしも「すごい暇だよ〜」って方、あるいは「どういうことなの?気になる〜」って方がもしもおられたら、続きをお読みになって下さいまし!

では、また!


〜〜〜


低音障害型感音難聴とは

さて。ここからはお時間ある方ということで。どうもどうもパクチーです。ご無沙汰でした。今回もしっかり長文です。

低音障害型感音難聴とは。低音のある音域が聞こえなくなるのですが、実生活では、不快な以外に支障はない。会話には使わない音域だし、むしろ低音の別の音域は響きすぎるように聞こえる。

ただ、「難聴…」と言われて元音楽家としてはショックだったよね…。そして常に飛行機に乗っているような、いつ終わるともしれない、耳が塞がっている感じでずっとあるのは、それなりにストレスであった。

原因は、内耳の蝸牛(かぎゅう)という音の振動を電気信号に変換する器官が、リンパ液で満ちているものの、多すぎる、要は浮腫(むく)んでいるということらしい。

浮腫なら、水を飲まなくちゃなあ〜…。体が浮腫むのは、水分が足りなくて保持しようとするからだそうなので、水を飲んで代謝の上がることをしなくては…。と、昔整体の先生に言われたことを思い出して、帰宅後ひたすら水を飲み、3時間「Dynamite」を踊り、3時間ストレッチをしたら、ば、一時的にではあったが、その日の夜に耳の塞がった感じは、まさに劇的に良くなったのであります。

わたしは耳鼻科の前日、整体にて「頭がぱんぱんだ」と言われていた。

もしかして、内耳のみならず、頭全体が浮腫んでたの…?

整体の先生に「頭がぱんぱんになる原因はなんですか?」と聞くと、「分からないです。分からないが、髪染めてるでしょう、そういうことでなることもある」と。わたしは2年間ずっと金髪にしていたのを、数日前に黒に染めたばかりだった。

「Dynamite」を踊って、ストレッチをした翌日。朝、気がついたら、立ち仕事で履いている靴がゆるい。去年買った、1.5cm足が伸びたと思って買った靴。

え?ゆるい…?骨が成長したんじゃないの…?

リンパ液とは、ネットで調べると、毒素を分解するために溜まるのだという。そこに多くあるなら、機能する必要のために集められているということだ。

…経皮毒…?

ブリーチ剤のか…?

1年前からわたしは全身浮腫んでたのか…?足が1.5cm大きくなるくらい…!?

そしてそれがとうとう、内耳の自覚症状が現れるくらい、低音が聞こえなくなるくらいのところまで浮腫むようになって、頭がぱつぱつになっているという段階にまでなってしまったのか。…おそろしい!!1.5cmってアナタ、相当なことよ!メンズのスニーカーで丁度だったんだから!別に足が浮腫んでいる自覚症状はなかったのよ、朝も夜も同じサイズだったし、足だけ浮腫むと辛いけどそういうのもなかったし、満遍なく、全身徐々に満遍なく浮腫んでいたから気付かなかったんだわ!!

低音障害型感音難聴は繰り返すそうなので、完治というのがあるか分からんが、今は右耳はほぼ通常です。左耳が、塞がった感じは取れたものの、圧迫感のある耳鳴りが、治ったり戻ったりしている。ストレッチして、たくさん水を飲んでます。

低音障害型感音難聴はメニエール病の一種なんですって。メニエール病は、蝸牛の隣の三半規管のリンパ液も浮腫んでしまう。こちらは生活に支障が出てとても辛そうな病気です。わたしは、アルコール、塩分の多い食事を摂ると、摂ってる最中から耳が詰まる。翌日は悪化する。浮腫みの要因になるアルコール、塩分、そして経皮毒(特に頭の皮膚が吸収するもの、シャンプーやリンス、ヘアカラーなど)に気をつけるのは、この病気を改善させるのに効果があるのでは…?と思い、治療の他にできることとして、あるいは治療の代わりにできることして、ネット上などにあるリンパについてのさまざまな情報と合わせて、もしも役立つ方がおられればと思い、書いてみました。

歌うのも良かった。頭が浮腫んでるせいか、顎の動きも悪いんだわ…。顎関節を動かして、内耳周りの循環を少しでも良くすると、今日は歌ってる最中に耳鳴りが改善したよ。


パクチー、お化粧を始める

ところで、わたくし。ずっと、自分の持っている女性性を不特定多数に、見える形に晒すと、自分の望まぬ目に遭うと思い込んでいたんですよね…。

日頃、小汚い格好をしていて、メンズライクな、ノーメイクで、短髪で、でもわたしが普通に無難に小綺麗にしたら、美しすぎて皆引いちゃうと思ってたの。そしてその本気はいつでも出せると思い込んでいた。

否。

美しさとは…。

齢40を超えた美しさとは、「楽器の演奏」とか「ダンス」とかと同じく、日頃鍛えているから出せるものであった…。「皆引いちゃうんじゃないか」という認知の歪みは、太陽光の元で鏡を見ることで正されました。ほら、日本家屋って暗いからよ…。

40のお誕生日を迎えるにあたって、日頃全く使わないメイクポーチを開帳し、初めてカウンターに座ってカウンセリングを受けながら化粧品を新調して、「これからは身綺麗に歳を取っていこう…!」と思ったのは、「これまでわたしは化粧をするのを避けていた、体のラインが出る服を避けていた、でももう年齢的にも『きれいだ』と思われてもそんなに困ったことは起きないから大丈夫だ」、と思えたからだった。

「きれい」?「困ったこと」?「大丈夫」?って何だ?

この段階まで来てようやく、わたしは自分が「女性らしい」と思われることを恐怖していたことに気付いたのだった。「みんな引いちゃう」と思い込んでいたところの真実はそっちだった。見知らぬ人から性的に見られること。知人から性的対象に見られること。権威ある男性陣から目をかけられること。そのせいで同性の嫉妬を買うこと。単に同性の嫉妬を買うこと。20代、社会に出て、わたしはどんどん化粧を止めて、格好を小汚くして、モテなさそうな髪型にして、極力眼鏡を外さず、わたしは女性として生きてません!わたし同じ土俵に立ってません!仕事を始めてすぐ頃から、日頃深夜に電車に乗らなくてはいけなくて、夜一人で繁華街を出歩かなくてはならなくて、それでも夜道で見知らぬ人に羽交い締めにされたり、それでも嫉妬されたり、だからわたしは自分の最も美しいと考える女性的な輝きを、曇らすように曇らすようにして守ってきたのだった、自分を、いくつものバリアを築いて。

そしてその結果できたスタイルを、自分の個性だと思っていた。

確かに、20代のわたしを、その考えは明らかに、守ったのだと思う。いくつかの危険から。夜7時の新宿駅のホームで「キャーー!!」という悲鳴が聞こえ、可愛いミニスカートの女子が「あのおじさんが胸を掴みました…!」と言って蒼白でぷるぷる震えていた。「大丈夫ですか?」と駆け寄ったのがわたしの他にもう一人いて、(新宿に可愛い格好で来ちゃダメだよ〜…)と思っていたわたしも、もう一人の駆けつけた女子も、一切格好良くないジャージで姿あった。痴漢のおじさんはサラリーマンが颯爽と階段を駆け下りて捕まえ、捕まえられたまま女の子を見てにやにやしていているので怖かった。この出来事は象徴的であるが、東京で、中高、電車通学で育った過程で、言語化しないレベルで身についた危機感みたいなものが、わたしにはあったのかもしれない、日頃クラスの誰かが痴漢や露出狂に遭うことや、そういう要素が同梱されているツールが、日々の生活で必要不可欠なものとして、避けられないものとして組み込まれていたために。

トラウマと言っていいようなものかも。それが認知を歪めていたのかも。

今のわたしは、もうその危機感を持っている必要はない。わたしはもう学生じゃないし、深夜の繁華街にもいないし、なんたって島で暮らしていて、そもそも電車はない。

もういらない、古いお守りだった。

ありがとう。ばいばい!

そして、仮に嫉妬されても、下品な目で見られても、わたしは減らないし、損なわれないということを、わたしは今は知っている。

と、こうして、わたしは自分のために、今までずっと自分が手間をかけずにきた自分の女性性について、慈しんだらそれがどんな形になって、どんなすてきなものになるのか、自分で見てみたい、誰にはばかることなく、女性らしくした自分がどういう人になるのか、見てみたい。と、髪は黒髪ロングにしてみようと、まずは髪を黒に染めたのだった。


女神に乗っ取られたよ

という、これまでの流れがあってこそだと思うのですが。

いきなり3時間「Dynamite」を踊ったことで、「これ絶対筋肉痛になるわ」と、少しでも軽くしようと、熱心にストレッチしていました。これまた3時間くらいはしていたと思う。時間は深夜。

わたしはここ半年くらい、全身の筋肉を極力使わないような感じで、おそるおそる生きていた。単に怠けていただけなんだけど、体を動かすことになんとなしに嫌悪感が、ずっとあったのだ、その体のあちこちを、これまた久しぶりに伸ばしているうちに、その嫌悪感の元、体の筋肉の深いところから、嫌〜〜〜な気配を感じた。なんだろう…気持ち悪い不快感…

これ…体のトラウマだ…体が憶えている痛みだ…

自分の女性性を認めようとして、気持ちが変わってきて、そして次に現れたのは「女性として受けた身体の痛み」だった。これまでの、性交の、過去の、ずっと昔の、言えなかった、我慢した、苦痛だった、こういうもんなんだろうと思った、愛だと思った、好意だと思った、悪いと思って、気を遣って、本当は嫌だった…

「そういうこともあったっけな」、で、頭は「たいしたことない」で忘れていたようなことが、体の奥に、身体の記憶としてしっかり残っていた。なんだこれ。えー!すごい嫌だな!これどうにかしないと先に進めないの?え、しんど…女性性しんど…辛…

その時

『は〜〜、ようやっと出られる〜!』

頭の中で声がした。

『お待たせ〜よく頑張ったね〜』

(誰…?)

ちなみにこの間もストレッチ中である。

『ずいぶん待たせてごめんね〜。わたしは○○○○○○。これ、わたしの体だから』

知ってる神様の名前だった。

『わたしの体、本当はこうじゃないんだよね〜。ちょっとしばらくわたしが使うから』

そして、ぎぎぎーーっと股関節を真横に開き出した。

バレエを習っていた子供の頃、わたしは足が真横にほぼ180度開いたのだが、大学生の時、ステージで踊るのに不十分なストレッチで無理に開脚して内腿の筋肉が内出血してしまい、それから90度くらいまでしか開かなくなってしまった。その後少しずつストレッチしてもう少しは開くようにはなったが、毎回痛めた部位がすごく痛む。だから開かない。それを、

ぐぐ〜〜ぱきぱき〜〜〜〜

っと、

(いや、こ、怖い怖い!!)

こちらが心の準備が整わない勢いで、

キャッ

と開脚してしまった。180度ではないが、160度くらいに。

(わー…なんだこれ…)

起きていることに驚きながら、頭は混乱していた、それでも思考の方では、腿も、子宮も、悲しい記憶を残しているのが悲しくて、これをどうしようがあるんだろう…?可哀想だ…と、思っていると、

『それ、捨てて良いよ〜!』

(捨てて良いの?そうだろうか…でも、わたしが捨てたら可哀想すぎませんか?せめて大事にしてわたしが慰めてあげるべきものじゃないですか?)

『蝉の抜け殻は、抜ける前は蝉本体だけど、抜けた殻を指して「蝉」とは言わないでしょ?もうそれあなたじゃないから』

(そ、そうなのかな…上手いこと言われてる気がする…)

そしてぐいぐいストレッチしながらも、

『今のあなたの感じ、わたし、ちょっと違うんだよね〜〜。わたし眼鏡好きじゃないから、これから目も良くなるから。あと、胸も大きくしてあげる。楽しみにしてて〜』

(…。でも本当に目が良くなったらすごいな…)

ちなみにわたしは、近所の道の駅で、地元の奥さんに「ボク、どっから来たの?」と言われたくらいには胸がない。

(ところで、わたしはどうして耳が悪くなったんでしょうか)

訊いてみた。

『あなた耳だったら本気出すでしょう。だから耳にしたの。でも軽めにしといたから』

(!!…なるほど…おっしゃる通りです…。わたしは、もっと前からちゃんと運動とかするべきだったんでしょうか?ずっと、体動かさなくちゃ、とは思っていたんですけど)

『ううん、いいの〜!体が完全に怠けきってたからこそ、わたしが入ってきて変化したことが良く分かるでしょ。全てが必要な順番で起きていました』

(そうなんだ…そうかも…)

神様は、翌朝起きてもガンガンに頭の中で会話をしてくるので、そして体を乗っ取っているので、所作、立ち居振る舞い、全部が勝手に、美しく、動くのです。神事の所作のような、無駄なく、合理的で、振り付けのような、茶道のお手前とか、まさに神がかった人が設定したのかと合点するような、勝手に着たものは畳むし、食器は片すし、ちょっとつっかえる引き出しを押し込んでると、

『片付けなさい』

と、引き出しの上のホコリが目につくと

『拭きなさい』

と、

仕事着にクルーネックのシャツを選んだら、

『無骨ね〜〜』

と言われ、ギャザーの寄った薄手のブラウスに変えた。そして初めて仕事場にイヤリングをして行った…!

朝学校の支度をする子供にも、寝起きからして違う。女神が勝手に話しかける。目覚ましが鳴っても起きてこない娘に、

「起きることにしたら教えてね」

と優しく声をかけ、この日も着替え始めずに木の棒に自分で編んだマフラーを巻きつけて遊んでいたのを、

「何作ってるの〜?」
「マシュマロ作ってるの!」
「そっか〜焚き火で焼くんだ〜、あ〜溶けたらチーズみたいになってるよ〜」

そして実に優雅に楽しく朝食を食べ、うっかり集合時間を過ぎていたら、

「急いで、みんなにごめんね言ってね。でもしゅんとする必要はないから。わたしが時間を見てなかったのが悪いんだから、あなたは悪くない。自信持って行ってね。朝ごはん美味しかったね」

と言って送り出したんである。

誰…。

もちろん、毎度「もう起きなさいー!」で起こして、「遊んでないで先に着替えなさい!!」で着替えさせて、「もう、もお早く行って!!!」で送り出していた。

「女神かも…ママが怒らん…」

夜も、女神に体を任せていると、何かの作法のように顔を洗い、濡らした手拭いで体を拭って、実に水を効率的に無駄なく使って沐浴をしていた。

不思議な感覚だった。ゆっくり行動して、全てが最小、最短で滞りなく物事が整う。体を動かすときは全身の筋肉を満遍なく使っている。姿勢からして、立ち方からして、足の裏の付け方や、腰の位置や、普段の自分と全く異なっていた。

でも翌日以降は、ガンガン鳴っていた会話も無くなって、気配だけのようになってしまった。乗っ取られる瞬間もストレッチ中くらいでそれほどない。でもきちんと条件が整ったら、あるいは練習して、いつでも濃くつながっているようにすることはできるような気はしている。

生まれ変わったと思ったけど、去られた翌日は2回も火傷するし、別に、全然だめだめな部分は、だめだめでそのままあるのだ。

多分、女神の言ったことも、わたしの体を使ってしてくれたことも、「答え」なんだと思うが、わたしのレベルではまだそれが完全に理解されるところまで行ってない。「そうだろうか?」と思うし、忘れてしまうし、女神がしたのと同じようには二度出来ない。でもそれでいいのだという気がした。「わたしにそれができる」と知って、イメージできたことが大切だった。そして試行錯誤しながらやがて自分の理解でそこのレベルに到達した時、わたしは本当の意味でそれがなんであるかを知るのだと思う、そうやって自分でプロセスを通して深く理解することの方が、わたしが得たいものに近いという気がする。だから、今納得しきれないことも、忘れてしまうことも、同じように出来ないことも、問題じゃないのだろうと思った。


「Dynamite」を練習してみた

わたしはBTSが大好きだけれど、「Dynamite」は、なんというかわたしにとってはこう…公共物?に近いような、電柱みたいな?だもので、公開当時、あの社会情勢であの世界観の提案を、「なるほどな〜!」とは思ったけれど、自分に向けられた曲である…という風には感じなかった。

だからこれまで、「踊りたい」とも「踊ってみたい」とも思わなかった。

それが、先日、小学生のお友達が運動会で踊るという「Dynamite」を駐車場で踊って見せてくれましてね。「Dynamite」の前にはNiziUの踊りを踊ってくれたんですが、これが、まあーー!上手で!こんなに踊れんの小学生!?再現度も高い振り付けで。なんと可愛らしい!!

一方「Dynamite」が、非常につまらなそうに、振り付けもだいぶ簡単にアレンジされていて、ラジオ体操とまでは言わないが、

(ぐっ…「Dynamite」は……こうじゃない…!!!!!)

という謎の、義憤?がめらめら起こってですね。

NiziUのダンスがあんなに踊れるなら、「Dynamite」だって小学生はいい感じの再現度で踊れたんじゃないか?だったらわたしは踊れるか?わたしも踊れるんじゃないのか?じゃあ実際どのくらいの難易度なのか踊ってみるか?

そして早速帰ってダンス練習を開始したのであった。子供が夕食後に読書する脇で1時間、子供が寝た後2時間、

しゅん…

むずい…

最初のグク(ジョングクくん)の音の取り方からして全然わからん…最初の肩がぐにゃってなってるのもどうなってるのか一体…

初日は完敗でしたが、2日目くらいから理解されてきて、「なるほどなーー!」冒頭グクのところはストーリーと感情を動機に持ってくると合うのか。その他「なんだこれ…?」という振り付けは、元ネタが社交ダンスとかチャールストンステップとか、かなり古いところのイメージを持ってくると完成形がイメージしやすいのな…!

GRAMMYsの「Butter」でも感じたのですが、自分で踊ってみてますます、BTSは個々の表現力がすごく高いのだと思った。それは「ダンスが上手い」というのとは別で、とにかく一曲の間に一貫した強度の高い世界が、メンバーそれぞれひとりひとりに、毎回どのパフォーマンスでもきちっと浮かび上がるようになっている。メンバーみんなそれぞれにマイム的というか、ストーリーもしくは感情、エモーショナルな動機を振り付けに転化してるのの、メンバーによってイメージしているビジョンが違うので、それが有機的に作用して複合的な世界ができていて面白い。それが膨大な曲数それぞれにある。

「Dynemite」とか「Butter」とかって、振り自体がかっこいいというのとは、ちょっと違うと思うんですよ、語弊があるかもしれないが。それほど複雑でない、テクニカルでもない、中間的なニュアンスで、それがどっしり満足感あるように見せられるのは、そこに彼らひとりひとりが乗せている「この曲はこういう世界」という提案が乗っかっているからだ。

ブルースがシンプルなメロディーなのに泣けるのは、演奏者の人生がそのまま乗っかってるからだ。みたいな。

「Dynamite」のカバーダンスをいくつか見たけれど、ダンスの再現力がどうこう以上に、見比べると、まあ雑な言い方をすればBTSのメンバーには「なりきってる役」みたいなものが、アトラクションの添乗員的な、作っている世界観が、一瞬も崩れないでハイレベルに成立している点が特徴的なのですな。音楽が始まると同時に、とある世界が、ファンタジーが生まれて、曲の終わりと共に幕を閉じるというような、一幕の「作品」のようになっていると言えるのではないかと。それは以前からずっとそうだから普通のことのように受け取っていたけど、他のアイドルのステージを見ていると曲の世界に集中している瞬間ばかりでないことはままあるので、どの舞台のどの本番でも世界が、弛みなく組まれて隙がないのは、まあすごい実力というか、ダンスや歌の再現性とか以上に、始めからそこの成立度合いをゴールにしているチームなのだよな…。

BTSが出演した音楽番組のオンエアを以前の楽曲から最近に至るまで繋げた動画を見たのだが、「Blood Sweat & Tears」とか「Fake Love」とかで表現力がずしーーんと重くあって、まるで2時間の戯曲を見せられているかのような、濃いパッションが、あの頃あったなぁと思って…。でも当時、若い彼らに、本当に2時間の戯曲をやるような世界観を保持する能力を持つ機会があったわけでもなし、重く濃く奥行きのある感情を込めることができたのはどうしてなんだろう?と。「表現力がある」というのは、「表現に値する世界を持っている」、つまり、自分の中に世界を作り、色濃く、複雑で、広域で、それを一定時間保てるという、想像力の豊かさと、感情の豊かさと、集中力の持続能力がいる。そう思ったとき、花様年華に込み入ったストーリーがあって、彼らは自分たちの曲を歌い、踊る以外に、それを理解しなければならなかったが、楽曲に付随してつくられた膨大な量のストーリーに彼らがコミットすることで、結果、ステージで演奏する4分ほどの音楽の中に、ものすごい情報量のイメージとストーリーと感情を乗せてパフォーマンスすることができたのか。と、青年の彼らの情緒を育て、今に繋がる表現力を高めることに、あのストーリー群はものすごい貢献をしたんだなぁ〜〜〜と思った。まさか計算尽くか。やはりか。

ところで、「Dynamite」のパクチー的キラーポイントは、ココ!

これ、見てる時も一瞬「ふっ」っとひっかかってたけど、

左人差し指と、左足を一緒に出しながら、

右手を当てた後頭部を前に突き出す

今、立って、ちょっとやってみて〜〜〜!!!もう、わたし大笑いしちゃうんだけど。「う、うっそ〜〜〜……!!」って思って。こちとらお笑い必至なのに、こんな振りでも一応かっこいいのはやっぱりすごいな。

というわけで、もともと「Dynamite」は踊りたくならなかったパクチーは、むしろ「That That」が踊りたかったの。「そうだ、「That That」が踊りたかったんじゃないか、「That That」を踊ろう!」と思って練習した。んだけど、

最初の「??????!」という感じと、それが理解されてきて、「ああ〜〜!!うわあ!」となる快感度合いで、噛めば噛むほど次の味が出てくる妙な魅力がある「Dynamite」に軍配…

いい振り付けだなあ…!!!

何より、とるものとりあえず、問答無用で半年ぶりにわたしに体を動かさせたのは「Dynamite」だったのである。運動することが必要だったわたしは、彼らに、この曲に救われたんである。うっうっ…BTSを好きでよかったよ…。謎の義憤よ、ありがとう、ありがとう、BTS…。

というわけで。パクチーの近況報告終わります。だもので、結構ネットも離れていて、女神に「片付けなさい」と言われた引き出しを整理したり、きれい目な服を押入れから引っ張り出したり、内面に気を満たして充実した日々を送っております。

みなさまもどうか、すてきな日々をお送りくださいませ。

ジンくんのinstagram、「うっそ…!」ってつい声が出ちゃったな。盛らない…それでいて最高に輝いてる…すてきだ…。

instagramの埋め込み、画像が表示されないときなくない…?


それではまた!




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