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ジョングク『GOLDEN』、極上でマルチな、エンターテイナーとしての到達点

ジョングクくんのアルバム『GOLDEN』、ついにリリースされましたね!タイトル曲の【Standing Next To You】のMVが解禁となりました。

すごい!古典だな…!と思いました。ポップスの古典…!

パクチーは洋楽ばかりを聴いてJ-POPを全く聴かない10代だったんですが、アルバム全体がすごく、どこかで聴いた感のある、古風な感じすらある、往年の「ザ・洋楽」でしたな…!

だがむちゃくちゃ音が良い〜〜!

【3D】と【SEVEN】だけが今のトレンドのサウンドって感じで。

これって、でも、洋楽に憧れて、歌に憧れて、「こんな歌をいつか歌いたい」と思って歌手を目指したかつての少年が作るアルバムだったら、まさに夢のようなアルバムなんじゃない?こんな歌を歌いたかったんだろう。自分の聴いてる洋楽を自分の声で歌えたら、どんなにいいかと思ってたんだろう。それを、全部、自分のためのオリジナルで、そして11曲。

この、超ド短期間で11曲。すごいですね〜…むちゃくちゃですね〜…むちゃくちゃなアウトプット量&高精度ですね〜。しかも全然まだまだ余力がありそうな。こういう歌の表現、やりたかったんだろうな。イメージの準備はとっくに意識の奥にあったんだろうな。だから準備期間0日ですぐに最適解でアウトプットできたんだろう。【Standing Next To You】が、聴いて翌日レコーディングしたと言ってたあたり(シュチタep.21より)、この、ハードワーク&高精度が、黄金マンネの高い高いポテンシャル、てっぺんが見えないくらい、どこまでも高い能力が、いやほんと、まじで、本当に、あの体ん中に入ってたんだなあ…という、感嘆。

ジョングクくん、シュチタで「もっと早くに活動を始めていれば…」って目をうるうるさせて後悔している風だったけど、これ…!仕方ないよ…!ガツっと極端に活動して、バーンと極端に虚脱して、ガツっと活動して、バーンと虚脱して、5回くらい繰り返してるうちに丁度良いところが取れてくる、かな〜と思う頃にお迎えだよ。後悔も人生の味わいの一部だよ。まあ、黄金マンネなので、次回からベストペース掴んでくる可能性は1000%ですが…。

ところで。このTikTokを見たのですが。

この手の、ブラックカルチャーの、黒人のソウルのあるダンスは、動きの動機が臍の下、丹田にあるんですな。そこをエネルギーの発信地にして、そこから同心円状に、体の中をエネルギーが、波打つように指先に向かって波及していく。時差がある。体幹のコアの部分のブレなさと、稼働する関節の柔らかさを、どうぞご覧あれ!コントラ〜スト!動きのある部分と固定してる部分の、コントラスト、メリハリ、がはっきりあって、何をしたいかがよく分かる。人間には脳が二つあると言いますが、頭の脳じゃなくて、丹田の脳が動きを主導している。そこはソウル(魂)のある場所なんですな!LE SSERAFIMさんとのコラボでは、ホンジンさんが、さすが、丹田が動きの出発点に彼女もなっている。ブラックカルチャーの感覚が体の中にあるんだな〜さすがだな〜と思いました。

続きましてこちら

TXTのヨンジュンさんは、ダンスの神様に愛されてる系のダンスの鬼だと勝手に思ってるんですけど、これ見てやっぱり、「ヨンジュンくんはK-POPなんだな!」と思った。上手い、上手いし、彼は充分このダンスを彼の言語で咀嚼してるんだけど、「正統に踊ろうとすると、ルーツが違うのか…!」と。

ところで。

ジョングクくんって、満点マルチの黄金マンネじゃないですか。

何でも出来る。やらせたことは大抵何でもできる。そして、やらなければならないことは、必ず、やれなくてはならない。彼は、「やれて当たり前」で、常に、業界と、オーディエンスと、100点満点の100点から始まる減点方式で、コミュニケーションを取ってきた訳です。これって、どれだけ辛いか分かります?

安心が積み重なって行かないんです。出来て当たり前だから、出来たことが特別自信にならないんです。そして、出来たことじゃなくて、ちょっとしたわずかのミスや、ちょっとしたオーディエンスの気に食わなかったところ、ちょっとした配慮のミスが取り沙汰されて、減点されるんです。もともと、「自分は愛されているな」という、愛の根拠がないんです。「良く出来てるから愛されてるのかな」。成果に対して与えられる評価は可変なので、恒常的な安心にも、根本の愛情の土台にも、どうしてもなれない。

そこで生じる不安を補完して、情緒が安定するように育てたのはメンバー達だろうと思いますが、メンバーと離れて、一個人、独立した一個の彼ひとりのマインドセットを考えたときに、古典を習熟する、時間をかけて実力の基礎にする、というのは、とても賢い…!と思いました。

アートっていうのは評価が、人によっても時代によってもばらけるじゃないですか。その中にあって、一定以上の評価が変わらないものが古典です。ジョングクくんは、自分の中のアート性を頼るんじゃなくて、大袈裟に言えば、エンターテイメントの歴史を遡って、古典からもう一度習得し直して、本当に揺るがない実力を、自分自身の能力として身につけることをしたんだな、という感じが、見ていてしました。

クラシックというジャンルは「99%の基礎と1%の表現の自由」という風にパクチーは思っとるんですが。であるから、99%の基礎の習得にものすごい年月を費やす。クラシックバレエは、入団の際に母親の体型を見ると言います。音楽家は3代で完成すると言います。一代じゃ成立しないわけです。この、「基礎があるか無いか」は、だから経験者には見てすぐに分かってしまう(よね?)。

一方、基礎が充分習得できていなくても、見栄えのするジャンルというのがあります。初心者が演奏しても聞き映えのする曲。それがポップスだ。

アイドルの練習生が3年トレーニングを積んで、プロデビューするとします。クラシックバレエだったら、5歳から始めた子がトゥシューズを履くまでに、5年以上はかけます。クラシックピアノだったら、3歳から始めた子が、リストを弾くまでに、まあ15年かけます。例えば、歌のシーンがある演劇で、普段歌を歌わない役者さんを歌唱指導をするとすると、1ヶ月半で、プロっぽく聞こえるように仕上げなくてはいけません。そうしたら基礎は全部すっとばして、本番の期間だけ保って、あとはしばらく喉がつぶれてもいい、というような、付け焼き刃の持続性の無い手段を取ることがあります。これは中長期的に見たら、その役者さんの歌唱人生のためには良く無い。

3年でプロの表現に耐えられるレベルで詰め込める技術って、実はたかが知れてるんです。手法も限られます。表現力は、ステージを繰り返すことで高めていけます。しかしクラシックの基礎力は、本番を通して自然に身に付いたりしない。むしろ基礎を持っていてもだんだん変質してしまう。だから常にじっくり地味な基礎練習に時間を取って、日常的に修正しないと、「荒れる」。クラシック奏者がレストランなどで演奏のバイトを続けると、「荒れる」と言います。ポップス寄りに表現の木目(キメ)が荒くなって、繊細な情報を表現する聴力と筋力が落ちる。

わたしに【Standing Nest To You】のダンスのジャンルの造詣はないんだけど、ジョングクくん、このジャンルのダンスの基礎、バーレッスンに相当するようなところから、ちゃんと習得したのかな…!という気迫を、充分な重量感を、感じました。この、ポップスの古典とも呼べる楽曲、そしてダンスは、ルーツがアメリカのエンターテイメントにある。アメリカのエンターテイメントのルーツは、ヨーロッパの古典にある。例えば、アメリカの一流の俳優は皆んなダンスが出来て発声ができる。それってエンターテインメント業界に生業を持つ人の基本で、演技のプロほど、当然の素養として持ってるんですよね。欧米のエンターテイナーが教則レベルで体に入ってる古典、これは彼らの文化圏のもので、アジアは持っていない。この習得には時間がかかる。

古典。つまり本家が見たら、付け焼き刃なのなら直ぐに分かる。「そこを攻めるんだ…!」。でも、ジョングクくんはちゃんと、これを丁寧に習熟している!と、わたしにはそう見える。

そんなこと言ってパクチーさん、じゃあ、プロとして10年アイドル活動をしていたことは、クラシック的に見たら価値が低いの?そんなことはありません。プロとして10年、自分の体を使って表現してきた、「自分の体についてよく知っている」ということが、実にすごく大きなアドバンテージで、クラシック的な基礎を身につけるのに必要なものがあるなら、あとは覚悟と時間だけでしょう。自分のアウトプットをモニターして修正する、モニターして修正する、古典の習熟はその繰り返しです。その精度が高かったら高い分だけ、早く習得する。ジョングクくんらがそこについて比類ない人たちであろうことは、簡単に想像できますね…。だからタレントって言うんですけど…そういう人たちがタレントと呼ばれるわけなんですが…。

今、彼が、韓国からソロで世界に出ていって、TikTokのコラボで後進のアイドル達に言わば古典を、輸入しているような形になっているのは面白いなと思いました。古典のエキスを後進に注入している。K-POPの歴史は、ビルボードのトレンドを輸入することから始まっていて、その時々でトレンドを、フェイスを入れ替えるように付け替える、そういう表面的なアタッチメントで戦略してきた。だから器用さとマルチカラーがアイドルという容器には必要だった。フェイスの切り替わりの早さも尋常じゃなく、持続可能な働き方のできる仕事じゃなく、それでその人自身の価値は?と問われたら、それは原価償却していくんですね…。だからK-POP業界のアイドルの寿命は短いと言われてきたわけだ。

だけど、トレンドに左右されない表現力を、後発でもちゃんと自分で身につけることが出来たら、自分の表現の中にそれがあることちゃんと信頼できていたら、エンターテイナーとして業界で仕事を続けていくことは、必ずできる。オーディエンスの熱しやすく冷めやすい評価に依存することなく、自分の価値を、自分で冷静に評価することができる。

反転アンチというものについて今勉強しているんですが、もともと熱心なファンだった人が、アンチに反転するという現象、これって、「私の望む通りにしないあなたからは、この愛もお金も取り上げます」ということですよね。これって毒親がやってることと同じだな、と考えているんです。これ、愛じゃねーよな。これを愛って呼ばないでくれ。毒親にはその人自身のメンタルの問題があったり、大抵背後にはやはり毒親がいたりする。これが、アイドルという「商品」に対する顧客の不買反応なら、まああり得るんですが、攻撃行動になってしまったら、前の状態を、だからそれは愛とは呼ばないでくれ、と。じゃあ、愛じゃないなら何なのか。それが今わたしが関心を持っているものなんですが。

毒親から自由になるには、子が親を捨てるという選択肢がひとつあります。ジョングクくんがアイドルを続ける限り、熱心なファンが反転アンチになる潜在的な可能性を、常に抱えながら生きることになる。彼は、ARMYを捨てて、幸せになってもいい、と自分に許可してもいいんです。ARMYのひとりもいない火星に行って、誰からの要望からも期待からも自由になって、捨ててもいい。その時、ひとりになった彼を生かすのは、彼自身が自分で「信頼できる」と思える表現力です。古典はそれになれる。古典のスキルがあれば、彼はARMYから自由になることを選択できる。選択できるから、ARMYの隣にいることを選択できる。後進のアイドル達に彼が古典のエキスを注入していることを、わたしは、それを意義深いと感じて、だから興味深く思っているわけです。

…と。そんなことが、このアルバム、特にタイトル曲のジョングクくんから感じた、思いでした。もう自由になっていいよ。ファンの愛憎に依存しなくてもいいよ。君の10年は、もうソロのマルチプレイヤーとして充分、極上のエンターテイメントのレベルに達しているよ。だから、君がARMYの隣に立つことをその都度選んでくれるんだったら、きっとみんなは嬉しい。

最後に。

歌も、ものすごく上手くなってるよね…!!

たまたまおすすめに上がってきた【Take Two】を久しぶりに聴いたら、まあー!ジミンくん、Vくん、ジョングクくんの、ボーカルラインの上達っぷりが、顕著ですね!3人ともそれぞれ、ソロ活動するにあたって、ボーカルトレーニングを「し直した」と言っていて、聴き比べたら、本当に実に、見事に上がっている!

え?そうです…ジンくんだけが違う、ひとり特殊なんです…。

これはわたしのイメージなんですけど…ジンくん以外の3人は、結構、声でニュアンスが出せる、からこそ、ニュアンスで勝負してる部分がよく聴き取れる。ジンくんだけが違って、ジンくんだけが、職人的である。きっちり同じ大きさのキューブを隙間なくぴっちり並べるような。であったのが、ジンくん以外のボーカルラインの3人も、ニュアンス勝負からもっと…例えは悪いんだけど…塀に描かれるグラフィックアートから、緻密に音を計算して構築している、職人的な方に声のデザインが、寄って行ってる…!

アルバム『GOLDEN』の中には、洋楽らしいフレーズの抜け感もあり(【Yes or No】)、韓国のパンソリ的な、「恨(ハン)」を感じるようなごん太の強い地声もあり(【Somebody】)(ジンくんが得意そうな)(※「恨」は日本語には訳せないと言われる、韓国朝鮮の民族的風俗的感情)、全曲、ぎっちりみっちりと良曲…でも単なる「洋楽」に収まらないアジアの香りが、「あるような気がする…!」と思わせるのが、良いと思いました。

個人的には【Too Sad to Dance】の、パパが歌詞に出てくるところでうるっときて、【Shot Glass of Tears】との両曲が、詩のストーリーと楽曲の構成と合わせて素晴らしいと思いました。もう以前のジョングクくんから脱皮して違うものになっとるがな…。

このアルバム、この曲達全体が、ジョングクくんを一皮剥かせた、ぐっと成長させた、押し出したんだろう。

しばらくは、新生ジョングクくんに繰り返し驚けそうな予感でいっぱいです。

それでは、また!




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