BTS Jiminソロアルバム『FACE』
こんにちは。パクチーです。『FACE』、聴きました…?みなさん、どんな感じでした…?心地良く、切なく、柔らかく始まり、気持ち良く聴いて、のち…歌詞を見て、わたくし、
地に沈んでます…。
すごく、胸を打たれて、苦しい感じ。自分のいろんな記憶が歌詞と混ざって混乱している感じ。その感情の渦にわたしを押し込むアーティストジミン…乾杯です…Pour it up, it’s all f****** over。溢れるくらい注いでよ。今日は素面でいたくない。
とな。
なんて。
結構ヘビーなので、暗くならないように、明るく行きたいと思います!努力!
01
Face-off
「崩壊」
だからこのnoteは、彼の作品が何を語っているか、ということよりも、わたしがこの曲から何を想起したか、という、わたしの人生の話です。わたしは、最初この歌詞を見て、主語の「I」は、「ARMYを今まさに辞める人」だと思いました。なぜそう思ったのか?何となくです。
シュチタの、ジミンくんがゲストの回で、この曲【Face-off】が何をテーマにしているか、ピー音で隠されていますが、一応語られています。具体的には分からないし(SUGAくんは分かっていそうだが)、「ARMYを今まさに辞める人」だとは全く語られていない。ジミンくんが誰かに宛てて言っているのかもしれないし、ジミンくんが誰かに言われたことかもしれない。
あるいは彼が、「ステージに立って歓声を受けるジミン」をアイデンティティの全てにしていて、初めてそれを無くした自分と「Face-off(=対面)」したのかもしれない。
わたしは一度、対人恐怖症のようになったことがある。大学を卒業して舞台の仕事を始めて、毎日が刺激的で、周囲は魅力的な人たちばかりで、脳をフル回転して全力を注いで、評価もされ、自分はこの上なく良くしてもらっている、という実感があった。ある日ボスが、「君のこと、みんな嫌っているよ」と言った。わたしは訳が分からなくて、だって一瞬もそんな風に悪意を向けられていると感じたことがなかったから。それを言われたタイミングが、また悪かった。シンガポールでする公演とその準備中で、わたしはその異国の地で常にその「みんな」といる以外、行き場がなかった。わたしは役職上稽古の進行を仕切る立場だったから、「みんな」を仕切ったり、要望を聞いたりしながら、頭の中は「?」だらけで、それを聞いたところで、みんながわたしに向けている態度の印象が変わらないのだ。みんながみんな、わたしのことを大好きではないにせよ、尊重されていると感じた。これは嘘なの?本当はこの笑顔の下で、みんなはわたしを嫌ってるの?おくびにも出さずに?大人だから?これまでの楽しかった時間、わたしが感じてきた信頼、あれはわたしだけの感情で、そこには何も確実なものが存在していなかったのだろうか。だとしたら、「みんな」は、なんて演技が上手いんだろう…。
そのたった一言は、わたしが見るもの、感じるもの、受け取る感覚の全てを、一時、自分で信じられなくなるようにしてしまった。
【Set Me Free Pt.2】の歌詞にもある、またBTS【ON】にも類似する歌詞のある、「狂わないために狂おうとするんだ」。
「狂わないために狂おうとする」のは、ファン活動も同じなのではないか?という気がした。推しに夢中になることで、毎日を生きる自分を保つ。社会に狂わされないために、推しに狂おうとするんだ…けれど、それはアイデンティティにしてはいけないのだ。「他人」を自己のアイデンティティの土台に組み込んじゃいけない。と、それはわたしは自分に対して一生懸命言いきかせている。わたしはnoteでBTSのことを書いて、それに対してフォローして下さる方々がいるけど、それはBTSの力で、わたしの力ではない。どんなにnoteを書く自分を自分らしく感じる瞬間があっても、アイデンティティにしてはいけない。
今日も世界のどこかで、新しくファンになる人がいて、世界のどこかでファンを辞める人がいる。「狂う」の対義語、「正気」になって、自分が費やしたもの以上に、自分の中に構築されたものが無かったと感じる人が、あるいはアーティストに対してダメージを与えるようにして、去る場合があるかもしれない。
強固だと思っていた足場は、腹の底から安心して立っていられる足場は、そこに「他人」が入っている場合、ある時すっかり崩れてなくなる場合がある。
そういう、足場を見失ったときの体感に、この曲はよく似ている。自分でないものを当てにしていたことに気付いて、そこの部分は空虚だったことに気付いた時の体感と、この詩の世界から感じるものが似ている…。
『FACE』、ファーストステップ、崩壊。永遠に強固だと思っていた足場が、実際はそういうもので出来ていなかった、と知ること。
02
Interlude:Dive
ホテルだろうか?ドアをノックする音。フタッフとの会話。ステージの本番。帰路。そして自宅に着いたのだろうか。水を飲む音。
人に囲まれて起きて、莫大な人に囲まれて、最後は一人で終わる。
この、「ひとり」と「多数」の対比は、彼の日常でもあり、次の曲でのキーワードか。
03
Like Crazy
「逃避」
この曲は「Like Crazy」という映画からインスピレーションを得ていて、その映画のセリフが冒頭と終わりに入れられてるのだそうだが、セリフを語るVくんに「そ、レ…反則ら……」と日本語を失う破壊力、は、さておき。
歌舞伎の舞台に関わった時があった。大学卒業してすぐ頃、それは初めて経験した、役者さんの付き人をする仕事で、楽屋の数の関係上、わたしは大変な役者さん方が数人おられる楽屋に毎日出入りすることになった。
劇場での公演中、毎日のように楽屋には何か贈り物が届く。
ショービジネスで、観客の中心は女性だ。役者さんや舞台に関わっていると、女性がある芸能人のファンになり、熱心に贈り物を贈り、その人の都合でぱたりとそれが止む、というところを何度も見る。ファンを持つ側からすれば、何が動機で心が離れたのか分からない。やがて数年して「結婚しました」「子供が生まれました」というレターが届く。誰かの人生の一時期、強いエネルギーで愛される存在。でもその始まりと終わりは知らされない。自分に原因がある場合もあるが、ほとんどが、自分と関係ないところで起きる。想像のしようがない、自分が関わりようのないその始まりと終わりのきっかけについて、彼らは心の中で喜び、悲しみ、しかしそれとは別に、自分の人生とリアルの人間関係を持っていた。
わたしはある若い役者さんの、常連ファンからの贈り物を眺める目が忘れられない。その愛は糧であり、でもすがるものではない、と線引きしている目に見えた。今日受け取る愛が増えても、減っても、その日のパフォーマンスは何一つ変質させられない。その瞳が、若くても達観しているような瞳が、「プロだなあ...」と思わせた。わたしが日常扱わない感情に関して、彼らは習熟している。
その喜悲は、芸能を生業にして生きる人の、生涯そこにあり続ける日常の一部だ。
アイドルたちは、「狂わない」ために「狂おうとする」くらいのエネルギーで、人生の意味をかけて愛される。
そして、主体がその人自身に戻った時、全て帳消しにされる。
彼らはステージ上で、ものすごい膨大な量の情報を受け取っている。また、彼らに向けて発せられるエネルギーも、膨大だ。
そして、家に帰ったら、一人だ。
本番を終えると、袖にハケて楽屋に向かう足取りというのは、なんだか現実感がない感じがする。頭がジーンと痺れいているような、ふわふわと、ここがどこだか分からない感じ。視覚はまだスポットライトの光の中にあるような。肉体の輪郭が曖昧な感じ。時間が消えるような。耳の中が、自分の脈打つ音ばかり聞こえるような。
居酒屋で、自分が楽しく盛り上がっている飲み会で、トイレに立つのに似ているような気がする。束の間喧騒を離れて、誰もいない通路に立った時、「あれ、意外と酔ってるな」と思う。ふわふわして体の輪郭が遠のく。やけに光が綺麗に見える。ここはどこだっけ。今何してたっけ。誰といたっけ。トイレに行くんだよな。トイレはこっちだっけ。このサンダル履いていいんだっけ。わたしはどこに戻るんだっけ。何を話してたっけ。わたしは誰だっけ。今日は何があったんだっけ。
右。
左足。
扉を掴んで。
光が眩しい。
体の感覚が鈍い。
いや。
体の感覚が鋭い。
ここはどこだっけ…。
本番直後、意識がふわふわと上がったまま、降りてこない。この足は楽屋に向かってるんだよな。これから着替えるんだよな。体の輪郭が曖昧だ。階段を降りる。手すりにちゃんと捕まっている。メイクを落として、靴は履き替えるんだよな。明日の入り時間を確認して、わたしは家に帰るんだよな。今日来てくれたあの人にお礼のメールをしなくちゃな。酔っ払った感じ。
まさしく酔っ払った感じ。
全身の細胞を泡立たせて、極端な興奮。
空間の極端な落差。
初めてのライブに行った帰り、でもいいし
初めてのデートの帰り、でもいいし、
帰りの電車も、ひとりでいてもどこかふわふわして、
家についても、どこか時間の感覚が曖昧で、
周りの物と距離が近いような、
全部が一つに溶けてるような、
自分の意識だけが世界をいっぱいにしているような、
それがしょっちゅう繰り返し起こる。
パンチドランカーみたいに、家にひとりでいる自分に、現実感がなくなっていく、時間の感覚がなくなっていく、体の感覚が曖昧になっていく、どこにいる自分が本当か、分からなくなってくる。
躁と鬱のように、コントラストの激しい日常。
それが、自分自身を見失わせる。
感覚を狂わせる。
現実感を曖昧にさせる。
ここがどこだか分からなくさせる。
ステージを生業にすると決めたなら、
その日常がその人の人生になる。
このMVも、歌詞もセリフも、ステージで、ものすごい量のエネルギーを浴びることと、家でひとりでいる時の激しすぎるコントラスト、誰かからの強い愛情をマスで浴びて、また根こそぎ取り去られることのコントラスト、を想起させて、現実感が曖昧になる感覚を思い出させて、ぞっとしてしまった。
それに中毒してた自分。
それがなくなって
禁断症状にも耐えられなくて、
代わりに感覚を濁して
自分を曖昧にして、
ずっとそのままそうしていたい、
何も苦しくないままでいたい。
『FACE』、セカンドステップ、「逃避」。
04
Alone
「対面」
この歌で、彼は虚飾のない自分と対面している。
逃避の先に、自分の奥に見つけた、
弱って、
本当は傷ついて、
大丈夫だと言い続けることも、自分に言い聞かせることにも、すっかり傷ついてしまっている自分。
やっと見つけた、何も纏ってない、
どこからどこまでも、全部、自分。
『FACE』、サードステップ、「対面」。
05
Set Me Free Pt.2
「脱皮」
すると、【Set Me Free】は、【Alone】で見つけた自分が、その周りに纏っていたものを打ち破って、次のステップに飛躍することを歌った歌だということが分かる。
1曲目では、「自分はこういう人間だ」というイメージが保てなくなった。彼はそのことを受け入れる過程を経て後、新たな自分像を生み出さなければならなくなった。
【Alone】で見つけた自分を、大変な思いをして、葛藤に打ち勝って、表面に引き出した。【Set Me Free】はその結果生まれた楽曲だ、と見ることができる。
この楽曲について、そして振り付けの振り切れた世界については前述。
ああ、だから…
見事だな!
アルバムの、だからこの順番か。
「崩壊」
「逃避」
「対面」
フォースステップ、「脱皮」。
3曲目の【Like Crazy】の歌詞を見ていると、ジョングクくんを想起する。
目の前で人が、アンバランスだったり弱音を吐いたりするのを、「大丈夫だよ」「そんなこと言わないで」と言うのは、「私を不安にさせないで」という意味が根底にある場合が多い。でも本当に、どうしたって、そこにしかないものを、獲得して戻らなければならないのなら、周囲は邪魔をしてはいけないのだ、他人の手を必要するタイミングまで。それがメンバーの誰も良く分かっているんだなあ、自分の不安が惑わされることを、自分で処理できるんだなあ、と思って、感動的な会話だった。
わたしはジョングクくんの長いWeverse Liveを見て、「本当にこの方の言うことは、まっとうなことばっかりだ…」と、しみじみ感心した。前からそう思う機会が、彼の話にはしょっちゅうあるのだけど、今なおそうだ。普通の人が試行錯誤でたどり着くところを、ホップステップジャンプで、3ステップくらいで次の展開に辿り着いている感じがする。
彼が過ごす部屋の様子を見ると、どんなことを想起するだろうか。暗くて、小さな光がゆっくり動いて、音楽を流して。わたしは、「ゆるめたい」だ。わたしは、ずっとギリギリと引っ張っていた緊張を、とにかく今最大限緩めようとしているように見える。これから先の恒常性のために。10年分のバランスがどうやったら今取れるか、彼が取ってる行動も、感覚も、自分の何を頼りにするかも、大変真っ当だ!!正しすぎる!!と思って感心する。
自分自身を見失わせる。
感覚を狂わせる。
現実感を曖昧にさせる。
ここがどこだか分からなくさせる。
と、【Like Crazy】のところで書いた。
膨大な情報とエネルギーの渦から、部屋で突然一人になる激しいコントラストを経験して、この中で自分のバランスを取り続けるために、ひとつ重要な方法がある。ひとりでいる自分が、自分のために、数十分の時間をかけて料理をして、温かい出来立ての食事を食べる、ということだ。
これ、芸能人で、出来る人ばかりじゃない。そしてジョングクくんは、これが出来る人だった。Weverse Liveの中で料理するのを見て、とても丁寧に、イメージを持って、端折ることなくプロセスを辿って、自分のために全てを自分のエネルギーに変えるところは感動的ですらあった。わたしは、彼は自分のケアについてとても理性的だと感じた。パートナードッグのバムくんのお世話がきちんと出来るように、彼は自分のケアを出来るの人なのだろう。
推し活動は、人によっては良い作用ばかりではない。時に、若い人の身の丈を見失わせて、自分自身に投資できたはずの時間とお金を、そのまま会社の利益になるように誘導することが、自分の仕事の一部であることを分かっているのかもしれない。実生活を損なって、アーティストを傷つけるようにしてファンを辞める人がいることも知っている。それでもアイドルの仕事をする自分を愛さなくてはならない。「自分より僕たちを大事にしてはダメですよ」とジョングクくんが言い、それは、この仕事が持つ業を、少しでも自分の背負える範囲に出来ればと思うからだろう。
誰かの人生の一時期、人生をかけた強いエネルギーで愛される「アイドル」。
そのことの「業」を、生涯抱えて生きる。
それについてよく分からず一生懸命頑張る時代は過ぎて、それと正体する、大人になったジミンくん、が、そこにはいるような気がした。
引用は、仏陀さんが言った言葉だそうである。莫大な量で愛され、前触れなく取り上げられ、頼られ、傷つけられ、その激しすぎるコントラストのある愛の中で育てられた、「アイドル・ジミン」。
そのジミンくんが、「ARMY」をアイデンティティにするジミンくんを通り過ぎて、今、何者でもない「自分自身」がコアにいる。いつもそこから生み出すものを、この先もずっと「ARMY」の隣に差し出し続ける。これが、新たに彼が獲得した姿勢なのかもしれない。
このアルバムは、そんなようなアルバムに思えた。
うーむ、結局暗い感じになっちゃったな!いや、全然、こんなに暗い内容じゃないのかもしれない。もっと歌詞の、言葉通りの内容で、わたしが引きずられちゃっただけなのかもしれない。でもジミンくんもWeverse Liveで「ちょっと重たい歌」って言ってたし、仕方ないか…!ここを避けたまま、彼は別の話は出来なかったんだろう。
そして、『FACE』をまた頭から聴く…
おわー…
沈むー……
美しいー…………
シュチタで、SUGAくんがジミンくんの世界を愛しんでいるのを見て、愛するメンバーたちが内側の世界を開花していくことを、この世で最も愛しんでいるのは彼ら自身なような気がして、美しくて、わたしは目眩がしそうだよ。
それでは、また!!
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