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BTSの世界線はいくつあるか

 なんでもない風を装って「Butter」についてnoteをひとつあげましたが、本当はそれとは別にめっちゃ気にかかっていることがある。こんにちは。パクチーです。タイトル画像は本文に関係なく、なんだか気に入ってるゆんちゃん(SUGA)のスクショです。

 旦那くんがパクチーに言った。

「じゃあ今から一週間、ポジティブなことだけ言おう」
「むりむりむり!最近ずっと頭の中で悪口ばっかり言ってるから」

 間髪入れずわたしはお断りした。忘れもしない、5月14日の午前中、わたしたちがふたりでやっている、お店の開店準備中であった。旦那くんは「だからこそだよ…」と言い、「そうか…」と言い、わたしたちは「ネガティブなことを互いに言わない週間」を始めることにしたのでした。

 開始直後は、「これ、ネガティブなことを言わない代わりに、高度な嫌味合戦になってしまうのでは」という懸念が発せられた。しかし、最初に頭の中で生まれた言葉→ポジティブに言い換える→嫌味になっていないかチェック→感じたことを再度見直してポジティブな面を見つける→言語化する→伝える、という長い長いプロセスを経ることで、嫌味合戦を避けることは、可能ではあった。合言葉は「Are you positive?」。

 結論から言うと、これ、わたしにはすごく良かったのでした。

 まず、ここ数日、頭が重くて、思考が遅くて、自分が階段の踊り場にいるような、見渡しても空間の果てまで踊り場であるような、行き詰まり間があったの。それがふーっと抜けたわ。そして頭が重くて思考が遅くて、となったその場合、すっと眠るようになったわ。前はその状態でも夜ぐじぐじ起きていたの、きっと不安で何かをしたかったんだと思う。

 そしてネガティブなことを言いたくなる瞬間、というのを捉えたわ!幻のイエティを映像に収めたような嬉しさ!なんのことはない、「攻撃的な態度をとられた」と感じたとき、反射で湧き上がる攻撃衝動、であった。うーん、そんなことか、シンプルな…。そこで一度内観できれば、ネガティブを口にしてしまうことで起こるマイナスのスパイラルを回避できる、最初の分岐になるようだった。

 そして、そんなこんなが関係あるのかどうか、

 世界が変わった。

 かつてわたしは、ひとつの歌詞を書いたよ、「深呼吸ひとつで 世界が変わる」という歌詞。それは、「深呼吸をして、それをきっかけに自分をニュートラルにし、ノイズをクリアにできた時、自分が望むことが実現するバージョンの世界にシフトしている」ということの意味を、詞にさりげなく語らせたかったのだった。自分が今どのような状態でいるか、わたしたちはこの一瞬、毎瞬毎瞬、自分が発するトーンと引き合うバージョンの現実にシフトしている。

 …というのは、実感を持って分かっているつもりだった。けれどそれは、「自分の態度や発言に対応して、相手のリアクションが変わる」「頭の中でイメージしたものの実現が数パーセント早まる」くらいのことだったんだよね…、それはつまり微差だよね。小さなポジティブを積み重ねて、自分でも気づかないくらいの変化で世界が変わることは漠然とイメージしていたけど、まさか、知ってた記憶と異なることが常識として共有されているほど、バージョンの異なる世界に来ようとは。知ってた記憶と異なることが常識として共有されているほど、バージョンの異なる世界に来ようとは…!え、なんだこれ、わーい!すごい!すごいな!…どこなんここは!

 とりあえず、マンデラエフェクト、と、この現象が呼ばれていることを知りました。あ、そうなの、そういう人が一定数いるんだね。このことに気づいたのは、そう、だから14日だった。きっかけはある人のtweetだったけれど、これまで気づかなかっただけでそれより前からか、徐々にか、一気にかシフトしていたのかもしれないし、気づいたその日ぴゃっと来てたのかもしれないし、いろいろ違和感はあるけれど、わたしが心から一番言いたいのは、ツタンカーメンのマスクのおでこから出ているものは、わたしのいた世界ではずっと、一本だった。ほかのことは全部曖昧で「違ったような…」の域を出ないのだけど、これだけははっきりと確実に言える。コブラだけ、だったんだよぉ、本当だよぉ…!

 こちらのみなさん。どうぞよろしくお願いいたします。  

 幸い一緒に来たらしいこの戸惑いを共有している旦那くんに、調べて分かった前のバージョンとこの世界のバージョンとの違いをクイズに出してみたりするのだが、「え!うそ!……でももともとよく知らない」と、美術にも歴史にもまったく造詣&興味がないため盛り上がらない。そして即座に「きっと最初からこうだったんだよ」などと言い、新しい世界に対しての順応性がおかしいくらいに高い。「母さんが死なない世界線にシフトできたというだけで、感謝しかない。」と。彼のお母さんは主治医に緩和ケアを予告されていたのだが、先日の検査で、マーカーが標準値を下回っていた。彼の言う通りだと思った。

 そう、感謝しかない。自分の主観でこの現象を語るなら、本当に、すでにある世界、近似値の別の世界線、パラレルに、自分の方が外からぽんと組み込まれた、「おじゃまします〜…」というような感じだ。そう、はっきりと違う、一番違うのは、空気が、雰囲気がずっとポジティブなんね。空気が軽いような。光の透明度が高いような。体の細胞が喜んでいる、わたしはエキサイトしている、「わ、できた」、世界は良くなると信じていたし、自分が変わることで周囲から世界はだんだん変わっていくんだと思っていた、シフトできた、でもすでに変化した世界に自分が飛び込むのだと思っていなかった、シフトってこうやってなるんだ…。

 でもツタンカーメンのマスクは、2日に1回くらい、画像検索してしまうね、3本とかになってやしないかと思うとどきどきして…(ちなみにパクチー愛用の中学時代の世界史の資料集のツタンカーメンのマスクの写真は、つまりデジタルデータじゃない、2本になっていた。膝から崩れ落ちた)。

 もともとこの世界にいて、ツタンカーメンは2本で育ったパクチーはどこに行っちゃったんだろう。3本の世界にでも行ってしまったんだろうか。「どこも行ってないんじゃない」と、旦那くん。だからあんたは順応早すぎや。

 そしてまた、マンデラエフェクトについて調べながら驚いたのは、この現象について当事者が割合、量子力学の観測者問題として理性的に理解しているように見えることだった(量子力学が現実に反映していることについて、この動画、画質が粗いけど、頭の先から爪先まで文系人間のパクチーにも分かったような気にしてくれる良動画)。「人間が認識している現実とは本来そういうものだから、ま、それはあるよ」と。つまり、「『今この瞬間の自分』だけがリアルで、その前後、過去、未来はゆらぎの中にある可変なものだ。だから日常的にそれは起こる」。そう体感を持って認識している人の数が、こんなにいることについて驚いている。

 これまでわたしがnoteで書いてきたことのうち、精神や気や、見えないものにアプローチすることついて、これまで自分がいたと認識する世界では、書き方や相手をかなり慎重に選ばないと、現実のことだと思われない、かなり気を使う性質のものだった。やんわりと。そこはかとなく。今は自分の中に起こる抵抗感を不思議と感じない。わたしの書いている内容はこのバージョンの世界に対しては初歩的だという感じがする。わたしの考えは一歩外に出ればマイノリティだとずっと思っていたけれど、ふつうの人になった、まだまだ成長しなくちゃ!という気分(気のせい?気を使うべき?…まあいいか)。パクチーはBTSについて、一番書きたいと思っていた核心的なことをいつも避けてきた。それは、それが事実かどうかわたしに証明する力がないことと、それを知ることで読んだ方に及ぼす影響について責任が取れないと思っていたからだった。でももうみんな分かっているのかな、と思えた、そして一番根の深い、大きな問題は、今やほぼ解決していると感じる。

 もう10年くらい前になるが、パクチーは金融エリートと呼ばれるユダヤ人たちについて、じゃあユダヤ人の定義とはなんだろう?と思ったことをきっかけに、家で、ネットで、Y-DNAのハプログループについて調べ、ハザール王国を知り、シオンの議定書を知り、通貨、鉄道、電気等のインフラの成り立ちを知った。それは勉強みたいな遊びみたいなもので、それについての胸を張って語れる知識なんて無いに等しいのだけど、それでも現在、さまざまな分野で連動して動いている世界中の仕組みが、世界の人口を減らすためだと言われたら、「そんなことはありえない」と、思うことができないし、それを実現する組織を保つために世界の子供達の魂が、血肉が、文字通り犠牲になっていると言われたら、「そんなことあるはずがない」と、言うことができない。そして「世界の」BTSがこの問題について、避けて通れたはずがないと考えるとき、「彼らはずっとその存在と対峙してきた」と推測する人に対して、わたしも同様に思う。彼らは対峙してきたし、葛藤してきたし、戦う方法を少しずつ強固にして行ったのではないか?そう思うと、彼らが歌う「苦痛」について、それがどれだけ耐え難く、どれだけ彼らを苛み、どれだけ自尊心を削ぐものであったか、仮にそれらのことから目を背けたとしても完全に自由になることはどこまでもできなかったろう、パクチーはBTSを、そういう風に思っている。

 しかし今語りたいのはそのことじゃない。それでも彼らが作品について語るとき、彼らはポジティブなことしか言わない。歌詞で語られる耐え難く辛いものや怒りは、いつでも心のすぐ取り出せるところにあるはずなのに、それでも彼らから出る表現はいつでもポジティブだ。物事には両方の面がある、だからそのポジティブな側面をいつも自分で感じられるようにしておこう、見ようとし続けよう、自分から出るアウトプットがポジティブなものであるようにするために。わたしたちが見ているBTSとは、深い悲しみや苦しみがありながら、人とのコミュニケーションにおいて、アウトプットがポジティブであることを保ち続けた、何年も、1日何時間でもそうしてきた、そういう人たちのことを見ているんだなあと、初めて思った。パクチーが旦那くんと「ネガティブなことを互いに言わない週間」を始めたことで、初めて気づいたのだ。彼らが何か小さく後ろ向きなことを発言したら、わたしたちははっと瞬時に気付くくらい、彼らがファンの前で見せる姿は、ポジティブの高いトーンに保たれている。

 「Run! BTS」の出張十五夜とのコラボ回で、「YouTubeでは悪口言っていいの?」となったナムさん(RM)。「え?(怒)」となって「怒るな、放送中だ」と諌められてたジンくん。ここに彼らの高度なアンガーマネジメントが見て取れる。「YouTubeでは悪口言っていいの?」というセリフは、自分の中に起きた悪感情を高速で処理した結果でもある。衝動的な感情が起きた、それを表現したいという要求が起きた、自分の体の中で動いているエネルギーの流れを彼は繊細に把握している。自分の状態について内観することができているからこそ、口から出てしまう前に、その選択をしないで感情を処理する方を選択することができるのだ。ナPDに「なにも考えてないジンさん!」と呼ばれたとき、「え?」の声質と、間で、メンバーたちはジンくんの具合がどのレベルか、きっとすぐに分かったろう。このジンくんの、「え?」の一声と無音(間)のみのアウトプットで悟らせるコミュニケーション能力もすごいし、諫めるメンバー、笑いこけるメンバーで相互の力を借りて場のバランスを中庸に戻すというのは、さらに高度であると思う。

 彼らが突発的に怒りを感じた瞬間というのは、デビュー前後からこれまでの間に幾度もあったはずだ。例えば記者の質問や、過激なファンや、一部のスタッフや、海外で仕事をしたときや、パパラッチや、そして衝動的に感情をリアクションすることで足元を掬われ大きなダメージを被る職業だ、わたしは彼らのアンガーマネジメントは、必要から意識的に努力して身に付けて磨いたスキルなのではないか、と、言いたい。コラボ回では、彼らが務めて物事のポジティブサイドを見ようとして、それを言語化していることが幾度も見て取れる。やっぱり本当に洗練された青年たちですよ…ほんと。

 パクチーが踊り場で停滞しているような感だったとき。パクチーの住んでいる人口5000人の島のたったひとりのマブダチが、かわいらしいコース料理に誘ってくれました。そして彼女は別れ際に、「その踊り場から『脱しなきゃ』と思わなくてもいいんじゃないかなあ。のんびりして、好きなだけ踊り場にいたらいいじゃない。そしてそれがどういう感じだったか教えてよ」と言ってくれた。また同じところに戻っている。成長していない。停滞。ぐるぐる回って、しかし同じ停滞に見えても実際にはわたしたちは螺旋状で進んでいるのだ、XとYだけじゃなくZ軸で進んでいるのだ、同じ停滞にはあらず。ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。停滞の、成長は螺旋にてもとの停滞にあらず。

 湧き上がる感情に対して、その感情を起こさせる事象の部分には二面ある。ポジティブな面、ネガティブな面。それは色の違う二本の紐が並んでいるような感じで、繰り返す行為はやがて習慣になって、いつもお風呂に入る時に右足から、袖を通す時に右腕から、癖になって、反射になって、考えずに取ってしまう、いつも取る方の色を。内観とは、ここで自分がどちらを取ろうとしているか、もうひとりの自分が見れている、というところから始まるのだと感じている。どちらを取るのかを見ている自分は、ひどくニュートラルで、激した際に平らな湖面のような色のないエリアが自分の中にあるのを発見できたときは、とても不思議な感じがした。できるじゃないか、しかもそれほどには難しくなく。それはネガティブな方の紐をこれまでに繰り返し何度も引いてきて、それが引き起こす未来ももう何度も繰り返し体験してきて、逆のサイドについてもそうで、そういう経験値がもたらした分別、という要素もあるかもしれない。それでも自分がネガティブな状況にいて、ポジティブなアウトプットをしようとするときは、それなりに、どういう表現だったらそれにふさわしいか目を凝らして意識的に探しに行く時間が、わたしにはまだ必要だ。でもその内観の時間の中にいる自分は、どこでもない場所、時間が止まったような、次元の狭間のような、あれがシフトとシフトの間なのか?

 そうそう、マンデラエフェクトについて、「BTSの楽曲の、メインメロディーは同じだけど、コーラスが違う」と言う人がいて、他のアーティストで、MVの小物が違うという人もいる。そんなことあるかな!?と思って、いくつか念入りに曲を聞いたり、MVを見たりしてしまった!なんか…違う気がする…!特に曲終わりのコーラス部分、こんなに華やかできらきらしてたかな…。…すき!この世界線、すき…!
 と、完全に気のせいの域を出ないので、そして違いを発見したとしても証明する方法がないので、ただじっくりと彼らの曲を見返す、いい時間になっただけだった。ただ、Pinterestでは、BTSのきれいな写真が、これまでどこでも見たことないようなものがたくさんあってびっくりした(気のせい?気づかなかっただけ?これまで?そうだろうか…)。…いい…この世界線すき…。

 ButterのMVのTeaser、パクチーの大胆予測が意外にいい線言ってるんじゃないのっ?!と思って、久しぶりにクラフトワーク聴いたわ。ぐう…。格好良すぎて悶絶。え?クィーンやって?

 本編が楽しみだね!
 それではね。




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