BTS「Yet To Come」、息が手に余るほど
2022年6月、アンソロジーアルバム『Proof』の発売とともに、BTSの新曲「Yet To Come」のMVが公開されました。
MVを見て、その後TwitterにてジンくんとSUGAくんのThanks toのコメントの和訳を見て、
最初に頭に浮かんだフレーズが、
終わりの始まりと〜〜〜
なろ〜〜〜〜とし〜〜て〜〜も〜〜〜〜
き〜〜み〜〜の〜〜な〜〜を〜〜〜〜
さけ〜〜〜ぶよ〜〜〜〜〜〜〜
だった。そして叫んだ。「ジョングク───────!!!!!」
なんだろうなー、すごく、終わりの感じ、いやまさしく終わりの始まりって気持ちになって。こんなにも「これからだ」って言われているのにね。
わたしは公開前に、今の彼らにとって、いわゆる「花様年華」シリーズという意味での「花様年華」は終わっていると、そしてそれとは別に大人の「花様年華」というのがある、というのを書いた。
そしてインタビューの方で(自作自演の)、
と書いておるんだが、
うん…
これ。そんなかんじ。
この曲。そんなかんじ。
ぐらみー…、わたしがあげます!!!!!!!!!
最初聞いて、「すごいいい曲じゃないか…」と思って、ラッパー3人の三種三様なのがすてきだったね、そして歌詞を見ながら聴いて泣いて、次の日も泣いて、次の日は歌詞をノートに書いて翻訳しながら泣いて、一緒に歌いながら泣いた。泣いてばかりだ。
以下、出てくる訳はわたしの誤意訳です。(※誤意訳について)
砂漠を背景にメンバーたちが座るこの座り方が、スタジオの隅、アーティスト用エリアで、リハーサルを待っている間座るパイプ椅子があるじゃない、ああいう、待機の時間、待ち、裏の感じだなあと思った。「本番」の感じじゃない。
何とも優しい表情でジョングクくんの問いに答えるVくん。これは会話だと。ジョングクくんとVくんの。どこかで実際にあった。そういう胸に迫るリアリティがある。何度も「この瞬間が幸せで、夢だったんじゃないかと思って、消えて無くなるんじゃないかと思って、怖い」と歌で語られてきた、その到達地で、彼は「ああ、今いるここより上はもうない」と、知るに至った。「そうだね。これより上はないね」。
でもそれは「チーム」の。「チーム」が至るこれより上は、もうないかもしれないけれど、V、キム・テヒョン個人が受け取る最高の瞬間は、これからいくらでもある。まだまだこれからだ。
だって20代なんだ…。
本番はこれからだ。
これから最高の瞬間をいくつでも確かめるんだ。
「Promise that we’ll keep on coming back for more」は、「カムバック」がK-POPのレコ発プロモーション相当だから、何度でも発売活動するよ、みたいな意味かなあと思ったけど、ここでジョングクくんがふいっと後ろを振り向くことで、「あれ?」と思った。
違うのかな?
もっと初心に帰るという意味なのかな。
「ただ歌が好きで」「ただ走ってただけ」の初心に。
心の中にいる少年のところまで。
その後のセクションで、RMくんの「今は僕はまるで13歳」というリリックが出てくる。
ここでふと、
ジンくんのAbyssに住む「美しく悲しんで泣いている僕」は13歳なのではないか?という気がした。
そうか…。
13歳…。
13歳…だったら、大変よ、奥さま!13歳、舐めたらあきません!!触れるもの皆傷つける、泣く親も黙る反抗期ですわ、奥さま!!こりゃ手強いはずだわ!!
13歳の何が恐ろしいかって、基本的には間違っていないところである。そして「俺以外の事情は、お構いなしだゼ!」というところが恐ろしい。好きも、嫌いも、快も、不快も、正しいんだもの。理屈じゃないから。直感的な、本能的な、だから、揺るぎない「俺は正しい」という五感に対する信頼がある。「自分んち」という閉ざれ独立した秩序の空間から、「社会」に触れて、良くも悪くも全部が「自分んち」のようではないと知る。十分成長したピュアな五感が、世界を定義し直す。「こんなの間違ってる」。そうだよ、その通りだよ…。
そして、そのようだとすると、
My moment is yet to come
の「My moment」を味わうのは、心の奥底へ、出てこないようにして隠された、13歳の少年なのだ、という気がした。
この子が今、出てきて、最高の瞬間をこれから味わうのか。
ここのサビの部分は、この曲の心臓部だ。ラップとボーカルが刺繍のように、ラップがテクスチャーを、ボーカルが骨格を担って、美しい織物のようだね。こんなにラップとボーカルが美しく折り重なって作られた曲、今まであったかな…。
「あなたには夢があるだろうか、その道の終わりは何だろうか」
とは、SUGAくん随分難しいことを訊く。「夢」について、彼らが語ってきたことは多い。でも「終わり」にあるものを訊かれたのは初めてじゃなかろうか。登山途中の視界は狭い。でも頂に立った時、下界を全て見下ろすことができる、これから降りる道、その麓、道の終わりが見える。峠を超えたところの視点、彼らの視界は今そういう視点から見ているのかな、と思ったり。
この曲の歌詞は、全体を通して等身大の彼らの言葉だ。特別な言葉も、突飛なことも書かれていない。ファンにとっては馴染みのある内容ばかりだ。
MVの中では、「花様年華」のストーリーが回収されている。
つまり、だからどういうことなのだろうか。
自然体の、普通の、しかしそれゆえ掛け替えのない「良心」がデフォルトでセットされているとパクチーが思っているSUGAくん。彼の自然体の謙虚さというか、誠実さというか、変わらなさが、心の宝石みたいだよ、ぴかぴかしてるよ。
いやー…。
この……ガタイも立派な国際規模の慈愛のジェントルメンが、「13歳」というフィルターをも実装したら……無敵じゃなかろか!パクチーが考えていたのは、大人の花様年華とは、大人のままで、子供の五感を、喜怒哀楽を、殺さずに、どちらも持つことだ、と。ただ範囲が広がるようなことである、と。成長していないのでも、未熟なのでもない。13歳には、13歳とは例えだが、そこにしかないピュアな「キー」があるのだと思う。
「We gonna touch the sky, ‘fore the day we die」
「俺たちその空に届こう、死んでしまうまでに」
サビの、このskyに至るための「キー」。skyは何かを例えている。理想の到達地点、楽園のような…無理じゃないかと普通は思うような、でも見えてる。そこに至る可能性はある。中に、入れるところまで行かなくても、触れるところまで行こう、死ぬまでにきっと、死ぬまで諦めずに。
「そんなの関係ねえ」に訳したかったが自制しました。
ここでBTSに、「世界の期待、"最高"と呼ばれる価値、王冠、花、トロフィー、夢、希望、前進前進…」を「関係ねえ」と言われてはっとしたのはわたしだけじゃあるまい。「わぁ、人類は今ここに到達したのか…」と思ったのはわたしだけじゃないと思うのだが。
じゃあ彼らは何を?どうするの?
「Back to one」
「始めに戻る」
ふと、わたしたちがBTSを見て頬が緩んだり心が緩んだりするのは、彼らの中の13歳の少年同士が会話しているのが見えるようだからなのかな、と思って。だって「関係ねえ!」って言ってる彼ら、13歳に見えるもの。13歳のまだ、会社に、芸能界に、世論に、作りあげられた大きなシャドウ、エゴ、光の当たる輝くペルソナ、の、作られる前の自分に、戻る。それは大変な道のりだ、くるくる回って色々な道を巡って、さまざまな感情を体験して、元の場所に戻って、取り戻せ、感性を、取り戻せ13歳の正義を。
「花様年華」の回収と、「始めに戻る」は同義のようだ。トラウマの精算。傷つき、心の奥底に隠れたのは13歳の自分だったのかもしれない。こんな怖いところ、恐ろしい世界、自分を隠して、壊れない仮面を被って、動揺する心を締め付けなければ生きていけない。「大人になる」。でもそうじゃなかった。本当は損なわれたものなんて何もなかった。13歳の少年は心の奥底で生きていた。
この曲は誰に宛てて、何のための歌だろうか。
わたしはこの曲の心臓部はここにあると言ったが、それは「自分たちの話」のようでいて、みんなをひっくるめたすべての「今」に対する語りかけだと思うからだ。
「그날을 향해」
「その日の方へ」
わたしは最初、「終わりの始まり」を感じて悲しい気持ちになったことを書いた。
しかし「終わり」が終わったら、新しい何かが始まる。「ただ新しい章」が始まる。それが始まる日が「その日」で、「till the morn」の「morn」で、「sky」なのかもしれない。
と思ったら、
ああ、そうか…それまで諦めちゃだめなんだ、
死ぬ前までにそこに至ることを諦めちゃだめなんだ、
本当に最高の瞬間はまだ来ていないんだから、
それまで、これまで持ってきた眩しく美しい日々を抱いて、
関係のない重荷は捨て、
自分なりの歩みを止めず、
少年のような心で、より自分らしくいて、
その新しい章が始まるところが、
「夢の道」の終着地だ、
そこから先は最高の瞬間だらけだろうから…
わたしは、若い人たちがこれから大きく裏切られるかもしれないことを憂いていて、それは部分的に始まりかけているのだと思うけれど、それがどれだけ若い人たちの心を傷つける可能性があるだろうと思うと、とても胸が苦しい。正直、歳を取った人はどうでも良いのだが、なぜかと言うとそのために苦労をして苦労が意思を強くさせるので、その人の信じたいように見ているその世界は自分自身の反映だから、何とかするもしないもその人次第だから。だけど転換期があるとしたらそれは必ず、13歳の少年あるいは少女がちゃんと息を吸える世界のための瓦解で、毎瞬が最善のプロセスで、自分にとって本当に価値のあるものを拾い出していく進化なのだと思う。どんなに大きく周囲の価値が変わったとしても、自分の中にある広く静かな部分を見て、自分の中から感じる答えを見つけて、流れと合わさって生きる、それがコンパスになる、それはいつ何時だって、今も、同じだ。
「EMERGENCY EXIT」緊急脱出口。最初に見た時からひっかかっていた。もしも、もしも、しばらく彼らが姿を見せなくなる期間があったとしても、保護プラグラムが作動しているから大丈夫だよ、という意味に思えて、だって多すぎるし、もともと付いていていらなかったら消すだろう、全編とてつもなく美しい瞬間ばかりのMVなのに、かなり強いメッセージだと思った。
だけど変わるのは彼らの方じゃない。彼らはずっと同じように、同じ姿勢で、同じ思いで、変わらずにいるだろう。疲れたら離れていてもいいよ。無理しなくていいよ。心のままでいいよ。それでもその先を生きるための歌を歌い続けるだろう。最も最高の瞬間はまだまだこれからなんだから、まだ来ていないんだから、そのためにこの時代を選んできたんだから、信じていいんだから、
そこまで行こう、
そういうサビで、そういう歌なのかな、と思った。
今回のnoteを書いている途中でこのインタビューを見ましたが。
めちゃめちゃ幸せな気持ちになった…。きらきらのシャワーをあびたような。
うん。
君らの歩いたところが道になる。
その道を辿ってついて行きます……!
それでは、また!
※タイトル「息が手に余るほど」は、歌詞中「息が詰まるほど」の韓国語直訳なんだが、「胸がいっぱいになる」って良い意味なのだろうと思ったけど、なんとなく、分かるような…。…。面白い表現だと思ってタイトルにしちゃった。ただ単に慣用句を知らないだけなのかもしれないが…。
※えっ…、全員がソロ活動………?
※「Back to one」を始めに戻ると訳したが、「ひとり」という意味だったら…!と思ってぞくっとした。メンバー皆と会う前の自分から構築し直すと…。
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