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パクチー個人的にインタビューを受ける

インタビュアー:(以下I)最近パクチーさんが「言いたいことがあるのだが、誰にも聞かれないので言えない」という思いを抱えていらっしゃると伺いましてですね、ならば自作自演でインタビューをしようということで召喚されました、私、脳内インタビュアーです。本日はいろいろお話を伺えたらと思います。よろしくお願いします。

パクチー:(以下パ)よろしくお願いします。パクチーです。

I:早速ですが、言いたいこととはなんでしょうか?

パ:わたし的にはですね、2021年11月にあったAMAs、あれ、BTSの時間が動き始めた大きなはじまりのゴングだった訳ですよ。そのことについてまず触れたいですね。AMAs、有人ライブ、COLDPLAYさんとのコラボステージもありました。あれは、その後の有人のスタジアムライブに臨むにあたって、非常に良いウォーミングアップだったんじゃないか、と。

I:時間が動き始めたとは、それまでは止まっていたのでしょうか?

パ:この言い方は語弊があるかもしれませんが、言ってみればパンデミックの間の2年は、彼ら自身が主体でやりたかった仕事ってのはほぼ、何一つなかった訳ですよ。彼らは有人ライブがしたかったんだから。だから彼らのスケジュールとは、全て一から百まで、会社がプロデュースして会社がマネージして、彼らの望みが叶えられないことの代替案として、提案されたいろいろがあって、全て会社の描いた絵のためにそのひとつひとつのピースを実行していく、それをし続ける日々、というのが彼らのこれまでの2年間だったわけです。それがやっと、有人ライブができる、その最初の、その一つ目のステージだった。「有人」で「ライブ」というのは恐ろしいことです。

I:どう恐ろしいんですか?

パ:有人ライブと無観客ライブは、細胞のひとつひとつの機能からして別の動きをするみたいな、全く質の違うことが起きるんです。だからこそ素晴らしくもあるのですが、練習時には予測できないことが自分に起こることもある。なんと言うんでしょう、例えは悪いかもしれないですが、レスキュー隊員が、現場で人を救助することと、救助の訓練することは、意識も起こることも状況も何もかも別物ですね。でも実際の救助が確率高く成功するためには、とはいえ訓練するしかない。それと近いかもしれません。ライブが上手くいくためには、何度もライブを繰り返すしかないんです。いわばライブ筋と言いますか…。ライブに必要な能力にはライブによってでしか身につかないものがある。2年のブランクは相当なものです。失われたカン、能力、ライブ筋を殆どゼロの状態からまた積み上げ始めるしかない

I:そのライブ筋は、本当にほとんどゼロになってしまったんでしょうか?

パ:ツアーに回り続けられるって、非常に特殊な能力だと思います。パンデミック前、彼らは大きなツアーをいくつも成功させていますが、それはそれまでの何年間ものツアーの蓄積があって身についた特殊能力が可能にしました。体力、気力、声のコントロール、体のコントロール、体力配分のカン、体調管理、いわば極限状態がずっと続くみたいな感じです。極限状態が必要な状況がなくなれば、その感覚はすぐ体から抜け去ってしまいます。日常生活にはまったく必要がないからです。彼らはWINGツアーあたりから少しずつ少しずつ身につけて、一進一退しながら試行錯誤しながら手に入れた極上のライブ筋を、2年の間に失ってしまったんです。これはそう簡単には戻りません。またライブの回数蓄積することでしか。いくつもツアーをすることでしか。

I:では、パンデミック前の状態に戻すのは並大抵のことではないですね。

パ:並大抵ではないです。ブランク2年の現役選手です。「戻るか」「戻せるか」、きっとそのことが一番不安で、一番苦しく、一番悩んだと思います。しかもファンに悟られてはいけませんし。

I:だからAMAsがいいウォーミングアップだったんですね。

パ:そうです。AMAsはゲストのようなものでしたから、出来上がったところに自分は参加すればいい。ホームパーティーにゲストとして呼ばれたら、行って気楽にご飯を食べればいい、いい手土産でも持って。しかしホストならば、朝から掃除をし、メニュー構成を考え、料理をし、おもてなしの用意をし、ゲストが楽しめているか気を配ります。ゲストでライブをするのと、主宰でライブをするのは全く別物です。ゲスト出演の彼らは、2〜3曲用意して、ただ、その場にいて心を開いてパフォーマンスすればよかった。経験としては足りないが、始まり方としては理想です。だからって簡単なことではないですが、有人ライブであることの特別さは代えがたい。

I:そしてツアーがLAから始まりました。

パ:そうですね。わたしは、自分がオンラインで見たからというのもありますが、ソウルコンサートの前日のVLIVEについて特筆したいですね。

I:これですね。

パ:これ面白かったでしたね〜。あのね、パフォーマーは、本番前日ってのはテンションおかしいんですよ。そのおかしさがとても感じられるVLIVEじゃないでしょうか。現場感ありますね。

I:テンション、おかしかったですか?

パ:なんと言うか、理解者を限定する例えですが、出産間際の妊婦さんにも通じるものがありまして、感情が昂ってナーバスみたいな、精神的に高揚しているんだけど、浮き沈みがあるみたいな。前日だと関係者ほとんど皆寝てない、みたいな状況です。それまでの練習期間、もっさりと髪も放っておかれて、よれよれの稽古着で汗まみれでくたくただったパフォーマーが、本番1週間前くらいから、一人、また一人と美容院で散髪してこざっぱりして来る。否応なく「本番、近づいてキタ〜〜〜!!!」という、圧迫感を感じます。そのマックスの状態です。疲労、確認事項まだ残ってる、でも明日のために早く寝なきゃ、美容のためにお手入れもしなきゃ、という、交感神経と副交感神経がぐちゃぐちゃに取り混ざった状態です。

I:このVLIVEでは、ジンさんの、ストラップでベルギーワッフルをつかむ動作が話題になりました。

パ:あ〜ありましたね〜。でもわたし的にはこのV後のJ-HOPEくんの方がずっと気になりました。

パ:「犬の子」が悪口かどうかの話のくだりで、ジンくんが人差し指をぴっと立てた瞬間、J-HOPEくんの手がパッと開くんですよ!同時に!弾けたように反応する、なんて通りのいい体だろうと思って、驚きました。…ま、確かに、ジンくんがグッズのストラップで食べ物を掴んだ時は、正直に驚きました。でも本番前日のテンションの範囲内だとも感じました。ただ、この行動の人々の反応を見た後には、もうひとつ別の考えも持ちました。

I:別の考えとは?

パ:これはまったくわたしの個人的な憶測ですが、グッズを制作する会社は彼らが所属するショービジネスの会社とは別の会社でしょう、傘下ではあるでしょうが。そこの広報とか営業部長とかが現場に来てたんでしょうか、VLIVEに、ご飯と一緒に並べておけば映る、あわよくば手にとってもらえる、あわよくばコメントしてもらえる、BTSが手にとったらタダでものすごい宣伝効果です。打ち合わせなく、なんの説明もなく、自分たちが広告に利用される、それはVLIVEという彼らにとってできる限りの個人的な放送に許されたまごころを、一方的に不躾に搾取し、その自由をよその会社の利益に変えるということですから、怒ってるのだと思いました。

I:ジンさんは、にこにこしていますがこれで怒っていると。

パ:わたしの考えですが。これ以上俺たちをこういう使い方すんなよ、と。「PPL」って発言があったので調べましたが、韓流ドラマにある劇中広告みたいの、あれPPLと言うんだそうですね。仕方ないとは言え、ドラマのクリエイターからしたら魂がちぎりもげるくらい苦しいと思います。しかも「裏広告」ならばステルスマーケティングで法律違反ですから。どちらにせよ宣伝なら、ギャラが払われて然るべきだし、商品の理解が不可欠だし、もちろん合意が必要だと、わたしの感覚では思いますけど。ライブ中でいきなり置いてあったら、ちょっと騙し打ちみたいな感もありませんか?他のメンバーたちはスマートに宣伝に切り替えてました、大人だと思いましたが、ジンくんはもっと高貴で、もっと大人だと思います。

I:なるほど。そしてその後、グラミーに参加しました。

パ:グラミー、残念でした。やれる手はすべて打ったように見えました。他の記事で見ましたが、「Butter」はアメリカでアメリカ式の営業にすごくお金も人もかけたみたいだし、曲の作りも市場を考え抜いて作られていたように見えました。

I:それでも受賞できないのだとしたら、どうしたらいいんでしょう。

パ:こういうことって、必ずしもすぐに効果が出るわけではないんですよ!グラミーを目標に置いて彼らがした努力、営業チームの経験、すべてが組み合わさって、ひとつも無駄なく使われる機会ってのはやってきます。直感的には、彼らは韓国語の歌で受賞するとしたらグラミーを獲るような気がしました。そのためには英語の曲で広く世界中に深く認知されている、という前提は不可欠だし、「Butter」と「Permission to Dance」は十分に道を敷いたと思います。

I:韓国語の歌でグラミーを目指すのですか?

パ:いや、グラミーありきでない、もっと個人的な、自分自身の肉声みたいなものが彼らから出て来るのではないか、彼らは自分たちのことを自分たちの言葉で語ろうとするのではないか、それは彼ら固有のものだけど、内容には普遍性がある、そういう個人的な作品が、それでいて完成度の高いものが、賞を取るとしたらそういう作品なのじゃないかな、という、個人的な予感です。希望かもしれないし。それは「Butter」「Permission to Dance」の成功抜きには成されないと思う。

I:ではBTSが受賞できなかったことに大きな意味はないと。

パ:いや、受賞できたら大きな意味があるでしょう。そして受賞できなかったからって、大きな意味があるわけでもない。どちらの結果も、意味のあるものにするのは、それについての捉え方と、その後の行動なんじゃないでしょうか。グラミーは中間発表みたいなもんじゃないですか。これで受賞したからといって未来永劫安泰なわけでもない。ターン折り返しのタイムですよ。意味があるっちゃある、ないっちゃない。

I:それではアーティストにとって、ターンを折り返した先のゴールとは、何になるんでしょうか。

パ:そんなの分かりませんよ。人によるでしょう。でも音楽家なら、「聴く人がいる、いいライブをする」、それ以上に過不足なく完全な状態はないと思います。相互のエネルギーの交換。完全な平和。完全な調和。あとは穏やかに簡素に一定の質の日々の暮らしがあったらいいと思うんじゃないでしょうか。持続可能性のために。それらの質を自分だけの到達点まで高める。こういう生活は孤独だし理解もされにくいです。グラミーとかっていう賞は、目標として分かりやすいので、頑張る指針になるんですよ。特に男性は目的指向型の脳の作りになっているらしいので、繰り返しの多い生活の中の優れたモチベーションになるんです。グラミーはそれ以上でも以下でもないんじゃないでしょうか。

I:なるほど。今BTSはラスベガスでツアーの残りの日程を待っている状態ですが、何か感じることはありますか?

パ:わたしはラスベガスのコンサートを見ていないので何とも言えませんが、ライブを重ねた分だけ、ライブ筋が戻ってきているんじゃないかと思います。ジンくんが手の怪我で万全じゃないのが辛いところでしょうね。きっと手に怪我をしたことで、彼が得る叡智があるのだと思います。

I:手に怪我で叡智ですか?

パ:何も感じずには出演できないでしょう。それにしてもすんげー!タイト!スタジアムコンサート、短期間でいきなりすごい回数だと思いますけど、彼らも獲得したライブ筋が損なわれないうちに、大きなステージをやりたいと思うとは思います。以前は音楽番組収録ってのがありましたからねー!あの小規模〜中規模のお客さんが入ってのライブが、すっごい頻度で頻繁に連日繰り返されるってのが、あれは鍛えられると思いますよ。いいライブもいっぱいあったしなあ。

I:音楽番組にも出なくなってしまいましたもんね。

パ:いやーテレビ局のスタジオくらいの規模はすごく鍛えられると思いますよ。自分たちだけのお客じゃない、いつもやってるスタッフばかりじゃないということも含めて。また反応がダイレクトに分かる距離、空間の範囲だし。ビートルズが演奏が上手かったのは、無名時代に返し(モニター)もPAもないようなライブハウスでどさ回りしてたからだ、とマニアに教わりました。まだ無観客で収録しているみたいだし、そういう機会がなくなってしまったのは、彼らにとっても痛手ですよね、ビッグすぎて難しいこともいろいろあるのでしょうが。

I:そういえば、先日のRMさんのVLIVEで号泣したと伺いました。

パ:いや、号泣じゃないよ〜。

I:泣いたと。

パ:泣きました。

I:どういった部分に泣きましたか?

パ:うーん、そう言われると泣くような内容でもなかった気がするけど…でも後半、たらたら泣いていました。彼が心を?意識を?開いている状態で、特に終わりの英語の方では話していて…うーん、彼らがこんな風にここまで率直に話してくれるのって、随分久しぶりだったんじゃないでしょうか?

I:心を開いて率直に話すことがですか?

パ:ここまですごく激動だったはずだけど、これまでは言葉が正直であっても、もっと意識をクローズした、関係者に慮った話し方だった、ここまで精神を解放してはいなかったと思う。パンデミック以来初めて、久しぶりに、心に少しだけ直に触れた気がした。「終わりにします、自分で何を言うか分からない、自分が怖い」と言いながらにっこり笑ってライブを切るところまで、彼が高振動のエネルギーの塊で、すごいスピードで頭を回転させているのを感じました。

I:高振動のエネルギーで、すごい頭の回転だから泣けたと。

パ:彼がその早い頭の回転で、すごい振動の高さで、彼が見つけた考えを、彼の心の閉じていた部分を、みんなの前で解放してくれたんだよね。そして言葉では分からなくても、魂のレベルで、「その通りだーー!!」と思ったわたしの心も、一部解放されたんだと思う。「その通りだ」という気持ちが涙で、涙が出たということは、心は「その通りだ」と思ったと言うことなんだと思う。解放された部分はつながっているから。

I:具体的にはどの部分で解放を感じましたか?

パ:「よいことをだけを見ましょう、そうしないでいるには人生は短すぎる」。

I:それがパクチーさんの考えを一部を解放したと。

パ:この部分だけじゃないけど、最近考えていたことでもあったので。よいことだけ見れたら、全ては解決するんです。でも悪いものをあえて一生懸命見ようとする。そこから目を離さない。なぜなんだろう、なぜ人はそうしたいんだろう、と思っていました。結局気が済むしかないんです。でも気が済んだ時には人生半分終わっているかもしれない。老いた体と老いた情熱で残りを生きるのは、本当はすごく、もったいないんです。今すぐいいことだけ見始めても、世界は美しすぎて見きれないくらいなのに。

I:なるほど。じゃあ解放というより「その通りだー!」の方ですね。

パ:そうそう。「その通りだよーーーーなむじゅーーーん!!!」で涙、涙、と。しかも声も素晴らくいいトーンで語るので、歌のようで、囁くようで、すごい癒しでしたよ。

I:このVLIVEではタトゥーにも触れていました。友情タトゥー。

パ:友情タトゥーはVくんのファンとのやり取りからの派生ですが、グラミー後のVくんは天晴れでしたね!!ブラボー!!Vくんが「モンシン(文身)ハジマ!!!!!(!以下略)」(ハジマは結構強い否定だよね多分…)ってコメントもらってて、それは僕が決めることですみたいに答えてたの、かっこ良かった…その通りだよ!!

I:これも「その通りだー!」の方の感動ですね。

パ:わたしは友情タトゥーがすごくいいなと思って、ちょっと目から鱗だったかも。結局この肉体って使い捨てじゃん。今世限りじゃん。この肉体を一緒に近くで使い続けたチーム、やがて土に還るけど、同じ苦労を分かち合って乗り越えて、そのパートナーシップを体に記したいくらい貴重で尊いものにしたってことが、それをみんな共有しているってことが、これ以上に価値のあることってあるかな?と思った。好青年の定義を変えたんじゃないかと。一部の人々は肉体に過度に価値を置きすぎですよ。よく使って、使い切って終えるのが肉体の使命です、何からも過剰に守りすぎて、それで体験が減るなら本末転倒でしょう。自分でタトゥーを見て嬉しい気持ちに繰り返しなるなら、それが生の喜びじゃないですか。

I:これからの好青年はタトゥーもして。

パ:そうそう、好青年の条件、タトゥーありで。正直、自分が家族で同じ絵を彫るのもありかもと思っちゃったくらい。わたし自分の家族が好きだから、ばらばらになっても、同じ時間をチームで生きた証というか。ま実現しないと思いますが。韓国は儒教の国だから、日本よりもっと否定的な価値観のが強いかもね。親からもらった体を傷つけない、だからヒゲも剃らない、髪も切らない、どんなに伸びても眉毛も切らない、というのが昔の儒教の師の姿ですからね、絵に描かれている。

I:髭が床につくくらい長いのは、あの古代の時代のトレンドとかファッションとかではないんですね。

パ:髭も親にもらった体の一部という考えらしいです。あとはガガ様とのツーショット抜かれて、ファンたちはざわめいたと思うのですが、そこにさらに自分でツーショットを公開するというVくんの姿勢がまたまた天晴れでした。ザ・天晴れ!!声を大にして言いたい!!人間、男と女の関係だけじゃねーぞと。

I:RMさんは次のアルバムについても言及していました。

パ:自分たち主体で作る方向に考えているようでしたね。アルバム自体はほぼ出来上がってるのでしょうが、今後のあり方として、海外のチームに楽曲をプロデュースしてもらうグローバル路線は、中心的な方法じゃなくて、部分的に使っていけばいいんじゃないでしょうか、要所要所で。彼らの言葉が多くなるんじゃないかなと思います。でもその方法の価値が自分で客観的に分かるためにも、「Butter」や「Permission to Dance」は絶対必要だったと思います。グラミーを目標にした試みを、試せるのに試さなかったらその後悔がずっとついてまわったでしょうから。

I:今「花様年華」というワードが話題になっています。

パ:花様年華は終わりました。このRMくんのVLIVEではっきりと感じました。

I:えっ。それはどういうことでしょうか。

パ:花様年華はとても人気のあるコンテンツ群です。わたしはそれほど熱心にサイドストーリーを追っていないし、楽曲中心で考えてるし、本当に個人的な考えですが…まあnoteというのは個人的な考えを書くところですから、わたし、花様年華の集大成は「Spring Day」にあると思ってるんですよ。

I:まずその前提が間違っていると思いますが。

パ:まあまあ。花様年華のプレイリストってのは、青春パッションで、恋愛酢いも甘いもで、老害コンチクショーですよね。

I:ひどいまとめですね。

パ:あのMVでタイムリープするとかしないとかで、メンバーたちがメンバー自身を演じるいくつものストーリーで、若者たちはどれも不幸です。それは、社会が若者に押し付けた、若者にとっては不条理な、自分の力でどうしようもない不幸の設定、でもそれは俺たちのせいじゃない。その仕組みを自分たちにあてがって、どうする気もない大人たち、こん畜生、だけど俺たちは好きな子を見つけて身悶えもする、自分に潜在する爆発的なエネルギーは信じている、そんな状態。

I:そうでしょうか。

パ:「Spring Day」は、そのひどい社会で、救われなかった若者たちのための鎮魂歌です。防弾少年団は、何から何を防弾、守るのか。若者を偏見から守るということでした。若者の、存在するだけで美しい瑞々しい、エネルギーに満ちた魂が、歪んだ社会から守られるように、これらの楽曲を盾にして、傷ついた心を癒す空間が保てるように、損なわれたままでなく、自信を取り戻せるように。

I:それはとても素晴らしく聞こえます。

パ:と、同時に、花様年華は、自分に理不尽に与えられた不幸を、「不幸だ」「辛い」「理不尽だ」と見つめ続けるあり方です。ある意味、大人にならなくていい、ずっと子供のままで、だれかのせいにし続ければいい。そしてその態度は、RMくんの言う、「ポジティブなことに集中してください。それが難しいのはよく知ってるけど、ネガティブなことに集中するには人生は短すぎると思います」とは真逆の態度です。もう彼は、人生に与えられた不幸にフォーカスすることをやめると言ったのです。だから「花様年華は終わった」と言いました。

I:花様年華のMVで重要なテーマとして扱われていたそれぞれの登場人物のトラウマは、現代の若者が味わう理不尽を象徴したものでしたが、今のRMさんにとっては、もうそれをテーマにしてフォーカスはしないと言っているということですね。

パ:そうそう。彼は次のアルバムでもその次でも、そちらにはフォーカスしないと言った。BTSは成長して、重圧を受ける若者側から大人、すなわち与える側になってしまいました。そして、彼らのファンもまた成長しました。ファンがやがて大学を卒業して就職します。それが船の運送会社だったとします。セウォル号の事件は運営会社の体質そのものが原因でした。社会人になって、かつての若者が、今度は虐げる方に回ります。会社の体質が間違っていると知っていながら、それに対して何もしないなら、防弾は何から何を守るのでしょう。社会人になって大勢に飲み込まれたかつてのファンから、次の世代の若者を、でしょうか。

I:それは難しい問題ですね。

パ:「あの頃のぼ〜くらが〜嘲笑って軽蔑した〜恥ずかしい大人に〜あの時なったんだね〜」。「砂の果実」ですよ。名曲ですよ。

I:若者たちは、あの頃軽蔑した恥ずかしい大人になるしかないんでしょうか。

パ:幸せの定義を変える必要があると思います。新しくする必要があると思います。これまでの社会は、若者を搾取して、しわ寄せを下の世代に押し付けて、見ぬふりをする、そして得られる富と生活水準を守ることが幸せでした。それが変わる必要があります。

I:それは一筋縄では行かなそうですね。

パ:だから、もともと社会に既存する、与えられた定義ではなくて、自分が見つけた幸せが何であるかということが非常に大切なんです。「Boy with Luv」、ここでいろんな楽曲がつながってきます。1日1日を生き切ると、小さな幸せを実感することができます。小さな幸せを実感できる人が、大きな幸せを感じることができるんです。ネガティブにフォーカスしないことは、本当に大切なことなんです。試しに、ネガティブにフォーカスしないで1日だけでも生き切ってみてください。きれいな花を見て、きれいな空を見て、きれいなハンカチの模様を見て、不可能ではないはずです。そしてそれができたら、その人はまったく別人のようでしょう。そうやって幸せな人に変わるんです。

I:なるほど。ずいぶんスケールの大きな話ですね。

パ:大きいですが、小さい。気にするべきは感情の初動、小さなことです。防弾は今や、既存の、若者を虐げたままでいる社会の価値観に迎合する社会人から、自分の幸せを見つけてポジティブに生きようとする人たちを防弾する、そういう新しい防弾少年団になりつつあると、防弾の意味はそのようであると、そんな風に感じます。

I:新しい価値観を持つ人を、古い価値観を持つ人から防弾するのですか。

パ:そんな風に見える、そうであったら面白いな、という個人的な思いですが。本当に、単純に、花様年華のままでは人は生きられないんですよ。あの頃の彼らがそのまま過ごしていたら、保たなかったと思います。だからこそ解散の危機もあったわけだし。

I:立ち止まって方向転換をしたのは、花様年華を続ける方向ではなかったと。

パ:花様年華が素晴らしいのは当然です。若さって本当に、いるだけでこっちの血流が良くなるんです。たとえ不貞腐れて無愛想な若者であってもです。わたしが今いるみたいな限界集落みたいな土地に住んでると、その生き物としての価値の高さがよく分かります。いるだけでいい!いるだけでパワースポットみたいな感じです。不良でも、やさぐれてても、幸せじゃないと思って嫌悪を撒き散らしてもだし、恋なぞしてたらなおさら発してますね!空中に気化してますよ、びりびりとエネルギーが。気化したエネルギー吸ってるだけで、リンパの流れも良くなる気がするね。ちょっと不審者めいてますが…でもそのくらいの力を持ってます。その期間限定の生物の煌めきと、楽曲その他のアート性が掛け算して、BTSの花様年華はありました。でも若者はそこに若者としているだけでものすごく輝いてるんです。地球の、至宝の宝石です。

I:だったら、その宝石を社会はもっと守るべきですね。

パ:そうですよ!本当そう!!だからそういうところで、それは世界全体の社会の問題でもあるかもしれませんが、韓国は合理的な部分もありつつ封建的な部分もあり、日本も度合いや意味合いは違えど、同じアジアで共有する価値観に基づく問題もどこか共通していたりするわけで、一箇所が解放されたら、それは別の場所の開放にも繋がる。問題はつながっているので、ある国の若者が解放されるなら、それは同時に他の国の若者をも解放するんです。

I:そしてパクチーさんが泣くわけですね。

パ:そうそう。

I:さて、そろそろここで、ロッキンオンの1万字インタビューばりに、このインタビューも1万字を超えています。ここいらで気が済みましたでしょうか。

パ:済みました済みました。今日はありがとうございました。パクチーでした。それでは、みなさま、またお目にかかれましたら!




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