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牡丹たんが感動したフレーズ集

↑のように3240個も紹介するのは流石に厳しいですが、とりあえず5選ということで紹介してみようと思います。
小説だったり歌だったり人の名言だったり出典は色々なんですが、ここは敢えて引用元は紹介しないでおくことにしておきます。
気になった方は自分でググってみてください。

(注 牡丹たんは今ヨッパらっているので、本来入れるべきのを忘れていたり、そもそも何言ってるかわかんなかったりする可能性があります。悪しからずご容赦ください。)

①生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。

人もイモリも割とあっさり死んでしまうもので、しかも「命を奪う者」に対して嫌悪感を抱いていた自分でさえも、あっさり「奪う側」に回ってしまうこともあります。
だとすれば、その両者の境目はどこにあるんでしょうか。
自分の信条すら簡単に裏返しになってしまうとしたら、自分という存在は、人生とは一体何なんでしょうか?

②誰もが明日の発明家 研究成果は独りで悩んでいた冴えない夜の向こうだ

コレがほんとにそうなのかどうかは全然わかりませんが、本当だったらいいな、と思います。
僕が色んなことで悩み、苦しんできた時間は結局無駄なものでしかないとずっと自分で考えてきていましたが、最近は少しはそうでもないかな、と思えるようになってきました。
いつか研究成果が出せたらいいなと思います。

③ドアを開ければ道は眠って踏み出される一歩を待ち焦がれている

これを聞いたのは中学生くらいだったかな?ガツンとやられてしまいました。
旅立ちの日、その瞬間を敢えて踏みしめられる道の目線から描写した人はあまりいないのではないでしょうか。
誰も知らない、誰も歓迎してくれない、そんな旅立ちでも、道は自分のことを待ち焦がれているのかもしれません。
願わくばその期待に、自分だけでも胸を張って歩めるように。

④将棋は本当に楽しいです。昨日負けた私が言うのですから、間違いないと思います

別に将棋に限った話ではなく、演奏でも麻雀でも何にでも言えると思います。
どれだけ手痛い負けを喰らっても、目を覆いたくなるような失敗をしてしまっても、明日になったらまた楽しくなってしまっていて、今日まで続けてしまっています。
もうすぐ25にもなるのに、中高生の頃に音楽を聴いて、麻雀を観て、興奮していた自分にどんどん近づいているんですが果たしてこれは「退行」なんでしょうか?
きっと憧れて憧れて、誰にも追いつけることなくいつかキャリアを終えていくのでしょう。

⑤ まさか『飄々としてつかみどころのない人間』がこんなにつまらないとは思わなかった。こんなにつまらないなら、ぼくはそんな人間になんてなりたくはなかった。

当時中学生(多分)の僕はこのフレーズを聞いて、「はえーまあそんなもんかねえ」と思ってたくらいなんですが、気付けば僕自身も「自分で自分がつまらないと思う人」になってしまいました。
僕は周りのみんなのように、他人を傷つけていたり、傷ついている人がいるのを見ないようにしながら万人とうまくやっていくことにどうしても賛同できませんでした。
色々考えた結果、丁度今現在の牡丹たんのような人間になろうと思ったのが10年弱前の話で、結果的にそれは叶ったわけですが、その道がこんなに大変で、こんなにつまらないとは知らなかったです。

当時誰かが「やめた方がいい」と教えてくれればよかったのに…とも思いますが、きっと僕みたいな人間は僕みたいな人間になるしか選択肢がなかったはずなので、誰かのご高説があったとしてもそれは馬耳念仏だったんでしょう。


ただ、だとしても、僕が今のような気がおかしい人間ではなく、万人と上手くやっていけるような、穏やかで良識的な人になろうとしていたら、もう少しマシな牡丹たんがいたんだろうか?
なんてことを、よく考えています。

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