離婚後の共同親権/親子断絶防止法に関する賛成反対論争について


今、気分的にはダウンの状態にある。なので、ちょっと重いトーンになる。考えすぎもよくないことはわかるけれど、書くという行為を通じて自分を客観視したいと思う。というわけでこのテーマについて興味のない方は読まない方がいいと思う。

タイトルのテーマは、僕にとって一生ついて回るテーマだ。離婚し、子供がまもなく2歳になるが、会えないでいる。とてつもなく辛い。今、うつでも悩んでいるけれど、原因の半分以上は子供に会えないことだと思っている。

上記二つは、このテーマのついて書かれたとても深い文章を紹介してみた。まず、前者の弁護士古賀様。離婚後子育ての専門でもわかる通り、基本的には共同親権、親子断絶防止法賛成派。後者のオラシオさんは、親子断絶防止法への疑問投げかけ派(ここ、筆者の主張とはずれている可能性もあります。2人が話し合えば、一部同意し合う部分はあるはずなので、賛成反対の二項対立で語ることはできません)

是非このテーマで考える場合、両者の文章は読んでよかった文章なので、ご紹介したかった。

とはいえ、会いたいよ!!!!

というのが心からの本音。どれくらい会いたいかというと、息子に会えたらもう人生に悔いはないと思えると思ってしまうくらい。

連れ去られる前に連れ去る。躊躇した時点で負けになる。化かし合い、離婚の話題を提供したとたんに、別居を強いられる。そういう目に遭うのは、男女を問わない。わが子に会えなくなる母親もいる。いや、母親がわが子に会えなくなっているから問題に気付くようではとても遅い。わが子に会えない父親が、心身を病み、命を閉ざすほどに思い悩む現象は、多く繰り返されてきていた。(古賀様引用)

この父親が僕です。

わが子に会えない(完全断絶に限らず制限的にしか会えていない場合を含む)別居親は、その状況を嘆くけども、中には、重い養育責任をうまく免れていることを奇貨として、新たなる恋愛や自己実現など人生を謳歌するチャンスだってあふれている。

この人物も僕。

さも親権を獲得したかのように語られる同居親だが、その多くは貧困にあることは繰り返し語られることである。

そして、このリスクがあるのが僕の元妻。現状、仕事があり、実家で養育しているので、貧困レベルになることはないだろうと思う。再婚でもしてくれたらいいけれど。

ちなみに、僕は財産分与として150万円を渡し、養育費は払っていない。これは一波乱、いや大波乱があった上での僕からの提案だった。それを相手側が飲んだので、合意の上の離婚条件だ。面会交流については、「なし、ただし、子が望んだ時や金銭的に困った時、面会交流が行われた時に養育費の支払いを考慮する」という提案をして、相手が飲んだ。

泥仕合に泥仕合が重なった。僕は僕自身が提案した条件に、苦しんでいることになる。けれど、その提案をしなかったら離婚はもっと長引いていたし、当時適応障害が一番辛い時期だったので、精神が持たなかった。

もうひとつ気になるのは、連れ去った側の親に「なぜ連れ去ったの?」という理由を訊かなければちゃんとした現状把握にならないということだろう。このコンテンツにあるのは、ほぼすべて「連れ去られた側の現状認識」だけだ。連れ去った親にも、連れ去られた子どもにも何も訊いていない。
これは、何としてでもこの法案を通さなければならないという根拠にはならない。僕が親子断絶防止法で危険だなあと感じるのはここなのだ。仮に「連れ去り」と判断される事例があったとして、夫、妻、子の3者が当事者になるだろう。しかし、この法案の中には夫か妻のうち去られた側の一方だけ、つまり必要な情報のたった3分の1の視点から見た世界しか含まれていないのだ。
配偶者も子どももすでに自分を愛してないとしても、DVを行っているとしても、視点が3分の1のみだとそうした現実は決して見えてこないだろう。だって、その3分の1の人はそんなの認めたくないのだから。(オラシオ様引用)

ちなみに、僕は妻に暴力を振るってもいないし、浮気もしていない。ただ、反省しているのは「子供が産まれて夫が単身赴任なのに、仕事をどうしてやめないんだ。やめるべきだ」と強く主張したことだ。妻を傷つけた。本当に未熟だった。妻はそれをモラハラと受け取った可能性がある。他にも、僕の父が僕の妻に常軌を逸した説得方法を取ったことが致命的だった。

これが義母の怒りを買い、両家は最悪の状態になった。

僕の仕事中に義母が僕の家から妻と子供の荷物を全て持っていった。


離婚をして、日本に生まれたことをひどく悔やんだ。アメリカなら、欧米なら、共同親権で父親の面会権利はもっと守られるはずだ。こんないびつな法制度の国に生まれてしまったことを呪った。希死観念が定期的に襲ってくる状況で、もう対して生きる力がない状態で、唯一望むのは子供を抱きしめたいということだ。これが、世間的には親のエゴだと自分でもわかっていながら。

今でも、どうすればよかったのか、答えがわからない。

というのは今の現状。僕は、この問題のついて、本格的に弁護士に相談することも考えている。相談くらいなら、してもいいだろう。

「子供のためにも、これからの人生を立て直すことが必要だ」

何度となく人から励ましとしていわれ、言い聞かせてきた。それはわかってる。それはわかっている。こうしている間にも息子が大きくなっていて、それを見ることができないという圧倒的な事実が、重く僕の思考を搦めとる。

どうか、僕のような失敗を起こさないでほしい。僕が今言えるのは、それくらいだ。

そして、子供が幸せでありますようにと。



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