違うということをそのまま違うまま、自分も相手も変えようとせずに生きていけるか

しばし、NOTEは自分のために書くことにしました。

もともとこれは僕のスタイルだったのですが、最近は誰かに向けて書くようになってきて、ちょっと型にはまりそうだったので原点回帰。

なのでこれは独り言。

父親が陰謀論者だ。このテーマを書くのにすっっっごい悩んだ。下書きに入れようかと思った。

整理のために書いているNOTEでもあるので、書ききってやろうと思う。

一度書き出せばある程度はすっきりするはずだ。

それと、このアカウントが家族にもバレている可能性がある。その時はこのアカウントは私のメンタルヘルス向上のために必要だったアカウントなので、スルーしてくださいね。

何から書こうか、父親はもともと陰謀論者だった。コロナが始まる前から。

ついでにいうと僕自身、9.11の事件が自作自演なんじゃないかと思い始めたあたりから陰謀論にハマったこともあった。陰謀論者に言わせると、陰謀ではなくて真実なんですが。

ある時期、僕はそういう陰謀論から卒業した。これにはその時の思考をしっかりと表すことができる。

この世には醜いものも美しいものもあり、なんだかそういった醜いものを見るのに疲れてしまったのだ。陰謀論者になると発生するのは憎しみであり、権威との戦いであり、えもしれない正義感だ。

陰謀論を信じることで得られるものは【自分は真実を知っている】という優越感である。自分は世界の仕組みを知っている。自分は世の中の現象の本当の理由を知っている。他の人は知らないでいるのだから啓蒙しよう。私は世の中を良くするために戦っているのだ。

陰謀論をやめた論理を説明するのは難しい。例えば、陰謀論者の根底となる思想の一つにイルミナティがある。

これは非常に面白くて、ネットで調べると止まらなくなる。3.11がイルミナティによる人工地震だという説もありましたね。

突然ですが、生物において強者が弱者を支配するというのは当然の構図なわけです。人間界だけの話ではない。生物が生きている限り何らかの手段でトップの層が下位層を支配しようとするのは当たり前。その手段が情報操作であろうと戦争であろうと人工地震であろうと疫病の拡大であろうと、そこに支配を企む層がいるという事実は同じ。

こう考えたときに、イルミナティやらそれに似た集団が人間界に存在するのは自然の摂理だと思ったわけです。異常なことではない。

陰謀論にとらわれるのを辞めたのがそういう思考になってからでした。それから、陰謀論のことについて考えるのは辞めました。

コロナになってから、陰謀論は勢いを増していきました。今や陰謀論は社会現象です。特にワクチンの是非については現在進行系で陰謀論が拡大しています。

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と、ここまで昨日書いたのだがちょっと下書きに入れた。僕のようなタイプの解釈はかなり特殊だと気がついたからだ。

ワクチンについては、例えば一部の支配層が目論んでいるものだとして、そのワクチンに毒やBLUETOOTHを入れるなんて馬鹿なことはしないだろうと思うんですね。単純にワクチンで利益さえ上がればいい。

なのでワクチンは効果があるものだし、ワクチン自体に健康を害するようなものは一切ない。

この記事を書くに当たりいくつかの情報を調べたが、大切なのはボーダーラインを決めることだとおもう。ここまでは許容するけれど、ここから先を踏み込んだら声を上げるよ、ということ。具体的に言うと、どんな思想を持とうと勝手だけれどそれを食卓に持ち込んだり、行動を規制しようとするのは断固拒否しますという姿勢。

思想の違う相手と仲良くなれるか?ということでもあります。

ビールのCMなのは差し引いても、なんだかほっこりするような動画ですよね。

あ、違っていいんだ。違うということをそのまま違うまま、自分も相手も変えようとせずに生きていけるんだ、ということ。

胸に残しておきたい中庸の姿勢です。

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