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4月30日の日記(豊かについて)

週に一度、農家さんが野菜を持ってきてくれる。千円分をお願いしており、その時期の野菜を五種類ほど持ってきてくれる。さいきんは、毎週タケノコがくる。タケノコのあく抜きをして、上の方は、タケノコご飯にして、下の方は、しょうゆとみりんとかつおぶしで煮て食べている。

昨日は良い天気で、庭にある椅子に座っていたら、上の子がきて、隣の椅子に座り、英語の問題集を解いていた。下の子もきて、日焼けするといいながら、日焼け止めを塗っていた。日差しは柔らかではなく、もう夏を感じさせるくらいの、張り詰めた明るさがあった。私は左側の髪を、よく耳にかけているが、左側の頬には、シミがある。紫外線はあなどれない。

英語の問題について、質問される。isn't  じゃない? と教えたところが、正解は doesn't  だったりして、かなしいし、この人はあてにならない、という上の子の反応がかなしく、少し、頼もしい。

外にいるのに飽きて、家の中に入ると、暗かった。知らない家にきたみたいに感じた。夫が昼寝すると言うので、私も一緒に寝ることにした。二階にマットだけ敷いて寝た。下では、子どもがゲームをして、騒ぐ声が聞こえた。
豊かとは、こんなふうに、散りばめられたものなのだろうか。生活にぺったりと薄く塗られているものだろうか、と、考えた。
私はその手の豊かさを、豊かと受け取る感受性が弱いのかもしれない。贅沢だし、バカなのだろうけれど、豊かとかっていうのは、もっと、一瞬のものだと、思い込んでいて、どこか確信していて、こがれている。

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