見出し画像

噴水のある駅 9

「やっぱり俺には青じゃなくて、紺色に見えるよ」
ホテルを出て、手をつなぎ、駅までの道を歩く。
「私には青に見える」
夜は寒い。空には星が、三つほど。しばらく二人は黙っていた。
「今度誰かと待ち合わせする時は、紺色のコートを着ていきますって、伝えることにする」
ユリが良介の手を放し、バッグを持ち替える。
「うん」
また、沈黙が流れる。
「俺は婚カツしよう、まじめに」
「うん」
二人ぶんの、白い息。
「しなくても、モテそうだよ」
ユリはそう言って顔を上げる。駅が見えた。

夜の噴水は、昼間と比べると控え目に水を出していた。様々な明かりが、わずかに揺れる水面に映り込んでいる。良介は、ここから少し歩いた場所にある駅を使っている。

「じゃあね」
と、ユリが手を振る。
「じゃあ」
良介も返した。
彼女が改札を通る。やがて、見えなくなった。

*********

ユリは電車に乗ると、ドア付近に立った。窓ガラスの方に顔を向けて。噴水のある駅。いつも通りすぎてばかりで、降りたことのない駅だった。もう、降りることはない。

私に何が言えたんだろう。
彼女は両手首を、大事そうに自分の手のひらで包む。涙がこぼれる。
「ズルいし甘えている」
土曜の夜十時。車内は混んでいる。ユリは唇を噛んで、こらえた。

ピンコン。
肩にかけたバッグの中で、ラインの通知音が鳴る。彼女は急いでスマホを取り出す。ピザ屋のグループライン。来月のシフトを出してください、と。
マナーモードにして、コートのポケットにしまう。

駅にとまるたび、ドアが開く。ユリの側が開く時もある。何人かが降りて、何人かが乗りこむ。これを何度か繰り返せば、またいつも通りに、通常モードに、戻ってゆけると思えた。

ポケットの中で、スマホが震える。きっと、ピザ屋。
「よかったら、またご飯食べよう」
良介からだった。ユリは息をのむ。
「私はズルいし甘えているの」
「なんのこと?」
「前に、言われたの」
「オーケー。明日その話を聞く。あの駅で待ち合わせね」

よくわからないな。ユリは思った。
よくわからないものは、こわいなあ。

「じゃあ一時。青いコートを着ていきます」
彼女はそう送るとすぐに、スマホを握ったまま、手をポケットに入れる。ユリの手のひらに、小さな振動が伝わった。

おしまい

1はこちら
2はこちら
3はこちら
4はこちら
5はこちら
6はこちら
7はこちら
8はこちら

読んでいただき、ありがとうございます。気に入っていただけたらサポートよろしくお願いします。