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20240613 仕事はあるの?

実家で母親に聞かれる「仕事はあるの?」と。ないよ。基本自分で作るしかない。けど今は上手くいってない。だけど適当に言ってごまかす。

実家でも別に自分の全部が許されてるわけじゃない。YouTubeやってるなんて親からすりゃよく分からないし、父親からしたらほぼニートみたいな状態に感じられてると思う。実家に帰って、本読んで、動画編集して、寝て、猫撫でて、音楽聴いて、それだけやってるから、社会に疲れて帰ってきた息子位に思われてんのかな。別に邪険には扱われないけどね。

親には大切に育てられたし、感謝してる。けど、すべてに理解があるわけじゃない。色々説明しても、納得してもらえるのは「食えてるのかどうか」だけ。いま企画を練っててさとか、動画のテンプレートができたらこっから動画をバンバン出してさとか、机上の空論話しても、「それで、食べれてるの?」と心配な顔で聞かれるだけ。そうだよね。俺も別にプロセスを褒めてほしいわけじゃないから、金が稼げたら「ぼちぼちだよ」とだけ言うようにしてる。それでいいと思ってる。

理解ってのはどこまでを言うのかわからない。母親も別に「金が稼げてないなら辞めろ」とも言わない。「いつまでもそれじゃきついでしょ」みたいなオーラがないこともない。けど、いまのところは「苦しんでなきゃいい」くらいの包容力を感じる。父親はもう少し「ちゃんとしろ」寄りの目線だと思う。別に全部許してくれとまでは、両親に思わない。

母親に最近、一時期メンタルがきつくて、むかーし大麻に頼ってたことを話した。第一声が「いまはもうやってないよね?」だったことが、結構ショックだった。けどまぁ、そういうもんか。親世代からしたら。本当に今は全くやってないから、「もちろんやってないやってない」と断固否定した。親に限らず、大麻を許してくれる友人もいるし、許してくれない友人もいる。でも、それだけで自分が許されているかを判断するのは違うよな。別に大麻が俺の根っこってわけでもないし。

他人に自分のどこが許されたら、自分が許容されたと感じるのか。これはよくわからない。だから、究極は自分で自分を許し続けるしかない。と思ってる。

文章を書いてるのが好きだから、なるべく文章を書き続けていく。けど、練習だ練習、と思って書いていても練習のための文章になってしまう気がするので、毎回少しでも書きたいと思う気持ちを傾けて書くようにはしている。書きたいものに気づく、それを形にする、をやってないと普遍的なことをなぞるだけの技術がつきそう。

何を書いてもいいよと言われると、何を書いていいかわからなくなって、求められるような文章を書こうとしてしまう。無意識に「求められてるものしか、許されていない」みたいな変な思考をしてるんだろうな。

はじめから整形したものを出して、それが許されたとして、それははたして俺が許されたことになるんだろうか。ビビってんじゃないよ。俺。歪なままだして、無視されてもいいから凛としていなさい。そう言ってくれる誰かがいたら、依存してしまいそうだな。

俺は俺の足で立つ。そのためにも自分を許したい。

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