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20240628 挿れると受け入れる

最近俺の中にある男性性と女性性について考えている。けっこう昔にサイケデリクスを摂取したとき、海辺を眺めていて「嗚呼、実は俺は3割くらい女なのかもな」って思ったことがある。

挿れるという行為は、外側の形を変えること、影響を与えること、自分の硬いところを押し当てること。受け入れるという行為は、反応すること、影響を受けること、好きになること。

抱きしめて許して欲しいという感覚は男性性の俺からの喘ぎで、頭が溺れるほど満たしてほしいというのは女性性の俺からの囁き。

これは何も性行為に限った話じゃないけど、性行為で考えたらなんとなく腑に落ちた。誰にでも挿れたいわけじゃないし、誰にでも抱かれたいわけじゃない。

俺はYouTubeでリアクション動画を撮っているけど、最初の頃は刺激に対する反応だった。そのうち自分のリアクションが反応から、解説に移行している感じがして、自分でもよく分からなくなって動画を撮るのを辞めた。これも俺の中の女と男が入れ替わっていたのかもしれない。

今の世界は男性性で満ちているような気がする。聞き手がおらず、みんな抱きしめてもらうことに飢えている気がする。だから創って、誇示して、見てもらいたい。自分の硬いところを慰めてほしいんじゃないか。

タバコや大麻なんかは、自分を壊してくれる。ベランダでタバコを吸っているとき、煙を受け入れているような気分になる。誰かを好きになるというのも似たような気持ちだ。相手の尖っている形を、ありのままに俺の肉で受ける。その形のままでいいよって。

俺は人に影響を受けやすい。そして、人を好きになりやすい。色んな人を受け入れようとしている間に、骨まで柔らかくなって、自分の男性器の位置を忘れているみたいなことがあるのかも。

俺のどうしようもなく隆起した部分を愛でてくれる誰かがいたとして、その人が俺の形になってしまったら俺はやり過ぎたと思う。そんなときは相手の忘れた輪郭をなぞって、抱きしめて、歪な骨の形を思い出させてあげたい。満たし満たされる、そんな関係でありたい。

社会の形はもうすでに男性器そのもの。体を置いているだけで、何かを受け入れなくちゃいけない。飲みすぎた毒は吐き出していいよ。別においしくないんだし。

俺はできるだけおいしくなって、欲しいと思われる男になりたい。俺だけが創る硬い理由が、柔らかい誰かの支えになったらいい。

俺は深淵のような底が見えない海になって、棘を許せる女になりたい。どれだけ肉が裂け血が出ても、あなたが笑うなら笑っていたい。

私の中に2つある。その意味を愛で1つに縛る。挿れる相手は俺が選ぶ。受け入れる相手は私が選ぶ。心が湿る感覚を忘れない。体が形を忘れたら、はみだすも許すも気持ち良さがないから。


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