見出し画像

20240707 柔らかい空気

空気も人間も生き物だから、放っておくと緊張してくる。その緊張を柔らかい生地に戻すみたいに、俺は笑いたいのかもしれない。緩和の起点はなんでもいい。

誰かとAという道筋の会話をしているとき、その話題はAという点に知らず知らずのうちに向かっていく。話は終着へ向けて、少しずつ緊張していくような気がする。そんなときにふふっと笑えるような小石を投げて、俺たちはこんな話をしたかったわけじゃないよなと、人間のフリを解きたい。

生きるということは、自由を編んでいくこと。そんなことを思ったりする。多くの選択の中で、解けなくなった結び目があって、それがもつれたまま知らないうちに1つの正解を目指してしまっていることってたまにない?俺はよくあるよ。

笑いは緊張と緩和の産物。そんなことを誰かの話で聞いた気がする。俺は張り詰めたトランポリンみたいな空気で、高く飛び上がる夢をみたいな。

単純なくくり方では、識別できない生の呼吸の中で、生きるってなんだろうって難しくなっていく人間たちをどうか救ってください。風よ。

相手に笑って欲しいと思うのはエゴなのかもしれない。そのために石を投げることは、格好つけてるみたいで、それ自体が緊張になる気がする。だから、その緩和は自然と訪れるものなのかもしれない。訪れることを期待して待つのも、これも緊張になってしまう気がするから難しいけど。

余白は呈示するものではなく、そこにあったと認識するものだと思う。それがやってくるまで、日常を繰り返して、機がきたら迎え入れる。大好きだからって同じ余白をたくさん食べちゃいけない。お腹がだんだん固くなってくるから。

まとまらない文章を書く。まとまるってなんだろうかと考えながら。とにかく整理したがる脳みそが、俺のあり方を固めていく。緊張。貴方はそれを傍で見ていて。そして、たまに優しく殴って。俺がまた自由に息ができるように。

よろしければサポートお願いいたします。明日の食費になります。