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20240709 脳の余ってるところで

タバコを吸うと、脳の血管が収縮して思考が鈍化する。「もうどうでもいいやー」ってところまではいかない。「あーあ」ってくらいの酩酊。普段頭が忙しいから、この思考が鈍くなる感じが好きなのかなと思う。

Peel レモンハニー

ドンキで買ったpeelってタバコ。結構好きかも。他のブラックデビルなどのタバコは、チョコのフレーバーとかいいつつ、味はただの煙なのに対して、このタバコはちゃんと煙にレモンの味がする。フィルターのメンソールカプセルが付いてて、それを潰すとほぼメンソールの味になっちゃうけど、料理の途中で薬味を足して味変をするみたいな感じでそれもまた好き。

むかーし、草を吸ってたときも、感覚が鋭敏化されてる気がしていたけど、もしかしたらあれは鈍化だったのかもしれない。体感をもっと正確にいうと、1つの感覚にフォーカスしなくちゃいけないくらい思考と感覚に加速度が着く感じ。ベルトコンベアが急速に回りだして、目の前のことを考えていないと流れていってしまう。それに対応するために脳のキャパが割かれて、シラフの時に考えてしまう不安とか、めんどくさいとか、イライラとか、そういった感情にメモリが割かれていない状態という感じ。脳が忙しいと楽しいし。

たぶん、俺は結構脳の容積が余ってるのかも。これは賢いとかそういう話じゃない。たぶん、世界を情報に編集して、削ぎ落とす能力があるんだと思う。言ってしまえば、都合よく世界を"見ないように"する力がある。そして、自分が見たいと思う世界だけを頭の中にならべるから、情報をまとめた後は脳のCPUが余る。その余白で不安や、面倒や、嫉妬なんかを考える。まったく贅沢な脳。

瞑想なんかにも通じるかもしれないけど、たぶん脳みそも含めた全感覚で生活に向き合えば、退屈も不安も訪れないほど、俺が"生きる"ってことになるんだと思う。けど、そうすると今書いているこの思考もでてこないのかなとも思う。

いまは世界を決めつけて、脳のキャパを空けているだけ。仕組みとパターンを見つけるのは個人的に好きだから、これはたぶん一生続く。でも、この空いた思考の隙間に、もっと世界を楽しむためのモジュールを詰め込みたいよ。

例えば、初めてチャリンコに乗るときは、ペダルの漕ぎ出しから、ハンドル操作、どこを見ればいいかとか気にしなくちゃいけないことが多すぎる。けど、いずれそれを体得して、慣れていく。慣れたことはそこまで脳を使わなくて済むから、その分脳みそが余る。そうすると、次に景色を楽しむ余裕がでたり、周囲の安全に気を配れるようになってくる。

何が言いたいかというと、思考が余ったとき、その思考をどこに向けるかが結構大事って思うんだよ。俺は、脳が退屈してくると、不安とか、面倒くささとかを感じるようになってるからさ。

いままではそれを感じないほど、文字通り没頭すれば、それが生きるってことなんじゃないかって思ってた。これは童心への憧れにも通ずる。あれは、無知が故に感じられた幸せなのではないかとかね。

だけど、何をしてても慣れたら脳が余る気がする。俺の体は。だから、慣れたとしても、その余った部分で全体を俯瞰してしまうんじゃなくて、もっと深く深く潜っていくことに呼吸を使いたいって思うんだよ。

俺は力を持て余してる。頭の中に帰ってこようとする力を、ひたすら外に向けて押し当て続けたい。優しく、丁寧に。そしたらたぶん、ずっと現実は色を持っている。


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