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院試のこと。[B4を振り返る②]

今回は大学院入試のことを振り返ってみます。動き出しが早かったので、b4よりちょっと遡ることになりますが…

まず前提として自分は将来を思い描いた上で、この時期にはこれを身につけて、その先にはこれが必要になるだろうという考えをしながら普段過ごしていました。スタジオごとに身につけたいことを決めていたり、学部の研究室ではこれを身につけたいっていうのをあらかじめ決めて、それらがどんどん繋がっていくように心がけていました。

あとは考えに考え抜いたと自信を持って言える状況になったら割と感性に身を任せて選択をしています。最後は直感です(笑)

では順を追って振り返っていきます。

下調べ(B3の12月ぐらい)

自分の通っていた大学は12月に設計課題が終わるので、そこから行きたいところを考え始めました。大学受験の時に京大に落ちたこともあり一番最初に見たのは京大だった気がします(笑)そこで京都工繊もそれに近いと言うことで見始めました。自分は関東の人間なので普通に東大、東工大、YGSA、藝大も調べました。東大、東工大は行きたい研究室がないと思い、YGSAはこの先生に2年間つけたらなあーという感じでシステムと教授のバランスが自分には合わなかったです。藝大はなんというか関東の中だと一番行きたかったんですけど、藝大は芸術の最先端でいてほしいという自分の勝手なイメージのせいで、建築科に最先端な感じとか尖っている感じを感じなかったので受けないと思ってました。

あとは留学が強いことがかなりでかい条件でした。派遣の協定を結んでいるのがどこなのかは結構ちゃんと見た気がします。

動き出し(B3の1月 卒制のお手伝い終わりぐらい)

11月にゼミ配属になった頃、担当の教授は学部までで退任することが決まっていたため進路をどうするか聞かれていた気がします。なので1月頃には先輩からここがいいよと言うふうに言われていたおかげで、大学はもう決めていた気がします。

研究室は意匠系研究室合同のプロジェクトを見つけ、それから教授の事務所のホームページをみて一番気に入ったところにしていました。いきたい研究室も決まったので、そこから同じ大学の先輩に行きたい研究室の先輩に繋いでもらいました。

研究室訪問(B3の2月 行きたいところの卒制展に合わせて)

行きたい研究室の先輩に教授のメアドをもらって、卒制展に合わせて研究室訪問のアポを取る事ができました。

そうして実際に京都の校舎に行って先生と一対一で面談をしました。すごい緊張をしたのを覚えています。ポートフォリオ作り直したのに印刷できず、結局前のやつを見せたりなど準備が追いつかなかったこともその原因かもしれません(笑)(一般論的にちょっと早いペースだから準備できなくても当然かも?)

そこで実際に教授と話してみたり、先輩と話してみて本当にいいところだなと実感できました。

対策期間(B3の3月〜B4の6月ぐらい)

ここから対策を考え始めました。卒制もやらなきゃいけなかったので読書とかもしながら、志望理由を明確化しようと思っていました。ポートフォリオを作りながら、自己分析をすごいして研究計画書を書きました。今振り返るとその時書いたことは卒制でそのままやっていたし、修士でもそれを発展させた計画をやりたいと思えるものを当時から書いていたのにはびっくりしました。

自己分析で見つけた、「コンテクストを色んなスケールで発見し、実践していくこと」を自分の強みとしてポートフォリオは作るようにしていました。色んな作品を一貫して説明できるようにしておくと面接の時に話しやすくなるだろうと考えていました。

学科はノートまとめを頑張っていました。絵を描きながらやれば楽しく続くかなと思い、平面図や断面図、パースを添えるようにしていました。実際の試験で平面図を見て建築名を答えた上で論述する問題もあったのでとても役立ちました。役立たせようとしたわけではなかったですが(笑)

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即日設計追い込み(B4の6月〜8月)

学科とポートフォリオは無事完成しましたが、即日はかなり不安でした。関東の他の大学と形式は違うし、大変な課題も多かった印象です。この時期は毎日即日の練習をしながら、学科のアウトプットをしていました。先輩に毎回添削していただいてて、コメント的には挫けそうになる場面だと思ってたんですけど、なぜか大丈夫な気がしていました。通しでやったり、パースだけやったり、ダイアグラムをまとめてたりして本番まで詰め込みました。

ちなみに英語はこの頃には当日試験をすることに決まり、なぜかリーディングだけだったので勉強しなくても取れるかなと思い勉強はしませんでした。

本番(B4の8月中旬)

本番は京都にわざわざ行かなくちゃいけないのは大変でしたが、大学時代は一人暮らしだったので大学受験ほど一人でいて不安にはならなかったです。時計忘れて、京都で時計買ったのはいい思い出です。

試験は1日目に学科、小論文、即日設計があり、2日目に英語と面接がありました。学科、小論が終わった時にはなんか今日調子いいなーって感じで、即日油断せず頑張ろうって思っていました。その即日は今までで一番うまく行ったので、1日目終わった時にはこれで落ちたら周りのレベルが高すぎたんだなとまで思い、楽しかったなーと感じながらホテルに帰りました。(後で間違えて着彩してしまったことに気づき、変な汗が出ました。でも気づいたのは合格した後だったんで、今は気にしないで生きてます(笑))

2日目も英語は普通にいつも通りできて、面接はとっても緊張しました。待機時間長すぎでした。本当に。面接は割と楽しい雰囲気で、厳しいことも言われてたけど切り返しもできたし、それをきっかけに自分のどこを伸ばすかっていう議論が起こったりもしました。あと、旅行の話をして笑いが起こったりしてなんか先生たち面白そうだし、いい大学なんだなと思いながら全部の試験を終えました。

合格発表(B4の9月)

合格発表の日は実家にいて、前日から緊張でうまく寝付けなかったのを覚えています。17時ぐらいの変な時間に発表だった気がします。webでみて自分の番号が会ったときは2階にある自分の部屋から、1階のリビングまで駆け降りていったぐらいとても嬉しかったです。でも研究室の中で合格者第1号だったので、あんまり周りには喜んでいる姿は見せづらかったです。

終わりに

書いていて想像以上に長くなったのですが、院試のレポとしては書き切った気がします。ちなみに一つの大学しか受けてないので、落ちてたら海外逃亡(こっちの方が面白そうだったかも?)か就職することになってました。今回は早めに一つに絞りきり、その一つに向けてしっかり対策できたことが勝因かなと思っています。もし参考になれば嬉しいです。

長い文にお付き合いいただきありがとうございました!

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