[引用]フェミニズム運動は「見慣れないがゆえの嫌悪感」を突き抜けたところからポルノを批判してきた。私自身の経験を振り返ってみても、過激といわれる性表現であっても見続けると平気になることもある。見慣れたとしても感じさせられる 「イヤな感じ」を発生させている原因は何か。これを突き詰めて言語化したのが、フェミニズムの ポルノ批判なのだと思う
フェミニズムが問題化してきたことは、ポルノグラフィに対して抱かれがちな否定的な感情と近しいものでもある。自分をフェミニストと思うかどうかにかかわらず、ポルノグラフィに否定的感 情を示す人は少なくない。こと女性に限っていうならば、その人数はかなり多いだろうことも予測される。この感情に突き動かされてポルノを批判的に捉えている人もよく見かける。ここで、既存 のフェミニズム理論や運動から議論を汲み取る作業をいったん離れて、人々がもちうるポルノグラフィに対する否定的感情を言語化して、ここまでの議論に関連付けておきたい。
ポルノグラフィに対する否定的感情にはどのようなものがあるのだろうか。まず、ポルノグラフィによって、性的な現象が大っぴらに表現されてしまうことがいやだと思う感情が思い付く。これをポルノに対する「嫌悪感」と呼んでみる。性をめぐる表現は隠されているために、普段見慣れていない人にはグロテスクに感じられることはあるだろう。ポルノから遠ざけられてきた女性たちのほうが、より嫌悪感を覚えやすいことは確かだと思う。後述するが、このような感情を基盤にポルノグラフィを批判する勢力も存在している。もちろん、見慣れないがゆえに嫌悪を感じる人のために、ゾーニング(見たくない人が目にしないようにするため、ポルノを一定の場所に囲い込むこと)などの方策を講じることは重要な主題だろう。ただし、フェミニズム運動は「見慣れないがゆえの嫌悪感」を突き抜けたところからポルノを批判してきた。私自身の経験を振り返ってみても、過激といわれる性表現であっても見続けると平気になることもある。見慣れたとしても感じさせられる 「イヤな感じ」を発生させている原因は何か。これを突き詰めて言語化したのが、フェミニズムの ポルノ批判なのだと思う。
第二に、ポルノグラフィが偏った表現をしていることがいやだという感情が考えられる。これを ポルノに対する「不快感」と呼んでみよう。女性の人格を無視してモノのように扱っている、と不快感を述べる人は多い。これらは、先に述べたフェミニズム理論における後者の議論「性への矮小化=女性を過剰に性的存在として描くこと」とまさに重なり合った感覚だろう。その他にも、例えば、アダルトビデオで演じられている表現を女性が喜ぶ行為だと勘違いして実行に移す男性がいると困ると嘆く人をよく見かける(そんなバカな人はいないはずだと言う人もよく見かけるが)。この嘆きは、女性はいつでも性的に快楽を感じてくれる存在としてポルノが描いていることを批判していると捉えることができる。これもまた「女性を過剰に性的存在として描くこと」への異議申し立て と捉えることができるだろう。
第三に、ポルノグラフィへの「恐怖感」である。ポルノグラフィに表現された性暴力を見て、恐怖に近い感情をもつ人も少なくないのではないか。単にいやな気持ちを感じるだけでなく、自分自身が実際に性暴力にあったかのような恐怖に取り付かれてしまうこともある。例えば浅野千恵は、 あるアダルトビデオ――撮影中に女優が本当にレイプされているのではないかと疑われているビデオ――を視聴した際の恐怖感を次のように克明につづっている。
私自身の経験を振り返ると、恐怖、怒り、不安、無力感や孤立感に襲われ
た。性暴力映像そ のものがもたらす効果に加え、このような映像が社会的に
容認・肯定されていることが、それらの感情を強化した。思い出したくもな
いのに、虐待シーンが突然浮かんできたり、映像を思 い出させる引き金とな
るようなものを日常の中で発見すると、心臓がドキドキと高鳴って苦しく
なったりした。
浅野のように、ポルノグラフィに描かれた性暴力を見て、恐怖感に脅かされてしまった体験を語る人も少なくない。
このように、日常で感じさせられてしまうポルノに関する否定的感情嫌悪感・不快感・恐怖感などから、フェミニズムの議論は組み立てられたものでもあることを付け加えておきたい。
守如子『女はポルノを読む 女性の性欲とフェミニズム』p.34-36
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