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遊び感覚 第4話~第6話

第四話 遊びのこと

「遊び」と言ってもいろいろある。ディズニーランドやそれには若干魅力が劣るものの近いという取柄のある安田アイランドなどの行楽地へ行くこと。同僚や仲間と夜の繁華街に繰り出して酒を呷りらあらあと世を呪いながら闊歩すること。評判になっているビデオを借りてきて冷凍寸前のところまで冷やしたビールを飲みながらささやかな映画鑑賞を味わうこと。コートを事前に予約しておいて週末のテニスを楽しむとか。飲み屋のお品書きのように俗に言うレジャーの数々が浮かんでくる。

 一方、こういった安定多数の遊びとは全く異なる種類の遊びが存在する。日曜日の昼下がりに弁当持参で老人たちのゲートボール試合を眺めて和んだ気持になるとか。関屋浜には一体何個砂粒があるのか、五年計画で仕事の帰り勘定するとか。日記をあらかじめ書いておいて筋書き通りに一日行動してみるとか。時刻表を眺めながら架空の旅を計画し運命的な邂逅を夢想するなど、明らかに別種の遊びがある。

 この第二種の遊びは「どうしてそれが遊びなのか」とか、「ちょっと暗いんじゃないか」といった批判めいた言辞を受けやすい。もとより人それぞれの孤独な内面の中でのみ成立する遊びであるようだ。遊ぶという行為には、本人と周囲の人間との間に常人の理解を絶した深い淵があるのかもしれない。

 今あなたとポーカーをしていると仮定しよう。私たちは第一の意味で遊んでいることになる。けれども、私がチップの損得に頓着せずに自分の電話番号の数字ばかりに固執していたら(つまり第二の遊びを実行していたら)勝負にならなくなり、きっとあなたは「遊ばないで!」と叫んで怒るかもしれない。ここには今までの分類とは違った遊びの成立条件を示唆する第三の意味が含まれている。あなたは「真剣に取り組むこと」を要求しているからだ。(たとえ私自身は真剣そのものだとしても)。言い換えると、協同の行為体系の中に埋め込まれた第一の遊びと、楽しさを保証するものがいつも内面にある第二の遊びのいずれを選ぶにせよ、私たちが遊ぶためには真剣で充実した時を過ごさねばならず、そうして初めて正真正銘の遊びに到達できると言える。

 遊びの反対語は何だろう。仕事だろうか。でも仕事とていい加減にすれば、あまりいい顔をされない。だから遊びくらいは力を抜いて楽をしたい、というのが極めて標準的な願望であろう。それならば、暑い夏の休日に渋滞の中を遊園地まで車を運転するより、家で寝ている方が楽なのだから、結局、休息と遊びとは本質的にかけ離れたものとなってしまう。心身の疲れを癒し全身に鋭気が漲ると、(私の場合は第二の)遊びへの思いが募ってくる。半日の余暇とアキレスのような身体の充実。さあ、何をするか。こういうときが一番楽しい。現実世界の歩みとは別個のリズムをもつ、独自の時間に身を浸すことこそ「遊び」の真骨頂なのかもしれない。遊びとは、つまり、時間泥棒から自分の時間を奪回することなのだ。 

[33年後の注釈]

1)   安田アイランドは阿賀野市にある遊園地で現在はサントピアワールド。コロナ禍で経営が悪化してクラウドファンディングをしたらしい。子供が小さい時に一度だけ連れていった。恐竜ジェットコースターという怖くはないが角を曲がるときに「痛い」乗り物や、ただでかい冷蔵庫の中にペンギンの人形があるだけの極寒ルームがあった。

2)   もちろんこの時代のビデオはVHSでよく授業用に借りた。学生がレンタルショップでバイトしていることが多く、恥ずかしい作品は借りにくかった。(実際は借りた)。

3)   ゲートボールは最近みませんね。結構意地悪な競技で老人の性格が浮き彫りになって、ルールはよく分からないまま見ていた。

4)   アルキメデスは「砂粒の数」についての論文を書いている。無限ではないことを証明した。確か世界の名著にあったと思う。

5)   ポーカーより学生と研究室で麻雀をしたけれど、牌をツモってはただ捨てるやる気のない学生がいて、「遊ぶんじゃねえ!」と叱って手牌を見たらもう聴牌してた、なんてことが一度あった。

6)   遊びと仕事については、マーク・トウェインの「トムソーヤの冒険」の冒頭のトムのペンキ塗りの話が分かりやすい。トムは厄介な仕事を口笛を吹いて遊びに変えて、まんまと友達に押しつけることに成功する。

7)   最後にエンデの「モモ」の話を引用するくらいなら、もう少しきちんと書くべきでしたね。村上陽一郎先生が国際時間学会で、モモの話をしていて、いっときブームだった。

 

第五話 千回のキス

 バッハの珈琲カンタータの中に気になるところがある。若い娘のリースヘンが珈琲の美味しさを讃えて「千回の接吻よりも素敵!」と言っているところだ。簡便なドリップ方式により家庭でも嗜むことのできる、この澄んだ琥珀色の舶来飲料がもつ魅惑的な香りと味。誰が否定しよう。けれども、千回分の接吻と比較するとなると、考え込まざるをえない。自由奔放な色恋の巷であった当時の宮廷社会においては、接吻は軽い挨拶ほどの意味しかもちえなかったのかもしれないが、それにしても、未だ逢いもせぬ初恋の相手との甘美な陶酔の一瞬を夢見てもおかしくない女性の言葉としては、似つかわしくない気がしていた。

 やはり女性はこんな風に語ってほしい。「人生は私の心が求めるキスを交わすには短かすぎます!」と。この台詞は女優キャンベル夫人と劇作家バーナード・ショーとの往復書簡をもとにして書かれた二人芝居「上手な嘘のつき方」の中に出てくる。昨夏の尼崎公演以来、私はこの芝居に妙なかたちでかかわっている。話は16年前(1973年)と古くなるが、峠三吉という詩人の生涯を綴った「河」という劇団民藝の芝居を観た後、役者と観客の交流会があった。そのとき詩人の妻を演じていた久保まづるかさん(本名、新潟には「アンネの日記」のミープ役で来ている)と知り合いになり、以来、役作りのことや舞台の裏側で展開する別のドラマのことなど、聞くことはなべて耳新しい演劇好きの高校生であった私は、現役女優から多くことを教わった。

 その彼女から唐突な依頼が来て、大学院博士課程に在籍していた私は、ブレンダン・ビーハンの「人質」という劇に出演することになった。売春宿のピアノ弾きという役。「あなた、台詞あるけど大丈夫?」と心配するのも当然で、ふだんの十分の一も声が出ず、さりとてピアノもアマチュアのでき損ないだし、ともあれ大過なく終わり胸をなでおろした時は、舞台に立つのはこれで最後にしようと決心していた。ところが結局最後にはならなかった。今度は伴奏ピアニストという話。台詞が無いだけ助かるけれども、やはり音大出身の見目麗しい方にこの大役は譲ろうと一応は断ったのだけれど「あなただと苦情が言えるから」と変なところを評価されて、去年の尼崎と今年の和歌山公演に参加させて頂いた。八月二十八日の昼と夜、新潟でも万代シティホールで公演を打つことになっている。少人数の観客相手に間近なところで演技を見てもらおうという新しい趣向。(まだ切符は少し残っておりますので、大人のシックな芝居を観たいという方は是非いらして下さい。問い合わせは、新潟演劇鑑賞会へ=1989年当時のママ)。

 さて、さきほど触れたキスの話だが、この芝居の役者二人は年齢を合わせると百を超えることからして、初々しいというよりはむしろ老練で乾いたものを思わせる。そんな接吻でも、私は千杯の珈琲より値打ちがあると思う。相手がいないとできないことが悩みの種。 

[33年後の注釈]


1)   プロの俳優と舞台に立つ貴重な体験の話。この翌年1990年には横浜美術館でも公演があった。演出家の秋浜悟史先生は「ピアノは素人なりにまあまあだけど、お前の尻はどうにかならないのか?下半身は演技してないぞ」と変な要求をされたり、まづるかさんが「今日は声の調子が今一つだから半音下げてね」という無体な命令があった。バーナード・ショー役の鈴木智さんは二年前に亡くなられた。まづるかさんとは御夫婦。「夜明け前」で滝沢修の青山半蔵役を受け継いだ。

2)   この芝居のピアノ伴奏は主として映画版「ピグマリオン」こと「マイフェアレディー」の歌の伴奏。キャンベル夫人が突如歌いだす。ショーの母親の葬儀のシーンでは、秋浜先生の要請でモーツァルトのロンドを弾いたが、「そこのところがぴったりだから、展開部には行かずにリフして」という目茶苦茶なことを言われた。秋浜先生は日本版のピグマリオンは「マイフェアレディーズ」として翻案し、コックニー訛りを名古屋弁にするという傑作を書いている。

 

第六話 趣味と聞かれても

 世に趣味という言葉がある。あなたの趣味は何ですか?読書に音楽鑑賞それからテニスを少々。それは結構な趣味で・・・でも、その答えじゃあなたがどんな人かさっぱり分かりませんね。その通り。現在使われている趣味という言葉ほど、相手を知ろうとする側の人間を翻弄し惑わすものはなかろうと思う。読書と言っても、書物の選択の仕方によってまるきり違うし、同じ本を読んでいても感銘をいかに受けるかで更に変わってくる。音楽だって、ロックから民謡、ジャズ、クラシックがあり、それぞれの中でも「趣味」の違いを歴然と際立たせる好みの広がりがあるはずだ。

 例えば、寺山修司の本は片っ端から読んだとか「般若心経」を毎日欠かさず読んでいるとか、あるいはグールドのバッハを聴くと元気が湧いてくるとか、長渕剛の「乾杯」を聞いては涙を流しているの・・・とか、ネット際にポトンと落として相手を愕然とさせるのが得意だとか、そんな風に答えてくれる方が何かしら伝わってくるものが多いような気がする。

 しかしながら趣味の問題はもっと根深いように思われる。趣味が無いことへの恐怖を募らせ、安手のアイデンティティを得るために窮屈な趣味へと自分を極限してしまうからだ。趣味の詮索は日常生活に大きな役割を占めている習慣の所在を問うだけでなく、相手の個性との絡みでそれを理解しようという姿勢を含んでいる。先に挙げたもの以外に、水泳、旅行、編み物など他にも多くの標準的な趣味の品目が浮かんでくるけれど、それらを趣味と限定することで、変転極まりない自由な精神の運動を圧殺してしまうのは惜しいように思われる。

 鈍行列車の長旅で、私は、一冊必ず詰め将棋の本を持っていく。機会があればどんな相手とも好んで一局指す。けれども将棋は自分の趣味だなどと思ってはいない。真剣になって勝負に熱中することと、それは私の趣味ですと開き直るとでは大違いだ。それに明日からはやめてしまう可能性だってある。三十代は囲碁に熱中し、四十代で花札、齢五十にして競馬に憂き身をやつすことだって考えられる。だから、趣味など語るのはよしにしよう。

 旧116号沿いにパトス音楽村という一目はっとする看板がある。この楽器店の若い人がいかにも楽しそうにデジタルホーン(肺活量の少ない人向きの管楽器)を吹いていたのを聞いて、大学生協書籍部への多額の負債のことも忘れて、つい衝動買いしてしまった。電気仕掛けで音が出るこの便利な楽器が相手でも、日頃の短距離自動車通勤が災いした心肺機能の弱体化のためか、五分も練習すると息が切れてくる。

 そんなわけで名曲ヴォカリーズを演奏するために、ジョギングを始めた次第。趣味などという生易しいものではない。こうなると妄執と言うに近い。いろいろと屁理屈を並べたが、所詮私は、自分が移り気で飽きっぽいことを棚に上げ、単に逆説を弄しているに過ぎない悪趣味な人間なのかもしれない。 

[33年後の注釈]

1)   ここまで再録してきて、だんだんと自己嫌悪になってくる。原稿用紙3枚はキリが悪いのか、落ち着きのない文体で「もうやめようか」と弱気になっている。思ったほど面白くないと思い始めてもいる。まあ独身時代の日記のようなものだから往時を懐かしみながら、続けてはいこう。

2)   寺山修司はこの頃に片端から読んだのは事実。「書を捨てよう、町に出よう」は名作だと思う。

3)   将棋は小学生の頃にアマチュア有段者で(最高段位は四段)新宿将棋センター(二上教室)に通っていた。でも大人になると目立たなくなったせいか、余りやらなくなった。当時国文科の学生だった坂井健君(現在、仏教大学教授)とどちらが強いかを決める七番勝負をやって負け、それ以来将棋はやらなくなった。

4)   パトス音楽村でデジタルホーン以外には電子ピアノ(家にグランドピアノがあるので、これは研究室用)を買った。ここでは三十年近く東京からチェンバロ奏者の岡田龍之介先生(自分とほぼ同年)を招いて古楽教室を開催していた。家内はこの教室でチェンバロを習い続け、アマチュアながら私よりも上手にバッハを弾く。

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