ティールブルージャケット【#103】気配はひっそりと脚の下から

 あけぼの会警備部の実体が存在する、巨大な日本船籍船「☆あぐらいあ☆」の接続された南の島の、島嶼部基礎の奥には巨大な発電所があり、島嶼部基礎には各国船籍の船がいくつも接続されている。
 「☆あぐらいあ☆」とそれに満載された街区・医療法人あけぼの会を中心とした各種施設・環境調整機構の島嶼部接続中は、島嶼部基礎辺縁を経由し他船に貨物を運搬するパイプラインが提供される。中のレーンを、コンテナを積んだ貨車が一定ペースで走り回る直送特急便だ。
 貨物は、発送時の自己申告→営業所での検査・コンテナへ→集積所での検査と輸出入手続→営業所での検査・仕分→配送ないし直送、という、いわゆる宅急便とほとんど変わらない感覚で行われている。ここまでの構造にするのに時間がかなりかかったが、今ではパイプライン自体が攻撃でもされない限り、おかしな積荷は弾かれるし流通は止まらない。
 おかしな積荷。棺桶や骨壺、満載の土、でかい魚でも、発送元と受取先の合意が取れており安全が保証されている限り、配送手順に載らないことはないが、それ以外の何かのことだ。
 ある日のこと、その配送手順に載せてはいけない積荷のようなものが確認された。
 何度かある検査の結果が一定しないことに加え、複数人の検査担当が異状を訴えるが画像と数字は正常で、気のせいか検査機器の故障として通そうとしたら、異状を訴えた検査担当が全員抗議して輸出入手続きがその場で数十分止まってしまった。
 やむを得ず当該のコンテナを一度止めて非常待避エリアに弾き出し、発着両者の合意のもと開封しようとしたのだが、どちらとも連絡が取れず、営業所が調べ直したところ、結局住所には空き家だけが存在した。ペーパーカンパニーだったのだ。
 コンテナに何が載っているかいまいち判らないのだが、検査担当各者共通の訴えとして「申告内容通りのマネキンや、申告を誤魔化したセックストイではなく人間が満載されている」「死体袋が冷凍庫に入って運搬されてるわけではない。常温で人間が入っている」「全身外殻体の人ならまだマシ。生身の人間が積み上がっている」「人間が小さい」という。
 記録に一切表れていないはずの幻覚を複数人が見た上同じ事を訴え続けるので、上層部も開けざるを得ないという判断になり、警察の立ち会いのもと、何が出てきても割と平気な人々がそのコンテナの開封依頼をされた。
 あけぼの会警備部、特警三課。怖いのはお化けと巨大人食い鮫くらい。
 今日は街警二課の応援で、四人が街区警備用自動警備犬のセッティングに行って、全く犬の攻撃力と思えない攻撃を加えてくる、各種のかわいい小型犬に追い回され、這々の体で一旦帰社した後の話だった。
 会社と現場の往復に大した時間はかからないのと、「☆あぐらいあ☆」の設備の話なのでそう揉めることもないだろうと、彼らは軽い気持ちでやってきた。
 コンテナの蓋が開くまでは平和であった。
 
「……渋川ァ、病院の救急今誰いた」
 コンテナの蓋が開いた瞬間、クリアリングも兼ねて待機していた薬師ルリコが、声を絞り出して課長の渋川雄吾をうっかり呼び捨てにした。
 慎重と冷静を失い瞬間昔に戻るほどのものを見たのだ。
「救急だ? どれ何……うっそ」
 特警三課の他の面々が背後で慌てて病院部と車輌担当を別々に呼び出して渋川に横入りされるのが聞こえるが、彼女の耳にはそれがとても遠くに聞こえた。
 あの、脚の数からしておそらく子供が五段くらい積んである奥から何か飛び出してくるとか、コンテナ上部にトラップがあるとか、爆発するとか、そういうことも気にかける必要があるのに、コンテナの中奥、何もない空間に釘付けになり、その場から一歩も動けない。
 あの下の方、早く運ばないと潰れてしまう。身体がすごく痛い――
 同僚の大男、ADDの大きな手で力一杯背中を叩かれ、息が止まりそうになりながら、薬師は背後を見上げた。
「大丈夫?」
「ありがと」
 薬師とADD、トウィンクル・ベータの三人は、渋川が、事態を相手が飲み込まず苛ついたときに出す声を背にコンテナに飛び込み、とにかく子供を全部運び出しはじめた。立ち会った警官や、運送各社マネージャー達も慌ててそれに追随する。
 非常待避エリアの床が寝かせた子供でいっぱいになった。
 子供たちの現状は、幸いなことに全員の全身が生活外殻体で、圧死の危険こそなかったが、しかし緊急停止状態になっており、再起動はそこら辺の工場でなく病院でしなければならなかった。
 積み出している最中、予想外の速さで救急車が着いたらしく大量のスタッフが駆け込んできた。
『カッチョサァン、遅くなってスンマセーン。数聞いてクロウラー出してたワァ』
 外で待機している、車輌部のヨシムラが薬師と渋川の体内通信会話に割り込んできた。しなをつくる魔王の如きデスボイス。
 彼は、片側二車線道路を全部塞ぐ、馬鹿でかいだけで普段何も役に立たないと言われる救急車輌・クロウラーをひっぱり出してきたのだ。普通の大型車ではなく、自動車とは操作がまるで異なる重機である。
 薬師もあれを動かしたことはあるが、こんなに速く来れる程上手くは動かせない。
『その呼び方やめれ! 金払っておねえちゃんと薄い茶色い水食う店じゃねえんだ』
 回線を繋ぎっぱなしなのを忘れていたのだが、それにしても大の男がふたりして耳の奥でつまらん喧嘩をしないでほしい。全員身体は搬送の手伝いをしているんだからそっちに集中したらいいのに。
 薬師は軽く苛ついた声を普通にあげた。
「あのさ、トシ誤魔化したおばちゃんの淹れる茶色い水なら後で寝れなくなるほど食わせてやっから黙れ」
『エッヘへ、サーセン。俺コーヒー濃いめで』
「お、おう……お?」
 回線を切って搬送に集中し、終わったが缶コーヒーもなく壁際に座り込んで肩を落としていると、やはり童顔に疲れた色を浮かべた、ふわふわラメレインボーアフロが近づいてきた。
 身長は薬師より少し高いが、細身細面なため迫力が無く小柄に感じられる。
 トゥインクル・ベータ。生憎宇宙人ではない。実態は、戦闘外殻の全身になるたけ見た目が良い感じになるように武器をぶち込んでいる暗器狂だ。会社がそれを知っているかは知らないが、渋川はいちいち全部新装毎に把握しているからいいのだろう。
「るりっちおつかれー」
「うぇーいベータ乙ー」
 仕事がなんとか終わると毎回要求してくる彼女のハイタッチに応えた後、薬師は、部屋の天井を見上げた。
 ベータは隣に腰を下ろして、ひとつ息を吐いた。
「明日警察行くのかな。用があるからめんどくさいなあ」
「明日外来警備だし、行くつっても任意だからなぁ。昼休みにあっちから来たらいいんだ。何なら『呼ばれて行っただけです、見たまんまでーす』ってゆって、レコーダー映像一個提出して終われるぞ。そういうの会社で貰わなかった?」
「あ、そうなんだ。貰ったアプリレコーダー一応動かしてるけど、重くなるからそのうち外しちゃおうと思ってた」
「外すなら代わり入れときな。昔はさておき今もう、そういうの理由無く配ってないから」
 チョコあげる、と駄菓子のひとくちチョコをいくつか渡され、ははあとふざけて押し戴いた薬師は、これはありがたいとひとつ包みをあけて口に放り込んだ。
「るりっちどうしてんの?」
「眼鏡が撮ってる。いつも持ってる虫に中継さして余所に蓄積して、警察が欲しいときはそこから持って行かせてるんだけど、今日あの馬鹿犬どもが全部食っちまったから、まあ、さっさと写し取って眼鏡返してってとこかな」
 ベータは押し黙って天井の隅を見上げていたが、回線の接続要求を出してきた。
 応えた薬師は、体内通信を選択する。
『ねえるりっち、今日のやつ、犯人に賞金かかるかなあ』
「わからん。居たらかかるけど、罪状明確にすると額が跳ね上がるから、ケチりたいなら外からわかんないままリストに載ってくるんじゃないかな」
『るりっちいつも連れてるお兄さんは?』
「……固定の男はいないんだが」
 いつも連れている、で該当するのは、現在未だあけぼの会病院か他船系列病院のどれかに放り込まれており野に放たれていない筈の、モルガン・コティヤールひとりだが、薬師には、ベータがそれをどこで聞きつけてくるのかは察し得ない。そこで彼女は知らん顔ですっとぼけた。
 固定の男はいないのだ。そういうことにしているし、なっているし、あれは恋人でもなんでもない。遺恨の元があるなら外注管理係との交渉経験の寡多からくる逆恨みという、実に色気のない間柄だ。
「変なこと気にするね?」
『うん、ちょっとね。いないなら、いいや』 
 何にせよ今回の件は、積まれていた子供達や、発送元・配送先の素姓が明らかになってから、必要なら捜査が始まり、必要なら賞金リストが出るだろうし、いずれ世に知られる事になれば街区と設備の警備が強化される話で、今日の仕事はこれで終わり。明日は病院の外来警備当番で、明後日は書類日になる。ちょっと重量のあるいつもの話だった。


 二日後の書類日、午前中。
 Tシャツ、チノパン、シャツワンピース姿の薬師は、会社近くのカフェ「プリータム」のテラス席の隅っこで、本件の報告書を手直ししていた。
 家の冷凍庫のストックとして、この店の冷食セットをいくつか注文する用があったので、普段わざわざ出張ったりしないものを、ついでにせっかくだからここにいる。
 他は、総務が、「会社員にできることには限度があるでは困るのでなんかそれっぽいこと書いて再提出」というのだが、彼女は憤懣遣る方ない表情で該当部分をこねくり回して、世間体を諦めた。

 ――話のほぼ正確な経過と、憶測、感想、見たままの映像、警察に提出したのと同じものを添付して渡して、それ以上に報告書で何が知りたいのか。全て修正提出前に書いたことだが、そもそも誰がやるのか決める段階ですぐだんまり決め込む総務課長様にできることは、稟議を最長三日も放置せずさっさと通すこと以外ないと思われる。
 ・搬出された子供の中に停止していなかった者がおそらくいるからこれ以上本件に首突っ込みたきゃ病院と警察に聞くこと。
 ・これ以上本件に首突っ込みたきゃ、街区と設備の警備を強化して、警察と仲良くしておくこと。
 ・燃料使用額でも書かれたいなら車輌課に直接聞いて欲しい。
 ・言い出しっぺが委細聞かされるだろうから言い出しっぺが全部やればあっさり解決するのでは?しらんけど
 正直に言うと、あれだけの数の子供の積み出しが主業務だったような話に見抜け察せよが必要なのか。検査担当者全員の妙な幻覚とやらの処理は運送会社の範疇だし、我々は幻覚を見ていない。総務が特警三課に本件の捜査、犯人の追跡や先手襲撃を依頼したならさておき、子供の搬出救出は推理を必要とする仕事ではない。総務課長ひとりの興味を満足させたいなら自分の脚で聞き込みから始めたらいかがか。そんなに何か野次馬をしたければ警察に聞くとよろしかろう。毎日室内で女性社員や上役とにこやかにお話してるのが仕事のひとの野次馬で現場でトラブル起きて全員死んでもいいなら、是非単独行動かつご自由にどうぞ。警察と病院部、設備部から続報や依頼がなければ、今回はそういう話だ――

 腹が立つので、薬師は、以上の事を語尾以外ほぼそのまま書き足して、知らん顔して同送宛先に渋川と春日井、ちょっと悩んだが、センサー不良で休職中のドローンオペレーター・係長の安浦と、こないだ総務に来た係長の誰だか、春日井と間違った顔をして秘書室をこっそり追加して、総務課長宛に送信した。
 渋川は役職柄修正を要求してくるだろうが、後は無視か、なれば上が揉める話になるだろう。
 大体、彼女もこれで諸般の事情が無ければそもそも警備部には居ない身の上だし、給料減らされたら辞める。辞めたら身体のメンテナンスも兼ねての製品テストが難しくなるかもしれないが、警備部が総務課長様のご機嫌損ねるんなら遠回しに日干しになって死ねと言ってくるので仕事自体が無理ですと病院側に正直に暴露してしまえばいい話だ。揉めるんなら今すぐ揉めろ。それ揉めろ。
 薬師は、送信後少しだけ待って書類用のタブレットを閉じ、すっかりぬるくなったコーヒー特盛りサイズのマグカップを手にして、半分ほど一気に飲むと、ああ、と安堵の溜息をついた。
 歩道に面したテラス席の、店の敷地の外側で、レインボーアフロを同柄のニットキャップで包んだ、私服のベータが、その溜息を聞きつけ立ち止まる。
 スカジャンにショートパンツ、タイツ、ハイカットのモコモコスニーカー。きらきらネイル。会社員の勤務中イメージからはほど遠い。
「ヘイヘーイ、るりーっち。顔が不景気だぞう」
 毎日顔面不景気でーす、と応える薬師のおでこを、レインボーキャップはスッと近づき、腕を伸ばしてでこぴんした。
「イテッ。しょーがねえべや報告書してたんだからぁ」
「ワカル。総務の課長、なんかるりっちの報告書嫌いだからねえ」
「と、だべや、と、報告書。ひとが嫌いでなければ渋川の許可済み購入稟議あそこで毎度毎度二日も三日も意味なく止まらないもん。急ぎとか全くアテにできないし嫌がらせするおっさんとかバレないとでも思ってんだろうねアレ」
 ベータは、足下に不審者照会で寄ってきた、街区警備用小型犬ボットをスッとかわす感じで、隣席との間のステップから直接テラスに上がり、慣れた感じで薬師の席に相席してきた。
「いやーあいつ八方美人だから、アンタが嫌いは思ってても言わんしょ。嫌がらせはしっかりするけど。るりっちも大して怒鳴り込んで来るでもなくさっさと渋ちん経由で購入しちゃうから、自分が庇われる想像上の揉めごと期待するアホに伝わらないしさ。怒鳴り込んで窓から投げたら少しは変わるんじゃね? で、奴の期待する報告書の景気が悪いって」
「報告で総務様に太鼓持ちして良いことあった試し無いぞ。昔それやって死んだ奴居るから、不景気なら不景気でいいんだって誰か教えてやれよ……あ、それ飲んでる」
 ベータは、薬師の制止も聞かず、マグカップを取り上げ、飲みかけのコーヒーをぐいーっと飲んでしまった。
「無理っしょー。渋ちんが毎回言ってるけど聞いた試しないって」
「……病的な鋼のメンタルだな。ひとをひとだと思ってねえ奴。まあ特三が今の構成になってから、まだアレの太鼓持ち要求の嫌がらせ如きで業務に支障して死んだ奴居ないけど、そのうち絶対どっかでなんか起きるわ……知らねーわ……」
 しねー、と一度ずつ生声で口にして、天を仰いだふたりは、元の姿勢に戻ると、無言のままもそもそと注文用の端末でそれぞれランチセットを頼んだ。そろそろ昼飯時だ。
「るりーっち、こないだの借り分いい?」
「あれ、奢り有り?」
「うん! から揚げとぱへ追加しちゃお。アタシもぱへ食べよっと」
「今!?」
 いきなり自分の分に追加されたチョコレートパフェとから揚げに軽くおののきつつ、薬師は、ふとアレを訊こうかなと口をひらきかけたが、次の瞬間全てが無しになった。
 街区警備用小型犬ボットが数台、通りの向こうで、仲良く路肩の側溝の蓋上でお座りしてこっちを見ているのと目が合ったのだ。
 犬ボットからは、不審者や設備の不具合なら街警各課か設備部にまず連絡が行くが、社内時間割はそろそろ昼休みなので、昼番が出るし、どこの手にも負えなければ昼休み終了直後に街警か特警の手空き人員に応援要請が回って来るはずだ。特警三課は書類日の構成員で会社近隣に居る、彼女とベータ。後は出勤していない。
 面倒臭そうな個人の話は食って待機が終わった後にしてもバチはあたるまい。薬師は、右手首に着けるのが癖の時間ぴったり腕時計を見やり、肩をすくめて犬の群れから目をそらした。

 はたして食後しばらくして、人手不足を絵に描いたような応援要請が街警二課からなされた。本来なら街警各課は、人手が不足するような数の配置にはなっていないはずだったが、出動要請をした犬ボットの位置が複数に及んだため、人員セルが足りなくなったのだ。要請を受信した薬師とベータは顔を見合わせた。
「あらま。大した装備してないけどいいのかな」
「一応街警程度の戦闘行為は私はできるけど……まとめて送ってくれる? 装備、暴徒鎮圧Bとほぼ同様で。私物の虫は無し。拘束バンド二本。特記よろ」
 ベータは薬師の姿を上から下までじろじろ不躾に眺め、胸尻太腿以外ごついところが殆ど無い姿に首を傾げた。
「え、その格好、服の中にアーマーか何か入ってそれなの? 着痩せする?」
「わかんないものを着てるんだよ。銃くらいはわかるでしょ」
「るりっち普段から治安悪いのでは……アタシはいいかな、身体硬いから」
 ドブ川歩くんじゃなきゃいいや、と軽い感じで、ベータはふたり分をまとめてゴーを出した。と、彼女は、絞り出す様なうめき声をあげた。
「どうした」
「銃火器、飛ぶものダメだって。ひどい」
 ベータの暗器は飛ぶものが多く、薬師の主武器は常に銃だ。
 何かに軽く失敗した時のしょっぱい顔をして、薬師は、じゃあ何ならいいんだと言いながら、送られてきた現場の状況を読み始めた。
 通りの向こうでお座りしている犬ボットの尻の下の蓋を開け、そこにある側溝脇の出入扉を超えて、街区構造物の隙間通路を、犬の一台を先導として異音の発生源を追跡する。街区構造物に傷がつく可能性があるので、発砲、飛翔物は禁止。
「私らの出力ではたいたら多少はへっこむ気がするんだけどなあ」
「だよねー。るりっちこないだも相手投げて船壊したしねー……」
「それは相手が硬いのが悪かったので言わないように」
 スタート時刻まであまり間がない。薬師は、脇に吊っていた銃をホルスターごと外しながら、鞄を持って店のレジ近くに歩いて行った。足音や声を聞きつけたか、女将のシスがひょっと顔を覗かせる。
「あら、もう少しゆっくりしてんだと思ってた」
「それが仕事が入りましてね。お勘定お願いします。あと鞄と銃預かっててもらえませんか、持って行けないから。取りに来ます」
「いいよ。ご安全に」
 隣で、ヨシッと指さしポーズをするベータの頭を軽く小突いて、ふたり分の勘定を済ませ、薬師は鞄と銃をシスに預けて店を出た。
「痛いよう」
「不吉だから本気でやめて。不安になる」
「験担ぎっすかあ」
「験担ぎでーす」

 現場である通りの向かいで待機する犬ボットをしっしと追い払ってどかせていると、道路沿いの建物の中にある銃砲店のドアの向こうで若い男がふたり、こっちを見て何か言ってるのが見えた。野次馬だ。
 薬師は、軽く袖をまくると、えいやっと側溝の蓋を素手で持ち上げた。
「わーい力持ち」
「いや、あんたの方が」
 蓋を植え込みの下におさめて、身体を横にすれば入るかなという程度の幅しかない溝に首を突っ込むと、顔の横の計器が音を立てた。雨水量をはかる物ではないらしい。と、開けた蓋の向こう側、隣の蓋の下の溝が擦れる音とともに開き始めた。
「ひどいな、あっちかよ」
「アタシ開けるね」
 薬師が蓋を閉めるのとほぼ同時に、ベータがえいっと蓋を持ち上げた。植え込み脇にそれをどけ、彼女は、お先にと言って溝に滑り込んでいった。
「これこのまんま入っていいんだよ……な」
 犬ボットが一台吠えると共に、眼鏡の脇にゴーサインが出たので、薬師は首を傾げつつ、ベータと同様に溝に飛び込んだ。犬が一匹後を追い、他の犬は溝の周囲に集まった。多分あの後会社からひとが出てきて、工事中の札をつけるか側溝の蓋をしめるのだろう。
 街区構造物の下には船体構造物があり、街区構造物の間には、ひとが三人ほど行き来できる空間が、点検通路として簡易的にしつらえられている。
 壁・天井のパネルの奥は、各構造物の配管や配線が集められており、外せば点検ができるし、壊れたら設備部が直しに来る。薬師とベータは先導の犬を見失わないよう走り出した。
 小型犬でも犬の速度は速い。しかも、電源切れまで絶対バテないロボット犬である。ふたりと一匹は目標まで一気に到達するつもりでいた。街警セルに追われてこちらに近づいて来ているので好都合だ。
 だがもう少しで到達する地点で、薬師は想定外の事態に見舞われていた。
 バテるのだ。その兆候がある。長いこと忘れていた感覚だが、これはあまり無造作に走るとまもなくバテる。
 今の彼女の身体は人間に紛れるものとして作ったと言われたし、生身より余程高性能かつ強靱なのも知っている。しかし、戦闘外殻体に追従する長距離走が苦手な身体だというのは聞いていなかった。
「るりっちスピード少し落ちてるよ、大丈夫?」
「大丈夫、だけどバテる兆候があって、ちょっと」
 ベータは自分の腕時計をちらっと見て足を止めた。
「目標が街警セルに追われて移動してるから、こっちに追い込むからね。指示が出たらそこ向かって」
「了解……ごめん」
 ベータは、いいよ、と軽く笑った。
「昔みたいな伝説の動作性能は無いって渋ちんに聞いてるから。大丈夫」
 後でね、と軽く手を振って、ベータは先を急いでいった。
 薬師は気を取り直して、少しだけ指示を待った。程なく集合地点が指示されるが、送られてきた映像には、のっぺりとした白いマネキン、ではなく、辛うじてズボンと靴を履く理性のある人間と判るものと、それが担いで走っている泣く女児が映っていた。剥き出しの腕とショートパンツから伸びた脚の感じから、全身生活外殻体なのが見受けられた。
 耳の奥でベータが困惑した声をあげる。
『飛び道具使ったら駄目な理由あったわ! 子供! 刃物も鈍器も使えないなんてひどい』
 薬師は口を開かず応えた。
「そら使うなって言ってくるわけだな、素手で止めてやるから慌てんな。犬は動いてるか」
『バッチリ! どうする噛ませるか』
「他人の装備噛みつぶした犬なんだから、ケツのひとつも噛ませろや、すぐ追いつく!」
 薬師は再び走り出した。だいぶ近づいた、この距離ならすぐ合流できる。犬が白人間の外殻の尻を噛むのと、彼女が跳び蹴りのひとつもかますのと、どっちが速いか競争だ。
 
 ……あの角を通過中出会い頭に衝突する。薬師は走る速度を緩めなかった。さん、に、いち。
「とうっ」
「あしかじれ――!」
「う゛ぁーん!」
 安全靴の両底を向けてすっ飛んできた六十キロ弱の塊が胸部を吹き飛ばし、機械でできたゴキブリを噛んで飲み込む鋭い牙がふくらはぎにかじりつき、白人間はバランスを完全に崩して、脇に抱えていた女児を落としてしまった。背後から追いついたキラキラジャンパーが女児を受け止め転がり滑っていく。
「よっしゃ確保! るりっち後頼んだ!」
 言われる前に追撃として、転げた白人間の真上に着地し胸郭を踏み抜いた薬師は、しかし生命維持装置を踏み抜いてはいないことにすぐ気づいた。
 ものによっては立ち上がる。犬が吠え、想像通り白人間は、上半身をだらりとさせたまま、下半身だけでしっかりと立ち上がった。
 走って逃げられても厄介だが、脚をどうにかするものが犬しかない。すれ違いざま膝かっくんとかそういう精密な話はできる奴だけでしてほしい。
 薬師は、先日街警二課を応援しにいった時に貰った犬の命令アプリを眼鏡上に呼び出したが、めんどくさいのでしまった。かじれといってかじるなら、
「それ! あしかじれ」
「わんっ」
 犬が脚をかじったままにさせておき、少し離れて、彼女は白人間に犬ごとタックルをきめて、転がせた。
「るりっち、押さえとこうか、こいつ暴れるから!」
「頼むわ、拘束する!」
 戦闘外殻体もがっちり拘束する拘束バンドをベルトポーチから引っ張り出し、脚を二箇所で留めて、薬師とベータ、そして犬は、どうも男性のものらしい腰の上にどかっと腰を下ろした。
 ベータが泣く子をよしよししているのを横目に、薬師は、この白人間の追跡をしていたけれども、ベータに停止要請と置いてきぼりを食った街警のセルに終了、目標拘束の連絡をした。腕が動くのを蹴って黙らせる。
「終わりかな」
「引き渡したら終了だ。おつかれさん。ありがとね」
 ベータはうふふと笑った。
「ねえるりっち、バテるんだったら気絶するのかな」
「……気絶は知らんよ。この身体に換えてからしたことないもの」
 いきなり何を言い出すのか。薬師はすっかり調子の狂った困り顔をした。
「誰も見たことないよねー……」
 何か言いたげな相手に知らん顔して、彼女は通路の先から来た街警二課の見知った顔ぶれに軽く手を挙げてみせた。それから気を取り直して口を開く。
「まあ、そのうちな。機会があって、生きてたら見ると思うよ。ご迷惑でしょうが、そん時ゃよろしく」
「うふふ。まかせれ」
 今日出した報告書には特記することなどないと書いたが、先日来船内の点検通路に人間型の敵意所有者がウロウロしているのは特記事項だ。彼女自身まだ数は遭遇していないが、遭遇数や状況によっては掃討が必要になるかもしれない。
 掃討は自分のする判断ではないが、個人装備の拡充が必要になる可能性はある。
 この辺の話は帰りしなに雑にまとめて渋川安浦送りにするとして、想定だけはしておこう。薬師はひとつ大きく息を吐いた。
 今日は普通に、帰って寝よう。
 

【了】

(軽い気持ちで投げ銭をお勧めします。おいしいコーヒーをありがとう)