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ティールブルージャケット無印    【砂男(1/4)】

☆★☆宣伝行為☆★☆
無数の銃弾Vol.6(1月31日発行)に掲載中のものです。忙しくて諸々通知と公開忘れてた。100円/冊、アンリミテッドにも配信されております。
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☆★☆宣伝行為ここまで☆★☆


 遙か南洋の人工島嶼に作られた発電所と、その周辺に連結された様々な船籍の巨大な船で構成された街でできた島がある。
 そのひとつ『☆あぐらいあ☆』にも、雨季の終わり、冬が近づいていた。
 冬とはいえ南の島のこと、降るのは雪ではなく雨である。今日は夜っぴて降っていた雨が出勤時にはあがり、垂れ込めた雲と湿気で体感温度が下がって寒い。
 そのような船上の約半分を占める大学・研究設備・病院等を持ち、地方都市の維持のための企業グループを作り上げたあけぼの会では、設備部が、冬になる前に『☆あぐらいあ☆』上の雨水排水設備の点検を行っていた。
 今年の設備部は、通常業務に加え船体内部の不法占拠を一掃する目的での点検を行っており、例年に無い忙しさで地上部の設備点検に割く人員が不足しているという。系列の零細不動産業者が点検係の増強を要求しているので、求人を出さなければならない。来年も多分忙しい。給料上がるかな? 
 目の前の設備部船体管理課社員がそう話すのを聞きながら、薬師は乗っている車から外を眺めていた。
 ドアに控えめに【あけぼの会設備部】と描かれた別の点検現場へ向かう社用車とすれ違う。
 薬師の乗る車は、もう少し先にある、設備部管理拠点の建物の自動シャッターを開けて中に停まった。
 次のシャッターは手動である。薬師は車から降りて、設備部の社員らが全員降車して建物内部に向かう頃に、自動シャッターが閉まったのを確認して次を手で開け、到着の手続きを代行し、今度は運転席に乗り込み内部に進入した。
 先に機材を運び出しているところに追いついて、皆でそれらを車に収容している最中に、総務から支給されている連絡用端末兼社員証が音を立てた。皆初期状態で使っているので誰のものだかわからない。
 全員でIDカードホルダを引っ張り出すと、着込んだ装備の下から一番遅く出た薬師のそれの、動作を示す小さいライトが控えめに明滅していた。
「光るんだ、これ……」
「薬師さん、カード面壊れてない? なんかものすごく暗いけど」
「毎度装備の下だから、壊れてるかも……」
 暗いディスプレイ面に手をかざし、総務からのお知らせを読んだ薬師は、またかよと声を上げた。
「えー、書類出して鍵預けてても嫌かい! 隅っこに置いたのに」
 総務課長からのお知らせだ。要するに曰く、『駐車場に停めっぱなしの車をなんとかしろ、罰金取るぞ。壊れてるのか?』
 口々に、えー、俺なんか毎日黙って置いてる、やだねえ、と声が上がる。
 ここしばらくの間、設備部の点検作業への随行業務が多い薬師は、船体内部から設備部の社用車で自宅へ送られる日々が続いていた。そのため、正規の手続きを経て、会社の駐車場に来週の金曜まで自分の四駆を置いていた。それで車をなんとかしろという。
 なんとかもくそも、鍵まで総務に預けているのだから、邪魔なら別の所に動かすとかあるだろう。彼女は、総務には社員証から直接返信をせず、自分の社用の体内回線でテキストを組みつつ、機材を車に積み込み終えた。
「ちょっと待っててくださいね。今抗議送ったら出発するんで」 
「大丈夫かい薬師さん、誰かにどけさせて家まで持ってって貰おうか?」
「すみません、大丈夫です。来週の金曜までで書類出てるんで」
 あの車難しそうだもんね、と言われて愛想笑いで返した薬師は、他の社員に一服の時間はあるかと聞かれ、取ればあるので吸い殻を始末するようにと答えた。この先は禁煙だ。
 彼らが一服している間に、彼女は考え事顔でテキストを組み上げた。正規の手続きしてるので課長が管理の仕事してという長い文章を総務課に返信する。
 右腕の腕時計は宣言した時間に達しておらず、その後大体の用が済んだ彼女は少し待った。
 待っている間に上司の渋川から苦笑交じりのおじさん絵文字が放たれる。
 点検拠点への到着報告と一緒にぶうぶうと苦情を申し入れ、大体終わった頃に一服時間が終わり、仕事が始まった。
 
 設備部の今日の点検作業は特段の問題もなく終わった。途中、謎の空間の前で暗視機材が壊れ、装備類にそれが含まれる薬師がひとりで探索に出ざるを得ない場面があったが、道なりに歩いて行って到達してドアを開けたら、失念されていた点検通路が船体に直接出口を穿っており、危うく足を踏み外して海に落ちるところだったというオチがついた。
 あけぼの会警備部特警三課では、このような作業への随行をおよそ二ヶ月前から続けており、作業自体は順調なので、今週一杯金曜日で余剰人員の出る特警一課に引継ぎになっている。
 今日は水曜。薬師は木曜から金曜の夕方までに報告書を出して、生存確認と引継ぎで交代。週末昼に大学番をやった後は、来週から年末の夜回りに人間が足りないので街警各課の応援に出る。
 彼女は帰途についた設備部の社用車に揺られながら、忙しさを理由にして開けていなかった私用の各種通知を眼鏡の視界の隅で開け続けた。
 沢山逃したクーポンやら何やらに若干悔しい思いをしていたら、土井中宝飾の十二月セールスケジュールという控えめかつ割引率のいいお知らせが入っていた。毎月定期的に送ってくるやつで、セールの無いときはゲリラ値引きありますとか、社長の小話が入っている。
 不足している家事用品やら、くたびれた衣類など、だいぶ始末の悪い部屋になってきた自宅も、先月から不要物はざっとまとめていたが、きれい好きの教授から苦情が出始めていた。木曜に何事もなければそのまま夜更かしで書類をやって、金曜は買物に出たり、掃除をしよう。
 薬師は頭を車の窓にもたせかけて、そのまま居眠りを始めた。
 
☆★☆

 特にトラブルも無く金曜日。寝坊して慌ててゴミ出しをし、ついでにほぼ部屋着で街まで来た薬師は、買うものメモを眼鏡の視界の奥から掘り出し、平日午前中のこともあり、さっさと用事を済ませてしまった。
 荷物をトラムの駅のロッカーにぶち込んだあとは、土井中宝飾が開くまでもう少しだけ時間があった。
 道中開いてる店を冷やかしながら店まで近づいた彼女は、ふと香辛料の香りに気がついた。
 周囲にそういう店はない。薬師は、この前のメンテナンスで無理を言って、生体部品の眼球の中に付けた戦闘時感覚補助UIを起動した。まだテスト中で、不具合があれば睡眠中に自動報告するが、導入してから戦闘行為が無いので送信はほぼされていない。眼鏡の視界の内側に色違いの表示が重なる。
 目元が少し痛む。これは長時間使ったら頭痛になるやつかもしれない。
 さすがに異臭や危険物の判断はされていないが、刺激物(劇毒/劇物)の判断がいくつかされた表示がポップアップした。土井中宝飾の裏手だ。何だろう。
 裏手の路地に入って思い出した。以前から土井中宝飾のマダムが片手間にやっていた土日喫茶店を、薬師の同僚ADDの姉REDが引き継いで、気がついたら平日週三・土日営業のカレー屋になっていたやつだ。忙しい間にそんな事があり、当のREDは「カフェだよ! 何でもカレー屋って言うな」となぜか弟に釘を刺しているときいた。
 薬師は、開店時間まで後五分程の表の店の脇を通り、不躾とは知っていたが、不用心にも換気に開けっぱなしになっている共用勝手口からカフェ側を覗いた。ひとり人の気配がする。 
「こんにちは! REDいるの?」
「居るよ! 今忙しい、まず表の店へ!」
「裏開けっぱなしにしてたら危ないから閉めとくよ!」
 飛んできた口調の結構なきつさに、おっかないけど誰から習ったんだろうと内心自分を棚上げしながら、薬師は勝手口のドアを閉め、表に足を向けた。
 やばいやばいと女性の声が近づき、勝手口の鍵をかける音がする。
 彼らが来てからいつしか土井中宝飾の店先に、カット済み裸石が少し多めに並ぶようになっていた。薬師はそちらの方が好きなので、セール時には絶対高いものを買ってしまう自信があった。自制心、自制心……
 
 ……さすがに自制心は辛うじて保ったが、少し以上散財した。でもここんとこあまりお客で来ていないので、この位いいだろう。
 薬師は、小さくて丈夫な手提げ袋の中に顔を突っ込まんばかりにして、小さな白や黒の箱を覗き、珍しく上機嫌でふふふと笑いながら外に出て、再び裏の店に向かった。
 裏口は無事閉まっており、店のシャッターが半分開いている。両開きの引き戸が片方開けられており、シャッターをくぐったら店に入れるようになっていた。
 引き戸にはADDの金くぎ文字で「来週まで人手不足で夜だけです。ごめんね」と書いた大きめの電子紙が貼ってあった。REDは母国語・アルファベット以外の字と絵が壊滅的に下手なので、書類の字以外はADDに書かせているという。
 開店前でもお構いなしにシャッターをくぐり、厨房の方を見るとREDひとりしか居ない。薬師は、厨房に声をかけた。
「ハロー。忙しいの済んだ?」
「今の時間までひとりでする事は済んだ。そちらは? 収穫があったかな」
「いっひっひ。後で見せるね」
 薬師は店の中を見回した。
 どうやら棚が動かしたかったがギブアップしたらしく、背丈より大きな棚から内容物と上棚が下ろされ、下棚がなんとなくずれている。この後開店前までにはどうにかしたい感じだ。
「丁度いい。模様替えを手伝ってほしい。賄いと飲むものをごちそうする」
 いつもなら部外者からは代金を取る賄いが、今日はタダだという。
 REDは若干話しづらそうだが、この状態で放っておいてくれと言われている。そのうち話し言葉を覚えて、流暢になるだろう。
 薬師は、レジ下の目立たない棚に自分の荷物を置き、さて何をしようと両手をひとつ打ち合わせた。厨房の方から飛んでくる丸めた軍手を左手で受ける。
「棚が重くてな。朝一番で土井中の旦那に手伝って貰って上を下ろした」
「見りゃわかる。他の人は?」
 姿勢は良いが儚い感じの、エプロンワンピース姿の細身の女性が厨房の奥から出てきた。
 しばらく見ない間に頭につけた犬耳をぴこぴこさせている。
 昔怪我をして削れた生身の耳を両方取っ払ったと聞いていたが、あれか。犬派。
 店をするにあたって土井中宝飾の社員になり、その位は稼げている。良いことだ。
「皆宗教行事で休み。夜は学生さんと弟に来て貰ってる。来週から通常業務だ」
「ADD帰るまでは待てねえな、この棚」
 薬師は、幅がひとりで持てなさそうな下の棚を、床を滑らせずらそうとしたが、REDに遮られた。
「床が傷つく。少しやらかした。私がそっち持つから」
 下の棚を、清掃済みの希望の位置に設置し終え、問題は上棚となった。 
 薬師は、空の棚の仕切り部分に手をかけヨッと持ち上げ、REDが支える脚立を上った。真上までは上らない。多少バランスがおかしくてゆっくりだが、重さは大したことはない。生身の頃から、日に三十キロは担いで数~数十㎞歩く人生だった。それに比べれば軽いものだ。
 その後中身を移し替えたふたりは、床を念入りに掃除して、傷ついた場所を確認した。大したことがないので、補修用品を通販に発注して作業はおしまい。
「他にすることあるかい」
「他は時間合わせてやればいい。大丈夫、ありがとう」
 カウンターに出されたグラスの冷水をひとつ呷って、薬師は手近の椅子を引いて腰掛けた。
「ビールなどは飲むか」
「今日は昼酒は無し。お手製のジンジャーエールがあると聞いて」
 ばれたか、とREDはにやりと笑った。ばれいでか、ADDが薬師宅の畑の隅っこで沢山作った生姜を収穫して帰るついでに、用途を教えてくれた。
 期間限定手作りジンジャーエール。『☆あぐらいあ☆』上でその手の生鮮食品は珍しい。土井中宝飾のセール期間に合わせて出しているそうだ。
「じゃあ今日は味見。昼か夜にまたおいで、そしたらちゃんと出す」
 食事の支度をするいい匂いと物音がしてきた。
 今日の賄いだとカウンター上に置き出された皿をテーブル側に取り、ジンジャーエールのグラスを受け取りながら、薬師は少し違和感をおぼえた。
 何だかは判らないが、何かひとり多いような気がする。視界のUIの事もあり、彼女は索敵方法を変更しながら店の中を見回した。
 大して広くもない店だ。何事もなく何も映らない。脳裏を一瞬不快害虫がよぎったが、この船の構造上あれらは居てはいけない事になっており、設備部の正式業務に不快害虫の駆除がある位だ。断じて存在を許さない。
 相応の外見のものが居たとすれば、自分が、仕事仲間でもある不動桜ハナ教授から購入して使っている小型偵察/攻撃機編隊・【目々連】一式のはずだと慌てて考えを打ち消した。
 何より、飯時にそんなものに出てほしくない。考えなかったことにしよう。
「さて、私もごはんにしよう」
 薬師の隣に賄いの皿を出し、REDはその席に腰掛けた。いただきます。
 食べながら、彼女は薬師のこの後の予定を聞いてきた。
 何も無い。外の掃除でも手伝うかと訊いたところ、それも嬉しいがちょっと話を聞いてくれという。
 彼女はなかなか土井中宝飾まで来ない薬師に連絡しようと思っていたが、忙しくてしそびれていたそうだ。
「どうしたの。個人的な仕事だったら年明けになるか、年内は機材で対応する事になっちゃうんで、食べながらでいいから早く話せ。先着順だ」
 REDは、説明が難しいらしく突如喋る言語を母国語に切り替え、説明を始めた。
 少し前から、帰宅時に帰りが同じ道になる外国人男女が複数いるという。
 複数だけなら単に帰りが一緒と括って終わりにできるが、ある時ADDと連れだって帰宅した時、これらがどうも尾行と同じ挙動をすると彼が怪しむので、怖くなった。
 怖いだけで特に何をしてくるでもない。手出しして藪蛇になっても嫌だ。
 いつまでも弟に勤務時間帯の都合をつけさせ夜の見張りをさせるわけにもいかない。何か使える機材があったら貸してほしいし、薬師が一緒に夜帰ってくれれば言うことはない。
「ちょっと年末まで人間は夜は無理」
「そうよね。ADDにも釘を刺されました」
「機材はいけるんだ。それで――あんた達今どこに済んでるのさ?」
 ふたりが、薬師の所有するマンションの地元NPO借り上げ部分に転がり込んできて、トラブルが解決した後引っ越していってからずいぶん経つ。
 その間に彼らは二回引っ越した。一度は土井中宝飾の独身寮、次は転職に成功してあけぼの会警備部に来たADDが人事に申し込んだ、社宅扱いのどこぞの物件。
 二度目の引っ越しの時、行き先を聞く機会が無く、自宅へ訪問する用も無いので聞かずじまいになっていた。
 
 REDが答えた場所は、街の外れ。ここから徒歩とトラムで四十分少々。
 あるいはバスで三十分ないし徒歩で二時間も歩けば帰れる場所だ。
 ふたりは交通費をケチっているのか、裏道を歩いて帰っているという。
 裏道は夜の環境があまりよくない。都市計画の中断もあって街が途切れ、途中に倉庫、オフィス、立体駐車場が軒を連ね、広い公園があり、空き地が点在し、夜はバスが無く、街灯も間隔が広く誰もいない。
 当然、街警の巡回はあるが、それも平時は数時間に一度だ。よく何事もなく今まで暮らしてきたものだ。いや、この上怪しいものが不法占拠の上トラブルを起こしても困るので、よく運が悪くなかったなというべきか。
 薬師はスプーンを持つ手を止めて、「ええ……」とだけ呟いた。
「そいつらとご一緒するまで特に何も無かったの?」
「無くはないよ。無いけど、」
 REDは、椅子の背に結んでいたいた長いスカーフをほどき右手の指でつまんで、手首を翻した。
 ふたりから一番遠い、レジ脇の壁の柱に下げられた、板に接着された流木が乾いた高い音を立て、深い楔形の欠けができ一本が二本に化ける。
「ぼこぼこ」
「おう……」
 半端に生身の奴だけが相手だったという。どういう理屈でスカーフが武器になるのかは置いておいて、『無くはなかった』という部分がもうあまりにも警備部の名折れだった。
 社員と機材の数が足りなくて、街警がこっそり手を抜き、薬師を含む特警各課が気づいても後回しにしていた部分だ。
 ただあげつらっても良いことはないので、後日機材配置計画書と見積もりでも作って渋川に送りつけようと思い、彼女は年明けやることリストにそれを加え、話の続きを促した。
 「その、多少の奴ならぼこぼこにできる筈なのに、怖い人がつけてくると」
「そうなのよ……」
 二人が住む場所も、大昔、外国から本土を経て来た筋の良くない不動産屋が、当時まだ小さい支店しかなかった片山物流やなごやか不動産を含む地元企業、あけぼの会の各部門に地上げ抗争をふっかけようとして失敗し、更地とは言わないまでも被害を出して殲滅された場所になる。
 過去の遺恨も癒えつつ新興住宅地になる予定の場所だが、地方都市のキャパシティを増やすものが無いのに突如人間がどんどこ増えるわけでなし、予定はあくまで予定だ。
 再来年の今頃は各種工場フロートが徐々に稼働を始めるので人間も増えていくだろうが、今はただ家賃が安いだけの場所だ。
 薬師は、会社の人事部担当者とADDの顔を思い出しながら、どいつもこいつもケチはトラブルのもとだと内心悪態をついて、言葉にせずに長粒種の米を載せたスプーンを口にした。
「向こう側からトラムで帰れよ」
「うん、そうしたんだけどね……そしたら、ね」
 そうしたら、何とお仲間らしきものが客で来るというのだ。
 薬師は、お仲間、と呟いて首をひねった。
「どこでお仲間って見分けるの。頭に電飾看板でも載ってくるのかい」
「混ぜっ返さないでくださるかしら」
 急に教授のような口をきかれ、薬師は真顔で口をつぐんだ。見分けるポイントが顔面にあるのだ。
 REDは説明しにくそうに少し考えていたが、やがて、立ち上がってレジ脇から筆談用の電子紙冊子と専用ペンを持ってきた。客のごく一部に、体内回線を持たず、テキストのやりとりが瞬時にできない人物がいるため設置してある。
「こう、人の顔があるでしょう……」
 雑に描いた楕円に、●と――を組み合わせて人間の顔面を描き、目元から頬にかけててんてんとそばかすかニキビ跡のような点を打ち、髪か何かわからない線をうねうねと描く。
「こうなってて、これがレジくらいの距離に来たらわかるんだけど」
 こういう感じで絵になっている、と、REDは、ディフォルメされた眼球・目元(まつげまである)を、否定か禁止する感じで斜めに線を引いた、既視感のある絵を沢山描いた。それらの目から斜めにうねった線が出て、絡み合っている。顔に柄が入っている。刺青か彫刻か。フェイスペインティングか。
「目の記号にしか見えない」
「目よ。あなたこれに見覚えは。私は嫌ってほどある」
 あるよ、と呟いて、薬師はひと口、すっぱ辛い漬物を口にした。
 彼らふたりきりの姉弟を遠路はるばる追ってきて、薬師のマンションを襲撃して裏の壁を二階部分まで派手にぶっ壊してくれた、どこぞの山奥の村の戦士だか何だかの件だ。
 事情聴取の時に警察から見せられた写真で、衣類のパッチや鎧状の戦闘外殻に施された装飾に似た絵柄が描いてあったのをよく覚えている。
 よく覚えているが、それが何を意味するかの委細ははたして判らなかった。姉弟が詳しい意味は判らないと言ったため、誰も彼もが察し得なかったからだ。
 警察に随分怒られた上に建物の修理代が馬鹿にならなかったので、薬師などは次に来たら拠点ごと焼き払ってやろうと思っていたのになかなか来なかった。
 そのうち自分が事故で戦闘外殻の身体を失ってしまったのだが、それならそれで出来るように戦うだけだ。
「面倒臭ぇな、自分が当事者じゃないか。嫌んなるね」
「私もよ。やっとそれなりに静かに暮らしてきたのに、またかって」
 よしわかったと呟いて、薬師は軽く何度か頷いた。顔面看板野郎が脅しか偵察のつもりで来たなら、偶然は無いのはわかるがまだるこしいことをする。居所がバレている隙だらけの一般人に、よってたかって恨み骨髄というなら黙ってさっさと居宅なり店舗に放火するなりすればいいのに、そういうこともしない。
 向こうも何かの事情で直截的な手段が取れないのだ。
 そしてこの絵を特徴とする人物に賞金がかかっている訳でもない。おそらく所属集団にそれなりの世間体がある。
 もたもたされているうちに早めに退治したい。彼女は少し考えたが、今日や今すぐどうにかするのは無理だった。
 運が良ければ何かの拍子にトントンと事が運ぶだろうが、今この瞬間個人で何かするなら、自分を含め強力な機材をREDに随行させ襲撃者をどうにかするしか選択肢がない。
 さすがの薬師様も身体はふたつ無いのに、これから年末で会社に身体が取られている。
 彼女は、賄いのプレートを完食し、ごちそうさまでした、からの言葉を続けた。
「すぐさま攻め込んで吹き飛ばすとか今すぐ無理だから、うちの機械犬出すわ。私もばっちり当事者なんで出費は気にしないで」
 薬師はグラスの底に残ったジンジャーエールの生姜かすを意地汚くスプーンで掬って食べながら言った。
「あと、犬の利用にかかわらずだけど、しばらくは交通費ケチらないでトラムで帰るようにして。運の善し悪しってあるからね」
「薬師、……堂々とやったらバレないと思ってるのか? それは意地汚い」
「バレたか」
 犬はいつ渡してくれるのか、と少し心配そうなREDは、今呼ぶから一時間暇つぶしさせてくれと言った薬師に、外掃除用の箒とちりとりを持ってきて渡した。
 
 箒を動かしながら、薬師は、所有マンションの共有スペースにある、心霊現象があまりにも煩くて住民が使わないようにした集会場の中身を検索した。
 個人の武器庫をわざとそこに置いている。
 今出せる各種自動警備機の在庫に、「犬」「猛獣」という項目があり、猛獣は項目だけだが、犬の在庫が三つある。
 即時起動可能機はふたつ。「大型ポメラニアン」「トーゴ雑種(顔面T/胴体機甲)」の選択項目で表示された。
 薬師は、「トーゴ雑種(顔面T/胴体機甲)」を選んで起動した。
 トーゴとは顎周りの破壊力が異様に強い犬の品種で、当該犬もそれに倣って、機械犬の中でも最高クラスの強度で作られている。
 これに噛まれると、全身型の戦闘外殻所有者も膝下一本腕一本は余裕で毟られる。耐えたのは最初から全身を人間に寄せず機械で設計しているベータくらいのものだった。
 身体は頑丈さと速度、隠し武装などを重視して、形自体は犬だがもふもふできない、量産型大サイズ機甲犬の胴体を使っている。
 薬師がこれを組んだとき、パワーを重視しすぎてもふもふさせる金が無かったともいうが、そこはそれだ。
 あとは目々連だが、いつでも持っている持ち運び箱からカメラ蝿を出してREDにみせたら、飲食店にそれかと嫌がった。
 やむを得ずカメラはマンションの壁に張り付いている飾り画鋲型のものをいくつか、攻撃機は攻撃機ボックスに入れて持たせる事にした。
 建物内外に脅威の無い事を確認し、薬師は、おつかいよろしく攻撃機ボックスの持ち手を咥えた犬を武器庫から出した。
 と、体内回線が耳の奥で着信音を立てる。発信者:名越有。
 なごやか不動産から派遣されたマンションの管理人だ。薬師が管理人業を諦めた頃からの長い付き合いになる。
『薬師さん! 武器庫から犬とか出すなら一報くださいよ』
 事前連絡を忘れてそのまま犬を出してしまったのに思い至り、薬師は通信音声だけで詫びた。外の掃除中の自分の表情がちょっと動く。
 武器庫の中に人、特に子供が入り込むとまずいので、事前に一報して監視なりして貰っていた。
 だが今利用者が偶然ほとんど居ない時期なので、うっかり連絡無く犬を出したのだ。 
『和尚が通るのと同時にすーっとドアが開いたってんで、あいつ、奥の部屋から出てこないんだよね。何も無いからいいけど、怖がりすぎなんだよね』
 ああ、そうと反応に困った薬師は、気を取り直して箒の柄で自分の肩をトントン叩き、ひとつ伸びをした。
『申し訳ないって伝えておいて。岩屋戸開きついでにちょっとお願いがあるんだけど、いいかな』
 どうぞ、と若干不服そうな若い男のいい声に被せて、引き戸の開く音とミカンちょうだいという激シブ低音声がする。この声を発している中肉中背であまり特徴のない、のっぺりした雰囲気を漂わせる眼鏡の男を思い出しながら、薬師は頼み事を続けた。
『今ぽめ大しかすぐ出せる奴いないから、怖くなければ【はやたろう】のケージスイッチ入れといてくれるかい。お手数かけます。今ちょっと忙しくて、ごめんね』
『了解でーす』 
 目々連の不足分は後で教授に追加で発注しておけばいいだろう。
 しばらくして掃除も済み、薬師は腕時計を見た。
 マンションからここまで、信号に引っかからずバスとトラムを順調に乗り継いで大体六十分少々か。三十分ほど経っている。
 正確に四十分後。バス運賃とトラム運賃の決済通知がそれぞれあった。
 六十分少々後。開店準備がひと息ついて、買った宝石をふたりで眺めていた店内に、ついていないはずの呼び鈴の音が響いた。
 続いて犬が二度吠える。
「薬師、強そうな犬きたよ」
 もふもふする所が頭部しか無い無骨な犬の頭を撫で、受け取った攻撃機ボックスに入り込んだ画鋲を五個取り出した薬師は、店の壁にそれを貼り付けた。
 ボックスは犬の服に収納しておく。
 これで店内で少し位暴れられても大丈夫だし、逆襲もできるし、通勤時もお供するし、何なら荷物持ちも多少はできる。
 薬師は犬の使い方を説明し、REDとの使用者ペアリングを済ませた。
 
【続く (1/4了)】

(軽い気持ちで投げ銭をお勧めします。おいしいコーヒーをありがとう)